アルジュエンド

 

「アルヴィンと、一緒に生きたい」
ジュードはアルヴィンへと手を差し伸べ、優しく笑う。
「今度こそちゃんとアルヴィンと家族になりたいんだ」
ジュードの言葉にアルヴィンはくしゃりと泣きそうに顔を歪め、やがて微かに笑った。
「……おたくはそうやって、いつも俺に手を差し伸べてくれるんだな」
「何度でも手を伸ばすよ。僕は、アルヴィンが好きだから」
「ジュード……」
アルヴィンが伸ばされた手を取り、引き寄せた。
抵抗もなく腕の中に飛び込んできた小柄な体を、アルヴィンは強く抱きしめる。
「……ありがとう、ジュード」
久しぶりに抱きしめたジュードからは、やはり微かに甘い匂いがした。

 


断界殻が解放されて一節。
ジュードはヘリオボーグ基地に勤め、源霊匣の研究を始めていた。
その日、ジュードは仕事を終えてトリグラフへの馬車に乗り込んでいた。
少し遅くなってしまった。アルヴィンはもう帰ってきているのだろうかとジュードは思う。
ジュードは今、アルヴィンと一緒に暮らしていた。
アルヴィンはユルゲンスと商売を始め、リーゼ・マクシアの食物をエレンピオスに卸す仕事をしている。
今はまだ取引先を見つける段階だったが、既にいくつかの店と契約をしており、順調のように思えた。
ジュードが託児所でエイベルを受け取ってマンションに辿り着くと、やはり既にアルヴィンは帰ってきていた。
「ただいま、アルヴィン」
「おかえり、ジュード」
ぎゅっと抱きついてくるアルヴィンに、エイベルが潰れちゃうよ、とジュードは笑った。
「エイベルもおかえりー」
ジュードの腕からエイベルを受け取るとアルヴィンは我が子を愛しそうに抱いた。
「ご飯作るね」
エイベルをアルヴィンに任せてジュードはキッチンに立つ。
アルヴィンは持ち帰った仕事なのだろう、テーブルの上に広げられた書類をエイベルをあやしながら手に取った。
こんな日々がずっと続けば良い。ジュードはそう願っていた。
だから、少しずつ何かが軋んで歪んでいく音に、ジュードは気付かなかった。

 


始まりは、ほんの些細な事だった。
実験が立て込んで、帰りが遅くなった。帰りの馬車には、同じ研究室の男も一緒だった。
彼はまだ若いジュードを気にかけてくれていて、比較的よく話す相手だった。
トリグラフの入り口で馬車を降り、二人で今日の実験について話しながら街の中へと向かった。
するとそこにはアルヴィンがいた。馬車に乗る前にメールをしたから、ジュードがこの時間にここを通る事を予測するのは簡単だったのだろう。
アルヴィンは隣を歩いていた男を一瞥すると、ジュードに歩み寄ってきてその肩を抱いた。
「お疲れさん、ジュード」
「迎えに来てくれたの?」
「ああ。丁度こっちも仕事が終わった所だったからな」
エイベルの迎え、行こうぜ、とアルヴィンに手を引かれ、ジュードは慌てて傍らでぽかんとして立っている男に会釈をした。
「それじゃあ、また明日」
「あ、うん……」
アルヴィンとジュードでは歩く歩幅が違う。いつもアルヴィンはジュードに合わせてくれるのだが、この時は足早に歩いたのでジュードはついて行くのが精一杯だった。
「アルヴィン?どうしたの?」
「……エイベル、迎えに行くんだろ」
「え?う、うん……」
質問には答えずそう言うアルヴィンにジュードは戸惑いの色を浮かべて見上げた。
するとアルヴィンは歩みを止めないまま今の男、誰?と聞いてきた。
「え?クライドさん?同じ研究室の人だよ」
「なんでジュード君に馴れ馴れしくしてんの」
「普通に話してただけだよ?」
「ふうん」
そこまで言うと今度は黙り込んでしまい、ジュードが何を聞いても答えてはくれなかった。
この日の出来事を、ジュードは偶々機嫌が悪かっただけだろうと片づけてしまっていた。
その日以来、アルヴィンはジュードの帰りをトリグラフの入り口で待つようになった。
先に帰ってくれていいのに、と言ってもアルヴィンは何だかんだと理由をつけてジュードを待っていた。
そしてジュードはまた偶然クライドと同じ馬車に乗り合わせた。
いつかと同じように話しながらトリグラフまでの道のりを過ごし、街の入り口で二人は降りた。
いつものように待っていたアルヴィンはクライドがジュードの傍らにいる事に一瞬険しい表情をし、歩み寄った。
「お迎えが来てるぞ、ジュード君」
からかいの色を混ぜながらクライドがぽんとジュードの肩を叩いた。
途端、その手はぱしんと乾いた音を立てて打ち払われた。アルヴィンがクライドの手を打ったのだ。
「俺のジュード君に馴れ馴れしくしないでくれる」
「アルヴィン!すみません、クライドさん」
ジュードの謝罪に、クライドは苦笑して良いよ、と言った。
「本当にすみません。アルヴィンも謝って!」
「なんで俺が謝らなきゃならないの」
「アルヴィン……?」
そこに至って漸くジュードはアルヴィンの様子がおかしい事に気付いた。
「ジュードは俺のものなんだから、他の男に手出しされて怒るのは当然だろ?」
「手出しって、クライドさんとは実験について話してただけで……」
「そんな事は関係ない!ジュードは俺だけを見て俺だけに笑いかけて俺の名前だけ呼んでればいいんだよ!」
「アルヴィン?どうしたの……」
「っ」
一歩近づいたジュードを避ける様にアルヴィンが退く。
「違う、こんなんじゃ……やっと手に入れたのに……!」
アルヴィンは低く呟くと踵を返して駆けだした。
「アルヴィン!」
街中へと駆けていくアルヴィンを、ジュードはクライドにもう一度謝ってから追いかけた。

 


アルヴィンはトリグラフ港へと向かっているようだった。
海を目前にしたトリグラフ港の一角で、アルヴィンが漸く足を止めたのでジュードも速度を落とした。
「アルヴィ……」
「来るな!」
アルヴィンはジュードに背を向けたまま叫ぶ。
「来ないでくれ……こんな情けない面、おたくに見せられねえよ」
「……」
ジュードはじっとアルヴィンの背を見ていたが、意を決した様にアルヴィンとの距離と詰めた。
「っ」
とすんとアルヴィンの背に頭を寄せ、その腰に腕を回す。アルヴィンがびくりと震えたのがジュードにも伝わった。
「……見せてよ。情けない顔のアルヴィン。僕の知らないアルヴィンを、僕はもっと知りたい」
「……ジュード」
アルヴィンの手が、そっとジュードの手に重なる。
「……俺、変わろうと思ったんだ……もう二度とあんな過ちを繰り返さないために」
「うん」
「でも、駄目なんだ……ジュードが他の誰かと楽しそうにしてるのを見るだけですぐ腹が立って頭に血が上っちまう」
重ねられたアルヴィンの手が、強くジュードの手を握った。
「どうしようもなく不安になって、またあの時みたいに閉じ込めてしまいたいって……」
そう言って黙り込んでしまったアルヴィンに、ねえ、とジュードは声を掛けた。
「結婚、しようよ」
「!」
ジュードはアルヴィンの背に頭を預けたまま言葉を紡いだ。
「僕、言ったよね。アルヴィンとちゃんと家族になりたいんだって」
「……」
「書面一枚の事だって思うかもしれないけれど、それでも僕は、アルヴィンと夫婦になりたい」
ジュードがするりと体を離すと、アルヴィンがジュードと向き合った。
「ねえ、アルヴィン。僕と、結婚してくれませんか?」
差し伸べられた手に、アルヴィンはくしゃりと顔を泣きそうに歪めた。
「……こんな俺でも、良いのかよ……」
「そんなアルヴィンが、好きなんだ」
アルヴィンはそっとジュードの手を取り、両手でその手を包み込んだ。
「いつも……俺を救い上げるのは、この手なんだな……」
アルヴィンの言葉に、ジュードはにこりと笑った。
「言ったでしょう?何度でも手を伸ばすって。僕は、アルヴィンが好きだから」
笑顔を浮かべるジュードに、アルヴィンは俯いてそっと目を閉じた。
信じよう。ジュードのこの手を。
ぱたりと地面に落ちた雫に、ジュードは穏やかな笑みを浮かべた。

 


クライドはあの日の事を全く気にしていなかった。
ジュードがアルヴィンと籍を入れたことを話すと、良かったね、と笑った。
「旦那さん、メンタル弱そうだからジュード君に捨てられたら死んじゃうんじゃない?」
けらけらと笑うクライドに、ジュードは苦笑する。
「僕がアルヴィンを捨てるなんて事、絶対にありませんよ」
「お、言うねえ」
軽口を交わしながら研究室へと向かう。
ふと白衣の中のGHSが震えだし、取り出してみるとアルヴィンからの着信だった。
ジュードはボタンを押すと手の中のそれを耳に宛てた。
「アルヴィン?どうしたの?」
『ジュード君に今すぐ伝えたいことがあってさ』
「なに?」
『……愛してるよ』
「!」
『それだけだ。じゃあ研究頑張れよ』
言うだけ言ってアルヴィンは通話を切ってしまった。
「ジュード君、顔赤いよ?」
にやにやとしているクライドに、ジュードはますます赤くなる。
「……アルヴィンの馬鹿」
小さく呟いて、ジュードは研究室への扉を潜った。
帰ったら、僕もだよって伝えなくちゃ。
そう、心に決めながら。

 


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