ジュードがガイアスの養子となって三か月が過ぎた。
公にはアウトウェイ家の跡継ぎとして迎えられたことになっている。つまりは他の貴族たちはジュードを次期領主として見ていた。
ガイアス自身は特に世襲制にするつもりもジュードにその任を負わせるつもりもないらしいのだが、周りはそうはいかない。
ガイアスの後について晩餐会に出席するたびに注目を浴び、中には今の内に繋ぎをつけておこうとする者もいた。
それらは大抵はガイアスによって退けられていたが、領主という立場上常にジュードに付いているというわけにもいかない。
ガイアスが他の貴族や議員に囲まれている隙をついてジュードに話しかけてくる者が大勢いた。
それらにジュードは一つ一つ受け答えしていたので、帰宅する頃にはいつもぐったりとしていた。
あと少しの我慢だ、と慰められながらジュードはいくつかの晩餐会へ出席し、顔見せをした。
それが終わってしまえば特に何の任についているわけでもないジュードが晩餐会に出席する事は無くなった。
いくつか誘いは来ていたが、それらは全てガイアスの手によって潰された。
ガイアスとて、本来ならば顔見せだって連れて行きたくなかったのだ。だが立場上それは許されず、仕方なく連れて行った。
ガイアスの懸念通り、中には熱心にジュードを誘う貴族もいた。見え透いた下心にガイアスは招待状を破り捨てる。
ジュードは自分のものなのだと公言出来ればどれだけ楽だろう。
しかしそれすら許されず、ガイアスは僅かな焦燥感すら感じていた。
けれどそんなガイアスを癒すのもまたジュードだった。愛らしい笑顔で名を呼ぶ姿はいつ見ても癒された。
読書と料理が趣味のジュードは、最近ではティータイムの菓子の作成を手伝う事も多く、それもまたガイアスを癒していた。
セカンド・シェフの男と仲が良いのは少しむっとする事もあるが、ヴァレットであるユリウスの弟だという事で信じてはいる。
僕、一人っ子だからお兄ちゃんとか憧れてたんだ。
そう恥ずかしそうに笑ったジュードにガイアスもまた穏やかな笑みを浮かべた。
ジュードが得意とする菓子はアップルパイとドライフルーツを使ったパウンドケーキだった。
それらを応用してジュードはガイアスの為に様々なパイやケーキを焼いた。
気付けばそれはジュードの日課となっており、ガイアスもまたそれを楽しみにしていた。
そしてその日のティータイムには色取り取りのドライフルーツが飾り付けられたブリオッシュ・デ・ロワが供された。
今日は何か祝い事の日だっただろうか、と思っているとジュードが恥ずかしそうに特に理由はないんだけど、と言った。
何処か落ち着きのないジュードが自ら切り分け、ガイアスの前に皿を置く。
頂こう、とフォークで切り分け、口に運ぶと深いバターの香りが広がった。
相変わらず何を作らせても美味いな、と告げるとジュードはほっとしたように表情を緩めた。
けれどまだジュードはどこかそわそわとしている。何なのだろうと思いながらも二口、三口と口に運んでいるとふとフォークに固いものが当たった。
ブリオッシュの中から現れたのは、赤く透明度の高い石に銀の蔦を絡ませたペンダントトップだった。
フェーヴには通常、陶器で作られた小さな人形が用いられる。だがこれは。
ガイアスがそれをじっと見下ろしていると、あのね、とジュードがネタばらしをしだした。
ジュードは毎月ガイアスから決まった額の金銭を貰っていっる。所謂お小遣いというやつだ。
最初はジュードは要らないと言っていたのだが、ジュードにとにかく何かしてやりたいガイアスに押し切られて毎月貰っていた。
お小遣いというには結構な額のそれを、ジュードは使わずに貯めて使用人時代の給料と合わせてこのペンダントトップを購入したのだと言う。
「指輪は付けられないだろうから……それで」
時折ジュードが街に出かけていたのはこれだったのか、とガイアスは思い当たる。
「結局はガイアスのお金なんだけど、何かしたくて……」
まるで叱られた子供の様に身を縮ませて言うジュードに、ガイアスは表情を和らげる。
「では、有り難くいただこう」
ただ、とガイアスはペンダントトップを掌に載せて言う。
「何故わざわざブリオッシュの中に入れたのだ?普通に渡せば良いだろう」
「それは……その、ルドガーが、その方が驚くんじゃないかって……」
ジュードの口から出たセカンド・シェフの名に、ちらりとガイアスは扉の近くに立つユリウスを見る。
お前の弟の入れ知恵か、と視線を送るが当のユリウスは素知らぬ顔でそっぽを向いてしまっていた。
「まあ、確かに驚きはしたが……ローエン」
「畏まりました」
長年ガイアスのバトラーを務めているローエンは名を呼ばれただけで主の意を察し、ペンダントトップを受け取った。
「磨き上げた後、銀のチェーンをお通ししましょう」
「任せる」
そうしてローエンに任せたペンダントトップは翌日にはガイアスの服の下で胸元を彩る事になった。
「ところで旦那様」
ペンダントを届けに来たローエンはにこりと笑って主人を見た。
今頃ジュードは自室でチューターに勉強を教えて貰ている頃だろう。執務室にはガイアスとローエン、そしてヴァレットであるユリウスしかいない。
「そのペンダントの意味はご存知ですか」
「意味?」
ユリウスから新たな書類を受け取りながらガイアスはローエンを見る。
単純にガイアスの眼の色と同じ色の石を選んだのだろうと思っていたのだが。
「まず石の方はガーネットですね。これは主に成功や勝利を意味しますがそれと同時に一途な愛を象徴する石なのですよ」
主が書類を受け取った姿勢のまま固まったのを良い事にローエンは言葉を続ける。
「そして銀の細工はアイビーですな。花言葉は永遠の愛を表すのですが、他にも意味がありまして」
にこにことそこでわざとらしく言葉を切ったローエンに、ガイアスは同じ姿勢のまま他の意味とは、とローエンに問う。
「死んでも離れない、です」
情熱的ですねえと良い笑顔を浮かべるローエンに、ガイアスは漸く動き出して書類を執務机の上に置くと無言で立ち上がった。
ユリウスがさっと扉を開け、ガイアスが足早に出ていく。向かう先などわかりきっている。
ジュードの部屋に向かうガイアスの後を追いながらユリウスはああ、と思う。今日はもう仕事は無理だな。
ユリウスはローエンの良い笑顔を苦々しく思い出していた。

 


ジュードは元々医師を目指していただけあって頭の回転は速かったし物覚えも良かった。
ガイアスがジュードに付けてくれたチューターとの関係も良好で、この日も昼食の時間までは勉学に励む予定だった。
だが、突然ノックもなく開かれた扉にジュードはびくりとしてそちらを見る。
この屋敷でジュードの部屋に断りもなく入って来れるのはバトラーと、そして主であるガイアスだけだ。
そして思った通り入ってきたのはユリウスを連れたガイアスだった。
「ネイス、今日はもう下がって良い」
チューターの男は突然現れた雇い主に慌てて頭を下げていたが、ガイアスの言葉に目を丸くした。
それはジュードも同じ事で、どうしたの、とガイアスに問いかけた。
ガイアスは首元からペンダントを取り出すと、これの意味をお前の口から聞きたくてな、と告げた。
「!」
その途端、見る間に頬を朱に染めていったジュードをちらりと横目で見たチューターはまあ良いでしょう、と銀縁の丸眼鏡のブリッジを中指で持ち上げた。
「ではジュード様、また明日お会いしましょう」
「えと、う、うん……」
チューターは長めの銀の髪をさらりと揺らして優雅に一礼すると、ユリウスと共に部屋を出て行った。
部屋にはジュードとガイアスだけが残される。
「……ジュード」
「は、はい……」
赤い顔のままそろりと上目遣いで見上げてくるジュードに、ガイアスはすぐにでも押し倒したい衝動に駆られながらも自制する。
「お前の口から、このペンダントの意味を聞かせてくれるか」
「……」
ジュードは視線を右へ左へと彷徨わせた後、それは、その、と言葉を濁した。
「ジュード」
その顎をついっと持ち上げ、視線を合わせるとジュードがそっと唇を震わせて言った。
「……僕は、ずっとガイアスの傍にいるよっていう、約束の印……です……んっ……」
言葉が終わると途端に口付けられ、ジュードはガイアスの広い背に腕を回す。
「ふ、ぅ……」
舌を差し入れられ、絡められながらジュードは体の奥から熱が込み上げてくるのを感じた。
「……ぁ……」
思う存分に口内を犯されたジュードは熱の籠った瞳でガイアスを見上げる。
「……良いな?」
「で、でも……まだお昼前で……」
「構わん」
ガイアスはジュードの手を引いてベッドに導くと、その上に横たえた。
「お前が欲しい」
ストレートに求められてしまうとジュードは拒む事が出来ない。
「……はい」
恥ずかしそうに頷いたジュードの唇に、再びガイアスの唇が重なった。

 


その日、何気なく部屋の窓から外を見下ろしたジュードはあれ、と思う。
この屋敷には離れの屋敷が存在する。ペイジの時から気になってはいたものの、この屋敷の使用人たちは誰一人として離れの屋敷に足を踏み入れた事が無いと言う。
こちらの使用人はこちらだけの使用人、あちらの使用人はあちらだけの使用人、と言ったように交流が全く無いようだった。
どんな人が住んでいるのだろうと思ってはいたのだが。
その離れの屋敷に一人の少女が入って行くのが見えた。年の頃は十にも満たないだろう少女は薄茶色の長い髪を揺らしながら開けられた扉を潜って中へと入って行った。
フットマンが扉を開けていた所を見ると、あの屋敷の主の娘か何かだろうか。
どんな人が住んでいるのだろう。むくむくと好奇心が湧いてくる。
ペイジ時代、同じペイジの少年に尋ねた事があったが彼らも何も知らされていないようだった。
寧ろ旦那様の機嫌を損ねたくなかったら関わらない方が良いとまで言われた。
ガイアスと不仲なのだろうか。そう思いながらもジュードは窓辺から離れた。
その日の昼過ぎ、ルドガーと一緒にチェリーパイを作りながらそういえばとルドガーを見る。
「ルドガーって離れの屋敷に住んでる人って見た事ある?」
煮詰めたチェリーの種を一粒一粒取り出しながらの言葉に、ルドガーは離れ?と首を傾げた。
「俺は見た事ないけど、多分兄さんなら知ってるんじゃないかな」
「そっかぁ」
種を取り出したチェリーにシェリー酒を軽く振りかけながらジュードはうーんと唸る。
「気になるなら旦那様に直接聞いてみればいいのに」
「うん、そうだよね」
丁度焼きあがったパイ皮を取り出しながらジュードはこくりと頷いた。

 


「離れだと?」
その夜、抱き合った後の眠るまでのゆったりとした時間にジュードはガイアスに聞いてみた。
「うん、女の子が屋敷に入って行くのを見たんだけれど、あの屋敷の子なのかな」
大ぶりのピローを背もたれにして身を起こしていたガイアスがジュードを見下ろした。
一方のジュードは寝そべったまま視線だけでガイアスを見上げている。
「髪の長い、十歳くらいの子供か」
「そう。二つに結んでた」
「ならばお前が見たのはあの屋敷の主の娘だろう」
「どんな人?」
「前領主の遠縁の男だ。本来なら俺が領主になった時に出て行ってもらう筈だったのだが、肺を病んでいてな。身寄りもないからあのまま住まわせている」
へえ、とジュードは呟いてからあれ、と小首を傾げた。
「ガイアスが領主になったのって十年前だよね。あの女の子はいくつなの?」
ガイアスは暫し考え込んだ後、確か八つの筈だ、と答えた。
「俺が領主になった頃に雇ったメイドとの間に設けた子だ」
「そのメイドは今もあの離れで働いているの?」
「いや、娘を産んですぐに亡くなった」
「そっか……」
「気になるのか」
「まあね」
「……」
「ガイアス?」
黙り込んだガイアスを見上げていると、不意にガイアスが覆い被さってきた。
「……お前は俺だけを見ていればいい」
そう見下ろされ、ジュードはきょとんと目を丸くした後、くすりと笑ってその首から下がっているペンダントに指を這わせた。
「ガイアスって結構子供っぽいところあるよね」
「それだけお前に執着しているという事だ」
ガイアスの衒いのない言葉にジュードは益々笑みを深める。
「嬉しい、ガイアス」
腕を伸ばすと、誘われるがままにガイアスの顔が近づいてきてジュードに口付けた。
「……ジュード」
「……うん……来て」
恥じらいながらも求めてくるその姿に、収まったはずの熱が再び湧き上がって来るのを感じながらガイアスはジュードの細い脚を抱え上げた。

 


雰囲気からして、別にガイアスは離れの屋敷の人間を嫌っていると言うわけでもないようだった。
だったら、良いよね。ジュードは頷くと籠を手に離れの屋敷へと向かった。
突然の本邸からの客にフットマンの男は戸惑ったようだった。
「あの、これよかったらどうぞってお伝えください」
現れたバトラーに籠を手渡し、アプリコットタルトです、と笑う。
「良いアプリコットがたくさん手に入ったので、お裾分けです」
「これはこれは。お気遣いありがとうございます」
ローエンと同じくらいの年だろう、初老の男は柔和な笑みを浮かべて籠を受け取った。
すると二階の手摺り越しにこちらを見ている少女にジュードは気付いた。
ジュードがにこりと笑いかけると、少女はぱっと身を翻して廊下の奥へと消えて行ってしまった。
残念、と思いながらもこれで諦めるジュードではない。
数日後、今度はラズベリーソースのかかったチーズケーキを持って行った。
同じようにバトラーの男に渡し、屋敷を出ようとすると待って、と甲高い声がジュードを引き留めた。
ジュードが振り返ると、階段を少女がぱたぱたと駆け下りてきた。
「こんにちは」
にこりとジュードが笑うと少女は少し恥ずかしそうに体を左右に揺らしてこんにちは、と返してきた。
「僕はジュード・アウトウェイ。君は?」
「エルはエルだよ。ねえ、この前のアプリコットのタルト、誰が作ったの?」
「僕と、お屋敷のシェフの二人で作ったんだよ」
「おいしかった!パパの作るお菓子ほどじゃないけど、すっごく美味しかったよ!」
頬を上気させて言うエルに、ジュードはふふっと笑う。
「ありがとう。今日はね、ラズベリーのチーズケーキを焼いてきたんだ」
ジュードの言葉にエルの表情がぱあっと明るくなる。
「チーズケーキ好き!」
「そう、良かった。エルのパパもお菓子作るの?」
すると途端にエルはしゅんとしてうん、と俯き加減に頷いた。
「でもパパ、最近は体の調子が悪くて作れないんだ……」
ガイアスは父親は肺の病だと言っていた。それほどに悪いのだろうか。
「そっか……」
「ねえ、ジュードは何でお菓子くれるの?」
「僕ね、ずっとこの屋敷に誰が住んでるのか知らなかったんだ。でもこの前エルの姿を見かけてね。友達になりたいなって」
友達、とエルが繰り返したのでジュードはそう、と頷いた。
「僕、余り外に出ないから友達って余りいないんだ。だからね、エル」
僕と友達になってくれませんか?ジュードが優しく微笑んで手を差し出すと、エルはぽっと頬を朱に染めて逡巡した後におずおずと差し出された手に己の小さな手を重ねた。
「と、友達になってあげてもいいよ!」
「ありがとう」
握手を交わし、手を離すとエルはその手をもう片方の手でぎゅっと握りこんでまた来てくれる?と問う。
「うん。友達だもの。会いに来るよ」
エルはチョコレートは好きかな?と問えばエルは大好き!と両手を上げて喜色を前面に出す。
「じゃあ今度はガトーショコラを焼いてこようかな」
「待ってるから!」
約束!と差し出された小指に、ジュードは己の小指を絡めて約束だね、と笑った。
そうしてエルに見送られながら本邸へと戻っていくジュードの後ろ姿を、一人の男が見下ろしていた。
その後ろ姿が見えなくなると、男は興味を失ったように窓辺から離れる。
すると廊下からぱたぱたと軽い足音が聞こえてきて扉が開かれた。
「パパ!あのね、エルね、お友達が出来たよ!ジュードっていうの!アプリコットのタルトくれた人!」
嬉々として報告してくる娘に、男はそれは良かった、と微笑んだ。
「それでね、今日はチーズケーキくれたの!パパも一緒に食べよう!」
「ああ、頂こうか」
娘に手を引かれながら男はゆったりとした歩みで部屋を出て行った。

 

 

 


 

数日後、約束通りジュードがガトーショコラを作って持って行くとエルは飛び跳ねんばかりに喜んだ。
そしていくつか言葉を交わして帰ろうとしたジュードをエルが引き留める。
「ねえ、ジュードも一緒に食べよう?」
「え、いいの?」
「いいよ!パパもジュードに会いたいって言ってたもん!」
「そう?じゃあお邪魔しちゃおうかな」
にこっと笑うジュードに、エルもやったあと今度こそ本当に飛び跳ねて喜んだ。
「じゃあこっち来て!」
エルに手を引かれてジュードが向かったのは上品に整えられたティールームだった。
そこには三十歳くらいだろうか、もっと若いのかもしれない。黒髪の男が座っていた。
ジュードが微かに目を見開いたのは、男が顔の大半を覆う黒い仮面を被っていた事だ。
纏う服も黒を基調としていて、漆黒に包まれたその男にエルは駆け寄った。
「パパ、ジュードが来てくれたよ!」
「案内ありがとう、エル」
男は椅子から立ち上がるとジュードの前に立って手を差し出してきた。
「ヴィクトルです」
「ジュードです。お招きありがとうございます」
「こちらこそ、いつも美味しい菓子をありがとう。エル、プレザを呼んできてくれるかい」
「はぁい!」
部屋を出ていくエルを見送って、ヴィクトルはジュードへと再び視線を戻した。
漆黒の中に光るアクアグリーンの瞳にジュードは射すくめられたように立ち尽くす。
するとふとヴィクトルの表情が和らいで、ジュードは知らず詰めていた息を吐いた。
「仮面をつけたままですまないね。昔火傷を負ってね。非礼を許してくれるかい」
どうぞ、と椅子を勧められてジュードは腰を下ろす。
「大丈夫です。それよりお体の方は……」
ヴィクトルも再び椅子に座ると今日は良い方かな、と薄く笑った。
「ただ、最近は少し体調が不安定でね。エルには随分心配をかけてしまっている」
すると扉が開いてエルが一人の女性を連れて入ってきた。
「ジュード、エルのガヴァネスのプレザだよ!」
現れた女性は長い髪を後ろで一つに括り、眼鏡が知的な印象を持たせていた。
大人の女性の魅力を満載に盛り込んだらこんな女性が出来上がるのではないだろうかとすら思えるその女性はジュードを見ると小さく笑った。
「プレザです、ジュード様。ご一緒させて頂いても宜しいでしょうか」
通常ガヴァネスも使用人の一人なので主人と一緒にお茶をするなんてことはない。しかしこの屋敷ではそうではないのだろう。
ジュードは立ち上がってにこりと笑った。
「ジュードです。勿論構いませんよ」
そうして四人が椅子に座るとメイドが紅茶とジュードが持ってきたガトーショコラを持ってきた。
「今日はカシスが手に入ったから混ぜてみたんだけど、お口に合うと良いな」
早速エルがガトーショコラを一口食べてんーっと満足げな顔をした。
「美味しい!カシスが甘酸っぱくてすごく良い!」
するとヴィクトルもフォークを手に取り、切り分けて口に運ぶ。ジュードが緊張しながらそれを見守っていると、ヴィクトルもまたふと口元を緩めた。
「美味しいな、エル」
「うん!」
プレザも美味しいと笑ってくれてジュードはほっと安堵した。
「あ、でもエルはパパの作ったお菓子が一番好きだよ!」
「そうか。じゃあ今度はパパが作ろうか」
父親の言葉にエルの表情が明るくなるがすぐに不安げになった。
「本当?パパ、からだ大丈夫?」
そんな娘を安心させるようにヴィクトルは大丈夫だよ、と微笑んだ。
「今の時期ならそうだな、そろそろフィグが出回る時期だから、フィグパイでも作ろうか」
ヴィクトルの言葉にエルがやったあとはしゃぐ。
そんな娘を温かな眼差しで見守っていたヴィクトルはそうだ、とジュードを見た。
「良かったら一緒に作らないかい」
「え!良いんですか?」
「勿論だとも。君さえ良ければ一緒に作ろう」
ヴィクトルの申し出に、ジュードはじゃあお願いします、と照れくさそうに笑った。
その笑顔に、ヴィクトルもまた口元を綻ばせた。

 


それから一週間後、ジュードは離れの屋敷の扉を潜った。
今日はヴィクトルとの約束の日だ。ガイアスには悪いが今日のティータイムは離れの屋敷で過ごす事を告げていた。
最初は渋い顔をしたガイアスも、結局はジュードのお願いに負けて早く帰って来い、と念を押して送り出した。
明日はガイアスの為にキャラメルナッツタルトを焼こうとジュードは思う。あれでいて甘党のガイアスの機嫌をとるにはこれが一番だ。
しかし今日は。
「こんにちは、ヴィクトルさん」
「やあ、よく来たね」
「ジュード遅ーい!」
「ごめんごめん。あれ、今日はプレザさんは?」
「プレザにもやる事があるからね。お茶の時間には呼ぶよ」
じゃあ、始めようか。ヴィクトルが二人に穏やかに笑いかけた。
フィグのコンポートは未成年のエルとジュードの為にワインは使わず蜂蜜で煮つけた。
煮ている間にパイ生地を練り、アーモンドクリームを作る。
フィグは柔らかくなり過ぎない内に粗熱を取り、アーモンドクリームを伸ばした生地の上にそれを並べた。
少しだけ余ったコンポートはエルが嬉々として摘まみ食いをしてぺろりと平らげる。
そしてエルがプレザを呼びに行き、四人で焼きあがった熱々のフィグパイの味を楽しんだ。
楽しかった。エルはジュードに懐いてくれたし、プレザとも話す様になった。
ヴィクトルだって、最初はあの仮面のせいで少し怖い印象があったけれど、優しい人なのだとわかってきた。
ジュードはそれからも週に一度から二度、離れの屋敷を訪れた。
ヴィクトルは最近は体調が良いようで、度々ジュードとキッチンに立った。
そんな二人にエルが纏わりついてたまに摘まみ食いをする。
妹が居たらこんな感じなのかな。ジュードはくすりと笑って仕方ないなあとエルの口の中にラズベリーを放り込んだ。
ガイアスと一緒にいる時とはまた違った幸福感をジュードは感じていた。
ああそうだ、ルドガーと一緒にお菓子を作ってる時もこんな感じがするなあ。
僕、今すごく楽しい。ガイアスはちょっと拗ねてるけど。
愛する人がいて、その人に愛されて、友達が少しずつ増えて行って。
僕、幸せだなあ。ジュードはしみじみとそう思いながらローズシロップをボウルの中に注いだ。
今日は庭で育てていると言うバラの花びらを使ったシフォンケーキを作っている。
春に咲いたバラの花びらを丁寧に摘み、乾燥させたものがあるというのでならばシフォンケーキにしようという事になったのだ。
そうしてまた四人でお茶を楽しんで、ジュードは本邸へと戻っていく。
そんな日々が三か月ほど続いたある日、いつもの様にジュードが離れの屋敷を訪れるといつも出迎えてくれるエルの姿が無かった。
「エルはプレザと出かけているよ」
そう出迎えてくれたヴィクトルに、そうなんですか、と何の疑いもなくジュードは頷く。
「じゃあ、今日は帰った方が良いですね」
そう言うジュードに、いや、とヴィクトルは薄く笑った。
「折角来たのだからお茶でも飲んでいくと良い。話し相手が私一人で申し訳ないが」
「いえ、そんな事ないです。じゃあ、お言葉に甘えて」
ジュードはヴィクトルの後に続いてティールームへと向かった。

 


「……ぅ……」
何だろう、頭が重い。ジュードはそんな事を思いながら薄らと目を開けた。
見慣れない天井。何処だろう、ここは。ぼんやりと見上げながら思う。
そうだ、ヴィクトルとお茶をしていたのだった。けれど、途中で無性に眠たくなってしまって。
僕、寝ちゃったんだ。慌てて身を起こそうとして、そこで漸くジュードは己の腕が戒められている事に気付いた。
「え……?」
手首には革のベルトが嵌められており、革紐が左右のヘッドボードに繋がれている。
どういう事なの。ジュードは混乱して力任せに腕を引っ張った。
しかし太い革紐はびくともせず、どうして、とジュードはぎちぎちと音を立てて引っ張り続ける。
すると扉が開く音がしてジュードはそちらを見た。ヴィクトルだ。
「ああ、目が覚めたんだね」
「ヴィクトルさん……これは、一体……」
困惑を浮かべて見上げてくる眼差しに、ヴィクトルは逃げられると困るからね、と微笑んだ。
「私が肺を病んでると気付いたのは丁度君くらいの年の頃だった」
ヴィクトルがベッドに腰掛けるとぎしりとスプリングが軋む。彼はそっとジュードの頬に手を添えた。ひやりとした指先だった。
「それから暫くしてここに移り住んで、やがて私は一人の女性と出会った。その女性はエルの母親となった」
けれど、とヴィクトルはジュードの頬を優しく撫でながら言う。
「束の間の幸せだった。エルが一歳を迎えるより早く彼女は亡くなり、私は失意の中でエルの為だけに生きようと決めた」
つい、と指先でジュードの唇をなぞり、微かな怯えすら滲ませて見上げてくるその視線に穏やかに微笑む。
「私の人生はもう残り少ないだろう。そのすべてをエルに捧げるつもりだった。けれど」
そこに、君が現れた。
「君という輝きを見ている内に、もう少しだけ、悪あがきをしたくなってね」
すっとヴィクトルの顔が近づいてきてジュードは咄嗟に顔を背けようとする。しかしヴィクトルの手がいつの間にかジュードの顔をしっかりと固定しており、ジュードは成す術もなく口付けられた。
「っ」
ヴィクトルの唇は指先と同じくひやりとしていた。啄む様に優しく触れていたかと思うと、舌先がジュードの歯列を割って中にぬろりと入り込む。
「んんっ」
その生温い舌が口内を犯し、ジュードはその事実から目を背けるように強く目を閉じる。
だが入り込んだ舌は傍若無人なまでにジュードの口内を舐め、逃げる舌に舌を絡めてきた。
「んっ……!」
服のボタンを外されていく感覚にジュードは閉じていた瞳をはっと見開く。
腕を動かそうと引いても革紐がぎちぎちと耳障りな音を立てるばかりだ。
「ん、ふ……」
ヴィクトルの冷ややかな手がジュードの素肌を這い、その感触にジュードはぞくりとして身を強張らせる。
「ふ、ぁっ……!」
その指先が胸を彩る小さな突起を摘まみ上げ、ジュードはひくりと震えた。
「や……ヴィクトルさん……やめてください……!」
「どうして。君のここはもっと触って欲しそうにしているよ」
ヴィクトルから与えられる刺激にぷくりと立ち上がった突起にヴィクトルが顔を寄せる。
「ぁ、あっ」
生温い舌がそれを絡め取る様に蠢き、ジュードは思わず甘い声を上げる。
ガイアスに日々愛されているそこはジュードの意思などお構いなしに赤く色づいた。
「ここ、弱いんだね」
「あ、あっ、や、やだ、やだ……!」
ぎちぎちと革紐が軋む音に混じってヴィクトルがジュードの突起を舐る音が響いた。
「あっ、やっ」
指の腹で捏ねられ、摘ままれ、潰されて。もう片方はヴィクトルの舌が妖しく舐る。
否が応でも下肢に集まってくる熱を散らそうとジュードが脚を擦り合わせていると、ヴィクトルがくすりと笑った。
「胸だけでこんなにしてるのかい」
「あっ」
熱を孕んだ中心を撫で上げられ、ジュードの体が微かに揺れる。
ヴィクトルの手がジュードのズボンを下着ごと剥ぎ、緩やかに立ち上がっているそれをじっと見下ろした。
「や……見ないで……!」
ジュードが閉じようとする脚を開き、ヴィクトルはその間に体を割り込ませる。
「……いやらしい体だ。余程ガイアス様に可愛がられているらしい」
「!」
どうして、という目でジュードはヴィクトルを見る。対外的にはジュードはただの養子だ。ガイアスとの関係など知られるはずがない。
「プレザがね、情報収集が得意なんだ。あちらの使用人と繋ぎをつけて探らせてもらったよ」
「どう、して……」
薄らと涙の浮いた瞳で見上げてくるジュードの細い腰に指を滑らせながらヴィクトルは薄く笑う。
「君を手に入れるために」
君が欲しい。ヴィクトルはそう囁いてジュードの熱に指を絡めた。
「あ、ぁ、やだ……!」
「嫌?君は嘘吐きだね。こっちはこんなに喜んでいるのに」
先端を潰す様に指の腹でぐりぐりとされ、ジュードは甲高い声を上げた。
「ほら、いやらしい汁が溢れてきた。これでもまだ君は嘘を吐くのかな」
快楽を甘受する事に慣れた体はジュードの意思に反してどんどん熱くなっていく。
熱を弄られながら耳朶を食まれ、ジュードの喉は甘い声ばかりを紡いでしまう。
「やっ」
熱を弄っていた指がその更に奥の蕾に滑って行き、ジュードは目を見開いた。
「いつもここでガイアス様を飲み込んでるのかい」
「あ、あ……!」
先走りの滑りを借りてヴィクトルの指が入り込む。易々と根元まで飲み込むそこにヴィクトルは微かに笑った。
「成程。昨夜も愛されてきたのかな?随分と柔らかい」
「や、だ……!」
「ガイアス様はこういう事には淡泊な方だと思っていたけれど、随分と君に溺れているようだ」
「あっ、あっ」
ぬぐぬぐと抜き差しされ、ジュードはふるふると首を横に振った。
「駄目、ヴィクトルさ……ぼく……!」
高みに手が届きそうで届かない。そのもどかしさにジュードが息を荒げているとヴィクトルはああ、と今気付いた様に声を上げた。
「ここを擦って欲しかったのかな」
「ひあっ」
ぐりっとしこりを指の腹で擦られてジュードはびくんと体を震わせる。
「凄いね。中が私の指をもっと奥まで飲み込もうとうねっているよ」
ぐりぐりとそこを強く擦られ、ジュードは痙攣するように体を跳ねさせながら無意識にその指を締め付けた。
「ほら、今も私の指を締め付けて。そんなにここが気持ちいいのかい」
「あっ、あ、駄目、だめ……!」
「良いよ、イってごらん。私が見ていてあげるから」
指の動きが速くなり、ジュードは喘ぎながら背を撓らせて自らの腹の上に熱を吐き出した。
「後ろだけでイけるなんて、本当にジュード君はいやらしいね」
「やっ……」
「ガイアス様のせいなのかな。それとも、君の素質なのかな」
ジュードの中から指を引き抜いたヴィクトルは、己のズボンの前を寛げると硬くそそり立ったそれを取り出してジュードのそこに押し当てた。
「やだっ、ヴィクトルさん、やめて……!」
「どうして。君のここは指だけじゃ物足りないって言ってるよ」
ぐいっと脚を押し開かれ、そこに押し当てる力が強くなる。やだ、やめて。ジュードは何度も訴えながら自由にならない腕を引いた。
「あ、あ……!」
けれど少しずつ、そして確実にヴィクトルの熱はジュードの中に埋められ、背筋を強い快感が駆け抜けてくのを感じた。
抱かれることに慣れたそこはジュードの気持ちなどお構いなしに嬉々としてヴィクトルの熱を飲み込んでいき、もっと奥へと言わんばかりに蠢いた。
ゆっくりと根元まで熱を埋め込んだヴィクトルは、ああ、と感嘆の声を上げた。
「これは……ガイアス様が溺れる理由がわかるな」
挿れただけでイってしまいそうだ。ヴィクトルはくすりと笑ってそう囁く。
「清純そうに見えて、なのにベッドの中ではこんなにいやらしいなんて」
「あっ」
ヴィクトルがゆっくりと突きあげ、ジュードはひくりと喉を仰け反らせる。
じわじわと湧き上がってくる快感に物足りなさを感じている自分に気付いてジュードは唇を噛んだ。
「唇を噛むのはやめなさい。愛らしい唇に傷がついてしまう」
「んっ……」
口内に指を差し入れられ、唇を開かされる。そこに覆い被さってきたヴィクトルの舌が入り込み、ジュードの舌を絡め上げた。
「んんっ」
口付けると同時に腰の動きを速めたヴィクトルに、びりびりとした快感が体を駆け巡る感覚が襲ってきてジュードは喉を甲高く鳴らす。
「んっ、んっ、ふぁ、あっ、あっ」
「ジュード、ジュード……」
ぎしぎしとベッドが悲鳴を上げる。ヴィクトルの熱は確実にジュードの感じるポイントを擦りあげていて、ジュードは目の前が白く染まっていくのを感じた。
「や、あ、ああっ……!」
「……ジュードッ……!」
ジュードが二度目の高みに登りつめると、ヴィクトルもまたジュードの中で熱を弾けさせた。
「あ……」
勢いよく体の奥に注がれる熱に、ジュードは涙で霞んだ視界でぼんやりと天井を見上げた。
ガイアス、ごめんなさい。
一粒の涙がぽろりと零れ落ちる。
呆然としているジュードの、精液に汚れた腹にヴィクトルは恭しく口付けた。

 

 

 

その夜、いつもの様にジュードを迎えに来たユリウスは彼の様子がおかしい事に気付いた。
「どうかしたのかい」
「……」
ジュードはソファの上で膝を抱えて座ったまま何も答えない。
泣いていたのだろう、少し腫れぼったくなった瞼。下を向いたままの視線。朝と変わっている服装。
まさか、とユリウスは思う。ジュードは最近離れの屋敷に赴く事が多かった。
離れの屋敷の少女の為に菓子を持って行くのだと嬉しそうに笑っていた。
あの屋敷には、少女と僅かばかりの使用人、そして主である男が住んでいる。
顔の殆どを黒の仮面で覆った、ルドガーと同じ瞳の色を持つ男だ。
「……隣に座っても?」
「……」
ジュードが俯いたままこくりと頷き、ユリウスはその隣に腰掛ける。
「何があったのか、聞いても良いかな」
「……」
脚の上で握りしめられていたジュードの拳の上にぱたりと雫が落ちた。
「……僕……もう、ガイアスの傍にいられない……」
「どうして、そう思うんだい」
ぱたり、ぱたり。雫は数を増し、ジュードの拳と脚を濡らしていく。
「僕……ヴィクトルさんと……」
言葉を濁したジュードに、何があったのかを大体は察した。
「それは君の本意ではなかったんだろう?」
「でも、僕がヴィクトルさんと関係を持ってしまった事に変わりはないんです……!」
だからもう、ガイアスの傍にいられない。そう涙を零すジュードの目尻をユリウスの指が拭った。
「忘れてしまえ。今夜は旦那様には俺から上手く誤魔化しておく。今日はゆっくり休んで、全てを忘れてしまえばいい」
君の傷を癒せるのは旦那様だけだと俺は思っているよ。優しく言うユリウスをジュードは泣きながら見上げた。
「ユリウスさん……!」
「だからほら、そんなに泣いたら明日までに腫れが引かなくなってしまう」
ぽろぽろと零れ落ちる雫を堰き止める様にユリウスの指がジュードの目尻をなぞる。
すると扉が開かれ、ガイアスが入ってきた。
「……何をしている」
恐らく部屋にやってこないジュードに痺れを切らしたのだろう。
泣いているジュードと、その頬に指を添えているユリウスの姿にガイアスの纏う空気が一気に重くなる。
ユリウスはさっと立ち上がり、身を引く。
しかしガイアスを見上げるジュードの視線には何処か怯えすら混じっていて、ガイアスはユリウスを睨み付けた。
「どういう事だ、ユリウス」
「待って、ユリウスさんは悪くないんだ」
ユリウスを庇うように立ったジュードにガイアスの機嫌はますます降下する。
「どういう事だと聞いている」
「僕、僕は……!」
「ジュード」
言わなくて良い、と言う様にユリウスがジュードの言葉を遮る。けれどジュードはふるふると首を横に振った。
「ありがとう、ユリウスさん……でも、隠したままガイアスの隣に立つ事は出来ない……!」
「……何があった」
ガイアスがジュードの前に立ち、涙に揺れる蜂蜜色の瞳を見下ろす。
「僕……僕、ヴィクトルさんと……」
それ以上を言葉にするのを喉が拒んでいるかの様にジュードは言葉を詰まらせ、止まりかけていた涙を再び零した。
それだけで察したガイアスはきつく拳を握りしめた。
「あの男……よくも……!」
激しい怒りを宿した紅の眼に、ジュードはごめんなさい、と謝った。
「僕はもう、ガイアスの傍にはいられない……」
ごめんなさい、と繰り返して俯いてしまったジュードをガイアスは抱き寄せる。
「何があろうと俺はお前を手放すつもりはない」
「でも、僕……ガイアスだけの僕だって、誓ったのに……守れなかった……!」
「ジュード……」
静かにユリウスが退室する。二人だけになってガイアスはジュードの顎を持ち上げると涙で濡れるその目尻にそっと口付けた。
「ならば今一度その身に俺を刻んでやる。何度でもお前は俺のものなのだと、そして、俺はお前のものなのだとわからせてやる」
「ガイアス……!」
「だからジュード、俺の元を去ろうなどと思うな」
永久に俺の傍にいると、約束しただろう。ガイアスの言葉にジュードはますます涙を零す。
「もう泣くな、ジュード。あの男は我が領地から出そう。二度とお前に近づけたりはさせん」
ガイアスの言葉に、しかしジュードはふるふると首を横に振った。
「そんな事したら、エルが……」
「あの男はそれだけの事をしたのだ」
「お願い、ガイアス。僕はもうあの離れにはいかない。だからヴィクトルさんたちを追い出さないで」
ジュードの懇願に、しかしとガイアスは苦い顔をする。
「ヴィクトルさんはもう長くないんでしょう?そんな人を追い出すなんて、僕には出来ない」
「……お前はそれで良いのか」
「うん。ヴィクトルさんとはもう会わない。だから、お願い」
じっとジュードを見下ろしていたガイアスは、やがて深い溜息を吐いて仕方ない、と呟いた。
「お前の望むとおりにしよう」
「ありがとう、ガイアス……」
漸く微かな笑みを浮かべたジュードに、ガイアスはそっと口付ける。
「……今宵は、どうして欲しい」
唇を僅かに離してそう囁くガイアスに、ジュードは強く抱いて、と答える。
「僕はガイアスのものなんだって、この体に深く刻んで」
「良かろう」
離れたばかりの唇が再び重なり、先程とは打って変わって激しくお互いを求める様に口付けた。

 


ジュードの手首には、赤紫に変色した痕があった。
戒められていたのだろうそこにガイアスはそっと口付け、ジュードを抱いた。
「あ、あっ、ガイアス、もっと、もっと激しくして……!」
ジュードは手荒に扱われる事を望んだ。ヴィクトルに犯された心の痛みを体の痛みで誤魔化そうとする様に。
その要求に、ガイアスは応えた。より激しくジュードの最奥を抉ると、ジュードのしなやかな肢体はがくがくと震えた。
「ひっ、あっ、あっ、ガイアス、ガイアス……!」
「……っ……」
脚を突っ張らせてジュードが達する。その内壁の蠢きに持って行かれそうになりながらもガイアスは顔を顰めて耐えた。
達してくたりと脱力したジュードの最奥をガイアスのいきり立ったままのそれが再び抉る。
「ひあっ」
達したばかりでより敏感になっている体は、その強い快感にびくりと体を震わせた。
「待って、ガイアス、待っ、あっ、ああっ」
「手荒くされるのを望んだのはお前だろう」
「あっ、んっ、うん、もっと、もっとちょうだい……!」
「ジュード……!」
いつにない乱れようのジュードの艶姿にガイアスは魅了されながらも容赦なく突いた。
「あっ、あっ、ガイアス、出して、僕の中にいっぱい熱いのちょうだい……!」
「ああ、受け止めろ、ジュード……!」
ジュードがもう何度目かわからない絶頂に体を撓らせると、ガイアスもまたその最奥に熱を注ぎ込んだ。
「あ、あ、出てる、僕の中にガイアスの熱いのがたくさん注がれてる……!」
最期の一滴まで搾り取ろうとするかのように蠢くその内壁に、ガイアスは名残惜しそうに数度ゆっくりと抜き差しをしてずるりと引き抜いた。
「あ……」
緩んだそこからこぽりと白濁とした熱が溢れ出してシーツを汚す。
それに構わずガイアスは脱力しているジュードの体を抱きしめ、その髪に口付けた。
「ガイアス……」
ジュードがガイアスの首から下がっているペンダントにそっと口付ける。
「僕は、僕の全てはガイアスのものだよ……」
「ああ……離しはしない」
ジュードが顔を上げるとガイアスと目が合う。
呼び合う様に顔が近づき、ジュードはそっと目を閉じた。

 


「最近ジュード来ないね」
エルがぼんやりと窓の外を眺めながら言う。詰まらなさそうなその横顔に、ヴィクトルは苦笑する。
「少し、仲違いをしてしまったんだよ」
「ナカタガイ?」
きょとんとしてヴィクトルを見詰めてくる眼差しに、喧嘩をしてしまったという意味だよ、とヴィクトルは答える。
「パパとジュード、喧嘩したの?なんで?」
「ジュードにこの屋敷で一緒に暮らして欲しいとお願いしたのだけれど、断られてしまったんだよ」
「ジュードのお屋敷はすぐそこだよ。いつでも会えるよ?」
エルの言葉にヴィクトルはそうだね、と穏やかに笑う。
しかしこちらからは本邸には行ってはいけないという暗黙のルールがある。
特に約束を取り交わしたわけではなかったが、それがこの十年で築かれた独自のルールだった。
だからジュードの方からこの屋敷を訪れてくれない事にはどうしようもない。
だがもう会う事は無いだろう。ヴィクトルにはわかっていた。
あの領主がジュードを傷付けた男を許すはずがない。
この屋敷を追い出される覚悟もしていたのに何も音沙汰がないのは、恐らくジュードが取り計らってくれたからだろう。
優しい子だ。ヴィクトルは自嘲気味に微笑む。
優しい光を宿した子供。その光に目を奪われた。あどけない笑顔に心癒された。
だから欲しかった。どんな手を使っても。
しかしこの屋敷に閉じ込めてもガイアスが取り返しに来るだろう。連れて逃げようにも自分の体がもう旅に耐えられる体では無い事もわかっている。
ならばせめて一度だけでも彼を手に入れたかった。あのしなやかな体に、自分という存在を刻みつけたかった。
恐らくそう先の長くはない自分の、最後の悪足掻きだ。
「……っ……」
途端、胸が痛みを訴え、呼吸が詰まった。
「く……」
ヴィクトルは上半身を屈め、口元を抑える。抑え切れず激しく咳き込むと、エルが駆け寄ってきた。
「パパ!」
口元を押さえた手の隙間から鮮血が滴り落ちる。パパ!とエルが悲壮な声を上げた。
「誰か!誰か来て!パパが死んじゃう!」
エルの叫びを聞きながらヴィクトルはああ、と思う。
もう、駄目なのか。ここで終わりなのか。
喀血しながらヴィクトルの脳裏を様々な情景が駆け巡る。
幼い頃の事、エルの母親の事、エルと過ごした日々。そして。
「……エル……」
「パパ、パパ、すぐにお医者さんが来るから!」
「……エル、パパの最期のお願いを、聞いてくれるかい」
荒い息を吐きながら、ヴィクトルは穏やかに娘を見た。

 


あの日から一か月、ジュードが離れの屋敷を訪れる事は無かった。
エルはどうしているだろうか、とふとした時に思うが、ヴィクトルに会うのは怖かった。
ジュードがガイアスと共にティータイムを過ごしていると、ヴァレットの一人が入ってきてガイアスの背後に控えていたユリウスに何事かを耳打ちした。
ユリウスは何か考え込むようなそぶりを見せた後、ガイアスに耳打ちする。
ガイアスが微かに顔を顰めたので、ジュードは何か良く無い事が起こったのだろうかと思う。
「……」
「ガイアス、どうしたの」
「……エルがお前を呼んでるそうだ」
「エルが?」
静かにカップをソーサーに戻すとガイアスは告げた。
「ヴィクトルが喀血したらしい」
「!」
がたりと立ち上がったジュードに、ガイアスは待て、と制する。
「あの男の元へ行くのは許さん」
「でも!」
くしゃりと顔を悲しみに歪ませたジュードに、ガイアスは一つ溜息を吐いて立ち上がった。
「お前を一人で行かせるわけにはいかない。俺も行こう」
「ありがとう、ガイアス」
足早に階段を下り、玄関に向かうとエルがフットマンたちに引き留められていた。
「ジュードに会わせて!早くしないとパパが死んじゃう!」
「エル!」
「ジュード!」
ジュードが駆け寄ると、エルがジュードにしがみ付いた。
「ジュード、パパと仲直りしてあげて!」
「エル……うん、行こう」
エルの手を引いてジュードは離れへと駆けて行く。
階段を駆け上り、ヴィクトルの部屋に辿り着くとそこにはベッドに横になったヴィクトルがいた。
「パパ、ジュード呼んできたよ!」
エルの声に導かれるように、閉ざされていた瞼がゆっくりと開いてアクアグリーンの瞳が覗いた。
「……ジュード……」
どこか虚ろな瞳でジュードを見上げていたヴィクトルは、その背後に立つ男に視線を移した。
「……ガイアス様……私は、ジュードを深く傷付けた……けれど、それを謝るつもりはありません……」
「……」
無言で腕を組んで見下ろしているガイアスから再びジュードへと視線を転じ、ヴィクトルは微かに笑った。
「ジュード……どうか私が刻んだ傷を、覚えていてくれ……私が確かにここに居た事を、どうか……」
シーツの中からヴィクトルの手がジュードへと伸ばされる。
その弱々しく伸ばされた手をジュードは両手で包み込むようにして握り、ヴィクトルさん、と涙を零した。
「……本当に、君は、優しいな……だから私は……」
ヴィクトルはそこで言葉を切り、ゆっくりと瞬きをした。
ふっとヴィクトルの眼の焦点がぼやける。揺らぐ視線でヴィクトルはエルを見た。
「エル……すまない……」
「パパ!」
そしてジュードを見ると、ヴィクトルは消え入りそうな声で告げた。
「……ジュード……エルを……」
ふ、とヴィクトルが目を閉じた。
「ヴィクトルさん……?」
「パパ?」
しかしヴィクトルの眼が再び開かれる事は無く。
エルの悲鳴じみた声が父親を呼んで室内に響いた。

 


身寄りのなかったヴィクトルの遺体はひっそりと埋葬された。細やかな雨の降る日だった。
エルはずっとジュードの手を握って離さなかった。
「ジュード……エルはこれからどうなるの」
泣きはらした目で見上げてくるエルに、ジュードは大丈夫だよ、と悲しみの中に僅かな笑みを浮かべた。
「エルの事は、ちゃんとガイアスにお願いするから」
「……」
俯いてしまったエルに、エルはガイアスの事、嫌い?と問う。
「……少し、怖い」
「大丈夫だよ。ガイアスは見た目はちょっと怖いけど、優しい人だから」
「……本当に?」
見上げてくる視線に、本当だよ、とジュードは微笑む。
「だからエルの事もちゃんと考えてくれるよ」
それから暫くして、エルはガイアスの養女となった。
ジュードがエルをこの屋敷で引き取れないだろうかと相談した結果だった。
ガイアスとしても、ヴィクトルのした事は許せなくてもその娘にまで責を負わすつもりはなく、身寄りのない子供を無責任に放り出すつもりもなかった。
最初は後見人をつけてそのままあの離れの屋敷で暮らせるようにするつもりだったのだが、ジュードが幼い女の子をいくら使用人がいるとはいえ、一人で過ごさせるのは忍びないと訴えたからだ。
ジュードの時と同じように客間の一つを改装し、エルの部屋に仕立てた。
離れの屋敷に勤めていた使用人たちには新たな勤め先を斡旋し、エルのガヴァネスを務めていたプレザだけはそのままエルに就かせた。
エルは常にジュードの後をついて回った。独りの不安もあったのだろう、手を繋ぐと少しだけ安心した様にエルは笑う。
ジュードはエルにルドガーを紹介した。いつかの様にお菓子作りをすれば、少しはエルの慰めになるかもしれないと考えたからだった。
何が食べたい?と優しくルドガーに問われ、エルは少し恥ずかしそうにバラのシフォンケーキ、と答えた。
「パパがエルの為に育ててくれた特別なバラなの」
そうしてその日はエルが離れの屋敷から持ってきていた乾燥させたバラを使って、三人はいつかの様なローズシフォンケーキを焼きあげた。
兄となったジュードと、ルドガーをはじめとする使用人たちに囲まれてエルは少しずつ笑顔を取り戻していった。
ガイアスにも随分懐いて、ジュードはガイアスが案外子供好きだという事を知った。
そしてヴィクトルの死から八年。
エルは十六歳になり、あちらこちらの若い貴族から求婚を受ける様になった。
中には次期領主の座を狙ってエルに近づこうとする者もおり、それらを退けるのがガイアスとジュードの役目だった。
そんなある日、出かけていたジュードは帰ってくるなりガイアスに駄目だった、と肩を竦めた。
「バーニャ家の跡取りは野心を隠そうともしないし、ズメイ家の跡取りは僕にモーションかけてきたからもっとダメ」
「……何だと?」
今ジュードは聞き捨てならない事を言わなかったか。ガイアスが顔を顰めてジュードを見るが、当のジュードはしれっとしたものだ。
「エルより僕の犬になりたいんだって。そういう人はちょっとねえ。やっぱりエルに相応しいのはシャール家のクレインさんかな」
「……また引っかけてきたのかお前は」
「引っかけただなんて人聞きの悪い。向こうから勝手に寄ってくるんだよ」
真顔でそう言うジュードに、ガイアスは深い溜息を吐く。
八年前と比べて少し長めに伸ばした艶やかな黒髪、猫のような蜂蜜色の瞳、しなやかな肢体。
出会った頃は幼子のあどけなさを残していた少年は、今では妖艶さすら湛えて美しく成長していた。
近付いてくる貴族たちをあしらっている内に強かさも身に着けた青年は、ぽすんと軽い音を立ててガイアスの隣に腰掛けた。
「結構しつこくて、振り切るのに時間かかっちゃった」
僕は早くガイアスの元に帰りたかったのに。こてんと頭を肩に乗せてくる仕草は昔のままだ。
「何もされていないだろうな」
「うーん、手の甲にキスされた」
今後ズメイ家とは縁を切ろう。ガイアスは即座にそう心に決めた。
するとすいっとジュードの右手がガイアスの前に差し出され、ジュードがにこりと笑って言った。
「消毒、してくれる?」
「当然だ」
ガイアスはその手を取るとその手の甲にそっと口付けた。
そしてちろりと舌を這わせ、指先に舌を絡める。
「ん……」
ぬるりと絡んでくる舌に、ジュードの指先がぴくりと震える。
まるでジュードの熱を舐るときの様に舌で指を擦りあげられて、ジュードはぞくぞくとした快感が背筋を走っていくのを感じた。
「……ねえ、ガイアス……お仕事、あとどれくらい?」
ちゅぷ、と音を立ててジュードの細い指を舐めていたガイアスが夕方には終わる、と囁く。
「じゃあ、それまで我慢するから、ねえ……」
誘われるがままにガイアスはジュードの唇に食らいつく。舌を差し入れるとそれを迎える様にジュードの舌が絡みついてきた。
「ん……ふ……」
ちゅくちゅくと音を立てて舌を絡めあい、お互いの体をかき抱く。
「……終わるまで待てん」
ソファの上にジュードを押し倒そうとするガイアスをそっと押し留め、ダメ、とジュードは艶やかに笑った。
「仕事が滞るとユリウスさんの胃に穴が開いちゃうから」
「む……」
むすっとするガイアスに、ジュードはくすくすと笑う。
「お仕事頑張ったら、ご褒美あげる」
「ではそれを楽しみに仕事に励むとしよう」
渋々と身を起こしたガイアスに、ジュードはそうして、と笑った。
すると扉が開いて一人の少女が入ってきた。エルだ。
「ジュード!……あらら、お邪魔だった?」
「ううん、良いよ。何かな、エル」
「パパのバラが咲いたの!まだ一輪だけだけど、凄く綺麗だからジュードにも見せたくて」
「そう。じゃあ行こうか」
ジュードがすっと立ち上がるとガイアスもまた立ち上がって執務机に戻っていく。
「それじゃあ父様、ジュード借りてくね!」
「お仕事頑張ってね」
「ああ」
仲良く手を繋いで部屋を出ていく二人を見送って、ガイアスは重厚な椅子に腰かけ、途中だった書類に目を通す。
「……」
しかし数行と読まぬ内にガイアスは深い溜息を吐くと服の下からガーネットのペンダントを取り出し、指先でそれを弄りながら低く呟いた。
「……ジュードを抱きたい……」
どうでもいいから仕事してくれ。実はずっと部屋にいたユリウスは、痛む胃を押さえながら主より深い溜息を吐いたのだった。

 


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