※何か発掘したので。(もう何に寄稿したのかすら定かでない/爆)



トライアングル・ゲーム





「あ、そうだ」
 発端は乾の発言からだった。
 部活が終わり、着替えを済ませている最中の事。
「越前、帰りついでに本屋に寄りたいんだけど、良いかい」
「良いっすよ」
 乾の思わぬ発言に各々の着替えの手が止まる。
 ある意味で恐ろしい事に、男テニの皆が皆、リョーマに多かれ少なかれ好意を抱いている。言うなら如何に周りを出し抜いてリョーマと交流を深めるかが毎日の目的だった。
 どっちかって言うと、テニスよりそっちが大事だったり。
 その中で乾は比較的敵視しなくても良い相手だと、不二にすらそう認識されていた。何しろ情報収集目的以外ではリョーマに近付く事は余り無かったし、何かしらの条件と引き換えにリョーマの情報を与え、アドバイスをしてくれたりもしていたからだ。
 その乾が珍しくリョーマに誘いを掛けている。しかもどうやら既に約束を取り付けた後らしい。
 まさか今ごろリョーマに惚れたのだろうか。
 何にせよ問い質すしかない。早速菊丸が問い詰め始めた。
「なになに?おチビと乾、一緒に帰るの?」
「一緒に帰るって言うか、乾先輩んちに泊まるんで」
「「ええっ!!」」
 予想外の返答に菊丸と桃城の声がハモる。
「煩い……」
 耳元では菊丸が叫び、その上桃城の馬鹿でかい声にうんざりしたようにリョーマは息を吐いた。
「宿題、教えてもらうんスよ」
 冬休みは夏休みと違って種類こそ多くはなかったが、各科目の量は虐めじゃないだろうかと思うくらいだった。
 元来、リョーマは夏休みなどの長期休暇の宿題は最終日にやる性質だ。だが、どうみてもそのプリント量は一日では終わらない。まず国語と数学。ざっとプリントを眺めただけで、解けないだろう問題が嬉しくない事に多々発見してしまった。
 更に始末が悪いのが英語だ。日本の中学生が習うような英語は帰国子女であるリョーマには簡単すぎ、今更幼稚園で習うような事などやる気が起こらない。
 そこにタイミング良く声を掛けて来たのが乾だったのだ。
「どうせだから泊りにおいでよ。そうすれば夜遅くまで出来るデショ?それなら一日で終わらせられるんじゃないかな」
 渡りに船とはこの事だとリョーマは即座に頷いていた。
「へーえ」
 事の顛末を説明したリョーマを見る菊丸の目が一層くるりと大きくなる。
「だから今日おチビの荷物多かったんだ」
「っす」
 更に菊丸があれこれと聞き出そうとしている横で、乾は机で日誌を黙々と書き続ける相手に視線を送った。
「そうだ手塚、手塚もウチに来ないかい。文系、俺より得意だろ」
「…………良いのか?」
 一見、表情の変化が見られない手塚だったが、乾に言わせれば、
「何をそんなに驚いているんだい」
 これで驚いているらしい。
「いや、しかし迷惑じゃないのか」
 とは言いつつも内心、リョーマと一緒に居られる事は嬉しいし、何より乾と二人きりにする事を避けられる。
 例え乾がリョーマに本気になっていたとして、だからと彼の理性を疑っているわけではないが、やはり気になるという思いが有るという事実も否めない。
「いや。別に構わないけど。ねえ越前」
 どうやらリョーマには言っていなかったらしく、問われたリョーマもきょとんとしている。
 まさか手塚を誘うとは思っても見なかったらしい。
「別に良いっすよ」
 きょとんとしていたのはほんの僅かで、すぐにいつもの表情に戻ると学生服のボタンを留めながらそう返した。
「ね、という事で決定」
「はあ」
 手塚にしては珍しく間の抜けた返事に乾が小さく笑った。
「俺と越前は本屋に寄ってから帰るから、その間に着替えとか用意して来なよ」
「わかった」
 手塚の応えを聞くとそれで用は済んだのか、乾は鞄を手にドアへ向かう。
「それじゃあ、皆、お先。越前、行こう」
「っす」
 リョーマも己の鞄を手にすると、乾の開けたドアから出て行った。
「それじゃあ、大石、後は頼む」
 日誌を書き終った手塚もいつもの様に大石に鍵を渡して部室を後にした。
「………ねえ、不二」
 抜け駆けと言えば抜け駆けと取れる行為に、始終妨害を行なわなかった不二を菊丸が覗き込む様に見る。
「何で邪魔しちゃあ駄目なの?」
 そう。菊丸たちが自分も行くと言い出さなかったのは予め不二に止められていたからだった。
「今日は乾の邪魔しちゃあ、駄目だからね」
 にっこりといつものアルカイックスマイルでそう部活前に言われていた桃城たちは、頭上にハテナマークを飛ばしながらもそれに従っていたのだ。逆らうと後が怖いので。
「だって乾がそう言ったんだもの。僕に聞かないでよ」
 ひょいっと肩を竦めてそう答える不二に菊丸は珍しい物を見る目で不二を見る。
「へえ?珍しいにゃ〜、不二が人の言う事聞くなんて」
「ふぅん?それって普段の僕は皆に迷惑かけてるみたいな言い方だよねぇ」
 いや、実際そうなんだけど。
 その一言を菊丸が発する事は永遠に出来なかった。何しろ不二がそれはもう華やか鮮やかに笑みを深めたので。
「その代わりにね、乾特製野菜汁のレシピを貰ったんだ。菊丸、是非ウチに来なよ」
 がしっと腕を掴まれて菊丸は青ざめた。
 しまった、言うんじゃなかった。
「さ、一緒に野菜汁パーティーしようね」
 うきうきと、それはもう楽しそうに菊丸を引き摺って部室を出て行く不二。
「も、桃!大石!!誰でも良いから助けてぇぇ!!」
 半泣き状態で菊丸は助けを求めるが、不二を止められる人間が越前リョーマ以外に居ない事を知っている一同は勿論その場を動ける筈もなく。
「ゴメン、英二……生きて帰って来いよ……」
 哀れみ、または遠い目で二人を見送るしかなかった。



「やあ、いらっしゃい」
 一旦自宅へ帰って用意を済ませた手塚は、母に乾宅に泊まる旨を告げてその乾宅を訪れていた。
「紅茶で良いよね。今日は越前のリクエストで桜のフレーバーだけど」
「構わん」
 そう長くない廊下からリビングへ抜けると、ソファとテーブルの間に座ったリョーマがくるりと振り返った。
「あ、部長、いらっしゃい。乾先輩、紅茶おかわり欲しい」
 まるで自分の家の様な振る舞いに手塚は少々面食らいながら、リョーマの向かいのソファへと奨められるまま腰を据えた。
「はいはい」
 リョーマの態度に気を悪くする素振りも無く、乾は手塚の荷物を手にリビングを出て行った。
「……そこ、間違ってるぞ」
 藁半紙に印刷された数字と格闘しているリョーマの手元を覗き込み、早速見つけたミスを指摘してやる。
「えっ、どこ。これ?え、何で?」
 ちゃんと答えが出ている筈のその問題を指摘され、リョーマが声を上げた。
「ここでマイナスを書き忘れたまま計算している」
「げっ」
 リョーマは間違っている個所から下に消しゴムを掛けると今度は間違えずに答えを導き出す。
「これで良いの?」
「ああ」
 すると乾がトレイ片手に戻って来た。
「はい、手塚はストレートだっだよね」
 コトンと小さな音を立てて手塚と乾の前にカップが置かれる。
 リョーマの分は勉強の邪魔にならない様、少し離れた場所に置かれ、角砂糖が二つ、確認も無しに乾はカップ内に落した。
 案外甘党なんだなと思う反面、そんな事も乾は知っているのかと微かに嫉妬する。
「取り敢えず、それ位にしたらどう?」
 残りは夕食の後ね。乾の言葉にリョーマはやっと解放されたと言わんばかりにシャープペンシルを放る様に置き、代わりに桜の香り漂うカップを手にする。
 既に乾がスプーンで砂糖を崩し、全体に行き渡されたそれを当然のように礼も無しに飲むリョーマ。その姿にふと過ぎった疑問を手塚は口にする。
「越前はここに来るのは始めてなのか?」
 どちらに問うた訳でもないその問いに答えたのはリョーマだった。
「何回か来てますよ」
「正確には毎週土曜日にね」
 リョーマの応えで十分驚いた手塚に、追い討ちを掛けるかの様な乾の補足に手塚は二人を交互に見る。
 何時の間に、と思ったのが顔に出てしまったのだろう。乾があのね、と更に補足を始めた。
「最初は越前家で飼っている猫が切っ掛けだったんだよね」


「猫?」
 自分の前方をぽてぽてと歩く小動物の後ろ姿に、乾は僅かに片眉を上げる。
「ほぁら」
 乾の声が聞えたのか、それが振り返った。
「…ヒマラヤン…越前の猫か?」
 リョーマがヒマラヤン種の猫を一匹飼っているのは知っていた。だが、ここは彼の家からかなり離れている。俄かにこれが越前の猫だと決め付けるのは良くない。
 そう思っている内にその猫は乾の元へやって来るとその体を乾の脚に擦り付け始める。
「……」
 さてどうしたものかと、じゃれ付いてくるそれを抵抗無く見下ろしていると背後から駆けて来る足音が聞えた。
「カルピン!あれ、乾先輩!?」
 振り向いた先に居たのはリョーマだった。
 小動物を入れて持ち歩くケースを手に、息を切らして立っている。
 やはり彼の猫だったらしく、乾の脚にじゃれ付いていた猫は一声鳴いてリョーマの元へ近寄った。
「もう!探したんだからな!!」
 ぺちっと軽くカルピンの頭を叩いて抱き上げると、乾の存在を思い出したらしく視線を送ってくる。
「越前ちってこの辺じゃないよね。どうしたの、こんなトコで」
「カルピンの予防注射の帰りなんすけど、ケースの扉が上手く閉ってなかったみたいで病院出たトコで逃げられたんです」
 だからこんな所に居たのかと納得する乾は、ふと気付いてリョーマを見下ろす。
「病院って、駅前の?へえ。そこから走って来たんだ?」
 然程長い距離では無いが、動物ケースというお荷物を持った状態で走るとなると、普段のランニングとは訳が違う。それもケースは片手で持っていたから重心がずれて余計走り難かっただろう。
 現に目の前のリョーマは疲労の色を見せている。部活であれだけ動いていて更に気を抜いていた時にこれではどっと疲れも来る。
「俺んち、すぐそこなんだけど、寄って行くかい。飲み物くらいは出すよ」
「じゃあ、お邪魔します」
 あっさりと承諾され、乾は言い出したのは自分なのに少々驚いていた。
「いつも身の危険に曝されている割に迂闊だね」
 毎日青学のメンバーだけでなく、他校からも多々アプローチを受けている身の割に不用心だと言う乾に、リョーマはむっとしてカルピンをコンクリートの道路に下ろした。
「乾先輩は大丈夫だって思ったから。え?何でって……カルピンが懐いてたから」
「何それ。凄い根拠だね」
 薄水色のケースにカルピンを半ば無理矢理押し込めたリョーマは、今度こそしっかり止め具を掛け、不満そうな声の漏れるケースを持ち上げる。
「放っといて下さい」
「それは失礼した」
 多少気を概したようだったが、それでも乾の誘いを断る積もりはない様で、
「あ、でも乾先輩んちってマンションじゃなかったっけ」
 動物ってダメでしょう?そう首を傾げたリョーマに乾は小さく笑った。
 ああ、何だ、そんな事。
「ばれなきゃ良いんだよ」


「どうやら猫だけじゃなく越前にも懐かれたらしくてね。それ以来定期的に来るようになったんだよ」
「そうか」
 どう返答して良いかわからず、手塚はそう答えるしかなかった。
「他のヤツは知っているのか?」
「知らないんじゃない?言ってないし。隠してる積もりも無いけど」
 翌々考えてみれば、普段は桃城とファーストフード店にでも寄りながら帰るリョーマが、土曜日だけはさっさと帰っていた気がする。
「それより夕飯、スパゲッティで良い?」
「ナポリタンとミートはヤだ」
 突然の乾の問いかけに、速攻で返って来たリョーマの応えに乾は頷く。
「手塚は?」
「何でも良い」
 二人はゆっくりしていてよと乾は立ち上がり、キッチンへ向かおうとする脚を不意に止めた。
「味重視と栄養重視、どっちが良い?」
「「味重視」」


「そこはアじゃなくてウだぞ」
「はあ?何でそうなるワケ?」
 夕食はあっさりとした和風キノコスパゲッティと、乾の母が作り置きをしていったオニオンスープ、そしてサラダだった。
 三人でそれを平らげ、飲み物は手塚と乾は麦茶を。リョーマには牛乳を差し出し、文句を投げつけられた。
 今日あった事や昔話に花を咲かせ、満腹感が落ち着いて来た頃に再開された勉強会。数学は終わり、英語も終わった。
 残すは国語。
「だから、この行から主人公の心境の変化が訪れているデショ。だから答えはアじゃなくてウ」
「あーっもう!ねずみや狸と会話する奴の心境なんてわかるかー!」
 とうとう背後のソファにぼすんっと上半身を預けたリョーマに手塚が小さく嘆息する。
「仕方ないだろう。読み取る能力を試す問題なんだから」
 手塚の言葉にリョーマはむぅっとした表情で起き上がるとぶつぶつと文句を言いながら解答欄に「ウ」と書いて次の問題を読み始める。
「あ、越前、ちょっと問題ストップ。はい二人ともじゃんけんして。良いからさっさとする。はい、じゃんけんぽん」
 二人は乾の突然の言葉に訝しみながらも言われるままにじゃんけんをする。
 手塚がグーでリョーマがパー。
「じゃあ越前、先に風呂入っておいで」
「うぃーっす」
 勉強から解放されて嬉しいらしく、リョーマは軽い足取りでリビングを出て行く。そう言えばと時計を見ると、確かにそろそろ風呂に入っておいた方が無難な時間だった。
「越前が出たら次手塚ね。風呂の場所は知ってるよね。タオルは洗面台下の棚にあるから。脱いだ服は白い籠に入れておいて。後で洗濯しておくから」
 それに頷きながら、そう言えばこの説明をリョーマは受けていなかったと気付く。
 言う必要の無いほどこの家に来ているという証拠を付き付けられたような気がして、手塚は乾から視線を外した。
「別に越前と付き合ってるわけじゃないからね」
 相変わらず察しの良い彼の一言に、手塚は心底感服する。
「でも、この先はわからないかな。今日手塚を誘ったのはね、宣戦布告するためでもあるんだ」
「!」
 驚いて目を見張った手塚に、乾はにっこりと笑った。
「ねえ手塚。俺が越前を落せる確率、83%なんだ」
「……だからどうした」
 人の心までは数値で出す事は出来ない。そんな数字など、当てになるものか。
 そう続けようとした手塚の言葉は乾の声に遮られる。
「でも君が越前を落せる確率は、91%なんだよね」
 訂正。
 たまには数値を信じてみるのも良いかもしれない。



 三人ともが風呂を済ませ、日付の変わる頃に漸く宿題を全て終わらせた。
 やはり振り返ってみると国語に掛けた時間が一番長かった。
「じゃあ、そろそろ寝ようか。明日は珍しく部活も無い事だし、朝食は起きてから考えよう」
 リビングから乾の部屋へ移った三人は他愛の無い会話の後、それぞれの蒲団に入った。
 十分ばかりの論議で部屋の主である乾がベッド、そして床に蒲団を二組敷き、ベッド側にリョーマ、壁側に手塚が寝る事になった。
「あ、そうだ手塚」
 電気を消そうとスイッチに手を掛けた乾が手塚を見下ろす。
「8%くらい、簡単に追い抜いてみせるから」
 その言葉に手塚の顔が微かに険しくなる。
「8%の大きさ、思い知らせてやる」
 そう返した手塚に乾はそうこなくちゃと笑った。
「??何の話?」
 一人付いて行けない、しかし事の中心であるリョーマが二人を交互に見る。
「気にしなくて良いよ。御休み、越前」
 スイッチから手を放し、身を乗り出すとリョーマの頬に軽く口付けた。
「へっ?!」
「御休み」
 素っ頓狂な声を上げて赤くなるリョーマの髪を、今度は手塚が優しく撫で、微かに微笑む。
「は?!ちょ、ちょっと二人とも、何なワケ?!ちょっと電気消さないでよ!寝るなそこ!!」
「越前、夜中に喚くのは近所迷惑だ」
「そうそう、さっさと寝なさいな」
「誰が眠れなくしてると思ってんだよ!!」
 乾のキスと手塚の笑顔できっと耳まで赤くしているだろうリョーマの喚き声を子守り歌に二人は眼を閉じる。

 勝負はまだ、始まったばかり。

(END?)

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