アルジュエンド

 

僕は……そうだ。
「アルヴィンと、何処までも一緒に行こう」
口に出してみると驚くほど簡単に決意は固まった。
家族になって欲しいと言ったガイアス。掌に優しく口付けてきたガイアス。
それでも僕は、アルヴィンを選ぶ。
軽薄そうで、けれど寂しがり屋のあの人と一緒に何処までも歩いていきたい。
それが、僕の選んだ道。
ジュードはそう心に決めると、静かに歩き始めた。

 


その夜、ガイアスは知人邸のパーティーに出席するために屋敷を開けていた。
ガイアスはユリウスともう一人のヴァレットを連れて行き、ジュードは屋敷に残っていた。
ガイアスが帰ってくるのは夜中だろう。こういう日はジュードもガイアスの部屋に上がらなくて良いとされていた。
ジュードはフットマンの部屋を訪れると、アルヴィンを呼び出した。
アルヴィンは明日の自由時間に返事を聞く、と言っていたが、それまで待てそうにない。
この溢れそうな想いを告げたくて、ジュードはアルヴィンを人気のない場所までその腕を引っ張って行った。
「どうしたんだよ、ジュード君」
いつもとは逆の立場にアルヴィンが苦笑しながらついてくる。
ジュードは辺りをきょろきょろと見回して人気が無い事を確認すると、あのね、とアルヴィンを見上げて行った。
「僕、アルヴィンと一緒に居たい」
ジュードの言葉にアルヴィンの目が見開かれる。
「アルヴィンと一緒なら、僕、何処へだって行くよ」
強い決意を秘めたその瞳を見下ろしていたアルヴィンは、本気か?と囁くように言った。
「本気で、俺を選ぶって言うのか」
まるで最初から自分が選ばれる事は無いと思っていたかのようなその声音に、ジュードはこくりと頷く。
「僕は、旦那様じゃなくてアルヴィンと一緒に居たいんだ」
「ジュード……」
呆然とジュードを見下ろしていたアルヴィンは恐る恐るといった様子でジュードに手を伸ばすと、その頬に手を添えた。
「本当に、俺で良いんだな」
「うん。僕もアルヴィンの事が大好きだよ」
返事が遅くなってごめんね。そう笑ったジュードを、アルヴィンは堪らず抱き締めた。
「ジュード……!」
勝ち目なんて無いとわかっていた。相手は地位も財力もあっておまけに人柄も良い。
一介のフットマンでしかない自分が選ばれる事は無いだろうと半ば諦めていた。
それでも。それでもどうしてもジュードが欲しかった。
ジュードはアルヴィンが初めて心から愛した人だった。失いたくなかった。
一縷の望みにかけてジュードを口説き続けてはいたが、それでもいつも不安は付きまとっていた。
今夜だって、考える事が多すぎて寝れるかどうかわからないな、なんて思っていたのだ。
どうせ明日には別れを告げられる。そう諦めようとしていた。なのに。
「アルヴィン……僕を好きになってくれて、ありがとう……」
この子供は、アルヴィンを選ぶと言うのだ。夢にまで見た言葉を、アルヴィンに授けたのだ。
「ありがとう……俺を選んでくれてありがとう、ジュード……」
きつく抱きしめた腕の中で、ジュードもまたありがとう、と囁いた。
ジュードが自分を選んでくれた。ならば。アルヴィンは名残惜しげに身を離すとジュードを見下ろして言った。
「だったら、今すぐ逃げよう」
「え?」
「俺はもうこれ以上おたくが旦那様に抱かれるのを指咥えて見てるなんてのは御免だ」
だからとあれだけジュードに執着しているガイアスがはいそうですかとジュードを手放すとは思えない。
それに今夜ならガイアスも帰りが遅い。抜け出すなら今だ。
「最低限の荷物だけ纏めて、一時間したらもう一度ここへ来るんだ」
戸惑いを微かに瞳に浮かべていたジュードも、アルヴィンが本気だとわかると強い眼差しでこくりと頷いた。
「じゃあ、一時間後に」
二人は頷き合ってそれぞれの部屋に戻って行った。
そして一時間後、ジュードが小さな鞄に最低限の荷物を持って待ち合わせた場所に辿り着くと、そこには既にアルヴィンが待っていた。
どこかほっとしたような顔をしたアルヴィンは特にこれといった荷物を持っていなかった。
「アルヴィン、荷物は?」
「俺の部屋は四人部屋だからな。荷物纏めてたら怪しまれちまう」
上着とこれさえあればいいんだよ、と財布を取り出して笑った。
行くぞ、と連れて行かれたのは厩舎だった。アルヴィンはグルームから失敬してきたのだろう鍵で中に入ると、一頭の馬を引いて戻ってきた。
「ジュード君、乗れる?」
「うん」
アルヴィンが身を屈め、その脚を踏み台にしてジュードは馬の背を跨いで鞍の上に座った。
その後ろにアルヴィンが軽々と跨り、手綱を握る。
「落ちるなよ」
「うん」
ゆっくりと馬が歩き出す。走るよりは遅い速度でしばらく進むと、門が見えてきた。
ポーターはゲート・ハウスに引っ込んでいて、こちらにはまだ気づいていないようだ。
アルヴィンが馬を下り、門をそっと開く。馬一頭が通れるだけ開くとアルヴィンは足早に戻ってきて再び馬に跨った。
「何をしている!」
気付いたポーターがゲート・ハウスから駆け出てくる。
「ヤベ、とばすぞ」
「うん」
ジュードが鬣にしがみ付くと、アルヴィンは手綱を操作して馬を走らせた。
背後でポーターの叫ぶ声が聞こえたが、次第に遠ざかって行った。
暫く馬を走らせた後、漸くアルヴィンが速度を緩めたのでジュードはほっとする。手綱を握らず馬に乗るなんて経験は初めてで、落ちそうでひやひやしていたのだ。
「ま、ここまで来りゃ追いつけないだろ」
「何処へ向かってるの?」
「取り敢えず夜が明けるまでにシャン・ドゥまで行くぞ。そこに知り合いがいる」
そこからラコルム海停へ行き、船に乗るのだと言う。
「アルヴィンの故郷へ行くの?」
「そう。とりあえずお袋の様子を見に帰りたいしな。トリグラフ地方って知ってるか」
「トリグラフって……エレンピオス国の?」
「そ。そこが俺の故郷ってわけ」
エレンピオスと言えば海の向こうの国だ。
「僕、この国から出るのって初めてだ。……アルヴィンはどうしてエレンピオスからこの国に来たの」
エレンピオスとこの国は余り友好的とは言えない。交流も少なく、渡航者も少ない。
「俺さ、これでも前トリグラフ領主の息子なんだわ」
「ええ!」
「だけど俺ってそういうのって性に合わなくてさ。飛び出して放浪の末に辿り着いたのが旦那様のお屋敷だったってわけ」
「じゃあ、お母さんは?」
「俺が出奔してすぐに領主である親父が亡くなってな。すったもんだの末に叔父がその地位に就いたらしいんだが、その諍いで心を病んじまったんだ」
今じゃトリグラフ郊外のサナトリウムで殆ど寝たきりだ。そう何でもない事の様に言うアルヴィンに、ジュードはアルヴィンの事を何も知らなかったのだと思い知らされる。
「最後に会ったのは去年の夏季休暇の時だな。もう殆ど夢の中に飛んじまってて、俺の事も覚えてなかったよ」
「アルヴィン……」
背後で小さく笑う気配がする。きっと苦い笑みを浮かべているのだろう。抱き締めたい衝動に駆られながら、けれど馬上ではそれも出来ない。
ジュードはじりじりとした思いをしながらアルヴィンの言葉を聞いた。
「もう長くないってのが医者の見立てだ。俺の事がわからなくても、それでもあの人は俺の母親だ。最期くらい、傍にいてやりたい」
「うん……」
それに、とアルヴィンが髪に口付けてきたのを感じた。
「おたくを紹介したいしな」
「アルヴィン……!」
どうしよう、僕、今すごくアルヴィンを抱きしめたい。
そう思っていると、背後でアルヴィンがくそ、と悪態を吐いた。
「アルヴィン?」
「何か無性におたくを抱きしめたくなってきた。手綱離していい?」
「落ちるからダメ」
くすくすと笑いながら、ああ、アルヴィンも同じ気持ちだったんだとジュードは温かい気持ちになる。
夜の空気は刺す様に冷たかったが、それでも背中に感じる温もりがジュードの心を満たしていた。

 


二人がシャン・ドゥに辿り着いたのは朝日が昇る頃だった。
そこでアルヴィンの知り合いのユルゲンスという男に馬を預けた。
ユルゲンスは人の良さそうな男で、詳しい事情を語らないアルヴィンにまた厄介事か?などと言いながらも引き受けてくれた。
二人はそこで服を着替え、辻馬車に乗り換えてラコルム海停へと向かった。
海停からエレンピオス行きの船に乗り、ジュードは初めての船旅に目を輝かせた。
けれどふとした時にガイアスの事を思い出す。ジュードがアルヴィンと逃げた事は疾うにガイアスの耳に入っている事だろう。
ガイアスはどうするだろう。追手を掛けるだろうか。
屋敷で良くしてくれた仲間たち、何も知らない両親。それらの事を思うとジュードは胸が張り裂けそうになる。
それでも。ジュードは傍らのアルヴィンを見上げる。
それでも、僕はこの人を選んだのだ。
「どうした、ジュード君」
アルヴィンが笑ってジュードを見下ろしてくる。ううん、と首を振って、ジュードもまた笑った。
「ただ、アルヴィンの事が好きだなあって思ってたんだ」
ジュードの言葉にアルヴィンが微かに目を見開き、やがてふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「……全部、捨てさせちまったな」
「良いよ。僕にはまだアルヴィンがいる。だから、それでいい」
「ジュード……」
そっと肩を抱き寄せられる。海風が気持ちいい。
「……ありがとうな」
アルヴィンの声を聴きながら、ジュードはそっと目を閉じた。

 


ジュードがアルヴィンと逃げた事は、ガイアスが夜遅く帰ってくるとすぐに知らされた。
ポーターからの報告に、ガイアスは黒革の手袋に包まれた手をきつく握りしめる。
如何なさいますか。ローエンの問いに、ガイアスは長い沈黙の後、捨て置け、とだけ告げた。
「しかし旦那様……」
珍しく反論しようとしたローエンに、ガイアスは構わぬ、と視線を足元に落とす。
「ジュードがあの男を選んだのであれば、俺はもう何も言わぬ」
「畏まりました」
ローエンは一礼すると退室していった。
広い寝室で一人になったガイアスは、白のソファに些か乱暴に座った。
ぎしりと悲鳴を上げるソファに凭れ掛かり、ガイアスは天井を見上げる。
「……ジュード」
その名を呼んでも、もう応えは無い。あの控えめな笑顔も、もう見る事は無い。
旦那様、と緊張を滲ませて呼ぶ事も、ガイアス、とあの蜂蜜色の瞳を潤ませて囁く事も無い。
俺は、失ったのだな。
ガイアスは上向いたまま目を閉じ、瞼の裏に焼き付いている少年の笑顔を思う。
今頃、シャン・ドゥにでも向かっているのだろうか。
アルヴィンは元々今月一杯で辞める手筈になっていた。母親の具合が悪いのだとローエンから聞いていた。
ならば二人が向かったのはアルヴィンの実家があるエレンピオス国のトリグラフ地方だろう。
追手を掛ければ恐らく見つけ出して捕まえる事は可能だろう。
けれど捕まえて連れ戻してどうするというのだ。ジュードはもうあの男を選んだのだ。
連れ戻して、自分だけを見ろと監禁でもしろというのか。
それでは意味がないのだ。あの笑顔が失われてしまっては意味がないのだ。
遠い昔、そしてこれまでガイアスを癒してきたあの少し恥ずかしそうな笑顔が無ければ意味がないのだ。
全ては失われてしまった。アヴァロンの果実はもうこの手には無いのだ。
ジュード。我が愛を捧げし者よ。お前の選んだ道が、幸多からん事を。
ガイアスは低くその名を囁いたが、しかしその囁きは誰にも聞かれる事も無く淡く消えていった。

 


ジュードがトリグラフ地方の地を踏んだのは、屋敷を飛び出して三日目の事だった。
初めての異国の地にジュードがきょろきょろとしていると、こっちだ、とアルヴィンに手を引かれてまた辻馬車に乗った。
馬車の窓から外を眺めていたジュードは、ア・ジュール地方と比べると自然が格段に少ない事に気付いた。
「トリグラフは工業で発達した街だ。その分、環境汚染も進んでる。だから自然も少ない」
ジュードの疑問に答えながらアルヴィンもまた街並みを見詰める。
「まあ、郊外まで出ればそれなりに空気も綺麗だし、自然もあるぜ」
すると大きなお屋敷が遠目に見えてきて、やがてその前を通り過ぎていく。
「……あれが領主邸。今は叔父が住んでる」
ガイアスの屋敷と比べれば少々小さ目ではあったが領主邸を名乗るに十分な豪邸だった。
「そういえば、アルヴィンってリーゼ・マクシア風の名前だよね。お母さんがつけたの?」
ついでにアルヴィンのフルネームって何?小首を傾げて尋ねると、ああ、これは偽名、とアルヴィンが事もなげに言った。
「リーゼ・マクシアに渡ってから自分で付けたんだ。あっちじゃエレンピオス人だと判るとそれだけで雇ってくれない所もあったからな」
「じゃあ、本名があるって事?」
「そ。アルフレド・ヴィント・スヴェントっての。どう聞いてもエレンピオス人ですって感じだろ」
確かにリーゼ・マクシア人にミドルネームをつけると言う習慣は余りない。アルフレドという語感も馴染みがなかった。
「身元が適当だから最初の頃は短期の便利屋や傭兵で稼いでた。だけど五年前にローエンに拾われてさ」
「ローエンが?」
「ああ。あの爺さん、一目で俺をエレンピオス人だと見抜きやがった。それでも働く気があるなら来いって言われてな」
ただし嘘は許さないと言われ、アルヴィンは素性を明かした。
「だからローエンには多分俺らがここに来てるって事はわかってるだろうな」
もしかしたら旦那様も知ってるかもしれない。そう続けたアルヴィンに、ジュードの表情が曇る。
「でもま、ジュード君一人くらいなら抱えて逃げればいい事だし、何とかなるだろ」
「でも、お母さんは良いの?」
「治療費は毎月主治医に送ってる。多めに握らせてるから最期まで面倒見てくれるだろ」
ひょいと肩を竦めたアルヴィンが、お、と窓の外を見ながら声を漏らした。
「そろそろ到着だぜ」
アルヴィンの言葉通りに暫くすると馬車が止まり、二人はその建物の前に立った。
「ここが、療養所?」
普通の民家にしか見えない一軒家の門の脇に立てられた看板には確かに療養所の名が書かれていた。
「大きな所より、こういう所の方が面倒見が良いんだよ」
こっちだ、と導かれて門を通り抜け、整えられた庭を横目で見ながらジュードはその扉の前に立った。
アルヴィンがドアベルを鳴らさず扉を開ける。
勝手知ったる態度で中に入って行くアルヴィンに続いてジュードも中に入ると、二人に気付いた職員があら、と声を掛けてきた。
「アルフレドさんじゃないですか。お久しぶりですね」
「どうも。母さんは起きてるかな」
アルヴィンの問いかけにその女性はええ、と笑った。
「今日は調子が良いみたいでね。お昼ご飯もちゃんと食べてくださったのよ」
「それは良かった」
「そちらの方は?」
職員がジュードを見て問う。それにアルヴィンは親戚の子です、と答えた。
「あら、そうなの。ゆっくりしていってね」
そう言って職務に戻っていく後姿を見送って、アルヴィンはジュードを廊下の突き当たりにある部屋に連れて行った。
明るい木目調の家具に囲まれたその部屋は少女の部屋のようで、ジュードはベッドで身を起こしている女性を見た。
「こんにちは、レティシャさん」
「あら、どちらさま?」
穏やかに微笑む女性はまだ五十の年に届くか届かないかといった所だろう。
心を病んでいるようには見えないほど穏やかに笑っていたが、それでも息子を前にしてどちらさま、と笑う姿は確かに彼女が病んでいる事を示していた。
「俺たちはアルフレドの友達です」
その言葉にジュードがアルヴィンを見上げると、アルヴィンは何かを諦めたような穏やかな笑みを浮かべて母親を見下ろしていた。
「あら、そうなの。アルフレドは元気にしてるかしら」
「ええ、フットマンとして頑張っているようですよ」
「あの子が屋敷を飛び出してしまった時は本当に心配したのだけれど、ちゃんとした所で働かせてもらっているようで本当に安心したわ」
あの子は本当に不器用な子だから、と心配そうに語る姿は子を想う良き母親だった。
「なかなか上手く立ち回ってるみたいです」
「そうなの。なら良いのだけれど。ちゃんとご飯食べてるのかしら。あの子、好き嫌いが多いから」
「大丈夫ですよ」
「あの子は甘いものが大好きでね。その中でも特にピーチパイが好きなのよ」
レティシャの言葉にあれ、とジュードは思う。確かアルヴィンは甘いものが苦手だからといつも自分が貰った菓子をジュードに与えてくれていたのではなかったか。
そしてすぐに気付く。それはジュードに気を使わせない為の優しい嘘だったのだと。
しかしジュードの視線に気付いているのかいないのか、アルヴィンはレティシャを見たままそうですか、と応えた。
「レティシャさんの作るピーチパイは絶品だってアルフレドも言ってましたよ」
「まあ、あの子ったら。そうね、今度帰って来た時には大きなピーチパイを焼きましょうね」
少女のように笑うレティシャに、そうだ、とアルヴィンはジュードの背を軽く押した。
「レティシャさん、この子がアルフレドの一番の友達のジュード・マティスです」
「こ、こんにちは」
ぺこりとお辞儀をすると、レティシャは知ってるわ、と笑った。
「アルフレドからの手紙に書いてあったの。とても可愛らしい子だって」
弟が出来たようで嬉しいのね。レティシャは無邪気に笑う。
「あの子は寂しがり屋だから、仲良くしてあげてね」
「はい……」
それからいくつか言葉を交わし、二人は療養所を後にした。
「お母さん、綺麗な人だね」
「まあ、こんな男前が産まれるくらいだからな」
「またそういう事言って……」
アルヴィンの後について暫く歩いていると、一軒の屋敷の前でアルヴィンは立ち止った。
「ここは?」
「従兄んち。今日の宿ってわけ」
勝手に門を開き、扉も開くアルヴィンにちょっと、良いの?とその腕を引くが良いの良いの、と玄関を潜った。
すると駆けつけた使用人がアルフレド様、と目を見開いた。
「バランいるか?」
「旦那様でしたらお部屋に……」
「ここにいるよ」
二階から階段を下りてきた男は、アルヴィンの前に立つと手を差し出した。
「久しぶりだな、アルフレド」
「よう、バラン」
二人は握手を交わすとバランが喉を鳴らして笑った。
「今朝手紙が届いて慌てて客間の準備をさせていたところさ」
そういえばシャン・ドゥでアルヴィンはどこかに手紙を出していたな、とジュードが思い返しているとそっちの子が?とバランがジュードを見た。
「ああ、ジュードだ」
「あの、初めまして。ジュード・マティスです」
「バランだ。アルフレドから聞いてるかもしれないけれど、彼の従兄にあたるんだ」
確かに可愛い子だね、と笑われ、ジュードはアルヴィンを睨む。
「ちょっと……レティシャさんの時といい、なんて書いて送ってるのさ」
「え、見たまま感じたまま?」
しれっとそう言うアルヴィンに、ジュードはもう、と頬を微かに朱に染めて唇を尖らせた。
「それで、暫くは泊まっていくんだろう?」
「ああ、新しい部屋が決まったらすぐ出てくからそれまで我慢してくれ」
「いいさ。可愛い従弟と更に可愛いその恋人の為ならね」
恋人、の一言にジュードの頬が一層朱に染まる。アルヴィンは一体どこまでバランに話しているのか。
「うちには君たちが働いてた屋敷みたいに使用人はそういないんでね。不便をかけるかもしれないがその辺は見逃してくれ」
「何なら手伝ってやろうか?」
「よしてくれよ、お前をこき使ったなんてレティシャさんに知られたら叱られるのは俺だ」
軽口を交わす二人に、ジュードは仲良いんだなあと思いながらそれを眺めていた。

 


最低限の着替えなどはシャン・ドゥで揃えてはいたので、その日はバランと三人で食事を摂り、二人はそれぞれに与えられた部屋へと引っ込んだ。
ジュードが風呂で濡れた髪をタオルで拭きながら寝室へ戻ると、ベッドにはアルヴィンが座って待っていた。
「アルヴィン」
アルヴィンも自分の部屋で湯を使ったのだろう、髪から伝った雫が夜着を濡らしていた。
「もう、ちゃんと髪拭かないと風邪ひくよ?」
アルヴィンの髪をタオルで拭ってやると、大丈夫だって、と笑った声がした。
「ア・ジュールと違ってトリグラフは暖かいんだ。これくらいじゃ風邪ひかねえよ」
「そういう問題じゃありません」
問答無用で髪をタオルでかき混ぜる。アルヴィンはくつくつと喉を鳴らしながらも大人しくされるがままだった。
「それより、ジュード君」
乱れた髪を整えてやっていたジュードの手首を掴み、アルヴィンはそこに口付けた。
「いやらしい事、しようぜ」
「アル、んっ……」
引き寄せられ、口づけられてジュードはアルヴィンの体に腕を回す。
「ん……」
ぬるりと滑り込んできた舌に己の舌を絡めながら、ジュードは下肢に熱が集まっていくのを感じた。
「んっ」
アルヴィンの手がズボンの上からジュードの中心を撫で、ジュードの体がぴくりと震える。
やんわりと揉まれ、そのじれったい感覚にジュードは無意識にアルヴィンの手に腰を擦り付けていた。
「ふぁ……あっ」
「やーらしいなあジュード君。俺の手に擦りつけちゃって。そんなに触ってほしいの」
「ん……アルヴィンに、触ってほし……」
「素直で宜しい」
アルヴィンはにやりと笑うとジュードをベッドの上に押し倒し、ズボンを下着ごと下ろした。
「あ、あっ」
アルヴィンがジュードの勃ち上がった熱を口に含んで根元から先端まで舌で舐め上げる。
「アルヴィ、アルヴィン……!」
じゅるじゅると吸い上げられて、ジュードはアルヴィンの頭に手を添えながら背を撓らせた。
卑猥な水音を立てて舐め上げられ、ジュードのそれは今にも弾けそうに震えていた。
「あっ」
アルヴィンの指がジュードの蕾を撫でては突いた。前を舐られながら入り込んでくるその指の感覚にジュードは身を捩る。
「あ、あ……」
アルヴィンは少々性急に事を進めたがっているようだった。
ジュードがこの三日間、ずっとアルヴィンと体を繋げたいと思っていたように、アルヴィンもまた同じように感じていたらしい。
些か乱暴に抜き差しされるそれに、けれどジュードの体は快感としてそれを認識した。
指が増やされ、圧迫感が増してもその先にある快感をすでに覚えているジュードの体はそれを受け入れる。
「あ、あ、だめ、僕……!」
高みに手が届きそうになったその瞬間、アルヴィンはジュード自身から唇を離した。
「ある、び……」
ずるりと指が引き抜かれる。悪い、待てないわ。アルヴィンはそう言って自らのズボンの前を寛げた。
取り出したそれは既に硬く勃ち上がっており、ジュードははやく、と喘ぐように囁いて脚を自ら開いた。
「アルヴィンの、挿れて……!」
「ジュード……!」
誘われるがままにアルヴィンはジュードのそこに熱を押し当て、ぐっと押し込んだ。
「あ、ああ、あっ」
アルヴィンの熱を根元まで受け入れ、それがゆっくりと内壁を擦りはじめるとジュードはひくりと震えた。
「あ、あ、もっと、もっと強くして……!」
「りょーかい」
「あっ、ああっ、ぁんっ」
半ば力任せのその腰の動きにがくがくと揺さぶられながらジュードは喘ぐ。
「アルヴィン、アルヴィン……!」
「ジュード、愛してる、愛してる……!」
耳元で低く囁かれるそれに激しく腰を打ちつけられながらジュードは僕も、とその体に強く抱きつく。
「僕も、愛してる、よ、アルヴィ、あ、あっ、ああっ」
びくびくと震えながら達したジュードの中で、アルヴィンもまた吐精した。

 


それから暫くしてジュードとアルヴィンは郊外にアパルトマンを借りて住むことにした。
元々は短期入居者用のアパルトマンだったのだが、一年ほど前から長期入居も受け入れるようにしたとの事だった。
二人で住むには広いくらいのその部屋は、二人で下見に来た時にすぐにジュードが気に入って契約する事になった。
家具付きの部屋だったので特に買い揃える家具もなく二人は入居した。
暖色系で纏められたその部屋で二人が暮らし始めて半月が過ぎた頃の昼過ぎ、ドアを叩く音に二人は顔を見合わせる。
まだここに住んで日の浅い二人には近くに知り合いなどいない。せいぜいバランが訪ねてくるくらいだ。
管理人だろうか、と思いながらジュードが扉を開けると、そこには思いがけない人物が立っていた。
「ユリウスさん……!」
久しぶりだな、と笑う男は、ガイアスの屋敷でヴァレットを纏めているはずのユリウスだった。
ソファで寛いでいたアルヴィンがばっと立ち上がり、険しい表情でユリウスを見る。
しかしユリウスはそんな警戒しなくて良い、と笑って一枚の封筒をジュードに差し出した。
「俺はこれを届けに来ただけだから」
「これは……?」
開けても?と問えば、どうぞ、と微笑まれてジュードが封蝋で封をされていたそれをそっと開けると、中からは一枚の小切手が出てきた。
「これは……?」
そこにはジュードが思わず目を丸くしてしまうような金額が記されていた。
「君たちの最終月の給料とアルヴィンの退職金だよ」
「でも、僕たちは……」
断りもなく逃げ出した自分たちにそれを受け取る資格があるとは思えない。けれどユリウスは良いんだ、と告げる。
「これは旦那様のご厚意だ。受け取ってほしい」
そしてユリウスは視線をジュードからその背後に立つアルヴィンへと移すと、旦那さまからの伝言だ、と言う。
「ジュードを泣かせるような事があればその命無いと思え、との事だ」
「……そんな事にはなんねえよ」
苦々しさを滲ませたアルヴィンの応えに、そうである事を祈ってるよ、とユリウスは笑って再びジュードを見た。
「そしてジュード。君にも旦那さまからの伝言がある」
「……はい」
「幸せになれ、と」
途端、ジュードの両の瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。
「旦那様っ……!」
俯いてぽろぽろと涙を零すジュードの髪をくしゃりと撫で、ユリウスは言葉を続ける。
「そしてこれは個人的な事だが、ルドガーが寂しがっていた。もしまたア・ジュールの地を踏むことがあれば連絡をくれ」
その時は四人で食事にでも行こう。勿論、旦那様には内緒でな。そうウインクをして笑うユリウスに、ジュードは涙を零しながらこくりと頷いた。
「それじゃあ、俺も忙しい身なんでね。これで失礼させてもらうよ」
ひらりと手を振って背を向けたユリウスに、ジュードは深く頭を下げた。
「ありがとう、ございます……!」
ユリウスの姿が消えても頭を上げないジュードの髪を、アルヴィンが撫でた。
「……良かったな」
止まらない涙を零しながら、ジュードはうん、とだけ答えるのが精一杯だった。
ゆっくりと頭を上げると、アルヴィンの腕がジュードの頭を引き寄せる。
「アルヴィン……!」
アルヴィンの首筋に顔を埋め、ジュードはその背に腕を回した。
「ずっと、一緒に居ようね……」
「ああ……ずっと一緒だ……」
アルヴィンにきつく抱き返され、ジュードは顔を上げる。
自然とアルヴィンの顔が近づいてきて、ジュードは目を閉じた。
そっと触れあった唇は、涙の味がした。けれどそれは幸せな涙で。
ジュードはまた一つ、ぽろりと涙を零したのだった。

 

 


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