こんな体に生まれてしまった事を後悔した事は山ほどある。
面倒な事ばかりで、けれど親を責めることも出来なくてただ不快だった。
けれど、今はそれすらお前と出会うための布石にすら思えてしまうのだ。




空の名前3




亜久津に妊娠がばれたその夜、二人で揃って亜久津の母親である優紀に会いに行った。
元々乾と彼女とは顔見知りだったが、彼女は乾が男だと信じていたので久しぶりに会った息子の親友が腹を膨らませてやってきた事に心底驚いていた。
しかし一から説明し、そして腹の子が亜久津の子であることも、そして結婚の意志を伝えると彼女はあっさりとそれを受け入れた。
さすがあの亜久津を女手一つで育てただけはある、というべきか。彼女は「はる君なら全然オッケー」と大らかだった。
そして腹の子が男の子だと知るときゃあきゃあと喜んで「じゃあ今度のお休みに一緒に子供服とか買いに行きましょう!」と大はしゃぎだった。
因みに乾の両親はというと、亜久津に全く動じない母親と、何か言いたげではあるが結局は乾の意思を尊重した父親が二人の結婚を認めてくれた。
ということで二人はとんとん拍子に話は進み、数日後、晴れて乾貞治は亜久津貞治となった。
式も何もしてはいなかったが、乾自身がそういった形式に拘らないタイプだったので機会があればしようか、程度に落ち着いた。
そうして不二たちに亜久津にばれたこと、そして結婚したことを報告すると何でもっと早く教えてくれないのかと怒られた。
不二曰く、そうなったらそうなったでボクたちで結婚式プロデュースしたかったのに!ということらしい。
なのでもし結婚式を行う事になった時は相談するから、という約束を取り付けて一先ず矛先を収めてもらうことにした。
そうして亜久津の部屋に住む事になったのだが、出産まで暇を持て余している乾はというと、毎日出産に関する資料や本を読み漁ってみたり、栄養バランスのきっちりとした献立を立ててみたり、所謂マタニティ体操をしてみたりと本人は至って楽しそうだった。
本来行くはずだった大学でスポーツ医療を学ぶ予定だった乾は半ば暇潰し的に独学で勉強を続け、文句を言われないという事は許可が出ているという事だろうと解釈して亜久津をマッサージの実験台にしたりもした。
そうこうしている内にあっという間に妊娠十ヶ月目を向かえ、しかし予定日より十日早く訪れた陣痛に、けれど乾は己の体の体質からしてそういう事もありえると予測済みだったらしく冷静だった。
冷静でないのは亜久津の方で、テンパって救急車を呼ぼうとするのを乾に苦笑と共に止められた。
最初こそテンパっている亜久津を宥める為にあれこれ話していた乾も、次第に間隔の短くなってくるそれに次第に口数も減っていき、最初の陣痛から七時間が過ぎる頃には乾が発するのは呻き声とそれから逃れようとするうわ言に近い独り言ばかりだった。
そして更に五時間後、漸く子宮口が開き、乾は分別室に連れて行かれた。
その間に荷物を取りに一旦家に戻り、再び病院を訪れた優紀が見たのは、典型的なパパ初心者を踏襲して分娩室の前の廊下をうろうろと行ったり来たりする息子の姿だった。

そうして陣痛が始まってから十六時間後、漸く生まれた赤子は「春仁(はるひと)」と名付けられた。







春仁が生まれて初めての冬、手塚が一時帰国した。
丁度良い、と仲間たちはかわむら寿司に集まり、忘年会をすることになった。
手塚は何かと理由をつけて年に数回は日本に帰ってくる。
しかしここ一年ほどは多忙を極めており、帰国出来ない日々が続いていた。
電話やメールでのやり取りは常に行っていたが、会うのは久しぶりだ。
乾はちらりと腕時計を見る。予定より少し遅くなってしまった。
元々時間ギリギリに行くつもりだったのに加えて、出掛けに春仁がぐずりだしたので更に時間を食う事になった。
「お前は手塚と会うのは初めてだね」
腕の中で眠る赤子に話しかけ、そして目的の店の前に立つ。
片腕で春仁を支えながら扉を開けると、乾、と不二の声が聞こえた。
「いらっしゃい!ちぃはる君もいらっしゃい!」
「やあ、遅くなったね」
「大丈夫、まだ乾杯はしてないから」
さあ、奥へどうぞ。案内されるままに座敷に上がる。
「やあ、手塚。会うのは久しぶりだね」
しかし手塚は全く反応せず、乾が提げているベビーバッグの中ですよすよと寝息を立てている小さな存在をガン見していた。
「手塚?」
「…乾、それは誰の子だ」
「誰って、俺の子」
すると再び春仁をガン見したまま固まっている手塚に小首を傾げると、不二と菊丸が割って入ってきた。
「ふわー、ほっぺぷにぷにだにゃー」
「僕があげたベビーバッグ、使ってくれてるんだね」
「うん。安定が良いしデザインも俺の好みだから重宝させてもらってるよ」
「そう言って貰えると嬉しいな。ねえねえ乾、ちぃはる君、抱かせてもらってもいいかな?」
「どうぞ」
ベビーバッグから抱きかかえて不二に渡すと、菊丸だけでなく大石たちもどれどれと集まってきた。
「…結婚したのか」
春仁を中心にわいわいと騒いでいる仲間たちを眺めながら手塚がぽつりと呟くように言った。
「ああ、手塚には言ってなかったね。まあ、色々あって七月に入籍したんだ」
「…そうか」
「いやあ、俺もまさかこの年で子供産む羽目になるとは、っていうか俺でも産めたんだなーっていうか」
アハハーと笑っていると、手塚は「ん?」と言う様に首を傾げた。
「…乾」
「何?」
「まるでお前が産んだかのような口ぶりだが…」
「うん、俺が産んだけど?」
乾も乾で今更何を、と言わんばかりの表情なものだからお互い見つめあったまま数秒の沈黙が落ちる。
「あ!」
そして食い違いの原因に気付いたのは乾だった。
「そうか、そういえば手塚にはそもそも俺の体の事自体言ってなかったんだ!ごめん、つい癖で不二たちにばらした時に手塚にも話したつもりでいたよ俺」
そうだよ、手塚はあの時ドイツだったね。ごめんごめん。
けらけらと笑う乾に手塚は着いていけず首を傾げるばかりだ。
「えーと、じゃあ一から説明するね」


「あ、ちぃはる君、おめざめかな?」
もにもにと動き始めた赤子に河村がほにゃーと相好を崩しながら言う。
「そうみたいだね。そろそろ乾に返したほうが良いかな。乾、ちぃはる君起きそう…ってどうしたの、手塚」
振り返ってみれば、固まっている手塚と苦笑している乾。
「いや、手塚には俺の体の事とか説明してなかったから説明したんだけど…」
春仁を受け取りながら乾は苦笑する。
「あー、そういうことね」
「マムシよりはマシっすよー。コイツ気絶してましたからねー」
「忘れろ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた二人の声に驚いたのか、春仁が乾の腕の中でふえ、と声を上げた。
「こら、二人とも。ちぃはる君が驚いてるよ」
「あ、すんません」
「…ッス」
「大丈夫だよ。ねえ、ちぃ」
乾が指先でその頬を擽ると、春仁はむいむいと唇を動かし始める。
「あれ、乾、これってもしかして捲れる?」
乾の着てきたタートルネックセーターの胸元を指差す不二に乾はそれを肯定した。
「うん。授乳セーターだから捲れるよ。凄く便利」
「へー。そんなんもあるんだにゃー」
「たまに着る時間違えてここから頭出しちゃうこともあるけどね」
某一名を放置したままあははははーと暢気な空気が流れる。
「じゃあ皆揃ったことだし、そろそろ乾杯しようか」
「そうだね。越前は来週帰国するんだって?」
「うん、お正月はこっちで過すんだってさ」
「手塚も来月の半ばまではいるみたいだから、今度は新年会でもしようか」
「となると俺はまた説明しなきゃならないなあ」
「予めメールで知らせておいたら?」
「いやあ、今までそんな素振りまったく見せなかったのに突然、実は俺半分女で結婚して子供産みましたーってメール送っても冗談だと思われるんじゃないかな」
「乾の旦那さんがあの亜久津だって知ったらきっと驚くよ、越前」
「じゃあここはやっぱりその時まで伏せておくかい?」
「そうだね、実際にちぃを見てもらった方が早いだろう」
そんな事を話しながらそれぞれの席に戻っていく。
そして一つのテーブルを全員で囲み、それぞれがグラスを手に取った。
「手塚、そろそろ正気に帰ったら?」
不二が容赦なく手塚の頭を引っ叩くと漸く手塚は我に帰ったらしく「あ、ああ」とこくこくと頷いて取りあえずグラスを手に取った。
「それじゃあ、ちぃはる君の健やかなる成長を祈って…」


『乾杯!』









***
まとめにしてはばたばたしてんなあ…。ということで結構アレコレ削ってしまいましたが削らないと余計まとまりが無くなって破綻しそうだったので見逃してください編でした。(爆)
実はこれ書きながら、紅蓮の月シリーズのイポ子と乾がお友達という設定がありました。(笑)空の名前第二話終了時点で一歩は丁度滋郎を出産して暫くした頃という設定で、丁度「ハコベの音が聞こえる」くらいです。一歩時間で言うと。
乾とは産婦人科が同じでたまたま一歩が話しかけたのがきっかけで仲良くなった、という設定でした。で、乾は年上スキーなので無駄に懐いてるんですよ、一歩に。それを付き添いできた亜久津はちょっとかっちーんときてみたりとか。
まあこれは機会があったらちょろっと書いてみたいなあと思ってます。




戻る