ジュード・マティスの第一印象は、女の子みたいだな、だった。
十五歳という年齢を考えても、イル・ファンから逃げる時に抱えた体はちょっと軽すぎた。
声もまだ声変りをしておらず、性格も前向きでいようとしているが時折、そう、悪く言えば女々しい。
武術を習っていたという割には筋肉も最低限しかついていないようで、細っこい。
けれどその拳から繰り出す一撃は見事なもので、魔物に対して怯える事も容赦する事も無かった。
切り替えの早い、今時の子供、という印象だった。
取り敢えず、この子供からお近づきになっておこう、とアルヴィンは判断した。
ミラは独特な世界観を持っていて少しとっつきにくい所があったが、この子供なら自分のペースに持って行きやすい。
何処か自信無さげな子供。こういう相手にはぐいぐい押していけば簡単に心を開く。
数えきれない程の人間を騙し、利用してきたアルヴィンにとって子供一人の心を開かせるなんて事は朝飯前だった。
実際、ジュードは少しずつアルヴィンに心を開いていき、笑顔を見せる事も多くなっていった。
けれどアルヴィンが手に入れたいと思っている情報をジュードは知らないようだった。
これは利用する価値もないのかもしれない。そう思い始めるのに時間はかからなかった。
しかしジュードの反応を楽しんでいる自分もいて、一緒に旅をしている間くらいは仲良くしてやるか、と思った。
ただ、一つだけジュードには秘密があった。
宿屋で風呂を借りる時、ジュードは必ず夜遅く一人でこっそりと入る。
最初の内は読みたい本があるから、などと言ってアルヴィンが寝てしまうまで時間を潰していたようだったが、さすがにいつまでもその手は使えない。
訝しんだアルヴィンが問えば、ジュードは恥ずかしそうに火傷の跡があるんだ、と言った。
曰く、子供の頃に体に大火傷を負ってしまい、醜い痕が残っているのでそれを見られたくないのだ、との事だった。
そんな事か、と思ったがジュードの性格を考えれば恥じ入ってしまうのも仕方ないのかもしれない。
それ以来、アルヴィンがジュードの夜遅くの入浴を咎める事は無かった。というより、余り興味がなかった。
所詮は期間限定のお仲間。利用するだけしたらあとはゴミの様に捨てるだけ。ジュードの火傷の跡などどうでも良かった。
それでも抱き寄せる様に肩を組んだり、ちょっとからかうだけで赤くなるジュードは少女のようで可愛かった。
小動物を愛でる様な感覚を、アルヴィンは楽しんでいた。
カラハ・シャールでは、アルヴィンがジュード達をクレインに売った事でジュードは酷く傷付いたようだった。
酷く傷付いたジュードのその表情に、例えようの無い感情に襲われた。
恥ずかしそうに笑うジュードも可愛かったが、傷付いて今にも涙を浮かべそうな蜂蜜色の瞳はアルヴィンの情欲を煽った。
ここで漸くアルヴィンは自分が不味い事になっている事に気付いた。
アルヴィンはジュードをそういう対象として見ているようだった。ようだった、というのは自分自身、半信半疑だったからだ。
アルヴィンは今まで女にしか興味がなかった。例え仕事であっても男を誑し込む様な事は絶対にしなかった。
なのに、この感覚は何だ。
そもそも、とアルヴィンは己を振り返る。男に対して可愛いとか思ってる時点でもう不味かったんじゃないだろうか。
けれど一度自覚してしまうと後は自分でも笑いたくなるくらいジュードをそういう意味で意識し始めた。
ジュードからは良い匂いがする。洗剤の匂いじゃない?と本人は首を傾げていたが、いつも使っている洗剤とは匂いが違う。
ジュードの肩を抱くとふわりと香るそれがアルヴィンには好ましかった。
だが、それまでは純粋に好ましく思っていただけのそれも、今となっては情欲を煽る材料でしかなく。
ふとした時に、あの小さな体を押し倒したらきっとあの子供は真っ赤になって抵抗するだろう、なんて考えたりもして。
このままでは本当に不味い事になる、とアルヴィンは早々に新たな依頼主を探してジュード達から離れた。
何より、彼らの真っ直ぐさはアルヴィンには少し、眩しすぎた。自分はああはなれない。
彼らの傍にいると、それをまざまざと見せつけられる。それも嫌だった。
とにかく、アルヴィンにはジュードから離れたい理由が山ほどあった。
だが結局アルヴィンは一節もしない内にジュード達と合流した。利用するためだ、と自分に言い聞かせ、それでもジュードの傍に居るのはどこか楽しかった。
そう、楽しかったのだ。彼らの輪の中にいる事が、とても居心地が良かった。
だが自分には母親の願いを叶えるという目的がある。そのためには、いつかは彼らを裏切らなくてはならないのだ。
いや、もう裏切ってるか。シルフモドキを飛ばしながらアルヴィンは嗤う。
カン・バルクでの出来事で、ジュードの心は再び閉ざされてしまった。しかしまだ完全には閉じきっていない。
裏切りに怒り、悲しみながらも、それでもアルヴィンを拒み切れない。そんな色が見え隠れしていた。
まだ、いける。アルヴィンは確信した。まだ利用できる。打算でしか測れない自分を、少しだけ自嘲した。
それでもアルヴィンにとって母親より大事なものは無かった。母親が、死ぬまでは。
そしてミラもまた自らを犠牲にし、しかし断界殻は解かれなかった。
全ては、無駄な事だったのだ。
ジュード達の元を去り、一人行くあてもなく彷徨っている所でミュゼに出会った。
ミュゼは言った。あなたはエレンピオス人だから見逃してあげる、と。
そしてこうも言った。ジュードを殺せたらエレンピオスに帰してやってもいい、と。
目的を全て失ったアルヴィンにとって、ミュゼの言葉は最後の希望に思えた。
エレンピオスに帰る事さえできれば、何かが報われる。そんな気がした。
行く先々でジュード達の情報を集め、ハ・ミルに辿り着いた。
そして格闘の末に放ったアルヴィンの弾丸は、ジュードではなく、レイアを貫いた。
その瞬間、アルヴィンは気付いた。彼らを殺す覚悟なんて、無かった事に。
利用して、裏切って、それでも受け入れてくれた。そんな彼らを、そしてその最たる存在であるジュードを殺す事など、自分には出来るわけがなかったのだと。
ああ、じゃあもう、自分が死ぬしかないじゃないか。
仰向けに倒れ込んだアルヴィンに馬乗りになって殴るジュード。アルヴィンはもう反撃も抵抗もしなかった。
もう、どうでもいい。ここで、すべて終わらせてくれ。
だがジュードはそれを許さなかった。失っていた光を再び取り戻したジュードは立ち上がるとアルヴィンに手を差し伸べた。
「前に進もう、アルヴィン」
穏やかなまでのその微笑みに、けれどアルヴィンは首を横に振った。
「どうやって進めばいいのか、もう、わかんねえんだよ。俺にはもう何もない。誰もいない」
「僕が、アルヴィンの傍にいるよ」
アルヴィンは目を見開いてジュードを見上げる。ジュードは微笑んだままアルヴィンに手を差し伸べている。
光だ、とアルヴィンは思う。ミラと同じ光を、いや、ミラから受け継いだ光をその身に宿してジュードは再び立ち上がったのだ。
それに救いを見出したような気がしたと同時に、暗い闇が頭を擡げる。
欲しくて欲しくて欲しくて、でもどれだけ手を伸ばしても届かない光。自分には無い強い光。
今なら、その光に手が届く。この手の中に閉じ込める事が出来る。
アルヴィンはジュードの手に自分の手を重ねた。安堵の色を滲ませたジュードの腕を強く引き、バランスを崩して倒れかかってきたジュードの腹部に拳を叩き込んだ。
崩れ落ちるジュードの体を抱き留め、意識を失ったその小柄な体を強く抱きしめる。
「俺の傍に、いてくれるんだよな?ジュード……」
その漆黒の髪に唇を寄せると、ほのかに甘い匂いがした。
アルヴィンが好きな、ジュードの香りだった。

 

 



「う……」
レイアが意識を取り戻した時、既にそこには誰もいなかった。
日はまだ落ちていない。レイアが意識を失ってからそれほど経過していないようだった。
私、生きてる。
ずきりと右の肩口が痛み、あれが夢では無かった事を示していた。
弾は貫通していて、ジュードがアルヴィンと戦う前に治癒功をかけてくれたおかげで出血は止まっている。
けれど所詮は応急処置。表面上は治っていても、奥の方はまだ痛みを訴えている。
レイアは辺りを見渡す。人の気配はない。
アルヴィンは逃走したのかもしれない。けれど、ジュードまでいないのはおかしい。
ジュードは怪我をしたレイアを放置して何処かへ行くような子ではない。
まさか、と思う。まさかアルヴィンが連れて行ったのではないか。
ジュードが自暴自棄になっていたように、アルヴィンもまた自分を見失っていた。
今のアルヴィンは、何をしてもおかしくない状態だった。
レイアは貧血でふらつく足を叱咤して立ち上がる。
ジュードを、探さなきゃ。
痛む肩を抑えながら、レイアは歩き出した。

 


「……」
ふらつきながらも村から出ていくレイアの後姿を、民家の窓辺から見下ろしている男がいた。アルヴィンだ。
その眼差しには何の感情も浮かんでおらず、レイアの姿が完全に見えなくなると静かにカーテンを閉めた。
目を覚ましたレイアがジュードを探して村中を調べる事は目に見えていた。
実際、レイアは一軒一軒民家の扉を開き、中を覗いて行った。
だが、この家にある地下室までは気が付かなかったようだ。
この村では地下貯蔵庫を各家庭で持っている事が殆どだったが、レイアはそこまでは知らなかった。
地下室を見つける事なくこの家を出て行ったレイアに、運が良かったな、とアルヴィンは思う。
もし見つけられていたら、今度こそこの手で撃ち殺さなければならなかった。
アルヴィンは二階に上がると寝室から敷布と毛布を剥ぎ取り、地下へと運んだ。
薄暗い地下貯蔵庫の片隅に、ジュードは転がされていた。
先程飲ませた睡眠薬が効いているらしく、アルヴィンの気配に起きる様子もない。
アルヴィンは簡易だが寝床を整えるとそこにジュードを寝かせた。
上着を脱がせ、シャツのボタンも一つ一つ外していく。
「……?」
するとシャツの下は素肌ではなく、厚く巻かれた晒しがその姿を現した。
そういえばジュードは火傷の痕を酷く気にしていた。これがそうなのだろうか。こうまでして隠したい傷痕とは、どれくらい酷いのだろう。
ふと好奇心に突き動かされてアルヴィンは晒しを解き始めた。
「……は?」
やがて現れた素肌に、アルヴィンは間の抜けた声を上げた。
そこに、火傷の痕は無かった。肌理の細かい白い肌と、晒しを巻いていた痕。そして。
「……女、だったのか……」
同い年のレイアと比べればささやかだったが、確かに女性的な膨らみを描いていた。
そういえば、とアルヴィンは思い出す。ラ・シュガルでは貴族でもない限り女性が医者になれる事は少ないと聞いた事がある。
だからだろうか、とアルヴィンは思う。医者になる為に、男と偽って入学したのだろうか。
だが。
「……女なら、話は早い」
アルヴィンは唇を笑みの形に歪め、ジュードのズボンに手をかけた。

 

ジュードは深い眠りから覚めつつあった。
本能はもっと眠りに就いていたいと訴えていたが、体の異変がそれを許さなかった。
無性に、下肢が熱い。具体的には言いづらい個所が火照っている。
時折、じんとした微電流のような何かがそこから全身に広がり、ジュードは無意識に身を捩った。
しかし何かに阻まれてそれは失敗に終わる。
なに、なんなの、これ。
すうっと意識が浮上するにつれて、聴覚も覚醒していく。
耳を擽ったのは、微かな水音。何の音だろう、と思いながらジュードが重い瞼を開くと、そこには見慣れない天井があった。
「ひゃ、あっ……!」
意識が覚醒した途端、先程まで感じていた微電流が勢いを増してジュードの全身を駆け巡った。
「!」
ジュードは信じられないものを見た。大きく開かれた自らの脚の間でアルヴィンが身を伏せていた。
「や、あっ」
その口元はジュードの秘所に寄せられており、水音が響くと同時にジュードの全身に甘い痺れが走った。
アルヴィンが自分の秘所を舐めているのだと気付いてジュードは身を捩った。
「な、に、あるび……」
「ああ、目、覚めたの」
ジュードの秘所を舐っていたアルヴィンが身を起こす。ぺろりと自らの口元を舐めて笑った。
「気持ち良かった?ジュード君……いや、ジュードちゃん、か」
「な、んで……こんなこと……」
「おたくがあんまり気持ちよさそうに寝てるからさぁ、悪戯したくなっちゃったわけ」
気持ち良かっただろ?とそこを指で擦られてジュードの体が跳ねる。
「やっ……さわらないで……!」
「なんで?こんなにぬるぬるにしてて、嫌なの?嘘はいけないなあ」
嘘吐きには、お仕置きしないとな。アルヴィンはにっと笑って秘所を擦っていた指をつぷんとその中へと滑り込ませた。
「あ!あ、や、抜いて、抜いてアルヴィン……!」
だがアルヴィンの指はゆっくりとジュードの中に埋まっていく。根元まで埋め込まれたそれが、不意に蠢いた。
「あっ」
「ははっ、ジュード君の中、ひくひくしてる。指一本挿れただけなのにそんなに気持ち良い?」
「あっ、あっ……!」
ぐちぐちと音を立てて抜き差しされ、ジュードは脚を閉じようとする。けれどアルヴィンの体が邪魔をしてそれを許さない。
「やだ、アルヴィン、やめて、あっ……」
「ねえ、ジュード君。ジュード君て処女?」
「な、でそんなこと……」
「教えてくれたら、指抜いてあげてもいいぜ。で、処女なの?」
するとジュードは羞恥に顔を染めながらもこくりと頷く。
「そうだよな、まだ十五歳だもんなあ」
にやにやとしながらアルヴィンはそう言い、ずるりと指を引き抜いた。
「あ……」
無くなった異物感にほっとしながらも、どこかそれを惜しむ様にそこがひくりと震えた。
するとアルヴィンは小さな瓶を取り出してその蓋を開けた。
傾けた瓶の中からとろりとした透明の液体がアルヴィンの掌に落ちる。
「な、に……」
火照る体を持て余しながらジュードが問うと、アルヴィンはにこりと笑ってそれをジュードの秘所に塗りつけた。
「ひゃ……つめた……!」
「あー悪い悪い。でもすぐ熱くなってくるから大丈夫」
再びアルヴィンの長い指が入り込んできて、とろみのあるその液体を塗り込むようにして内壁を擦った。
「すぐにとーっても気持ちよくなるお薬だから」
「え……な、に……」
アルヴィンの指が擦った所がじわりと熱を持って疼き始めた。塗りつけられた場所が熱い。
「すぐに効いてきただろ?」
「アル、ヴィ……なんか、あつい……あ、あっ!」
中で蠢くアルヴィンの指が疼くそこを擦りあげ、強い快感がジュードを襲う。
「や、ああっ」
圧迫感が増し、ジュードはアルヴィンが二本目の指を差し入れてきたのだと知る。
「何がヤなの?俺の指きゅうきゅう締め付けてるくせに」
「ちが……」
「何が違うのさ。ココをこんなにとろとろのぐずぐずにして」
「いわな、で……!」
すると中で蠢いていた指が不意に引き抜かれた。
「アル、ヴィン……?」
放り出されたそこはじんじんと疼き、ジュードは涙の滲んだ目でアルヴィンを見上げる。
ああそうか、とアルヴィンは笑った。
「こっちが欲しかった?」
アルヴィンが自らのズボンの中から取り出したいきり立ったそれに、ジュードの視線が釘付けになる。
怒張したそれを実際に見るのは初めてで、ジュードは不安げにアルヴィンを見上げた。
だがアルヴィンはそんなジュードの視線を無視してその細い脚を抱え上げると、猛ったそれをジュードの濡れそぼる秘所に押し当てた。
「やっ!アルヴィン、やめて……!」
「えー?いらないの?これ」
凄く欲しそうにしてるんだけどなあ、ここは、とアルヴィンの先端がそこを擦り、ジュードは快感に震える。
「擦っただけで気持ち良いんだろ?じゃあこれで奥突いたらすっごく気持ちいいと思わねえ?」
「やだ……やだよアルヴィン……!」
しかしジュードの気持ちとは裏腹に擦られるそこはどんどん熱を増していく。アルヴィンの熱を飲み込みたくてそこがひくひくと蠢いているのが自分でもわかる。
「おたくのここ、俺に突いて欲しくてうずうずしてるぜ?」
「だ、って、だって……!」
なあ、ジュード。アルヴィンが耳元で甘く囁く。
「中に挿れて、って言ってみろよ」
ふるふると首を横に振ると、アルヴィンは一層強くジュードの秘所を擦りあげる。
「や、あっ、あっ……!」
「ほらほら、素直になっちまえよ」
「あ、あ、あっ」
擦られているそこは酷く気持ちが良いのに、中が疼いて堪らない。もっと、もっと強い快感が欲しい。
「ア、ルヴィン……!」
「なに?お姫様」
アルヴィンが動きを止めてじっと見下ろすと、ジュードは顔を真っ赤にしたまま視線を彷徨わせて唇を震わせた。
「……な、かに……いれて……」
アルヴィンは唇の端を歪めて了解、と笑うとぐっと先端をぬるつくそこに押し当てた。
「あ、あっ……や、はい、って、くる……!」
少しずつ身を裂く様にして侵入してくる熱に、ジュードはその背を撓らせた。
太い部分が入り込む感覚がして、そこを通り過ぎると少しだけ楽になった。
アルヴィンに散々弄られたおかげか、薬のせいか、痛みは殆どない。ただ入り込んでくる熱が酷く熱かった。
「あ……あ……」
「……ジュード君の処女、奪っちゃったな」
「ある、び……」
「俺のが根元までずっぽり入り込んでるの、分かる?」
「言わな、で……」
「ジュード君の中、狭くて温かくて最高に気持ちいい……」
動くぜ、と囁いてアルヴィンが腰を使い始めた。
「あ!や、やっ、あるび……!」
最初から奥の方を突かれてジュードは悲鳴じみた嬌声を上げる。
「あージュード君の中、マジで気持ちいい……」
「あっ、あっ、あっ!」
言葉を忘れたかのように喘ぐジュードの額に唇を落とし、少しずつ動きを激しいものへと変えていく。
「アルヴィ、アルヴィンッ」
はくはくと空気を求めて開けられた唇にむしゃぶりつき、アルヴィンはジュードの小さな舌を絡め取る。
「んんっ、う、ん、んんっ」
卑猥な水音とジュードの甲高い喘ぎ声が室内に響く。アルヴィンは次第に近づいてくる絶頂感に顔を顰めた。
「っ……ジュード、中に出すぞ」
「!やっ、やだ、だめ、中はだめ……!」
快感に翻弄されながらもジュードが首を横に振るが、アルヴィンはその懇願を無視してより一層深く己を突き刺した。
「あ、ああっ」
最奥の子宮口をこじ開ける様なその深くて強い律動にジュードの体ががくがくと震える。
「っく……!」
アルヴィンが小さく呻いてジュードの最奥で果てた。びゅるびゅると注ぎ込まれる熱を、ジュードは涙を零しながら受け止める。
断続的に吐き出されたそれを塗り込める様に数度腰を動かすと、アルヴィンはジュードの体を抱きしめた。
「これで、俺のもんだ……俺だけの……」
その薄暗い声は酷く孤独を含んでいて、ジュードはそれを聞きながら抱きしめられるがままになっていた。
「傍に、いてくれ……」
それがとても悲しい声音だったので、ジュードは何かを諦めたように目を閉じた。

 


ジュードの一日は、アルヴィンの望むままに回っていた。
昼夜問わず求められれば体を開き、体の最奥でアルヴィンの熱を受け止めた。
優しく扱われる時もあれば、乱暴に責め立てられる事もあった。
アルヴィンは毎回と言っていいほど例の薬を使い、ジュードの意識を快感で朦朧とさせた。
薬を使うのはやめてほしいと何度訴えても聞き入れられた事は無い。
ジュードの右の足首には枷がはめられており、その先には頑丈な鎖が繋がっている。
鎖の長さは地下から階段を上がってトイレと風呂場に行けるだけの長さ。それだけが、ジュードに許された行動範囲だった。
逃げようと思えば、逃げられただろう。けれどジュードはそれをしなかった。
ジュードは自分がアルヴィンの最後の砦である事を自覚していた。
今のアルヴィンは全ての支えだった母親を喪い、ミラを見殺しにし、それでも故郷に帰る事すら出来ずその絶望感に満たされていた。
脆く今にも崩れ落ちそうなアルヴィンは、ジュードという支えを手に入れて何とかその身の破滅を防いでいる。
そんなアルヴィンから自分が逃げてしまえば、アルヴィンはまた自分を見失うだろう。
何より、ジュードはアルヴィンの事が好きだった。
利用されていると知っても、裏切られても、それでもアルヴィンと一緒に居たかった。
その気持ちが、ジュードをこの場所に引き留めていた。
レイアは無事だったらしい。アルヴィンが少しだけ教えてくれた。
今もジュードを探しているのかもしれない。せめて心配しないで、と伝えたかったが、それも叶わぬ事だと理解している。
この地下室で目を覚ましてからどれくらいの日数が過ぎたのだろう。
ジュードの失われつつある日付感覚から考えると、少なくとも三節は過ぎている気がする。
アルヴィンは一日中この家にいる事もあれば、一日中帰って来ない時もある。
何処へ行っているのかは知らない。尋ねた所で生活費を稼いでるんだよ、と笑うだけだ。
ジュードの感覚は、次第に麻痺していった。
最初の頃はアルヴィンがいる時は快楽に流されるばかりだったし、いない時はひたすら暇を持て余していた。
だから最初の頃は一日が長く感じていたが、今は余りそういう感覚もない。ただ無為に時間が流れていく。
ぼんやりしているだけで、一日が終わっている事もあった。
ジュードの足枷に繋がれた鎖の長さではキッチンまでは届かない。恐らく刃物を持たせないようにしているのだろう、食事は専らアルヴィンが作っていた。
アルヴィンの料理はジュードほど上手くはなく、時折失敗もしたがそれでもジュードは文句ひとつ言わず口にした。
そしてアルヴィンが一日中いない時はアルヴィンが置いていった果実で飢えを満たした。
ここでの日々がアルヴィンを支えているのなら、アルヴィンが一人で立てるようになるまでアルヴィンの傍にいよう。
傍にいると、約束したのは他でもない自分なのだから。
ただ一つ、ジュードには気掛かりがあった。
アルヴィンは気付いていない。男だから、気付かないのだろう。
ここに閉じ込められてから少なくとも三節。
その間、一度も月のものが来た事がなかった。
元々不順だったし、こんな生活をしているから止まってしまったのかもしれない。
そう思いながらも、不安は拭えなかった。

 


それから暫くして、ジュードは己の不安が的中している事を悟った。
ここ数日酷く眠く、倦怠感が付き纏っていた。風邪でも引いたのだろうかと思っていると、今度は吐き気に苛まれた。
食事の匂いすら耐えられないそれに、さすがのアルヴィンも事態に気付いたようだった。
アルヴィンは諸手を挙げて喜んで言った。
これでジュード君、ますます俺から離れられないね。
赤子でさえも、ジュードを自らの元に繋ぎとめる為の道具としか見ていない様な、そんな口ぶりだった。
その時初めて、ジュードは己が間違っていたのだと気付いた。
アルヴィンは孤独を恐れていた。
だから自分がアルヴィンの傍にいれば、一人じゃないのだと気付けば、いつかきっとアルヴィンは自分の脚で立ち上がれる日が来る。そう信じていた。
だが、これでは。
アルヴィンはジュードに依存し、ますます自分の脚では立てなくなっていっているのではないのか。
けれど、今となってはもう遅い。もう戻れないところまで来てしまった。
あとはもう、その手に乞われるがまま、深みに落ちていくしかなかった。

 

 

 


妊娠が発覚して更に数節が過ぎた。と思うのだが、しかしジュードの麻痺した感覚ではもはやどれくらいの時が流れているのか測る事は出来なかった。
ただ日に日に大きくなっていく胎に時の流れを感じるだけだった。
アルヴィンは妊娠が分かってからもジュードを抱いた。
以前の様に手酷く扱う事は無くなり、常にジュードを気遣いながらもそれでも頻繁に抱いた。
一人でいると時折、仲間たちはどうしてるだろうとか、外の世界はどうなっているのだろう、と思う事がある。
しかしその思いはすぐに泡のように消えていき、またジュードはぼんやりと見慣れた天井を見上げた。
この頃のジュードは感情も摩耗されてきていて、喜怒哀楽を殆ど表に出さなくなっていた。
少しずつ感情を失っていくジュードを、アルヴィンは喜んだ。
壊れてしまえば、ジュードが完全に自分のものになるとアルヴィンは信じていた。
確かに何もわからなくなってしまえば、楽なのかもしれない。ジュードはそう思う。
けれどこの胎の子がどうなるのかだけが気掛かりだった。
医者に診せた事など無かったが、胎動は毎日感じているので取り敢えずは無事に育っているのだろう。
アルヴィンはアルヴィンなりに胎の子も愛しんでくれていたが、きっとアルヴィンはこの子も外には出そうとしないだろう。
ジュードと同じように狭い世界に閉じ込め、偏った愛情を注ぐのだろう。
それは余りにも可哀想だと思う。だがジュードにはどうしようもできない。
いや、もう、どうでもいいのかもしれない。自分から何かをしようとするのは、酷く億劫だった。

 

ガイアスがウィンガルを伴ってハ・ミルを訪れたのは、ニ・アケリアへ行くためだった。
本来ならワイバーンを使う所だったが、先日ミュゼが襲撃してきた際にワイバーンが負傷してしまったのだ。
その為、こうして陸路を渡っているのだが。
ジルニトラ号が沈んで七節が過ぎていた。海底に沈んだクルスニクの槍は未だに回収できていない。
運の悪い事に海溝に落ちてしまったらしく、だがこのまま沈めておくわけにもいかない。
現在はその深度に対処できる船を建造している最中だった。
ただ、時折ミュゼが襲撃してきては施設を破壊していくので一進一退という所だった。
「ん?」
ふとガイアスが足を止めた。
無人となってしまった村を通り過ぎようとした時、二人は一人の男を見つけた。
彼もまた通りがかりだろう。行商人かもしれない。大きな荷物を背負っている。
だが男は腕を組んで道の真ん中でうろうろと行ったり来たりを繰り返していて、挙動不審だった。
すると男がこちらに気付いて駆け寄ってきた。
「なあ、あんた!ちょっと力を貸してくれないか」
「何かあったのか」
ガイアスが問うと、男は事情を説明し始めた。
男はニ・アケリアにいる商人に荷物を届ける途中だったと言う。
取り敢えずこのハ・ミルまで辿り着き、今日はこの村で一晩過ごそうと思って手頃な民家に入ったらしい。
不躾かとは思ったが、ハ・ミルが廃村同然となっている事は男も聞き及んでいたので、遠慮なく使わせてもらう事にした。
手持ちの食料には限りがあったし、ハ・ミルの家では大抵地下貯蔵庫を持っているという事も男は知っていたので、何か食料が無いかと地下に降りた。
「そこに、女の子が居たんだ」
「女?」
「何か足枷はめられてて、監禁されてるみたいだった。衰弱してるのか話しかけてもほとんど反応がなくて……」
あのままじゃお腹の子も死んじまうよ、と男は訴えた。
「俺じゃあんな太い鎖、どうしようもねえんだ。あんたたちどうにか助けてあげられないか?」
「……わかった。どの家だ」
ガイアスが頷くと、こっちだ、と男は一軒の民家にガイアス達を案内した。
男が重たそうに地下貯蔵庫の扉を開き、階段を下りていくと石床の上に直接敷布を敷いただけの粗末な寝床の上で一人の少女が横になっていた。
眠っているのか閉ざされた瞳。その顔に、見覚えがあった。
「お前は……」
そこに横になっていたのは、ジュード・マティスだった。
記憶にあるより痩せていたが、間違いない。
男だとばかり思っていたが、ジュードの体は確かに子を宿しているようだった。
「助けを呼んできたぞ!おい、大丈夫か?」
男に肩を揺さぶられて、ジュードが薄らと目を開ける。だがその蜂蜜色の瞳に光はなく、ぼんやりと男を見上げていた。
男の呼び掛けにも答えず、ぼんやりとしている様はジュードが正常な状態でない事を如実に示していた。
「ジュード」
ガイアスが男の傍らに膝をつき、その光のない瞳を覗き込む。
「俺がわかるか」
するとゆっくりとその視線が動き、ガイアスを捕らえた。
「……がい、あす……」
ジュードの囁くような声に男がぎょっとしてガイアスを見た。
この国でガイアスという名を持つ者は一人しかいない。
だがガイアスは男を無視してジュードに呼びかけた。
「そうだ。ジュード、何があった」
「……アル、ヴィン、が……」
「アルヴィン?あの傭兵の男か。あの男がお前を監禁したのか」
「……ぼく、が、まちがえたから……」
ゆっくりと身を起こしながらも、ジュードは喋るのすら億劫そうだった。どれくらいの間ここに監禁されていたのかはわからないが、短い期間ではないようだ。
「あの男は今どこにいる」
ガイアスの問いに、ふるりとジュードは首を横に振った。
「きのう、から……かえってこない……」
「そうか」
ガイアスはジュードの足首に視線を落とす。右の足首にはめられた家畜用の足枷の先には鎖が伸びていた。
ガイアスは立ち上がって長剣を抜くと、鎖の輪に刃を当てた。
「はっ」
きん、と甲高い音を立てて鎖が両断される。
ガイアスは剣を鞘に納めるとジュードを見下ろした。
「ジュード、俺と来い」
「陛下」
ウィンガルが声を挟んだが、ガイアスは構わず言葉を続けた。
「今のお前は俺の目から見ても酷い状態だ。それでは生まれてくる子にも響くだろう」
「こども……」
「そうだ。胎の子を救いたいのなら、俺と共に来い」
差し伸べられた手を、ジュードは焦点の合わない目で見つめていたが、やがてのろのろと顔を上げてガイアスを見た。
「……このこ、を……たすけて……」
初めてジュードが感情らしい感情をその瞳に浮かべた。それは酷く悲しげな色だった。
そしてガイアスの手に、少女の手が重ねられた。

 


アルヴィンがハ・ミルに戻ったのは日も暮れかけた夕時だった。
一日半ぶりの村は、この七節以上見続けた景色と何も変わらない。
いつもは日帰りの依頼しか受けないのだが、今回はどうしてもと顔馴染の依頼人に頼み込まれて引き受けた。
報酬もその分上乗せしてもらったし、とアルヴィンは上機嫌だった。
ジュードはどうしているだろうか。最近は寝ている事が多いから、今も寝ているのかもしれない。
最低限しか動かないジュードの体は、出会った頃と比べると一回りほど痩せた気もする。
最近では会話も殆ど成り立たず、聞いているのかいないのか、ただ頷くだけだった。
アルヴィン、と柔らかく呼ぶ声ももう随分長い間聞いていない。
ジュードが声を発するのは、アルヴィンに抱かれて乱れている時だけだった。
あの花が綻ぶような笑顔がもう一度見たいと思う時もある。けれど、それでは駄目なのだ。
ミラと同じ気高い場所へ登りつつあったジュード。それを引きずりおろし、自分と同じ深みにまで貶めた。
捉えた掌の中の光は、消えつつある。それでいいのだ、とアルヴィンは思う。
壊すことでしか繋ぎとめられない自分に嫌気がさす時もある。
それでも自分のような人間がジュードを手に入れ続けるにはこの方法しかないのだとアルヴィンは信じていた。
そのジュードの胎は、大分大きくなっていた。
医者になど診せてはいないから詳しい周期は分からなかったが、多分あと二、三節もすれば産まれるだろう。
正直な所、アルヴィンは今まで誰かと結婚して子を成すなど真っ平御免だと思っていた。
父親なんて柄じゃなかったし、こんな自分の遺伝子が残っていくなんて考えただけで寒気がした。
だが、ジュードとの子供なら話は別だ。
男か女かはまだわからないが、きっとジュードによく似た子供が生まれるだろう。アルヴィンは無条件でそう思い込んでいた。
こんな自分を受け入れてくれたジュードの子供なら、きっと優しい子だ。きっと自分を愛してくれる。自分の傍にいてくれる。
ジュードとあの子さえいれば、自分は幸せになれる。
今だって十分に幸せなのだ。子供が生まれたら、きっともっと幸せになれるのだ。
その為には、もう少し食べさせないとな。アルヴィンは最近では食も細くなってきたジュードを思う。
だから食材もジュードが好きそうなものばかり買ってきた。
今回の報酬で暫くは食いつなげるだろうから明日は一日中ジュードを抱きしめていよう。
そう思いながら家の扉を潜ると、ふとアルヴィンは違和感を感じてテーブルに荷物を置いた。
それは本能的なものだった。何かがおかしい。嫌な予感がする。
アルヴィンは足早に地下室へ向かったが、そこには誰もいなかった。途中で断たれた鎖だけが、所在無げに転がっていた。
「……ジュード」
その名を呼んでも応えはない。アルヴィンは階段を駆け上がって家中の部屋という部屋を見て回った。
しかしその何処にもジュードの姿はない。
あの状態のジュードが自分からいなくなるなんて考えられなかった。
何より、ジュードでは鎖をあんなふうに壊す事はできないはずだ。
誰かが、ジュードを連れ去ったのだ。
瞬間、脳裏に浮かんだのは嘗ての仲間たちの姿だった。
あいつらだ、とアルヴィンは天啓を受けたように立ち竦んだ。
あいつらが、俺からジュードを奪ったのだ。
ぎり、と歯を噛み締める。許さない。俺からジュードを奪うやつは、誰だって許さない。
アルヴィンは大剣と銃を手に、家を飛び出した。
探さなくては。探し出して、ジュードを取り戻さなくては。
そして、俺からジュードを奪った報いを、受けさせてやる。

 


ニ・アケリアへ行くのを取り止め、一旦カン・バルクへ戻ったガイアスはジュードを診ていた医師にどうだ、と問うた。
「栄養失調一歩手前って所ですね。まあ、命に別状はありません」
「胎の子は」
「七節目の初めか中頃、といった所でしょうか。少し弱い気がしますがちゃんと子供の霊力野を感じます。問題はありません」
ただ、と医者はベッドの中でぼんやりと天井を見上げているジュードを見る。
「心の方は私の専門ではないので……」
「わかった。夜遅くに済まなかったな」
「いえ、何かありましたらいつでもお呼びください」
一礼して医師が部屋を出ていくと、ガイアスはジュードを見下ろした。
「ジュード」
名を呼べばゆっくりとその視線がガイアスを捕らえた。
ガイアスの記憶にあるジュード・マティスという人間は、少し臆病な所があったがそれでも真っ直ぐな瞳を持った子供だった。
ミラ・マクスウェルに依存しているのかと思えば、いつの間にかミラ・マクスウェルと並び立つ程に成長していた。
ミラ・マクスウェルと同じものを見て、同じ光をその瞳に宿していた子供。
だが、今はその光は見る影もない。濁った蜂蜜色の瞳は何の色もなくただガイアスを見上げるばかりだ。
惜しいと思った。ファイザバード沼野で、ザイラの森の教会で、ジルニトラ号で、ジュードはその強さを見せつけた。
身体的なものは勿論、その心の強さもガイアスには好ましかった。
しかしそのしなやかな体は痩せ細り、光り輝く真っ直ぐな心も打ち砕かれた。
あの光を宿した子供をこうも打ち砕いたアルヴィンに、ガイアスは怒りすら感じた。
「……今は眠れ」
今のジュードには、安息が必要だ。この城ならばあの傭兵も簡単には入って来れない。
ガイアスの言葉を理解したのかはわからなかったが、ジュードは静かにその瞳を閉じた。
ガイアスはその白い頬にそっと指を寄せ、一度だけ撫でると踵を返して部屋を出て行った。

 


ジュードが自分からベッドを降りる事は殆どなかった。
時折ガイアスが公務の合間を縫ってジュードの元を訪れては声を掛けるのだが、反応は余り芳しくなかった。
湯浴みも侍女をつけさせ、ジュードは人形の様に洗われるだけだった。
だが一旬が過ぎる頃、ジュードに変化が見られた。
ガイアスが部屋を訪れると、ベッドにジュードの姿はなかった。
ジュードは窓辺でぼんやりと座り込んでいた。
「ジュード」
声を掛けられて初めて気付いた様にジュードがガイアスを振り返り、その姿を蜂蜜色の瞳に映すとほんの少しだけ、顔を綻ばせた。
今までにない変化だった。
「調子はどうだ」
「……いい、よ……」
ジュードをこの城に連れてきて初めての意思疎通に、ガイアスはジュードの心が少しずつ回復していっているのを感じた。
「そんな所に座っていたら体が冷える。こちらへ来い」
手を差し伸べると、素直に手が重ねられる。その手を引いてジュードを立たせると、ガイアスはゆっくりとソファに導いた。
「何故あんな所で座っていたのだ」
「おひさまが……あったかかったから……」
そう語るジュードの視線は、最初に比べると焦点が定まってきていた。
「アルヴィン……どうしてるかな……」
こんな状態になってもあの男の事を気に掛けるジュードに、ガイアスは苦い気持ちになる。
「……あの男の事は気にしなくて良い。お前は自分と胎の子の事だけ考えていれば良い」
「そう、なのかな……」
「ああ、そうだ」
侍女が運んできた紅茶のカップを握らせると、ジュードはそっと口をつけた。
一口飲み下して、また少しだけ顔を綻ばせる。
「あったかい……」
僅かに戻ってきたその微笑みに、ガイアスもまた表情を和らげた。

 

 

 

 

ハ・ミルを飛び出したアルヴィンはまずル・ロンドへと向かった。
ジュードの実家も、レイアの家もそこにある。ジュードがいるなら一番可能性が高いのはそこだと踏んだからだ。
海停から真っ直ぐに宿泊処ロランドへ向かうと、レイアの両親がアルヴィンを出迎えた。
「おや、確かアルヴィンさんだったね。どうかしたのかい」
アルヴィンは人の良さそうな笑みを浮かべると、レイアは帰ってきてませんか、と尋ねた。
だがソニアとウォーロックは首を横に振って居ないよと言った。
「ここ暫くは居たんだけど、つい半節くらい前にまた飛び出して行っちゃってねえ。ローエンさんから手紙を貰ったとかで」
ジュードも相変わらず行方が知れないし、と溜息を吐く姿は本当にレイアから何も聞かされていないようだった。
アルヴィンは適当な所で話を切り上げて宿を出た。レイアが貰ったというローエンからの手紙の内容が気になる。
次はカラハ・シャールに向かうか、と思いながらマティス診療所の前でアルヴィンは足を止めた。
「……」
その立て看板を暫く見つめた後、アルヴィンは再び歩き出して今度こそ海停へと向かった。

 


久しぶりのカラハ・シャールは相変わらず活気に満ち溢れていた。
人通りの多い道を足早に通り抜け、アルヴィンは脇目も振らず領主邸へと向かう。
久しぶりに会ったドロッセルは、アルヴィンを歓迎した。ドロッセルもソニア達と同じく何も知らされていないようだった。
ローエンに会いに来た旨を伝えると、しかしドロッセルはローエンの不在を告げた。
「ローエンとエリーは半節くらい前にニ・アケリアへ向かいました」
ちょうどレイアがローエンから手紙を貰ったという時期だ。
だがドロッセルも詳しい話は聞いていないようで、それ以上の情報は手に入らなかった。
早々に領主邸を辞したアルヴィンは、今日は一先ず宿に泊まる事にした。
今更ニ・アケリアに何の用がある?
宿屋の一室でアルヴィンは考える。だが、情報が少なすぎる。
アルヴィンは一先ず次の目的地をニ・アケリアに定めた。

 


ジュードがガイアス城に匿われて一節が過ぎた。
この頃のジュードは大分自分を取り戻しており、部屋の外に出る事もあった。
すっかり体力が落ちてしまっていて、だからと身重の体では鍛錬も出来ないので運動代わりに歩いているというわけだった。
ガイアスの好意で書庫の入室許可を貰っているジュードは毎日のように入り浸った。
最初の頃は文字を読むのも億劫だったが、元々読書が好きなジュードはすぐに読み耽るようになった。
食事の量も少しずつ増えていき、漸く人並みに食べる様になってくると体力もついてくる。
痩せ細っていた体も少しずつ柔らかさを取り戻しつつあった。
ガイアスには感謝している。一度は拳と剣を交えた仲だったが、ガイアスはジュードにとても良くしてくれた。
政務で忙しいだろうに一日に一度はジュードの元にやって来ては調子はどうだ、などと気にかけてくれる。
厳しい人だけれど、本当は優しい人なのだろう。ジュードはガイアスをそう思う。
けれど、アルヴィンは今頃どうしているのだろう。
ジュードを探し回っているかもしれない。もしかしたらまた自分を見失って自暴自棄になっているのかもしれない。
傍にいると、約束したのに。
ガイアスがあの地下室で手を差し伸べてきた時、停止寸前だったジュードの頭には胎の子の事しか無かった。
ガイアスの手を取ったのは、ほとんど反射的なものだった。
だが結局自分は、アルヴィンより胎の子の未来を選んだのだ。
アルヴィンはきっとジュードの裏切りを許さないだろう。次に会ったら、今度こそ永久に閉じ込められるかもしれない。
それとも、あの銃で撃ち抜かれるのか。
それもまた仕方のない事なのかもしれないと、ジュードは思いながら書庫の扉を開けた。
「あら……」
するとそこには先客がいた。プレザだった。
ジュードがこの城にやってきてから今日この日まで会う事は無かったから、もしかしたら今まで任務に出ていたのかもしれない。
だがガイアス辺りから何か聞いているのだろう、ジュードがここに居る事に疑問を感じていないようだった。
プレザはじっとジュードの顔を見詰めた後、その大きくなった腹へと視線を落とし、可哀想な子、と呟いた。
「利用されて、裏切られて、挙句の果てに望まぬ子を孕まされて……可哀想に」
そう同情の視線でジュードを見てプレザは書庫を出て行った。
ジュードは大きくなった己の胎を見下ろし、そっと撫でた。
望まぬ子、とプレザは言った。確かに、そうなのかもしれない。欲しくて授かった子では無い事は確かだった。
けれど、少しずつ大きくなっていく命に救われていたのも事実だ。
一人きりでアルヴィンの帰りを待っている時、胎動を感じているだけで穏やかな気持ちになれた。一人ではないと感じられた。
そうして今もまた。
ぽこりと胎の内側から響く感触に、ジュードは微かに笑う。
自分はアルヴィンに殺されたって良い。でも、この子だけは。
幸せな、人生を。

 


アルヴィンがニ・アケリアに辿り着いた頃にはローエン達は既に村を去った後だった。
それでも何か手がかりになるものがないかと村人に聞いて回っていると、どうやらローエン達はミラについて話を聞いて回っていたらしい。
ミラ、というよりマクスウェルの伝承について聞いて回っていたようだった。
だがマクスウェルについて詳しく知っているはずの長老達はミュゼによって殺され、巫女であるイバルも行方不明。
これといった情報は見つからず、アルヴィンが手に入れられたのはローエン達はソグド湿道に向かったらしいという事だけだった。
アルヴィンは舌打ちしてソグト湿道への出入り口へと向かう。
村人たちは老人と女の子二人、と言っていた。レイアとエリーゼの容姿を簡単に説明してみると、その子たちだ、と頷いた。
ジュードは一緒ではないらしい。確かにあの身重の体で旅は難しいだろう。
ならばどこかに隠したのだ。俺のジュードを、ローエン達が奪って隠したのだ。
必ず見つけ出して見せる。取り戻して見せる。その為ならば。
アルヴィンは手の中の銃を強く握りしめた。

 


ガイアス城に来て三節目を迎える頃、ジュードは腹部に鈍い痛みを感じていた。
最初は陣痛が始まってしまったのかと思ったが、暫くすると痛みは消え、何事もなかったかのように落ち着いた。
しかしまた暫くすると痛みが戻ってきて、そしてまた落ち着く。
ジュードの部屋を訪れた医師に尋ねると、お腹が張っているのかもしれないし、前駆陣痛かもしれない、という答えが返って来た。
それから数日後、本格的な陣痛が始まった。
強い痛みに挫けそうになりながらも唸り続けて数刻。苦しみぬいた果てにジュードは元気な男の子を出産した。
疲労困憊してベッドでぐったりとしていると、知らせを受けたらしいガイアスがやってきた。
「ご苦労だった」
労いの言葉に、ジュードは弱々しく、けれど何処か誇らしげに笑った。
「男の子だって」
「そうか」
「ねえ、ガイアス。お願いがあるんだけど」
「何だ」
「この子の名前、ガイアスがつけてくれないかな」
ジュードの言葉にガイアスは数秒の間沈黙した。
「……ダメ?」
「いや……俺がつけても良いものなのかと思ってな」
ガイアスの言葉に、ジュードは微笑むと良いよ、と言った。
「ガイアスのおかげでこの子は無事に生まれたんだから、迷惑じゃなければガイアスにつけてほしい」
ガイアスはじっとジュードの穏やかな表情を見詰めた後、わかった、と頷いた。
「後で文句は言うなよ」
ジュードは言わないよ、とくすりと笑った。
その笑顔に、ガイアスの表情も和らぐ。この三節でジュードの表情は豊かさを取り戻し、ガイアスにこうしてよく笑いかけてくれるようになった。
その少し恥ずかしそうな、花の綻ぶような笑みはガイアスを癒した。
こんな安らいだ気持ちになれるのは、妹以外には初めてだった。
この笑顔を一度は壊したあの傭兵を、ガイアスは許す気にはなれなかった。
アルヴィンが今どうしているのか、ガイアスは知らないし興味もない。
だが、もしまたジュードを捕らえようとするのであれば。この笑顔を曇らせるようであれば。
容赦はしない。
ガイアスはそう強く誓った。

 


アルヴィンがジュードを探してハ・ミルを飛び出して三節が過ぎていた。
ローエン達は何かを探してリーゼ・マクシア中を飛び回っているようだった。
あの時、ソグト湿道とシャン・ドゥを橋渡ししている老人はローエン達を乗せてシャン・ドゥに送り届けたらしい。
だが、そこからローエン達の足取りは掴めなくなっていた。
シャン・ドゥの宿屋の受付にいた男はローエン達が泊まっていた事を覚えていたが、だからと行く先まで知る筈もない。
当てずっぽうにカン・バルクへ行くと、アルヴィンの読みは当たっていたらしく宿屋の主人がローエン達を覚えていた。
だがやはり既に宿を発った後で、ローエン達が何を求めてここまで来たのかもわからないままアルヴィンはカン・バルクを後にした。
ジュードがいなくなって三節。アルヴィンの不安と苛立ちは頂点に達していた。
三節も経っていたら、子供だってもう産まれていてもおかしくない。
あれは俺の子供なのに。なのにこの手に抱く事も出来ないなんて理不尽だ。
怒りを襲ってきた魔物にぶつけながらアルヴィンはラ・シュガルへ向かった。
前に進んでいなければ、目に見えない何かに押しつぶされそうだった。
この不安も、苛立ちも、怒りも、ジュードと子供さえ戻って来れば全て消えてなくなる。
だから早く、早く、早く。
「見つけないと、な……」
撃ち落とした魔物を足蹴にしながら、アルヴィンは小さく呟いた。

 


「エイベルは今日もたくさんミルクを飲んだねえ」
腕の中の赤子に声を掛けながらジュードはその小さな体をゆらゆらと揺らした。
赤子は、ガイアスによってエイベルと名付けられた。
髪の色はアルヴィンと同じ焦げ茶色で、瞳の色はジュードと同じ蜂蜜色だった。
ジュードがエイベルをあやしていると、不意にガイアスが部屋に入ってきた。
「ガイアス?どうしたの」
こんな昼間から多忙なガイアスが訪ねてくるのは珍しい。ジュードが小首を傾げていると、イルベルト達が来たぞ、とガイアスは告げた。
「え……ローエンが?」
久しく聞いていなかった名が出てジュードは目を見開いた。
「俺は手が離せなかったのでウィンガルが対応した」
曰く、ローエンはマクスウェルの伝承について調べているらしかった。
この城の書庫を閲覧したいとの事だったが、国家機密も含まれる書庫にほいほいと人を入れるわけにもいかない。
「……僕もほいほい入ってるんだけど」
「お前は俺が許可したから良いのだ」
「良いのかなあ……それにしてもマクスウェルの伝承、か……」
「何か心当たりがあるのか」
ガイアスの言葉に、多分、とジュードは頷く。
「ミラとは別に、本物のマクスウェルがどこかに居るんだと思う」
「本物のマクスウェルだと?」
「うん、ミュゼはミラを餌だって言ってた。アルクノアを誘き寄せるために創られた餌だって」
創られた、という事は創った主がいるはずだ。
「それが、本物のマクスウェルだと?」
「うん、ローエンはそう考えたんだと思う」
「そうか……」
何か考え込んでいるガイアスに、あの、とジュードは声を掛ける。
「ローエンの他に、誰が、来たの……?」
「……増霊極好適合例の子供とお前くらいの年ごろの女だったそうだ」
ならばエリーゼとレイアだろう。そう、と視線を落とすとあの男の事か、とガイアスが低く言った。
「あの男の事はもう気にするなと言った筈だ」
「うん……」
曖昧に頷くジュードにガイアスは何か苛立ちのようなものを感じて眉間に皺を寄せた。
「それに、いつまでもガイアスの世話になるわけにもいかないし……」
「それこそ気にするなと言った筈だ。お前達は俺が拾ったのだ。俺が世話をするのが道理だろう」
「そういうわけにもいかないと思うんだけどなあ……」
「俺が良いと言ったら良いのだ」
「もう、ガイアスってば」
少し困ったように笑う姿に、漸くガイアスも眉間の皺を緩めた。
「それと、もう一つ伝える事がある」
「なに?」
「俺は明日から暫くイル・ファンへ行く」
「イル・ファンへ?」
首を傾げながらガイアスを見上げるジュードに、ガイアスはそうだ、と頷く。
「漸くクルスニクの槍を引き上げる事が可能になったのだ」
何度もミュゼに邪魔をされたが、最近はミュゼも現れず新型船は完成の日の目を見たのだった。
「そう……クルスニクの槍を……」
僅かに表情を曇らせたジュードに、ガイアスはこの国の為だ、と諭す。
「うん……わかってる。気を付けてね」
クルスニクの槍を引き上げるとなれば、ミュゼが嗅ぎつけて襲ってくる可能性が高い。
ガイアスもだからこそ自らが指揮を執りに行くのだろう。
「うむ」
ガイアスは短く頷くと、エイベルへと手を伸ばした。
「必要なものがあれば侍女に言え」
武骨な手がそっとエイベルの頬を撫で、離れていった。
「ありがとう、ガイアス」
ジュードのその言葉にガイアスはもう一度頷いて部屋を出て行った。
「……ローエン達が、動いてる」
ジュードはそう呟いて立ち上がる。腕の中でエイベルがうーと声を上げた。
「僕も、前に進まなきゃ」
その瞳には、強い決意が浮かんでいた。

 

 

 

 

久しぶりにイル・ファンの地を踏んだアルヴィンは、これまで通りまずは宿屋へと向かった。
イル・ファンにはホテル・ハイファンの他にもいくつかの宿屋がある。その全てで聞き込みをしてアルヴィンは漸くローエン達の手掛かりを得た。
しかもローエン達はまだ部屋を借りているという。だが部屋にはまだ帰ってきていないようだった。
ならばこの街のどこかにいるはずだ。アルヴィンは街中を歩き回った。
そして海停へと向かったアルヴィンが見たのは、この三節余りもの間探していたローエンとエリーゼ、そしてレイアの姿だった。
これで、ジュードが戻ってくる。あの幸せな日々が戻ってくる。アルヴィンは大剣と銃を握りしめ、歩みを速めた。
三人は何か話し合っていたが、不意にレイアがアルヴィンに気付いて目を大きく見開いた。
「アルヴィン君!」
レイアの声にエリーゼとローエンも振り返る。三人から少し離れた所で立ち止まったアルヴィンは銃を構えた。
「ジュードはどこだ!」
「どこって、聞きたいのはこっちだよ!アルヴィン君こそジュードをどこにやったの!」
レイアの戸惑いの混じった声に、しかしアルヴィンは黙れ、と叫んだ。
「おたくらがジュードを隠してんのはわかってんだよ!」
「アルヴィンさん、少し落ち着いて」
「落ち着いてられるか!俺がこの三節、どんな思いでジュードを探していたと……!おたくらだろう!ジュードの鎖を解いたのは!」
「鎖?ちょ、どういう事、アルヴィン君!」
「とぼけるな!身籠ってたジュードがあの鎖を壊せるはずがないんだ!おたくらが逃がしたとしか考えられないだろう!」
「ジュードが身籠ってってどういう……ああもうちょっと落ち着いてよアルヴィン君!銃も下ろして!」
「うるさい!早くジュードの居場所を吐け!ジュードも子供も俺のもんなんだよ!やっと手に入れたんだ!何で奪うんだ!」
アルヴィンの指が引き金を引こうとしたその瞬間、アルヴィンの頭上で水球が弾けた。
どざざざざーっと激しい音を立てて大量の水がアルヴィンに降り注ぐ。
「……」
突然の事に言葉を失ったアルヴィンに、術を放った当人であるローエンがにっこりと告げた。
「少しは頭が冷えましたか?アルヴィンさん」
「……」
アルヴィンは滴る雫を拭おうともせず、構えた銃も下ろさないままジュードは、と小さく呟いた。
「ジュードは、どこだ……」
「残念ながら私たちも探しているのですが有力な情報は入ってきていません」
「嘘を吐くな……おたくらじゃなかったら誰がジュードを逃がしたんだよ……」
「存じません。こちらからも聞かせていただきますが、アルヴィンさんは今までジュードさんと共にいたのですね?」
「……」
焦点の合わない目でローエンを見ていたアルヴィンは、ゆっくりと構えていた銃を下ろした。
「……三節くらい前まで、俺とジュードはハ・ミルで暮らしてた」
「え!だって私が村中を探した時は居なかったよ!」
「……あの村の家には大抵地下貯蔵庫ってもんがあるんだよ」
「そこに、ジュードさんを監禁していた。そうですね?」
「……」
黙り込んだアルヴィンに、どういう事ですか、とエリーゼが食って掛かった。
「監禁って、ジュードを閉じ込めてたって事ですか!」
「アルヴィン最低だー!誰か捕まえろー!」
ティポがエリーゼの周りを飛び回って騒ぐ。その途端うるさい!とアルヴィンが叫んだ。
「ジュードが言ったんだ!ジュードが俺の傍にいてくれるって言ったんだ!だから俺のものにした!それの何が悪いんだよ!」
「あなたはジュードさんの優しさを自分の都合の良いように解釈したのですね」
「っ」
ローエンの静かな声にぐっとアルヴィンが言葉を詰まらせる。
「そしてジュードさんを監禁した挙句に逃げられてそれを私たちが逃がしたのだと思い、今まで私たちを追っていた、と」
何それ酷い!とレイアが叫んだ。
「私たちがどれだけジュードを心配して探してたと思ってるの!」
「完全に逆恨みですね」
「ここまで最低な人だとは思いませんでした」
「ジュードを返せー!変態ー!」
口々に責められ、アルヴィンは俯いた。
「……本当に、ジュードの居場所、知らないのかよ……」
「ええ。今私たちはマクスウェルについて一から調べる為に全土を歩いているのですが、ジュードさんの情報は入ってきていません」
「……」
黙り込んでしまったアルヴィンに、ところで、とローエンが言葉を繋ぐ。
「先程ジュードさんが身籠っているとおっしゃってましたが、確かなのですか」
「ああ……無事なら、今頃生まれててもおかしくないくらいだ……」
「不躾な事をお聞きしますが、その子供はアルヴィンさんとの間に出来たお子さんという事でよろしいですか」
「……そうだ」
アルヴィンの肯定にローエンは一つ深い溜息を吐いた。
「……本来なら、グランドフィナーレの一発や二発は食らわせたい所ですが今はそうも言ってられません」
「あ!そうだった!ミュゼ!」
レイアの口から飛び出した名にアルヴィンが顔を上げる。
「ミュゼ……?」
「ええ。本日クルスニクの槍を海底から引き上げる作業が行われるのですが、恐らくそこにミュゼさんも現れるはずです」
「ミュゼならマクスウェルの事知ってるはずだから直接問い質そうと思って」
「今更ミラの事聞いてどうするんだよ……」
「ミラじゃなくて、マクスウェル。ミラとは別に、本当のマクスウェルがいるはずなの」
「本当の、マクスウェル……?」
鸚鵡返しに問うと、レイアは力強く頷いた。
ミュゼ曰く、ミラはアルクノアを誘き寄せるための餌として創られたという。それはアルヴィンも聞いていた。
ならばミラを創ったものがいて、それが本物のマクスウェルではないか、というのがローエンの考えだった。
「マクスウェルなら断界殻の事も、ミラの事も、全部知ってるはずだもん!」
「どういう事なのか、色々とお聞きしたいと思いましてね」
「でも、マクスウェルの所へ行くにはどうすればいいのかがわからないんです」
「だからミュゼを締め上げて吐かせるんだー!」
「本物の……マクスウェル……」
そう呟いて再び俯いてしまったアルヴィンに、レイアが問いかける。
「ねえ、アルヴィン君はこれからどうするの」
「……」
「あのさ、ジュードを探すんだったら、私たちと一緒に行かない?」
レイアの言葉にアルヴィンは信じられないものを見る様にレイアを見た。
「えー!何言ってるんだレイア―!」
「そうですよ!こんな人と一緒に居たくありません!」
「ふむ。確かに戦力は一人でも多い方が良いですが」
アルヴィンは痛みを堪える様に顔を顰めると、また俯いてしまう。
「……俺は、おたくを撃った男だぜ」
「それは今も怒ってるけど、なんていうか、今のアルヴィン君、放っておく方が危なそうっていうか」
「一緒に居ても危ないぞー!また裏切られるー!」
ティポの叫びに、でも、とレイアは言葉を続ける。
「ジュードを見つけたいって気持ちは、同じだと思うから……」
「ではこうしましょう。アルヴィンさんがまたジュードさんを監禁したりしないように私たちで監視するという名目で連れて行く、と」
ローエンの提案に、エリーゼは渋々と頷いた。
「監視なら、仕方ないです……ジュードは私たちで守ります……!」
「ね!アルヴィン君、一緒に行こうよ」
アルヴィンは水の溜まった地面を見下ろしながら思う。
どうする。一緒に行くべきか。こいつらと一緒にいた方が確かに何かと便利だ。ジュードの情報だってこいつらの所に入って来るかもしれない。
一人で無闇矢鱈に歩き回ったって恐らくジュードは見つからないだろう。
ならば、今は大人しくしていよう。
「……わかった」
ジュードさえ見つかれば、後はどうにでもなる。
「俺を、連れて行ってくれ」
ジュードを釣り上げる餌は、多い方が良い。

 


ガイアスがウィンガルを伴ってイル・ファン海停に向かうと、そこには見知った顔がいた。
「先日は無理をお願いしまして失礼いたしました」
優雅に一礼するローエンに、ガイアスは構わん、と鷹揚に頷く。
そして傍らのレイア、エリーゼに視線を向け、その後ろで昏い目をして立っている男を見た。
ジュードを監禁して孕ませ、笑顔を奪った男。
ガイアスの視線に気付いているのかいないのか、アルヴィンは昏い目で遠くを見るばかりだ。
「それで、何用だ」
「ミュゼさんを探しているのですが、最近はめっきりお姿をお見かけしなくなってしまいまして」
「クルスニクの槍を引き上げる場にならば現れるだろう、と?」
「そういう事です」
やはりジュードが予想した通りローエン達はマクスウェルを探し出すつもりのようだった。
ガイアスは暫しの沈黙の後、良かろう、と頷いた。
「船に乗る許可を出そう」
「ありがとうございます」
ガイアスはもう一度アルヴィンを一瞥すると、すぐに視線を外して船へ乗り込むため歩き出した。

 


ガイアスがイル・ファンへ向かって数日。
ワイバーンを使って移動しているだろうから、もうクルスニクの槍の引き上げは終わっている頃だろう。
ジュードは構えを解いてふう、と一息吐いた。
久しぶりの鍛錬はすぐに息が切れた。それだけ筋力が落ちているという事だ。
けれど前に進むためには力がいる。ジュードは侍女にエイベルを任せて中庭に出ると自らを一から鍛え直した。
落ちてしまった筋力はすぐには戻らないけれど、型の流れは少しずつキレを取り戻しつつあった。
「実戦に出るのが一番なんだけど……」
しかしジュードはこの城の中を歩き回る事は許されていても外に出る事は許されていない。
「モン高原でいいから魔物討伐に行きたいなあ……」
「ここにいたのか」
不意に掛けられた声にジュードは振り返る。
「ガイアス……と、ミュゼ?」
そこにはイル・ファンから戻ったのだろうガイアスと、何故かミュゼがいた。
「あらぁ、ジュードってば見かけないと思ったらこんな所にいたのね」
くすくすと笑うミュゼを困惑しながら見上げて、続いてガイアスを見る。
「何があったの?」
ガイアスはイル・ファンについてからの事を順を追って説明した。
ローエン達はやはりマクスウェルを探していたという事。
その居場所を探るためにミュゼがやってくるだろうクルスニクの槍の引き揚げ作業に同行した事。
そして案の定ミュゼが襲ってきて戦闘になった事。
ニ・アケリア霊山でミュゼを使役する事にした事。
霊山の山頂から世精ノ途と呼ばれる場所を通り、マクスウェルの元へ辿り着いた事。
断界殻を開放しようとしたマクスウェルを止める為、クルスニクの槍を使ってマクスウェルを封じた事。
そしてマクスウェルの足掻きでローエン達はエレンピオスに飛ばされた事。
「俺とミュゼもこれからエレンピオスに渡る。お前はどうする」
「……僕も、ついて行っても、良いの?」
「連れて行く気が無いのならわざわざここまで戻っては来ない」
「でもエイベルが……」
「後の事は城の者に任せておけばいい」
来い、ジュード。
差し伸べられた大きな手をじっと見つめたジュードは、やがて力強く頷いてその手を取った。
「うん、行こう、ガイアス」
「ミュゼの力を使って空間を渡る。俺の手を離すな」
「うん!」
ミュゼが切り裂いた空間を目の前に、ガイアスは傍らの少女を見下ろす。
「ミラが復活したぞ」
「え……?」
ジュードは驚きに目を見開いてガイアスを見上げたが、すぐにくしゃりと泣きそうな笑顔になってそうなの、と言った。
「良かった……ミラ……」
「それともう一つ。あの男も一緒に飛ばされたぞ」
「……そう」
笑顔が曇り、きゅっとガイアスの手を握る手に力が入る。その手を握り返しながら、ガイアスは言う。
「俺と共に行くという事は、あの男に会う可能性が高い」
「……うん、大丈夫だよ」
僅かな動揺を滲ませて、それでも真っ直ぐに見上げてくるその視線にガイアスはふっと表情を和らげた。
「あのぅ……早く渡ってくれない?」
見詰め合う二人に、ミュゼが呆れたように声を掛けた。

 


バランを探してヘリオボーグ基地を訪れたアルヴィン達は、通路で倒れていた兵士を助け出すと事情を聴いた。
やはりヘリオボーグ基地を襲ったのはガイアスとミュゼで間違いないらしい。ただ。
「少年のような少女のような子供も一緒にいた、って……」
通路を歩きながらレイアがちらりとアルヴィンを見上げる。
イル・ファンからこちら、アルヴィンは殆ど喋らない。
バランとはそれなりに打ち解けたように言葉を交わしていたが、それ以外は黙り込んでいる事が多かった。
今のアルヴィンはジュードという支えを失って崩れかけている。
そこに来て先程の証言だ。恐らくジュードの事だろう。
アルヴィンだってそう思った筈だ。なのに何も言わずただ黙々と歩いている。
それがレイアには不安だった。いっそ不機嫌さでも表に出してくれれば良いのに、前を向くアルヴィンの視線は怖いくらいに無機質だった。
ガイアスもガイアスだ。ジュードを匿っていたのならイル・ファンでそう言ってくれればよかったのに。
レイアが内心でガイアスに文句を言いながら屋上に辿り着くと、源霊匣ヴォルトが暴走していた。
アルヴィン達がヴォルトを大人しくさせると空間が裂けてガイアスとミュゼが現れる。
そして、そのガイアスに手を引かれて最後に空間から出てきた少女の姿に、アルヴィンの目は見開かれた。
「ジュード!」
レイアがその名を叫ぶ。ガイアスの手を握ったままのジュードは苦笑すると久しぶりレイア、と言った。
「みんなも……心配かけてごめん」
レイア、エリーゼ、ローエン、そしてミラへと視線を向け、ジュードは最後にアルヴィンを見た。
「……久しぶり。アルヴィン」
三節、いや、既に四節ぶりとなったジュードの腹部は元通りとなっていた。
こうして見ると、つい数節前まで大きな胎を抱えていたのが嘘のようだ。
「子供は……どうした」
「……安全な所にいるよ」
ジュードの言葉に、アルヴィンはガイアスを強く睨み付けた。
「……おたくがジュードを連れ去ったのか」
「連れ去ったとは人聞きの悪い。助け出しただけだ」
「ジュードをこちらに寄越せ」
「断る、と言ったら?」
繋がれたままの手をぎりりと歯を食いしばって睨み付けると、アルヴィンは大剣を構えた。
「その腕切り落としてでも、連れ戻す!」
ガイアスに斬りかかっていったアルヴィンの前に立ち塞がったのは、ジュードだった。
真新しい手甲を纏った少女は、鈍い音を立ててアルヴィンの大剣をその手甲で弾き飛ばした。
割って入ったジュードをアルヴィンはぽかんとした顔で見下ろした。
何故ジュードがガイアスを庇うのか、アルヴィンには理解できなかった。
そしてアルヴィンは震える唇でまさか、とジュードを見た。
「おたく……自分の意思で、逃げたのか……?」
構えを解いたジュードは、否定はしないよ、と言った。
「あの時、偶然僕を見つけたガイアスの手を取ったのは……僕の意思だ」
アルヴィンはジュードの言葉を脳内で何度も繰り返す。
ずっとジュードは誰かに攫われたのだと思っていた。ジュードの意思に反して連れ去られたのだと。
だからきっと、アルヴィンの迎えを待っているのだと。
そう、信じていた。
だが、実際はそうでは無く、自らガイアスの手を取ったのだとジュードは言った。
呆然とジュードを見ていたアルヴィンはわなわなと震えだすと銃を構えた。
「ジュードォォォ!」
銃声が辺りに響く。ガイアスとジュードは身を躱し、ミュゼが面倒臭そうに空に舞い上がった。
「裏切ったのか!俺を!裏切ったのかジュード!」
弾が無くなると大剣を握る手に力を込めて地を蹴った。
「違う、話を聞いて、アルヴィン……!」
振り下ろされる大剣を避けながらジュードはアルヴィンに訴える。
「何が違うんだよ!俺の傍にいるって言っただろう!そういう約束だっただろう!」
「あのままじゃアルヴィンもお腹の子も救われなかった!あの閉ざされた世界に未来はなかったんだ!」
「それの何が悪い!」
大剣を振り被ったアルヴィンの首筋に剣の切っ先が当てられてアルヴィンは動きを止めた。
「そこまでにしてもらおう」
「く……」
アルヴィンが飛び退くと、ガイアスは長剣を下ろして倒れ伏した源霊匣ヴォルトを見下ろした。
「使えんか」
「でもガイアス、源霊匣をもっと改良すれば……」
ジュードの言葉に、しかしガイアスは無駄だ、と首を横に振った。
「エレンピオス側が黒匣の使用を放棄する事は無いだろう。ならば、全て破壊するまでだ」
「……」
「ガイアス、もうここにいても無駄じゃない?」
舞い降りてきたミュゼの言葉に、ガイアスは頷く。
「ミュゼ」
「御心のままに」
手を翳したミュゼの目の前の空間が裂ける。ガイアスはジュードに手を差し伸べると行くぞ、と言った。
「……うん」
項垂れるアルヴィンを気にしながらもジュードはその手を取り、ガイアスの後に続いた。
「ジュード!」
アルヴィンの声にジュードの足が止まる。ガイアスもまた、その歩みを止めた。
「ジュード……俺を、捨てるのか」
震えるその声に、ジュードはそうじゃない、と首を横に振った。
「前に進むためには、自分の足で立たなきゃ」
ごめんね、アルヴィン。
ジュードはそう言い残してガイアスと共に時空の裂け目に入っていった。
「ジュード!」
後を追おうと駆け出したアルヴィンの目の前で時空の裂け目は閉じてしまう。
「くっそ……!ジュード、ジュード、ジュード!なんでだ……!」
だがもうその声はジュードには届かない。
アルヴィンは大剣と銃をきつく握りしめた。

 

 

 


 


ジュードはヘリオボーグ基地で源霊匣の仕組みを知ってから考えている事があった。
もしかしたら、源霊匣をもっと改良して普及させる事が出来ればエレンピオスの人たちが黒匣を使う必要はなくなるのではないか、と。
しかしガイアスはそれに否定的だった。
あくまで黒匣の全破壊を掲げるガイアスと、共存の道を選びたいジュードの意見は分かれた。
しかしジュードにはガイアスに助けて貰い、世話になっているという恩がある。
ジュードは自らが折れる事でそれらに折り合いをつける事にした。
自分とエイベルを助けてくれたガイアスに、報いなくては。
ジュードはそう言い聞かせてガイアスの後に続いた。
ガイアス達はミュゼの力を使って一旦ガイアス城へと戻ってきていた。
四象刃最後の一人となってしまったウィンガルと執務室に入っていくガイアスを見送って、ジュードはエイベルの元へと向かう。
数日振りのエイベルは、少し体重が増えたようだった。
乳母からこの数日間の報告を聞きながら、ジュードは我が子を腕に抱いた。
あーうーと声を発しながら手を動かすエイベルを、ジュードは柔らかな微笑みで見守った。

 


ウィンガルと最終的な打ち合わせをして執務室を出たガイアスは、真っ直ぐにジュードの部屋へと向かった。
ミュゼは暇を持て余してどこかに飛んで行ってしまい、姿が見えない。
ガイアスが部屋に入ると、ジュードは窓辺でエイベルをあやしている所だった。
「ガイアス」
穏やかな笑みを浮かべるジュードに、自然とガイアスの表情も和らぐ。
初めはただ哀れだったから助け出したに過ぎなかった。回復と、ほとぼりが冷めるまで身を隠すための場所としてこの部屋を提供した。
拾ったからには、責任がある。ガイアスはそう思って一日一度は顔を見る様にしていた。
だが、いつしか義務感からではなく自らの意思でこの部屋を訪れる様になっていた。
少しずつ己を取り戻し、癒されていくジュードに、ガイアスもまた癒されていた。
偶然ワイバーンが使えなくて、偶然男がジュードを見つけて、偶然その場にガイアスがいた。
人はその偶然の連鎖を、運命と言うのではないか。
ガイアスは運命論は信じていない。だが、そんなガイアスでもあの時ジュードを見つけたのは意味があったのだと思う様になっていた。
ジュードは、自分と共に立つに相応しい人間だ。
いや、相応しいとか相応しくないとか、きっとそんな事はどうでも良いのだ。
ガイアスは己がただジュードを自らの手元に置いておきたいのだと自覚した。
この少女を少なからず想っているのだと、漸く自覚した。
ガイアスは王である限り妻を娶る事は無いだろうと思っていた。
下手に娶れば醜い争いの火種になりかねない。だから王の座も世襲制にはしなかったし、自身も妻を娶る気はなかった。
しかしジュードとならば共にこの国を導いていけるのではないか。
ジュードを妃とし、二人でこの国の繁栄を願っていきたい。
だが、それには一つ問題があった。
アルヴィン。あの傭兵の存在だ。
ヘリオボーグ基地でのあの様子では易々とジュードを諦めたりはしないだろう。
アルヴィンはジュードを取り戻す、その一念のみでやっと立っている、そんな印象を受けた。
自滅したければ勝手にすればいい。ガイアスの知った事ではない。
ただ、そうなるとジュードが気に病むだろう。今とて恐らく、あの男の事を気にかけている。
ガイアスはソファに腰を下ろすと、傍らに座ったジュードからエイベルを受け取った。
エイベルはどちらかと言えば父親に似ているようだった。瞳こそジュードと同じ蜂蜜色だったが、髪色も顔だちもどちらかと言えばあの男の血が濃く出ているようだった。
「明日、ミラ達と決着をつける」
エイベルをあやしながらそう告げると、ジュードはうん、と頷いた。
「お前はどうする」
「僕はガイアスと一緒に行くよ」
迷いのない声に、そうか、とだけ返す。
「奴らと戦う覚悟は出来たのか?」
「……僕はまだ、源霊匣の可能性を捨てきれないでいる。でも、ガイアスに報いたいんだ」
「ミラより、この俺を選ぶという事だな?」
ガイアスの問いに、ジュードはこくりと頷いた。
ならば、とガイアスはジュードを見下ろす。
「我が妃となれ、ジュード」
その言葉にジュードは蜂蜜色の瞳を零れんばかりに見開いてガイアスを見上げた。
「……え?」
「俺と共に、このリーゼ・マクシアを守るものとして生きてほしい」
数度瞬きをして、ジュードはさあっと頬に朱を上らせた。
「な、な、なに言ってるのガイアス、冗談は……」
「冗談ではない。俺は本気だ」
「だ、だって僕はエイベルの母親で、エイベルはガイアスの子じゃないんだよ?」
「問題ない。養子とすれば良いだけの事だ」
「えっと、王の妻になる人が子持ちっていうのはどうかと……」
「俺は気にせん」
「ガイアスが気にしなくても周りの人たちが気にするんじゃないかな?」
「何とでも言わせておけば良い。とにかく、俺はお前以外を娶る気はない」
「で、でも、僕、僕は……!」
「あの男の事が気になるのか」
ガイアスの言葉にジュードが俯く。
「……うん」
ガイアスはエイベルをジュードに返すと立ち上がってジュードを見下ろした。
「答えを今すぐ出せとは言わん。だが、今回の事が終わるまでには決めておけ」
そう言い放ってガイアスは部屋を出て行った。
閉じられた扉を呆然と見つめていたジュードは今回の事が終わるまでって、と情けない声で呟いた。
「それって、明日までに決めろって事じゃないか……どうしよう……」
赤くなったり青くなったりしている母親を、エイベルが無邪気な瞳で見上げていた。

 


アルヴィンが公園のブランコに座って月を見上げていると、背後に人の気配を感じて振り返った。
「……エリーゼ」
ティポを連れたエリーゼが、アルヴィンの隣のブランコに静かに腰掛けた。
「アルヴィンは、何でジュードを閉じ込めたんですか」
前を向いたままのエリーゼの横顔を見ながらアルヴィンはそれしかなかったから、と呟いた。
「俺には何もなかった。母親も死んで、エレンピオスに帰る事も出来なくて、自分を見失ってた」
そんな時にミュゼの甘言に乗ってジュードを殺そうとした。
だが、ジュードはそんなアルヴィンですら受け入れ、手を差し伸べてくれた。
「あの手を失うのが怖かった。ジュードはすぐ先に行っちまうから、遠くへ行かないよう閉じ込めておかないとって思った」
「ジュードは私たちを置いていったりしませんよ」
「知ってたさ、そんな事は……でもどうしようもなかった」
ジュードの輝きに、羨望と共に恐れすら感じた。
「俺にない強さを持っているジュードが怖かった。だから、俺と同じ所まで引き摺り下ろしてやろうって思ったんだ」
少しずつ壊れていくジュードの姿が愛しかった。少しずつ、少しずつ自分と同じ所まで堕ちてくる愛しい子供。
「……エリーゼは、いつからジュードが女だって知ってたんだ?」
初めからです、とエリーゼは言った。
「でも、ジュードは必死に隠そうとしているみたいだったから、黙っていようってみんなで決めたんです」
「知らなかったのは、俺だけかよ……」
「アルヴィンは全然気付いていないみたいでしたから」
ハ・ミルで服を脱がすまで気付かなかったのは確かなのでアルヴィンは黙った。
「ジュードを閉じ込めて、アルヴィンは幸せだったんですか?」
「……幸せだったさ」
「本当に?」
エリーゼがアルヴィンを見詰める。その真っ直ぐな視線は、ジュードを思い起こさせた。
「……幸せだったよ」
アルヴィンはエリーゼから視線を外して俯く。エリーゼは何も言わない。ただじっとアルヴィンの横顔を見詰めるばかりだ。
畜生、とアルヴィンは呟いて前髪を乱した。
「みんなしてジュードみたいな真っ直ぐな目しやがって……」
そうだよ、幸せだったんだ。アルヴィンは苦々しく言う。
「でも……本当は、ジュードに笑って欲しかった……名前を呼んで欲しかった……!」
花が綻ぶように笑いながら、アルヴィン、ともう一度呼んで欲しかった。
「だけど、愛し方なんて知らないんだ……いつも利用して裏切って、捨ててばかりだったから……!」
閉じ込めて壊す事でしか、愛を表現できなかった。
「ジュードが俺の子を身籠ったって知って、嬉しかった。また家族ってやつの温かさを手に入れられるって思った」
今度こそ無くさないように、大事に大事に閉じ込めておこうとした。
でも結局ジュードはアルヴィンの元を去り、子供も何処に居るのかもわからない。
「俺は結局、誰とも繋がる事が出来ないんだ」
「……ヘリオボーグ基地でジュードが言った事、覚えてますか?」
「……」
「ジュードは、アルヴィンもお腹の子も救われないって言いました。ジュードは、アルヴィンの事も救うつもりだったんですよ」
ちゃんと、繋がっているじゃないですか。その言葉にアルヴィンはエリーゼを見る。
「ジュードは、今もちゃんとアルヴィンの手を握ってるんですよ」
「ジュードが……」
アルヴィンは己の手を見下ろし、やがてきつく握りしめた。
前に進むためには、自分の足で立たなきゃ。ジュードはそう言った。
「俺は、前に進めるのか……?」
「ジュードはきっと、アルヴィンを待ってますよ」
エリーゼは立ち上がると、再会して初めてアルヴィンに笑いかけた。
「だから、甘えるのもいい加減にしろ、です」
目を丸くするアルヴィンに、エリーゼは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべて去って行った。
「甘え、か……」
アルヴィンは再び月を見上げ、そして静かに目を閉じた。

 


世精ノ途でウィンガルを倒したミラ達は、しかしウィンガルの最期の一撃によって分断されてしまった。
アルヴィンもまた一人世精ノ果テを目指して駆けていた。
ジュードも恐らくそこに居る。アルヴィンは確信していた。
そして世精ノ果テへとアルヴィンが辿り着いた時、既に戦いは始まっていた。
ミラとエリーゼがガイアスとミュゼ、そしてジュードと戦っていた。
「エクスペンダブルプライド!」
技を放ちながらそこへ飛び込むと、アルヴィンから一番近い場所にいたミュゼがまともに食らい、吹っ飛んだ。
「ミュゼ!」
ジュードが駆けつけようとするのをミラが防ぎ、追い打ちをかける様にミュゼへエリーゼの術が放たれる。
するとレイアとローエンも駆けつけ、一気に形勢は有利になった。
ガイアスとジュードが攻撃を、ミュゼが回復とサポートを担っていたがミュゼが倒れるとガイアスが離れて戦っていたジュードを呼んだ。
「ジュード!」
「ガイアス!」
二人の間に赤いラインが灯る。共鳴の証だ。
「獅神連戦吼!」
「くっ」
襲い来る闘気にアルヴィン達は咄嗟に飛び退いて距離を置く。
今までガイアス達はばらばらに戦っていた。だからミュゼも倒せた。だが、共鳴されると厄介だ。
早めに片を付けないと。アルヴィンがミラを見ると、ミラもまた頷いた。
狙うなら、ジュードだ。まだ体力が戻っていないのだろう、息が上がっている。
アルヴィン達がジュードを狙って技を繰り出せば、ガイアスが庇う。
しかし所詮は二人対五人。囲んでしまえばガイアスでもフォローしきれない。
囲みを突破しようとガイアスが長剣を振るった瞬間、レイアの技がジュードを吹っ飛ばした。
「ジュード!」
「ジュードごめん!」
立ち上がる事すらできないミュゼと、気を失ったジュード。
「あとはおたくだけだ!」
「そうはさせん!」
アルヴィンが引き金を引く。しかし放たれた弾丸はガイアスの長剣によって斬り落とされた。
ガイアスは強かった。たった一人になっても引けを取らなかった。
しかし。
「瞬迅風牙!」
ミラとレイアの合わせ技にとうとうガイアスも膝をついたのだった。

 


「ジュード」
名を呼ばれ、ジュードの意識は浮上した。
「……ミ、ラ……」
ジュードは自らを抱き起しているミラを見上げると、ごめんね、と囁いた。
「何を謝る事がある。君はガイアスに報いたいという思いを貫いただけだ」
「ガイアス、は……?」
「ここにいる」
ジュードが視線を転ずると、ジュードの傍らにガイアスが片膝をついて見下ろしていた。
「ガイアス……僕……余り役に立てなくてごめんね……」
「お前は良くやった」
ガイアスがジュードの口に何かを押し込んだ。アップル味のそれを噛み砕いて飲み下すと少しだけ体が楽になった。
「断界殻、は……?」
ジュードの問いに、ミラは頷いた。
「解く。そしてジュード、君に頼みがある」
「頼み……?」
「私はこれから新たなマクスウェルとして精霊界へ行く。君はこの世界で源霊匣を広めてほしい」
「僕、が……?」
「そうだ。リーゼ・マクシアとエレンピオスが共存していく道を、探してほしい」
「僕に、できる……かな?」
出来るさ、とミラは笑う。
「君ならば、きっと出来る」
ジュード、とミラは優しく見下ろしてその名を呼ぶ。
「頼まれて、くれるか?」
「でも……」
ガイアスへ視線を向けると、ガイアスは構わん、と頷いた。
「お前たちがその道を信じ、進むと言うのならば、俺は今しばらく待とう」
「ありがとう……ガイアス……ミラ……」
ジュードはミラを見上げると、穏やかに微笑んだ。

 


「……」
言葉を交わすミラとガイアス、そしてジュードの姿を見詰めながらアルヴィンはどうする、と自らに問う。
決着はついた。あとはジュードを取り戻すだけだ。
だが、取り戻してどうするつもりだ?また閉じ込めて飼い殺すのか?
そうじゃない。今度は、今度こそは、ちゃんとジュードに愛を伝えて、共に愛を育んでいきたい。
自分とジュードと子供の三人で、何処にでもあるような当たり前の幸せを築きたい。
でも。
それには、ガイアスが邪魔だ。
ガイアスもきっと、ジュードを愛している。ジュードを見る目を見ていればわかる。
易々とジュードをこちらに渡してはくれないだろう。
ジュードだって、もうアルヴィンの事は何とも思っていないのかもしれない。過去にしてしまったのかもしれない。
エリーゼはジュードが今もアルヴィンの手を握っていると言っていた。
けれど、その握る手が優しさだけならば意味がない。愛が無ければ、意味がない。
ジュードがアルヴィンを愛してくれなければ、何の意味もないのだ。
なのにジュードのガイアスを見上げる視線は穏やかで。ジュードがあんな風に自分を見てくれたことがあっただろうか。
ガイアスなら、ジュードを幸せにできる?
自分では、ジュードを幸せにできない?
ガイアスに、ジュードを奪われる。
それなら、いっそ、この手で。
「アルヴィン」
「!」
はっとしてエリーゼを見ると、まるでアルヴィンの思考を見透かしているような厳しい目がアルヴィンを捉えていた。
「……」
エリーゼは、甘えるなと言いたいのだ。アルヴィンは視線を足元に落とし、そして再び前を向いた。

 


「ジュード」
ジュードがミラとガイアスの手を借りて身を起こすと、アルヴィンが歩み寄ってきた。
「アルヴィン……」
傍らのガイアスの気が張り詰めるのを感じながらジュードはアルヴィンを見上げる。
「おたくの出した答えを……聞かせてくれ」
アルヴィンは自分とガイアス、どちらを選ぶのかと問いかけているのだ。
アルヴィンを見上げ、そしてガイアスを見る。
ガイアスもまた、ジュードの出す答えを待っている。
「僕は……」
ジュードの心は、もう決まっていた。

 

 


→「アルヴィンと、一緒に生きたい」

 


→「ガイアスと、歩んでいくよ」

 

 


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