二人の関係に名前をつけたことなんて無かったけれど。
一緒に居て、一番自然体で居られたのは確かで。
この関係がずっと続けばいいと願っていた。



空の名前1



それに気付いたのは、高校生活ももうあと僅かという頃だった。
呆然、愕然、唖然、何と例えていいものか。
我ながらよくここまで気付かずに来たものだと思う。
いや、自分の体の状態を考えれば仕方ないのかもしれないが。

「まず、皆に打ち明けなくてはならないことがある」

本日二時間ほど貸切にしてもらったかわむら寿司の座敷を陣取っているのは、乾を始めとした元青学レギュラーメンバーである。
といっても乾は高等部に入ってかは選手としては一線を退き、マネージャーとしてテニス部に関わっていたし、河村も中学時の公言どおり中学を卒業すると同時に板前修業に専念していたのでテニス部ではない。のだが今回話し合いを設けるに至って快く場所を提供してくれた。
そして手塚と越前は現在留学中でここには居ない。
なので現在乾を囲んでいるのは不二、菊丸、河村、大石、桃城、海堂だ。
「まずはこれを見て欲しい」
すいっと乾がテーブルの上に差し出したのは、一枚のカード。保険証だ。
そこには乾の名前や生年月日など個人情報が書かれているのだが。
「あれ?」
それに真っ先に気付いたのは桃城だった。彼はカードの一点を指差して笑った。
「乾先輩、性別が女になってますよ」
「あ、ホントだー!なにこれ、オモシロミスってやつ?」
菊丸も桃城と同じく笑い声を上げるが、乾は至って真面目に「いや」と否定した。
「間違いではない」
ぴたりと笑い声が止まる。
「今まで言う必要性がなかったので言わなかったが、俺は戸籍上は女なんだ」
しんと静まり返った中、乾は淡々と始めから説明しよう、と語り始めた。
「俺が生まれた時、医者は俺の性別を判断できなかった。何故なら男性器と女性器両方を兼ね備えていたからだ。まあ、所謂、半陰陽とか両性具有やインターセックス、俗っぽい言い方をするならふたなりと言われる体だった」
外性器は未発達ながらも男女共にあるが睾丸は無く、内性器も子宮と卵巣があり、更にその奥に精巣があるという形だった。
医者は女として登録することを勧めた。後々の事を考えて、その方が良いと言われたらしい。
「つまり見た目的には竿はあっても玉が無いって事ね」
「ちょちょちょちょっと待つにゃ!でもでも俺ら一緒に合宿とか行ったじゃん!お風呂一緒だったじゃん!」
はいはいはい!と挙手した菊丸に、あれ、でも、と不二が声を上げた。
「乾ってお風呂とかって気付いたらもう入り終わってたよね。だから一緒に入った事は無かったと思うよ」
「うん。先生たちは知ってるからね。先に入らせてもらってたんだ」
「トイレとかどうしてたの?」
「尿道は男性器の方についてるんだけど、性器自体が未発達で小さくてやりにくいから個室専門。ついでに言うなら当然見た目がコレだから女子トイレには入ったこと無いよ」
「こういうこと聞いていいのかわからないんだけど、生理とかはあったの?」
「女よりの時は年に何回かは来てたよ」
「女より?」
「ホルモンバランスの関係でね、男性ホルモンが活発な時期と女性ホルモンが活発な時期があって、体調も大体それに左右されるんだ。女よりの時は大抵体調が悪い。生理が来ようもんなら俺はトイレ以外でベッドから一歩たりとも出るつもりは無い」
「あー年に何回か突然何日も休んでたのはそれなんだ」
「そう。あと高校に入ってマネージャーに転向したのは胸が出てきた所為」
失礼だとは思いつつも一気に視線が乾の胸元に集まるが、そんな素振りは全く見られない。
「普段はさらしを巻いてその上にパワーベスト着てるからまず分からないと思うよ」
「うん、全然わかんない」
「だから乾、マネになってからもパワーベスト着込んでたんだな」
「出てきたって言ってもAカップ止まりみたいだからどっちにしろそんなに目立たないよ」
「だからいにゅい、誰とも付き合わなかったんだ?結構モテてたのに」
「うーん、どうもそういう事に対しては体どうこうの前に淡白な方みたいでね。恋人を作りたいとは余り思わなかったから」
「でも、何で突然そんな事打ち明ける気になったんだい」
「そう。そこなんだよ大石。ここからが本題だ」
乾は保険証を鞄にしまうと改めてさて、と向き直った。

「実はうっかり妊娠してしまったのだがどうすればいいと思う?」

ピシャーンと一同の間を戦慄が駆け抜けた。
「う、うっかりって、いや、それより妊、いや、い、乾!」
「落ち着け大石。これでも俺が一番動揺しているんだ。医者にはまず自然妊娠は無理だと言われ続けてきたのにあっさりデキてしまった俺が一番驚いている。…ああいや一番驚いていたのは医者の方かな。まあそれはともかくとして」
「とりあえず話を整理しようか」
不二がぱんぱんと手を叩いてざわめきを抑え込んだ。
「まず、妊娠したって事は相手が居るって事だよね。それは心当たりあるの」
「まあ、一人だけ」
「うん、で、乾が妊娠したって事は相手は男って事だよね」
「そうだな」
「相手は知ってるの?勿論、乾の体の事はすることしてるんだから知ってるんだろうけれど、妊娠しちゃったって事は?」
「まだ言ってない。そもそも付き合っているわけではないからな」
「…セフレ?」
「まあ、そうなるのかな?あ、大石胃薬要る?」
「…いや、持ってるから…」
「あ、そう。ともかく、セフレと言うよりは親友関係にセックスがおまけでついてきたみたいな関係だ。向こうも俺の体に負担がかかることは知ってるから俺の気が向いたときしかしなかったし」
「その相手って…僕らの知ってる人?」
「あー、まあ」
「…もしかして、立海の柳?」
すると乾はきょとんとして、次の瞬間噴き出した。
「いや、蓮ニはありえない。そもそも蓮ニは俺が両性具有だって事自体知らないし」
「じゃあ誰っすか?!」
「うーんとね。…亜久津」
沈黙。
続いた絶叫に乾はさすがにびくりと体を竦めた。
「亜久津って、あの亜久津っすか!」
「乾、やめときなよー絶対遊ばれてるにゃー」
「乾、そんなのは放っておいていっそ僕と結婚する?」
「菊丸、遊ばれるも何も付き合ってないし合意だから。あと不二、どさくさに紛れて妙な事を言うな」
「本気なのにー」
「余計悪い。ともかく、亜久津としか経験が無い以上、父親はどう考えても亜久津という事になるのだが、さっきも言ったとおり俺と亜久津は別に恋人同士というわけではない。予定が会えば遊びに行って、たまーにセックスもするだけの関係だ。だから折角だが堕ろすのが最良だと思ったんだが」
「あ、そういえば何ヶ月なの?」
「それだ。何度も言う様だが俺の体調は悪いのが基本だ。だから食欲が無かろうと微熱が続こうと全く気にしなかった。いつもの事だからだ。その上どうも悪阻は余り無かったみたいでそれもまた気付くのを遅らせた。なので腹が膨らみ始めて漸く気付いたくらいだ」
「それって、つまり」
「四ヶ月だそうだ。実際、最後に亜久津とセックスをしたのもそれくらいだ」
「避妊はしてなかったの?」
「俺、あのゴム臭が嫌いなんだよね。それに医者からも妊娠は無理だって太鼓判押されてたからまいっかーって」
「乾ってそういうとこ結構ざっぱだよねー」
「まあ、そういうわけでもう産むしかない状態でさ」
「でもさ、乾、大学はどうするんだい?」
「さすがに無理だろうから入学取り消ししてきた」
「親はなんて言ってるんだ」
「大喜びされた。ほら、俺がこんな体だから孫は望めないって諦めてたみたいで」
「あー乾のご両親らしいねー」
「だから取りあえず暫くは親の世話になるとして、出産自体は問題解決なんだよ」
「ただ、亜久津をどうするか、だね」
「言わない方がいいんじゃないかな、あの亜久津だし」
「そうっすよ、下手したら堕ろせとかいって腹蹴り飛ばしてくるかもしれないっすよ」
「いや、亜久津は皆が思ってるほど悪い奴じゃ…」
「タカさんは人がいいからそう言えるんすよ!中学ん時アイツがやったこと俺は絶対忘れねえっす」
「まあ、確かに素行は悪いからねえ…でもアイツ、結構子供とかお年寄りとか好きだよ?」
「乾まで何言ってんのー!」
「いや、でもそういう所があるからこそ乾も一緒にいられたんじゃないのかな?違う?」
「まあ、そうだね。結構ギャップがあるやつだよ、亜久津は」
「そもそも、乾先輩とあの亜久津ってどうやって知りあったんすか」
「全国大会終わった頃かな。街でたまたま見かけて。俺が話しかけたのがきっかけ。その時話したのが結構面白くて、それで会うようになって…俺ってさ、今まで親と医者以外に自分の体の事話せる相手って居なくて、自分でも知らずに結構鬱憤とか、溜まってたみたいでさ、ある日亜久津に全部話したんだ。今思えば殆ど愚痴だったんだけど、亜久津は全部ちゃんと聞いてくれて、でもお前はお前だろって、在り来たりな言葉だけど、言って貰えて凄く嬉しかったんだ。だから、亜久津ならいいかな、っていうか、この体を曝け出せる相手が欲しかったんだと思う。亜久津にセックスしてみないかって迫ったんだ」
「乾先輩から迫ったんすか!?」
「うん。不安っていうのもあったんだろうね。一応男としての意識が強い時が多かったから男として生きて来たけれど、体は男としても女としてもどっちつかずで、心としてもどっちとして生きたいのか未だに分からないままだから手術で性別をはっきりとさせてしまうことも怖かった。だから一度やることやってみればわかるんじゃないかなって思って」
「それで、わかったの?」
「それがまあ、女性器も未発達だったからかなり苦労したんだけど、やる事はやれたんだ。でも結局自分がどっち側に行きたいのかは分からずじまいでね。妊娠したって事は体は女であろうとしているのかもしれないんだけれど精神的には何も変わってなくて男のような女のような境目をふらふらしてる感じかな」
すると不二は笑って、亜久津の二番煎じみたいで嫌だけど、と前置きして言った。
「乾は乾だから、無理にどっちかに決めなくてもいいと思うよ」
「そうだな。最初は驚いたけど、乾が乾であることに変わりは無いからな」
「そうっすよ、ね、エージ先輩!」
「うんうん、乾はそのまんまで十分おっけーだにゃー!」
そんな中、一人だけ黙り込んでいる男がいた。海堂だ。
「おいマムシ、てめえもなんか言っ……」
「どうしたの?」
「…先輩、海堂の奴、気絶してます」
ひらひらと桃城が眼前で手を振っても海堂は固まったまま微動だにしない。
「……ぶっ」
あはははは!と笑い声が一斉に上がる。勢いで桃城に突き飛ばされた海堂はそのままぱたりと倒れこんでしまい、余計に笑いを誘った。
「か、海堂にはちょっと刺激が強すぎたかな」
「そうかもね」
「海堂さいこー!」
「マムシばっかでー!」
とりあえず河村と大石で海堂を横にして一同は再びテーブルを囲んだ。
「それで、亜久津をどうするかだけど、乾としてはどうなの?」
「うん…出来れば知られたくないのが本音かな。菊丸が言うような乱暴されるかもとかそういう心配は全くしてないんだけど、今の関係が壊れるのが嫌なんだ。初めてこの体の事を打ち明けられて、尚且つ受け入れてくれた奴だから…逃げてるだけかもしれないけど、こんな形で失いたくないんだ」
「もしかしたら受け入れてくれるかもしれないよ?」
「うーん、アイツ、基本的に派手なお姉さま好きだからなあ…」
「亜久津はぜってー止めといた方がいいっすよー」
「俺もそう思うにゃー」
「乾が言うとおり、それは逃げなのかもしれないけれど、乾がそうしたいならそれでいいと俺は思うよ」
「そうだな。本来は二人の問題なんだからちゃんと話し合え、って言うべきなのかもしれないけれど、状況も状況だし、反対はしないよ」
「でも実質問題として、生まれるまであと半年くらいあるわけっすよね。それまでどうやって亜久津から隠すんすか」
「亜久津は乾んちとか知ってんの?」
「いや、知らないはずだが」
「じゃあ乾が出向かなければいいだけなんじゃない?後は街でバッタリとかならないよう気をつけてさ」
「それなら亜久津の行動範囲は分かってるから何とかなると思うよ。ただ、亜久津短気だからなあ…二ヶ月くらいなら俺の体調が良くないからって誤魔化せるけど、それ以上となると下手したら青学なり乗り込んで俺んち調べに走る可能性が高い」
「今の青学で乾先輩んち知ってるのつったら俺とマムシくらいっすから俺らが言わなきゃ問題ないっすよ!」
「そうだね。後は亜久津にそんな頭あるかどうかはわからないけど、他の人間を使って聞き出そうとするかもしれないから、誰であろうと乾の自宅の場所は洩らさないように」
「いえっさ!」
こうして乾の妊娠は亜久津に知らされないまま、三ヶ月が過ぎる事となった。








(続く)
***
書いちゃった☆(殴)
乾さん両性具有ネタは前々から暖めてたのですが、その時は父親は手塚という設定でした。(笑)でも手塚だとイマヒトツ面白みが無いなあということでお蔵入りしてたのですが、今回、相方と亜久津乾を話してる間に「亜久津乾に組み込んだら面白くね?!」という流れになり、こうなりました。最初はタカ乾に組み込む予定だったのですが亜久津乾の方がオイシイと思ったので亜久津乾で。
多分コレは三話くらいで完結すると思います。次でばれて、その次でまとめ。
両性具有に関してはそれなりに調べましたが、フツーにデキちゃってる辺りとか結構医学的な事無視してるので、あくまでファンタジーとして読んでいただけると幸いです。




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