ジュードがロンダウ族の族長の娘として生を受けたのは、リインが十三歳の時だった。
リインの父であったロンダウ族の族長は一年ほど前にアースト、今ではガイアスと名乗る男に殺されており、生まれた子は忘れ形見となった。
そして母親もジュードを産んで間もなく儚い人となってしまい、ジュードの世話はリインや周りの者が交代で行った。
この一年、ロンダウ族は誰が族長を継ぐかで揉めていた。
順当にいけばリインが継ぐはずだったが、当時リインはまだ十二歳。大部族であるロンダウを纏めるには時期尚早だと言われていた。
だがガイアス率いるトロスの勢いはここ最近は特に凄まじく、ロンダウの動揺を突くように何度も襲撃を仕掛けてきていた。
それを潜り抜けられたのは全てはリインの策のおかげだった。一族はもうリインを族長に立てるしか道はなかった。
僅か十三歳で大部族の新族長となったリインは奇策を考案し、トロスを、そしてガイアスを追い詰めた。
後にモン高原の戦いと呼ばれるその戦はロンダウ族の勝利に終わると思われた。
しかしあと一歩という所で状況は反転し、ロンダウ族はガイアスに屈した。
ガイアスに敗北したリインは一族を率いてガイアスの軍門に下り、名を翼を意味するウィンガルと改めた。
まだ何もわからぬ赤子であったジュードは、ウィンガルや周りの者たちの愛情を受けて健やかに育っていった。
幼い妹のあどけない笑顔に癒されながらも、このままで良いのだろうかとウィンガルは感じていた。
ア・ジュール王メラド率いる軍とガイアス率いるトロスの衝突は日に日に激化している。
そんな中でこんな幼い子供が生きて行けるのだろうか。
例え生き延びたとしても、この子はロンダウの娘。いつかは望まぬ男の元へ嫁がなくてはならない。
ならばいっそ、と思う。いっそ、何処か戦とは無縁の地でこの子を育てられないかと。
だがウィンガルには一族への責任がある。放り出して逃げるわけにはいかない。
せめてこの妹だけでも争いのない世界で育ってほしい。だがこの愛し子と離れるのも正直な所、嫌だった。
そんな思いを抱いたまま月日は流れて行き、ジュードが五歳を迎えたその年、いよいよメラドの座すカン・バルクを落とす事になった。
生きて帰れるかもわからない決戦を前にして、ウィンガルはようやく心を決めた。
ウィンガルは前々からル・ロンドを調査していた。ル・ロンドは敵国であるラ・シュガルに属していたが、小さな島であることから争いとは無縁の地だった。
これまであちこちの街を調べさせてきたが、その中で一番安全なのはル・ロンドだとウィンガルは確信していた。
いかにもな長閑な田舎町といった風情のそこに、子供のいない夫婦がいる事をウィンガルは密偵から知らされていた。
ディラック・マティスとその妻エリン。彼らは十年近く夫婦として暮らしていたが、二人の間に子供はいない。
子供を欲しがってはいるがなかなか恵まれないようだ。二人はル・ロンドで唯一の診療所を営んでおり、ディラックの腕は確かなようだった。
ただ唯一気掛かりなのは、ル・ロンドに移り住む前のディラックの経歴が一切出てこないと言う事だった。
ディラックはファイザバード会戦を襲ったあの大津波によって流されてきたらしいが、それまでどこで暮らしていたのかが一切不明だった。
ア・ジュール兵では無い事は確認済みだ。ラ・シュガル兵だったのだとしても、何かしらわかりそうなものなのだが。
だがもう時間が無い。彼らに託すしか道はなかった。
五歳を迎えたジュードはウィンガルにとても懐いており、その日も兄に手を引かれてシャン・ドゥの街を上機嫌に歩いていた。
「にいさま、まちをでるの?」
街の外には魔物が溢れているから絶対に街からは出てはいけない、と言いつけられている妹はラコルム街道への出入り口へ向かっている兄を不思議そうに見上げた。
「ああ、馬車に乗って遠くへ行くんだ」
「おうまさん!」
はしゃぐ妹を穏やかな表情で見下ろしていたウィンガルは、街と街道の境界線に立っている一組の男女に視線を向け、頷いた。
彼らもまた頷き、ジュード様、と優しい笑顔で妹を迎えた。
その顔に見覚えがあったジュードは特に警戒するでもなく彼らにこんにちは、と笑いかける。
「今日は私たちと一緒に海を見に行きましょうね」
「うみ?ほんとう?」
「ええ」
海を見た事のないジュードはそれに喜んだ。だが、兄がついて来ないのだと気付くと途端に不安げな顔をする。
「にいさまはいかないの?」
「ああ、兄様はお仕事があるからね」
「じゃあジュードもいかない。にいさまのそばにいる」
しゅんとしている妹に、大丈夫だ、と片膝をついて視線を合わせるとその艶やかな髪を撫でた。
「兄様もお仕事が終わったら追いかけるから。だから先に行ってなさい」
「ほんとうに?」
「ああ。兄様が嘘を吐いた事があったか?」
兄の言葉にジュードはふるふると首を横に振ると、やくそく、とその小さな小指を差し出した。
「ああ、約束だ。必ず迎えに行く。だから、良い子にしてるんだぞ」
その小指に己の小指を絡め、微笑むとジュードも安心した様に笑った。
「うん、ジュード、いいこにしてるからはやくきてね」
何も知らず笑う妹が不憫で、ウィンガルはその小さな体を抱きしめる。
「にいさま?」
名残惜しげに体を離し、ウィンガルはジュードの蜂蜜色の瞳を見て言う。
「ジュード、お前のその耳飾りは我がロンダウの秘宝。お前を守り、導くだろう」
ジュードの小さな耳にはピアスがはまっている。右側は小粒の青い石が、そして左側には大ぶりの青い石が銀の装飾を纏って輝いていた。
「大切にするんだぞ」
「うん、にいさまのたからものはジュードのたからものだよ」
にこっと笑う妹の頬に自分の頬を寄せ、擦り合わせるとジュードはくすぐったそうに笑った。
「さあ、ジュード様、参りましょう」
女に手を引かれ、ジュードは兄に手を振りながらラコルム海停への馬車に乗り込んだ。
馬車が走りだし、遠くなっていく。
ウィンガルはその姿が見えなくなってもしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。
「どうか、幸せに……」
その囁きは、誰にも聞かれる事なく風に消えた。

 


ジュードは父と母の本当の子供ではない。それはジュード自身も知っていた。
自分は五歳の時、このマティス夫妻の元に預けられた。
本当の父と母の記憶はジュードにはない。
唯一覚えている家族と言えば、年の離れた兄だった。もう薄らとした記憶しかないが、ジュードと同じ黒髪と、ジュードより少し明るい琥珀色の眼を持った兄はジュードにとても優しかった。
あの兄の事が本当に好きだったのだ。父と母がいない事など気にならないくらいに。
だが、ジュードが五歳の時に別れは突然訪れた。
もう名前も顔もよく覚えていない男と女に連れられてジュードはル・ロンドに来た。
マティス診療所の前で手紙と重たい革袋を渡され、それをディラックという男に渡しなさい、と言われた。
言われるがままジュードが診療所に入り、おどおどと受付にいた女性にそれを伝えると、女性は戸惑ったようにジュードを見た。
独特の匂いのする診察室に通され、手紙と革袋を渡すとそれを読んだディラックが驚きに目を見開き、ジュードを見た。
「君のご両親は」
ふるふると首を横に振るジュードに、ではここに連れてきたのは誰だね、と聞いてきた。
その時自分はそこまで連れてきた彼らの名前を答えたはずだ。だが今はもう覚えていない。
ジュードがディラックと共に外に出ると、そこには誰もいなかった。戸惑いながらディラックを見上げると、彼は手紙を受付にいた女性に渡した。
彼女もまたそれを読むと驚いたように目を見開き、やがてジュードに可哀想に、と告げた。
「捨てられたのね、この子」
その時はまだその言葉の意味が分からなかった。だが、今ならわかる。
兄は、ジュードを捨てたのだ。
何故マティス夫妻を選んだのかはわからない。手紙に何が書いてあったのかもわからない。
だが、兄はいつまでたっても迎えには来なかった。それがジュードにとっては何より重要な事実だった。
そしてディラックはジュードの父となり、エリンと名乗った女性は母となった。
幼いジュードは最初は泣き喚いた。兄の名を呼んで泣いた。
だが結局は現実を受け入れるしかなかった。
ジュードは年の割に敏く、物わかりの良い子供だったので、ディラックとエリンを困らせる様な事はしてはいけないのだと理解していた。
ディラックとエリンは二人で診療所を切り盛りしていたので、ジュードはちょくちょく宿泊処ロランドで夕食をご馳走になった。
宿を切り盛りしているロランド夫妻にもジュードと同じ年の娘がいて、レイアと言った。
レイアは活発な子供で、大人しいジュードはいつも振り回されていたが、それでも今まで友達というものがいなかったジュードはそれが嬉しかった。
今でこそ仲の良い二人だったが、出会ったその日に二人は喧嘩をしていた。
ジュードが身に着けていた耳飾りを羨ましがったレイアが小さい方で良いから頂戴、と言ったのだ。
大人しい気性のジュードは、最初はやんわりと断った。
しかししつこいレイアに、とうとうジュードは怒りを露わにし、それにレイアもまた怒った。
怒る事に慣れていない上に人から敵意を向けられるという事も無かったジュードはすぐに泣き出した。
これはにいさまがくれたたからものなの。そう泣くジュードに、レイアも反省して謝ってきた。
それからレイアがジュードの耳飾りを欲しがる事は無くなった。母親であるソニアに怒られた事も効いているのだろう。
他の子供たちにはジュードの気の弱さと養女であるという事からからかわれたり、心無い言葉を浴びせられた事もあった。
けれどその度にレイアが庇ってくれて、ジュードはそんなレイアにどれほど救われたかわからない。
そして十二歳を迎えたジュードはラ・シュガルの首都イル・ファンへと旅立った。
医者となり、ディラックの後を継ぐためだ。血の繋がらない、ある日突然押し付けられた子供をここまで育ててくれた二人にジュードは報いたかった。
そして十五歳となり、研修医として毎日を忙しく過ごしていたジュードはハウス教授を探してラフォート研究所を訪れた。
そこでマクスウェルを名乗る女性、ミラと出会った。
廻り出した歯車の音を、ジュードは聞いた気がした。

 


ジュードは船の甲板で風に打たれながら深い溜息を吐いた。
「ア・ジュール行きだななんて……外国だよ……」
ああでも、とふと遠い記憶を呼び起こす。
もしかして、僕の生まれた所はア・ジュールのどこかなのだろうか。
少なくともイル・ファンではない。もうおぼろげな記憶しかないが、普通に日は昇って沈んでいた筈だ。
考えに耽っているとやがて夜域を抜け、青空が広がりはじめる。
ジュードを助けたアルヴィンという男は、流れの傭兵をやっているらしかった。
助けた礼が目当て、と臆面もなく言う男に、ジュードはお礼になるほどの金額は持ち合わせていないと首を横に振る。
ミラも右に同じで、アルヴィンはだったら値打ちもんでもいいぜ、とジュードを見た。
「例えば、おたくが着けてるその耳飾りとか」
「こ、これはダメ!絶対にダメ!」
ぶんぶんと首を横に振るジュードに、仕方ない、とアルヴィンは肩を竦める。
「ボランティアは好きじゃないんだけどねえ」
諦めてくれた様子のアルヴィンに、ジュードはほっと息を吐いた。
「君のその耳飾りだが……」
そういえば、と言うようにミラはジュードを見た。
「これがどうかしたの?」
「それは精霊の化石だな」
「え、そうなの?」
思わず耳元に片手を当てるジュードに、ミラが呆れたように言う。
「君は自分の身に着けているものが何なのかも知らないのか」
「これは……小さい頃に兄に貰ったもので、大切なものだとは思ってたけど……」
ミラはじろじろとその耳飾りを見ていたが、ふむ、と何かに納得した様に頷いた。
「右耳の方は小さすぎて何も感じないが、左耳の方は強いマナを感じるな」
「僕のお守りなんだ」
少し寂しそうに言うジュードにミラは小首を傾げた。
「そうか。大切にするといい」
「うん」
やがて船はイラート海停に辿り着き、ジュードは辺りをきょろきょろと見回す。
外国と言っても余りラ・シュガルと変わりはないようだった。
「ま、この辺はア・ジュールでも辺境地だしな」
「そうなんだ」
ジュードは地図に駆け寄るとそれを興味深げに見る。
すぐに発つのか、と問うアルヴィンに、いや、とミラが首を横に振る。
剣の手ほどきをしてほしい、と言うミラに、アルヴィンはいいけど、と考え込むように顎に手を当てる。
「だったら、依頼を受けながら実戦で覚えて行った方がいいんじゃないか?」
依頼を達成できれば剣の訓練にもなる上に報酬も手に入る。アルヴィンの言葉に、ミラはではそうしようと頷いた。

 

 

 

ニ・アケリアに辿り着いたジュード達はミラと共にミラが普段暮らしているという社に辿り着いた。
「あー肩凝った」
世精石の入った革袋をどすんと置いたアルヴィンは隣で同じように革袋を置いているジュードを見る。
「ジュード君も女の子の割に力持ちだよな」
「そうかな?でもやっぱり男の人には負けるよね。アルヴィンみたいに二つも持てないし」
ふふっと笑いながら世精石をミラの指示の通りに並べ、一歩下がる。
「これでいい?ミラ」
「ああ、ありがとう」
ミラが胡坐をかいて座り、四大精霊を召喚しようと術を使う。だが、ミラの呼びかけに四大精霊は現れなかった。
するとミラの巫子を名乗るイバルという青年が割り込んできたが、ミラは半ば無視してジュードを見た。
「だったら、四大精霊はあの装置に捕まった……?」
「四大を捕らえるほどの黒匣……」
ジュードの言葉にミラが苦々しげに呟く。
「あの時、私はマクスウェルとしての力を失ったのだな……」
「ミラ……」
ミラは立ち上がるとお前たちは先に村に戻っていろ、と告げた。
社の前で考え込んでいると、アルヴィンとイバルは先に村へと向かった。
「成すべき事……」
その後ろ姿を見送って、ジュードはぎゅっと拳を握りしめた。

 


ジュードと別れたアルヴィンはイバルとは別の方向へと進む。
イバルの方はアルヴィンの事など全く気にしてなかったので、易々と離れる事が出来た。
森の中に入って行くと、そこにはキジル海瀑でミラを捕らえていた女がいた。
「よお、プレザ」
プレザと呼ばれた女は険のある目でアルヴィンを見た。
「おいおい、睨むなよ。あの時はああするしかなかったんだよ」
「……まあいいわ。それで、鍵の在り処はわかったの?」
「それがガード固くてさぁ」
へらりと笑うアルヴィンに、プレザは一つ溜息を吐いた。
「そう。それと、あの一緒にいるお嬢さん、名前はなんていうの」
「へ?ジュードの事か?」
「姓は?」
「マティスだ。ジュードがどうかしたのか?」
「私は聞いてくるように言われただけよ」
それからプレザはアルヴィンといくつか言葉を交わすとその場を離れた。
ニ・アケリアを一望できる高台へ向かうと、そこには主である男と同志たちがいた。
「あの髪の長い女がマクスウェルか」
主である男がプレザを振り返らずに言う。
「はい、確かに四大の力は失っているようです。ただ、鍵の在り処はまだ……」
プレザの言葉に男はまあいい、と腕を組む。
「今は泳がせておいた方が都合が良かろう」
それと、とプレザは主の傍らに控える漆黒を纏った男を見る。
「隣のお嬢さん、ジュード・マティスって名前らしいわよ。あのお嬢さんに何かあるの?ウィンガル」
「ジュード……やはりそうか……」
ウィンガルと呼ばれた漆黒を纏った男はミラと並んで歩く少女の後ろ姿をじっと見つめる。
「ジュード……お前の妹か」
主の言葉に、ええ、とウィンガルが頷く。それにプレザがあら、と驚いた様に目を見開いた。
「あなたに妹がいたなんて」
「……今はもう縁を切っている」
遠目に見えたジュードの耳元には、変わらずあの耳飾りが日の光を反射して輝いていた。
約束、と差し出された小さな小指。柔らかな笑顔。
もう十年も昔の事なのに、今でも昨日の事のように覚えている。
「あの幼かった子供が……美しく育ったものだ」
「……陛下」
声が低くなったウィンガルに、男は下手な勘繰りはよせ、と告げる。
「お前は昔から妹の事になると視野が狭くなるな」
「……私はただ、あの子の幸せを祈っているだけです」
ウィンガルの言葉に、男はそうか、と頷くとアグリアから連絡は、とプレザに言う。
そこからは事務的な話になり、報告を聞きながらウィンガルは遠ざかって行く後ろ姿をもう一度じっと見つめた。

 


ハ・ミルでエリーゼと名乗る少女を連れていく事になった。
ミラはエリーゼの事はジュードに一任するとして余りエリーゼと関わろうとはしなかった。
だが、サマンガン海停へ向かう船の中で多少打ち解けたらしく、ミラが怒っているのではと思っていたジュードはほっと息を吐いた。
「足元、気を付けてね」
エリーゼの手を引いて船を降りると、ジュードは海停を見回す。
ハ・ミルまでラ・シュガル兵が来ていた割にはここにはいないようだった。
掲示板にジュードとミラの手配書が貼られている事に、ジュードは少し落ち込んだ。
サマンガン街道を進んでいると、ラ・シュガル兵による検問が行われていてジュード達は樹海を進むことにした。
そこでジャオと出会った。彼はエリーゼに戻ってくるように告げたが、エリーゼはジュードの陰に隠れてしまう。
ジャオは困ったように頭を掻くと、ジュードを見て言った。
「娘っ子をこちらに渡してはくれまいか」
「また、ハ・ミルに閉じ込めるつもりですか」
「娘、お前たちには関係のない事よ」
ジャオの言葉に、ジュードは関係あります、と声を荒げる。
「エリーゼは友達です!友達が不幸になるのを見過ごせません!」
むう、とジャオは豊かな髭を撫でた後、ではこうしよう、とジュードを見た。
「娘、お前も一緒にわしと来るが良い」
「え?」
その申し出にジュードは困惑する。ジャオはそうすれば娘っ子も寂しくなかろうとエリーゼに優しく言う。
「それに、お前もほとぼりが冷めるまで身を隠していた方が安全だ」
「どうして……」
「わしはな、お前の兄を知っておる」
「!」
ジュードがその蜂蜜色の瞳を大きく見開いて一歩前に踏み出した。
「兄様を知ってるの?!」
「ああ、よく知っておる」
「兄様は何処に居るんですか!」
だがジャオはそれは言えぬと首を左右に振った。
「じゃが、お前の兄はお前を案じておった。兄の為にも、わしと共に行こう」
「兄様……」
揺れるジュードの袖をエリーゼがぎゅっと握った。その感触にはっとする。
「……僕は一緒には行けません。エリーゼも、戻る事を望んでない」
強い視線に、ジャオは仕方あるまい、と武器を構えた。

 


ジャオから辛くも逃げ出したジュード達は街道を抜け、カラハ・シャールへと辿り着いた。
さすがにこの街中では襲ってはこないだろうとジュードは漸く肩の力を抜く。
骨董屋で知り合ったドロッセルという女性の家にお邪魔させてもらう事になったジュード達は、その豪邸に目を見開いた。
「あの……ここ、ですか?」
ジュードの戸惑いの滲んだ声に、執事だと言うローエンがええ、と微笑んだ。
屋敷から柔らかな雰囲気を纏った青年が出てくるとドロッセルが駆け寄っていく。
「お兄様!」
仲の良さげな兄妹に、ジュードは胸が痛むのを感じた。
樹海でのジャオの言葉を思い出す。ジャオは兄がジュードの身を案じていると言っていた。
あの優しかった兄がジュードを手放したのは何かの理由があるのだと、ジュードはそう信じて生きてきた。でなければ辛すぎた。
だが、それと同時にジュードの中には兄に捨てられたのだという思いもある。楽しそうな二人の姿にジュードは視線を落とした。
ドロッセルの兄であり、この街の領主だと言う青年はクレインと名乗った。クレインは優しげな笑顔でジュード達を邸内へと誘う。
その笑みに、兄の面影を重ねる。兄もこんな風に優しく笑ってジュードの手を引いてくれた。
ジュードがクレインをじっと見つめていると、アルヴィンが肩を抱いてきた。
「ちょっとジュード君、領主様がイケメンだからってまじまじと見すぎじゃないの?」
「え?あの、僕、そんなつもりじゃ……!」
顔を赤くして慌てるジュードに、クレインがくすりと笑う。その笑みにジュードはますます赤くなって俯いてしまった。
「ジュード君って領主様がタイプなんだ?」
「そ、そうじゃなくて!その……兄に、雰囲気が似てるなって、思って……」
ぼそぼそと言うと、まあ、とドロッセルが嬉しそうに手を合わせた。
「ジュードにもお兄様がいるのね!」
「うん……一応……」
ジュードがエリーゼとドロッセルの三人で話に花を咲かせていると、クレインが席を立った。つられるようにしてアルヴィンも出ていく。
ミラがちらりとアルヴィンを見たが、すぐにまたケーキを食べる事に夢中になった。
暫くしてジュードはアルヴィンが帰ってきていない事に気付いた。何処へ行ったのだろう、とジュードは席を立った。
「どうしたの?」
ドロッセルが不思議そうにジュードを見る。
「ちょっとアルヴィンを探しに行ってきます」
そしてジュードが外へ出ようとすると、ちょうどクレインが帰って来た。兵士を従えて。
「まだ、お帰りいただくわけにはいきません」
クレインは厳しい表情でジュード達がイル・ファンの研究所に潜入した事実を指摘した。
どうして、と眼を見開くジュードに、アルヴィンさんが教えてくれました、とクレインは言う。
「アルヴィンが……」
ミラとクレインがイル・ファンでの事を話すのを聞きながら、ジュードはどうして、と思う。
確かにアルヴィンは金で雇われているだけに過ぎない。だが、それでもジュードはアルヴィンを仲間だと思っていた。
つきりと胸が痛むのを感じてジュードは胸元に手を当てる。
あの時の痛みによく似ている。兄に捨てられたのだと知ったあの時と。
クレインはドロッセルの友人であるジュード達を捕まえるつもりはないと言った。だが、即刻この街から出て行くように、とも言った。
ジュードはミラと視線を交わすと、名残惜しそうなエリーゼと共に領主邸を出た。
宿屋の近くまで行くと、アルヴィンを見つけた。非難の目に晒されてもしれっとして情報を交換しただけだよ、と反省の色もなくアルヴィンは言う。
確かに情報は得られた。だが、もっと違う方法もあったはずだ。
するとラ・シュガル兵がジュード達に気付いて駆け寄ってきた。往来で堂々としすぎたようだ。
剣に手をやったミラにここは私が、と背後から声がかかる。
「ローエンさん!」
そこに立っていたのは、シャール家の執事であるローエンだった。
「ここは私にお任せを」
ローエンの手が閃き、数本のナイフが兵士たちを囲むように突き刺さる。動けなくなった兵士たちに一礼すると、ローエンはにこりと笑った。
「さあ、こちらへ」
街の外れまで来ると、さて、とミラがローエンを振り返る。
「わざわざ追って来たという事は、何か用があるのだろう?」
ローエンが頷く。ローエンによると先程ラ・シュガル王ナハティガルがやってきて民を強制徴用したらしい。
ナハティガルがどんな理由をつけて民を徴用したのかはわからないが、人体実験をする為と見て間違いないだろう。
徴用された民を救う為にクレインは屋敷を飛び出してしまったらしい。そのクレインを救う為、ジュード達に力を貸して欲しいとの事だった。
「行こう、ミラ」
「ああ。見過ごすわけにはいかない」
頷き合う二人の隣で、アルヴィンは面倒臭そうに肩を竦めた。

 


クレイン達を助け出したジュード達はクレインの好意でガンダラ要塞を抜ける手引きをしてもらえる事になった。
手筈が整うまで時間がある。どうしようか、と思っているとドロッセルがそうだわ、と手を叩いた。
「女の子みんなでお買い物に行きましょう!」
「みんな、というと私も、なのか?」
首を傾げるミラに、当然よ、とドロッセルが笑う。
「えと、僕は遠慮しておくよ」
苦笑してそう言うジュードに、えー!とドロッセルとティポが声を上げる。
「一緒に行こうよー!」
「そうよ、一緒に行きましょうよ」
しかしクレインが間に入って二人を宥めた。
「少しジュードさんたちに話があるから、買い物は三人で行ってきなさい」
「なら私も」
残る、と言おうとしたミラの腕をドロッセルとエリーゼが掴む。
「じゃあミラだけでも一緒に行きましょう!」
「行こう行こう!」
「ちょ、ちょっと待て、私は行くとは一言も……!」
二人にずるずると引きずられるようにして街へと向かうミラを見送って、ジュードはクレインにありがとうございます、と苦笑した。
気にしないでくれ、とクレインもまた微笑む。
「話があるっていうのも本当だからね」
「え?」
小首を傾げるジュードに、クレインはナハティガルの独裁をこれ以上は見過ごせない、と語った。
「反乱を起こすのか?」
アルヴィンの言葉に、ジュードは戦争になるの?とクレインを見る。
「僕は領主です。僕の成すべき事は、この地の民を守る事」
「成すべき事……」
「そう、僕の使命だ。力を、貸してくれませんか」
「ぼ、僕は……」
戸惑い、視線を彷徨わせるジュードに自分たちは同じ目的を持つ同志だとクレインは言う。
「ジュードさん」
手を差し出し、真っ直ぐに見つめてくるクレインを、ジュードは困惑の眼差しで見つめ返した。
ジュードの手がぴくりと震え、持ち上がろうとしたその時、鈍い音を立ててクレインの胸に矢が刺さった。
「え……」
ふっとクレインが倒れる。旦那様、とローエンがその倒れた体を抱き起した。
「早く治療を!」
ローエンの声にはっとしたジュードはクレインに治癒術をかける。背後でアルヴィンが発砲した音がした。
「クレインさん……!」
クレインの胸を染めていく赤に、ジュードは震えそうになる体を叱咤しながら術をかけ続けた。
だが、傷が深すぎて出血の勢いに術が追い付かない。術をかけ続けるのにも限度がある。
ジュードは一瞬気が遠くなった。術の使い過ぎだ。だがここで止めるわけにはいかない。
限界を超えてでも術をかけ続けるジュードに、クレインはありがとう、と弱々しく微笑んだ。
「だが……僕はどうやらここまでのようだ……」
クレインは後の事をローエンに託すと静かに目を閉じた。その目が再び開かれる事は無かった。

 

 

 

ガンダラ要塞で両脚を負傷し、歩けなくなったミラを連れてジュードはル・ロンドに来ていた。
エリーゼはローエンとドロッセルに任せ、アルヴィンにはついて行くことは出来ないと断られた。
ミラにはもう自分しかいないのだ。ジュードはミラから貰ったペンダントを握りしめ、弱気になっている自分を窘めた。
医療ジンテクスを使うには精霊の化石が必要と知った時、ジュードは己の耳飾りを差し出そうとした。
大切なものだったが、ミラを救えるなら。そう思った。だが医療ジンテクスに使うにはそれは小さすぎた。
どちらにしろ、それは君の大切なものだ。使うわけにはいかない。落ち込むジュードをミラはそう優しく慰めた。
ジュードはミラを連れてレイアと共にフェルガナ鉱山へと向かった。
「精霊の化石ってね、微かに音がするんだって」
レイアの言葉にあれ?とジュードは己の耳元に手をやる。
「ねえ、ミラ、僕の耳飾りの石って精霊の化石なんだよね?」
「ああ、そうだ」
「でも、音なんてしないよ?」
「見た限りではその銀の装飾に術式が組み込んであるようだ。それが何かしら作用を及ぼしているのだろう」
「へえ……」
大切なものだと兄は言っていた。ジュードを守ってくれるから大切にしなさいと。
確かに兄と離れてからのジュードの心の支えはこの耳飾りだった。思うだけ無駄だとわかっていても、これを目印にいつか兄が迎えに来てくれるかもしれないと希望を抱いた。
唯一兄と自分を繋いでいた、目に見える証だった。
そういえば、とふと古い記憶を掘り起こす。兄の他にももう一人、ジュードによくしてくれた男がいたはずだ。
兄の友人か何かだったと思う。大きな手で頭を撫でてくれたような覚えがある。
その男も確かジュードに耳飾りを大切にしろ、と言っていた気がする。何かの宝だからとか聞いた様な。
何だったっけ。考え込むジュードをレイアが緊張を帯びた声で呼んだ。魔物だ。
ジュードはミラに待ってて、と告げると駆け出した。

 


最深部で精霊の化石を取り込んでいる魔物を倒し、精霊の化石を手に入れたジュード達はル・ロンドに戻ってきた。
それから三旬。ミラはディラックのきついリハビリに耐え、医療ジンテクスもミラの体に大分馴染んできた。
三人で海停へと向かうと、そこでローエンとエリーゼに再会した。
翌日、ジュード達が船に乗ろうとするとそこにアルヴィンがやってきて共に行くことになった。
またみんなと旅ができる。不謹慎だとはわかっていたが、ジュードはそれが嬉しかった。
こんな風にみんなでわいわいと騒ぎながら過ごすのは初めてだ。ジュードがそう思っていると、近くにいた船員がうわっと叫んだ。
「どうしたんですか?」
駆け寄ると、船員は樽の中に、と樽を指さした。ジュードはひょいと中を覗き込み、ああ、と呆れ交じりの溜息を吐いた。
「……何、コレ」
アルヴィンの問いに、ジュードは僕の幼馴染、と乾いた笑いを漏らした。
レイアを加えたジュード達一行はガンダラ要塞を抜ける事が不可能だろうと言う事で、ファイザバード沼野を越えていく事になった。
ファイザバード沼野は様々な霊勢がぶつかり合う地で、通常ならば徒歩で抜けるのは無理だとされている。
だが今の時期ならば霊勢も穏やかになっているだろうと言うローエンに、もうそれしか方法はないのだろうとジュードは頷いた。
ラコルム海停からシャン・ドゥを目指していると、途中でイバルが現れた。
イバルからの情報でファイザバード沼野を越えるのは無理だと判明し、シャン・ドゥでワイバーンを借りる事にする。
シャン・ドゥに辿り着くと、さっそくワイバーンの檻へと向かった。
そこでワイバーンを管理しているキタル族のユルゲンスと出会い、闘技場で優勝すればワイバーンを貸しもらえる事になった。
「エリーゼ、どうしたの?」
きょろきょろと辺りを見回しているエリーゼに声を掛けると、エリーゼはここに来た事がある気がする、と呟く。
「おっきいおじさんに連れらて来た気が……します」
「エリーゼが前暮らしていた所ってこの辺なのかな?」
同じように見回しながら、ふとジュードは思い出す。そういえば、兄に手を引かれて歩いた街もこんな風に大きな石像のある街ではなかったか。
幼い頃のジュードは、今思えば箱入り娘だった。ろくに街にも出た事が無く、街に出る時は必ず兄が手を引いていた。
外へ一人では出てはいけない。それは兄に強く言われていた。
兄が単に過保護だったのか、何か理由があったのか。今となってはわからないが、それでもジュードは不自由を感じた事は無かった。
あれはこの街だったのだろうか。もう少し覚えていればよかったのだが。
そう思いながらもジュードはみんなと一緒に宿屋へと向かった。
翌日、大会でジュード達が勝ち進んでいくと、次の試合は昼食を挟んで行われる事になった。
だがそこで食事に猛毒であるメディシニアが混入されている事が判明し、場は騒然とする。
宿屋に戻って初めてジュードはミラからアルクノアという組織の存在を聞かされた。そして黒匣が精霊を殺すという事も。
だから、ミラは。ジュードはミラの強い眼差しを称えた横顔を見詰める。
ミラの助けになりたい。ミラを支えたい。ジュードは強くそう思う。
それこそが自分の成すべき事なのだと、そう思いたかった。

 


ワイバーンを飛ばすための許可を得るためにカン・バルクを訪れたジュード達は一先ず宿を取る事にした。
シャン・ドゥでも思ったが、ラ・シュガルとは全く違った趣の街に思わずジュードは辺りを不躾に見回してしまう。
王への謁見の手続きはユルゲンスに任せ、ジュード達は宿でのんびりする事にした。
さすがにモン高原での野宿は堪えた。暗い洞窟の中で女子四人で身を寄せ合って暖を取りながら夜を明かしたのは良い思い出、と言うには寒すぎた。
「エリーゼ、大丈夫?」
リーベリー岩孔以来ずっと塞ぎこんでいるエリーゼの隣に腰掛けると、ティポがすり寄ってきた。
「ねえジュード、ジュードも本当のお父さんとお母さんがいないんだよね?」
ジュードがマティス夫妻の養女である事はラコルム海停へ向かう船の中で少しだけ話していた。
そうだよ、とジュードが頷くと、エリーゼがぎゅっとジュードのスカートの端を掴んで見上げてくる。
「ジュードは、会いたいって、思ったりしました、か?」
「僕の場合は、ル・ロンドに来る前から本当の親がもう亡くなってるっていうのは聞いていたから」
それに、とジュードは耳飾りにそっと触れる。
「僕には兄がいたから、寂しくはなかったよ」
「でもそのお兄さんに捨てられたんだよねー?」
ティポの明け透けな言葉にジュードは苦笑する。
「何か理由があったんだって僕は思ってるけど……ううん、そう信じたいだけなのかもしれないね」
兄の事が好きだった。その想いが強ければ強いだけ、捨てられたという事実はジュードを傷付けた。
「僕はル・ロンドで今の父さんと母さんと出会って、レイアとも出会って、決して悪い事だけじゃなかったから今まで頑張ってこれたんだと思ってるよ」
「でも捨てられたことに変わりはないよねー。ジュード君は捨てられたー!エリーゼと一緒で独りぼっちー!」
ふよふよと漂うティポに、ジュードは曖昧に笑うしかできない。するとローエンがエリーゼさん、と窘めるように呼んだ。
「ご自分が傷付いたからと言って、ジュードさんを傷付けていいという事にはなりませんよ」
「……ジュード、傷ついた、です、か……?」
エリーゼがじっと見上げてきて、ジュードは本当の事だから、と苦笑する。
「でも、私、ジュードに酷い事……」
俯くエリーゼに、ローエンがちゃんと謝れば許してくれますよ、と微笑んだ。
「ジュードさんとエリーゼさんは友達なのですから」
ローエンの言葉に、エリーゼはごめんなさい、とジュードに謝る。
「許して、くれます、か……?」
おどおどと窺ってくるエリーゼに、ジュードは勿論だよ、と微笑んだ。
「これからも、僕の友達でいてくれるかな」
ジュードの言葉に、エリーゼは表情を明るくするとはい、と笑った。
すると扉が叩かれ、ユルゲンスが入ってきた。ワイバーンの許可は無事に貰えたらしい。
謁見に関してはすぐに登城してほしいとの事だった。
「王が君たちに興味を覚えたみたいだったよ。君たちはラ・シュガルじゃ有名人か何かなのかい?」
「ええと……」
ジュードが言葉を詰まらせる。確かに指名手配されているという立場である以上、ある意味で有名人なのかもしれないが。
しかしユルゲンスはまあいい、と笑って先にシャン・ドゥに帰っているよ、と言った。
「君たちが戻ってくる頃にはワイバーンが飛べるよう手配しておくよ」
ユルゲンスが去り、ジュードたちはどういう事だろうと顔を見合わせる。
「余り良い予感はしませんね」
ローエンの言葉に、ジュードもまた頷いた。そうかなあと首を傾げるレイアの後ろでアルヴィンが何か考え込んでいた。
「また隠し事か、アルヴィン」
ミラの指摘にさてね、とアルヴィンは誤魔化すように笑い、そんなアルヴィンをジュードもじっと見つめる。
「……アルヴィン、ウソは嫌、だからね?」
その言葉にアルヴィンは背を向けると、お前たちが俺を信じてくれているって事は知ってるよ、と低く告げた。
そしてジュード達が謁見の間に入ると、そこにはジャオがいた。
ジャオは自らを四象刃だと名乗った。四象刃という名に聞き覚えがある。確か王直属の四人の戦士の総称だ。ジャオがその一人だったとは。
すると玉座の奥の扉が重い音を立てて開かれた。現れたのは、赤と黒を基調にした鎧を纏った精悍な顔つきの男だった。
「!」
その背後に付き従って現れた漆黒を纏った男の姿にジュードは目を見開く。
まさか、と思う。だが、その男はジュードの記憶に残っている兄ととてもよく似ていた。似過ぎていた。
ちらりと男がジュードを見る。だがすぐにその視線をローエンへと移すとイルベルト元参謀総長、と呼んだ。
「お会いできて光栄だ」
「まさかア・ジュールの黒き片翼……革命のウィンガル」
ウィンガル。ジュードはその呼称に聞き覚えがあった。ジュードは兄の事を違う名で呼んでいたが、周りの人間は兄の事をそう呼んでいた気がする。
そんな、もしかして。ミラとガイアスが言葉を交わす中、ジュードは食い入る様にウィンガルを見ていた。
だがウィンガルの視線がジュードを見る事は、無かった。

 


ガイアス城を脱出して街の中を駆け抜けていたジュード達は、プレザとウィンガルに阻まれて足を止めた。
アルヴィンを信じた方が悪いのだと笑うプレザの背後で、ウィンガルがミラを見る。まるでジュードなど視界に入っていないといわんばかりのそれに、ジュードは拳を握りしめた。
兄によく似ている。だが、そんなはずない。いや、だがジャオは兄を知っているといっていた。それは、つまり。
「……リイン、兄様……?」
ジュードの声に、ウィンガルがちらりとジュードを見た。
「……その名は捨てた」
「兄様、兄様なんですね!ジュードです、あなたの妹のジュードです!」
だがウィンガルは剣を抜くとその切っ先をジュードへと向けて告げる。
「我が名はウィンガル。俺に妹などおらぬ」
ウィンガルが纏う闘気が膨れ上がり、弾けた瞬間、彼の髪がさあっと白く染まっていく。
「マナが急に……!」
「まさか、増霊極!」
『大人しくしろ。逆らうのであれば斬る!』
言語の切り替わったウィンガルに、ローエンがこれはロンダウ語、と呟く。
ジュードはウィンガルが何と言ったのか、何故か理解できた。やはり自分は。そして、彼は。
彼はリインの名を捨てたと言った。恐らくは、同時にジュードの事も捨てたのだ。そういう事なのだろう。
ずっと待っていた。兄が迎えに来る日を。いつかの様にまた手を引いてくれる日を。
だが。
「僕は、捕まるわけにはいかない!」
所詮、それはただの夢でしかなかったのだ。ジュードの中の優しい記憶が生み出した、願望という名の儚い夢だったのだ。
『ならば死ね!』
剣を振ったウィンガルに、ジュードは拳を構えた。

 


隙をついてカン・バルクを逃げ出したジュード達は急いでシャン・ドゥへと戻った。
ユルゲンスに何か報せが行っているかと思ったが、その心配はないようだった。
今の内にワイバーンで発とうというミラに頷くと、アルヴィンが追いついてくる。
まだ俺の事、信じてくれるよな。そう肩を抱いてくるアルヴィンに、ジュードは俯く事しか出来ない。
アルヴィンの裏切り、兄の存在。それらがジュードに重く伸し掛かる。
それでも前に進むしかない。ジュードはミラの後についてワイバーンの檻へと向かった。
ワイバーンは易々と操縦されてはくれなかった。それでも何とか空を駆けていると、突如として巨大な魔物が現れてジュード達はどこかの街に落ちた。
そこで魔物を倒し、漸く周りを見回す余裕が出来たジュードは見覚えのある景色にここは、と呟く。
「カラハ・シャール!」
駆けつけたドロッセルにワイバーンの治療ができる人がいないか探してもらう事にして、ジュード達は一先ず領主邸へと向かった。
ドロッセルの好意に甘え、今夜は領主邸に泊まらせてもらう事になった。
エリーゼはドロッセルと一緒に寝るのだそうで、久しぶりの楽しそうなエリーゼの様子にジュードは少しだけ微笑んだ。
その夜、眠れずにいたジュードはとうとうベッドから抜け出すと階下へ降りる。エントランスホールの窓辺にアルヴィンが立っていた。
柱に凭れ掛かって夜空を見上げているその横顔を見ていると、視線に気付いたのかアルヴィンがジュードを見た。
「よう、優等生」
アルヴィンへと近づくと、ジュードは怪我はもう良いの?と問う。
「おたくが治療してくれたからな」
「本当に大丈夫?」
「俺って信用されてねえなあ。まあ、仕方ないか」
アルヴィンのおどけたような言葉にそんなこと、と俯く。そんな事ない、とはっきり言い切れない自分が何だか悔しい。
「あれま。俺に助けられてすっかり俺の虜になっちまったか」
ジュードは呆れたように一つ溜息を吐く。
「……アルヴィンは嘘吐きだけど、僕の言葉はいつも信用してくれた」
「そういう手口なのかもしれないぜ?」
ひょいと肩を竦めるアルヴィンを、なんでそういう事、とジュードは睨みつける。
「優しくして付け入って、利用するつもりかもしれないんだぜ?」
「……アルヴィンは、僕に信じて欲しいの、欲しくないの」
「……さあ、どっちだろうな」
俺にもわかんねえよ、と視線を再び窓の外に向けるアルヴィンに、ジュードはすぐそうやって誤魔化して、と俯く。
ぱた、と床に水滴が落ちてアルヴィンがぎょっとしてジュードを見た。
「おたく、何泣いてんの」
「泣いてなんかない。僕は、怒ってるんだよ」
ぱたぱたと雫を零すジュードに、思い切り泣いてるじゃねえか、とアルヴィンが溜息を吐く。
「みんな、自分勝手だ。アルヴィンも、兄様も……!」
ぎゅっと拳を握りしめると、ぐいっと肩を引き寄せられた。え、と思った次の瞬間、ジュードはアルヴィンに抱きしめられていた。
「アル、ヴィン……?」
「誰だって、自分勝手なんだよ。誰も彼もおたくみたいには受け入れられない」
「僕だって、全部を受け入れてなんて、ないよ……」
はらりと零れた涙がアルヴィンのシャツを濡らす。
「僕だって、アルヴィンに裏切られて悲しかったんだから……」
「それより悲しい事、あったんだろ」
吐き出しちまえよ、と囁かれるそれにジュードはくしゃりと顔を歪め、額をアルヴィンの首筋に押し当てた。
「……僕、やっぱり捨てられたんだね……ずっと認めたく、なかったけど……」
兄様、と震える声で呟くジュードの体を、アルヴィンはずっと抱きしめていた。

 



どうして、こんな事に。ジュード達は戦場と化したファイザバード沼野を駆け抜けながら思う。
ナハティガルは最後にローエンの思いを受け入れてくれたようだった。だが、何者かによって殺された。
そして始まってしまった二国間の戦争。増霊極で霊勢を安定させているとはいえ、雨でぬかるんだ地面は少しの油断で脚を取られそうになる。
混戦状態のファイザバード沼野は酷い有様で、ジュードは歯を食いしばって駆け抜けた。
「あれは……!」
ラ・シュガル兵に囲まれているジャオとプレザ、そしてウィンガルを見つけたジュード達はそちらへと駆け寄った。
ジュード達が辿り着く頃には彼らは包囲していたラ・シュガル兵を一掃しており、余裕さえ滲ませてこちらを見た。
「来たか、マクスウェル」
相変わらずウィンガルはミラを見据えており、ジュードを見ようともしない。
頭では納得しているつもりだったが、それでも心がついていってくれない。
場を考えずウィンガルに詰め寄りたい衝動に駆られながら、ジュードは視線をウィンガルから逸らした。
「槍は我らが、陛下の力として貰い受ける!」
剣を抜いたウィンガルがジュードを見た。
「お前は下がっていろ。お前を手にかけるのは本意ではない」
ウィンガルの言葉に、ジュードは強い視線で兄であった男を睨んだ。
「あなたにとって僕がもう妹でも何でもないのなら、そんな言葉、欲しくない!」
ジュードは拳を打ち合わせると静かに構えた。
「ミラの、マクスウェルの邪魔はさせない!」
ウィンガルの纏う闘気が爆発的に強まり、またあの白髪へと変わっていく。
『ならば来い!』
戦うしかないのだ。ジュードは迷いを断ち切る様にして地を蹴ると拳を繰り出した。

 


倒れ伏したウィンガルに、ジュードは戸惑いながらも歩み寄った。
傍らのジャオが膝をついたままウィンガルの脈を取る。
「死んでは、おらぬか……悪運が強い男じゃ」
「……兄様の増霊極は、脳に埋め込まれているんですか」
ジュードの問いに、ジャオはそれがこの男の望みだったのだとウィンガルを見下ろす。
「陛下のお役に立つ事。それが我らの使命であり成すべき事。その為に必要な事だったのじゃ」
「成すべき、事……」
ジュードは己の耳飾りに手を添え、俯いた。
「ジュード、行こう」
ミラの声にはっとして振り返る。真っ直ぐに見つめてくる視線に、ジュードはこくりと頷いてミラの傍らに立つ。
「あと少しだ」
「うん」
再びぬかるんだ大地を駆け抜けていくと、目指す場所に赤と黒の鎧を纏った男がこちらに背を向けて立っていた。ガイアスだ。
「ウィンガル達は敗れたか」
ガイアスの緋の眼がジュードを捉える。
「ジュード・ロンダウ……さすがはロンダウ最強と予言されし戦乙女、といった所か」
「僕はジュード・マティスだ!もう、ロンダウなんて関係ない!」
身構えるジュードの傍らにミラが立つ。
「ガイアス、クルスニクの槍は諦めろ」
ミラの言葉にそれは出来ぬとガイアスは突っぱねる。力を己の元に集約し、リーゼ・マクシアを平定する事が己の使命だとガイアスは語る。
だがミラとて引くわけにはいかない。どうしても退かないのだな、と剣に手をやるとガイアスが振り返った。
「退かぬ!」
長剣を構えるガイアスに、ミラもまた剣を構えた。

 


クルスニクの槍が発動し、空に穴が開いてそこから空を駆ける船が現れた。
逃げる際に爆破に巻き込まれ、ジュード達は吹っ飛ばされてしまう。
気絶して倒れているジュードに歩み寄ってきたのは、アグリアとプレザだ。
「ちっ、しぶといなこの女」
アグリアが気を失っているジュードの頭を踏みつけようとした瞬間、プレザがやめなさい、と止めた。
「その子、ウィンガルの妹よ」
「マジで!」
「ウィンガルに殺されたくなかったら止めておくのね」
アグリアはちっと舌打ちして足を下ろした。
「アグリア」
背後から掛かった声にアグリアの背がしゃきりと伸びる。ウィンガルを伴ったガイアスはジュードを見た後、辺りを見回した。
「マクスウェルはいるか」
ウィンガル達もまた辺りを見回すが、ジュード以外の人の姿は見当たらない。
「いえ、一人のようです」
すると地面が揺れ、ジュードのいる辺りが崩れ始める。
「ジュード!」
咄嗟にウィンガルが地を蹴るが間に合わない。
大きく崩れたそこに吸い込まれていくジュード。ファイザバード沼野は無数の流沼が交じり合う地。流沼に飲まれたら余程運が良くない限り待っているのは死だ。
その瞬間、流沼へと落ちていくジュードの耳飾りが強い光を発して辺りを照らした。
「何!」
その強烈なまでの光の奔流に視界を奪われたウィンガル達は、やがて収まった光の先に巨大な鳥が羽ばたいているのを見た。
その足にはジュードが鷲掴まれている。
「お前は……光の大精霊、アスカか……!」
ウィンガルはジュードの耳飾りが何なのか知っていた。代々ロンダウ族の族長に受け継がれていた大精霊の化石。それがジュードの耳飾りの正体だ。
ここ数百年の間では姿を現す事のなかったという光の大精霊アスカ。
銀の装飾には身につけた者のマナを化石に供給し、力を蓄えさせる術式が組み込まれている。同時に、召喚するための術式も組み込まれていた。
だが装備者の意識が無いにも関わらず現れたその大精霊はゆっくりとジュードをウィンガルの前に横たえると、その泥で汚れた頬にまるで甘えるように頭をすり寄せて耳飾りの中へと戻って行った。
「あれがロンダウの秘宝の力か」
ガイアスの言葉に頷いて、ウィンガルはジュードを抱きかかえた。泥で服が汚れる事など、全く気にならなかった。

 


夢を見た。不思議とそれが夢だとジュードは自覚していた。
まだ幼い自分は兄に手を引かれ、シャン・ドゥの街を歩いている。嬉しくて嬉しくて、ジュードは兄を見上げて笑った。
ジュードと同じ漆黒の髪を揺らして、兄もまた優しく笑う。その顔は、ウィンガルのものだった。
そこに一人の男がやってきて、ジュードの頭を優しく撫でた。自分はその男の事も好きだった。
見上げると、ジュードを見下ろしていたのはガイアスだった。
「っ」
はっとして目を覚ます。見知らぬ天井がジュードの視界に広がっていた。
「……う……」
起き上がろうとすると全身が痛んだ。そうだ、確か僕は吹っ飛ばされたんだ。
ここはどこだろう。ゆっくりと身を起こして部屋を見渡す。そう広くはない部屋にベッドが三つ。その真ん中のベッドにジュードはいた。
不意に扉が開き、一人の男が入ってきてジュードは目を見開く。
「ガイアス……」
「目が覚めたか」
ガイアスの手にはジュードの上着とスカートが畳まれていた。え、と思って自らの体を見下ろすとジュードは下に着ていたシャツ一枚の姿で、下半身も辛うじてスパッツを身に着けた姿だった。
「随分と泥で汚れていたからな。洗濯をさせた」
乾いているはずだ、と渡されたそれを受け取り、ジュードはえっと、とガイアスを恥ずかしそうに見る。
「ありがとう……」
ぼそぼそと囁かれたそれに、ガイアスは構わん、と返して隣のベッドに腰掛けた。
「体の方はどうだ」
「あちこち打撲はあるみたいだけど、大丈夫だよ」
「そうか」
ガイアスは頷くとじろじろとジュードを見た。居心地の悪さにジュードが視線を彷徨わせると、お前は、とガイアスが告げた。
「兄に捨てられたと思っているのか」
「……」
その言葉にジュードは無言で俯く。
「……ロンダウ族には生まれてきた赤子に宣託を下す習慣がある」
「え?」
突然のそれにジュードが顔を上げると、ガイアスは腕を組んでじっとジュードを見詰めていた。
「お前はロンダウ最強の戦乙女となるだろうと宣託を受けた」
「僕、が……?」
そういえばファイザバード沼野でもガイアスはそんな様な事を言っていた。
「だが実際のお前は余りにもか弱く、あの激化する戦の中を生き抜けるとは思えなかった」
「……だから、兄様は……?」
お前の兄の願いは一つだ。ガイアスは静かに言う。
「お前が平和に、幸せに生きる事。それだけをお前の兄は願っている」
「だったら、どうして……!」
カン・バルクで、ファイザバード沼野で兄は自分に剣を向けた。少しでも油断していたら今頃本当に斬り殺されていただろう。
「お前の兄にも成すべき事があり、曲げられぬものがある」
「……成すべき事……」
「ジュード、お前の成すべき事とは何だ」
ガイアスの強い眼差しに圧され、ジュードは思わず視線を逸らす。
「……僕はミラの、マクスウェルの願いを叶えてあげたい……だから……」
「それはただの依存だ」
はっきりと切り捨てるように言うガイアスにジュードの肩が揺れる。
ジュードとて気付いていないわけではなかった。だが、ミラと共に在る事、それが己にとっての成すべき事なのだと信じていたかったのだ。
「お前はマクスウェルについて行くしか道が無かった。だから何をするにもマクスウェルありきで考える」
ジュードはぎゅっとシーツを握りしめると、だったらどうだって言うの、と低い声で言う。
「僕がそうだったからって、あなたには関係ないででしょう!」
だがジュードのその言葉にガイアスは関係ある、と否定した。
「お前は我が妻となる身だ。いつまでもマクスウェルに依存していてもらっては困る」
「……は?」
今この男は何と言った。誰が、誰の妻になる、と?
目を驚きに見開いてガイアスを凝視していると、お前が言い出したことだぞ、と小首を傾げて言った。
「お前の方から将来は俺の妻になると言ってきたのだ」
「え、あの、それ、いつの話……」
「十年前だが?」
「あの、僕、十年前って言ったらまだ五歳なんですけど……」
それは所謂、子供によくある大きくなったら誰々と結婚するの、の類ではないのか。
だがガイアスは真顔のまま約束は約束だと言う。
「約束通り俺はお前が成長するまで誰も娶らなかったぞ」
「いや、あの、例え本当にそんな約束を交わしていたとしてですね、僕が養女に出された時点でそれはもう無効なのでは……」
しかしそれにもガイアスはそんな事は問題ではない、と告げる。
「お前が十八の歳を迎えるまでにこのリーゼ・マクシアを平定し、ル・ロンドに迎えに行くつもりだったのだが……」
何故お前は大人しくしていなかったのだ、と若干責める様な色を滲ませて言うガイアスに、ジュードはええと、と考える。
夢に出てきた兄の友人だと思っていた男は、本当にガイアスだったのかもしれない。
夢の中のジュードは兄と同じようにその男の事が好きだった。あれが本当にあった事ならば、幼い自分がそんな事を言っていてもおかしくはない。
だが、どちらにしたって子供の言う事だ。真に受ける方がどうかしている。
何と返答するべきかと迷っていると、扉が開いてウィンガルが入ってきた。
「……陛下、何故ここに」
ウィンガルはスープの満たされた深皿とパンの乗ったトレイを手に、主を睨み付けた。
「着替えを渡しに来たのだ」
「ジュードの事はプレザに一任してあったはずですが」
「プレザも忙しかろうと思ってな。俺が引き受けた」
「あなたは王です。そのような事は他の兵にお任せください」
何故かガイアスとウィンガルの視線がぶつかり合って火花を散らしている。
ジュードがきょとんとしていると、ウィンガルはベッドサイドのチェストの上にトレイを置き、食べなさい、と告げた。
「あ、りがとう、ございます……」
俯いてしまうジュードを見下ろしたウィンガルは、ガイアスへと視線を戻すと陛下も部屋にお戻りください、と言う。
「俺はまだジュードと話を」
「陛下」
「……」
「……」
二人は無言で睨み合っていたが、やがてガイアスが折れる形で幕を閉じた。
今は退こう、と告げてガイアスは立ち上がるとジュードの頭をその武骨な手で撫でて去って行った。
それは記憶にあった手と同じ温かさを宿していて、ジュードは出ていく男の背を見送る。ウィンガルもまた、ガイアスの後に続いて部屋を出て行った。
扉が閉じられると一人きりになる。ジュードはベッドから降りると上着とスカートを纏い、ウィンガルが持ってきてくれた食事に手を付けた。
豆と僅かな野菜の入ったそのスープは、質素ながらも美味しくて。
その素朴な味に何故か昔の記憶が刺激されたが、その理由がわからぬままジュードはスプーンに口をつけた。

 

 


 

ミラが死んで、ジュードは暫くの間自失状態だった。だが、レイアのおかげで立ち直る事が出来た。
本当のマクスウェルを探すという目的を見出したジュードは、レイアと共にハ・ミルを出ようとする。
するとそこでローエンとエリーゼと再会し、ローエンの提案でまずはイル・ファンへと向う事にした。
イル・ファンでガイアスと会い、クルスニクの槍を引き上げる船に同船させて貰える事になった。
船の上でジュードはガイアスにマクスウェルを探す意思を伝えた。
そして、エレンピオスに侵攻する意思を固めつつあるガイアスに、ジュードは首を緩やかに横に振る。
「どっちかが犠牲になるとか、そうじゃないと思うんだ」
断界殻を無くしてみんな助ける。それが、自分の成すべき事なのだ。
「僕は、そうしたいんだ」
「お前……」
「……」
ガイアスとウィンガルが驚いた様にジュードを見る。
ジュードという少女はいつも控えめで大人しく、自分の意見を主張する事など出来なさそうな少女だった。
ミラに依存し、ミラをまるで崇めるようにして見つめていたその瞳は今は強い意思に溢れている。
ガイアスはふっと表情を和らげる。そうだ、それでこそ。
「ジュード、これが終わったらお前は俺の」
「陛下。間もなく到着します。ご準備を」
ガイアスの言葉を遮って告げるウィンガルをガイアスがちらりと見る。
「……うむ」
踵を返して去っていくガイアスとそれに付き従うウィンガルの後姿を見送り、ジュードは首を傾げた。
ガイアスは何を言おうとしたのだろう。まあ、後でまた聞けばいいか。ジュードはそう思いながらレイアと共に船首へと向かった。

 


飛び去ったミュゼとそれをワイバーンで追ったガイアスを追いかけて、ジュード達はイラート海停に降り立った。
すると途端にウィンガルの指揮の元に兵士達が現れ、ジュード達は囲まれた。
「どうして……」
エリーゼが怯えるように一歩退く。
「ちゃんと理由、聞かせてくれるんですよね……?」
ジュードの戸惑いに満ちた視線に、危険だからだ、とウィンガルは告げる。
「ジュードさんをマクスウェルに会わせたくない。そういう事ですか」
ウィンガルはローエンをちらりと見ると、再びジュードを真っ直ぐに見つめた。
「お前の指名手配は取り消した。ル・ロンドに戻りなさい。お前が世界の明暗に関わる必要はない」
一方的なその言葉に、ジュードはぎゅっと拳を握りしめる。
「またそうやって僕を邪魔者扱いして……!」
「……そうではない」
ウィンガルの表情が初めて戸惑うような色を僅かに見せた。
「……お前が心配なのだ」
「!」
視線を逸らし、低く呟くように告げられたそれにジュードが目を見開く。
「……兄、」
「決して逃がすな」
ジュードの声を拒むように兵士達にそう告げると、ウィンガルは海停を立ち去った。
「……」
ウィンガルの姿が完全に見えなくなった途端、それまで大人しく従っていたローエンが兵士の一人を手刀で気絶させる。
それに呼応するようにレイアとエリーゼもまた兵士を次々と倒していき、ジュードがぽかんとしている内に全員倒してしまった。
「さあ、ガイアスさんたちを追いましょう」
にこりと笑うローエンに、ジュードは引き攣った笑いを浮かべた。

 


ミラが腕の中に温かさを感じながら目を覚ますと、ジュードが腕の中で眠っていた。
柔らかい感触にミラは微笑むと、そっとその漆黒の髪を撫でる。さらさらと心地よい感触に目を細めながら、ミラはジュードの頭に顔を摺り寄せた。
精霊界を彷徨っている間、ずっとジュードの声が聞こえていた。ミラ、と呼ぶ声がミラを導いた。
出会った頃は頼りない少女という印象だったが、今は違う。
「……ジュード」
小さく呟いてミラはジュードを抱き寄せる。
「ん……」
それに応えるようにジュードは微かに声を漏らし、ミラの首筋に顔をすり寄せてきた。その腕もミラの腰に回される。
「……ただいま」
「……ぅ……」
もぞりとジュードが動き、蜂蜜色の瞳が瞼の下から現れてミラを捉えた。
「……ミラ……?」
「おはよう、ジュード」
「……え!なんで僕、ミラと一緒に寝てるの!」
飛び起きんばかりのジュードをまあまあ、とミラは押さえ付けて抱きしめる。
「良いではないか。ジュードは柔らかくて温かくて、気持ちが良いな」
それに良い匂いがする、と言えばそれは多分洗剤の匂いだと思う、とジュードがぼそぼそと恥ずかしそうに言う。
すると扉が開く音がして、複数の足音が聞こえた。
「おや、お邪魔しちゃった?」
アルヴィンがにやっと笑い、ジュードは今度こそ飛び起きた。
「みみみみんな!」
動揺するジュードとは真逆に、落ち着き払ったミラもまた起き上がるとアルヴィン達を見た。
「おはよう、ミラ、ジュード!」
レイアが元気よく手を振る。体は平気?と問われ、大丈夫だけど、と困惑気味にレイアを見る。
「ここは?」
「バランさんのお宅です」
ローエンの応えに、しかしジュードは首を傾げた。
「バラン?」
するとアルヴィンが俺の従兄だよ、と告げた。
「エレンピオスの、な」
その言葉にジュードは辺りを見渡す。窓の外には見慣れない建造物。
「じゃあ、ここって……」
「僕たち、エレンピオスにいるんだよ!」
ティポの言葉にやはりと思う。すると家主であるバランも戻ってきて、食事の準備をするからその間に外でも見ておいで、と言われた。
バランは右足が不自由らしかった。それを黒匣で補助して漸く歩けるのだという。
黒匣が破壊を生み出す姿しか見てこなかったジュードは、物珍しげにバランの脚のそれを見た。
街に出てみると、街中に黒匣が溢れていた。
リーゼ・マクシアにいた時は考えもしなかった。黒匣が兵器ではなく、人の助けとなるなどと。
一通りトリグラフの街を見て回ったジュード達はバランの部屋へと戻った。バランはヘリオボーグ基地という所へ行くと言って出て行った。
ヘリオボーグ基地は黒匣の研究を行っているらしい。ジュード達は食事を終えるとヘリオボーグ基地へと向かう事にする。
するとそのヘリオボーグ基地が攻撃を受けたと街の人間が騒いでいた。
話を聞けば、襲った者たちは黒匣を使わず算譜法、つまり精霊術を使うのだと言う。まさか、と顔を見合わせる。
「ヘリオボーグ基地へ急ごう!」
頷き合い、ジュード達はトルバラン街道へと出た。

 


ヘリオボーグ基地を襲ったのは、やはりガイアス達のようだった。ジュード達が屋上へと向かうと、そこでは源霊匣ヴォルトが暴走していた。
雷を操るらしく、その攻撃範囲は広かった。近づく事すらまともに叶わず、ジュード達は苦戦を強いられる。
何とかしなくちゃ。でも、どうやって。ジュードが電撃を飛びのいて避けると、不意に頭の中で声がした。
『アタシを呼びなさい』
「え?」
「ジュード!」
動きの止まったジュードに電撃が襲いかかる。アルヴィンが庇ってくれなかったら危なかった。
「何ぼさっとしてんだよ!」
「ご、ごめん!」
攻撃を避けながらも声は続く。
『アタシならあの子を止めてあげられる。アタシを呼ぶの』
その低い声にジュードはふっと一つの名が浮かんだ。なぜその名が浮かんだのかはわからない。だが、確信していた。
それが、ずっとジュードと共に在った存在である事を。
「アスカ!」
その声に呼応するように耳飾りが強い輝きを発し、ばさりと羽ばたく音が聞こえた。
「なっ……これは!」
ミラが驚きの声を上げる。その強い力の奔流に源霊匣ヴォルトも攻撃の手を止めた。
現れたのは、巨大な白い鳥だった。それが甲高い鳴き声を上げると光の柱が無数に立ち上り、それが源霊匣ヴォルトを貫いた。
源霊匣ヴォルトを覆っていた球体が消え、少年のようにも見える体がばたりと倒れる。
「凄い……」
一撃で源霊匣ヴォルトを倒した巨鳥は、ジュードの前に舞い降りると低いが媚を含んだ声でジュードを呼んだ。
『止めてあげたわよ、ジュード』
「えっと……ありがとう、アスカ」
アスカと呼ばれた精霊は、甘えるようにジュードに頭を擦り付けてもっと褒めて頂戴よとねだる。
「うんと……よくやったね、良い子」
ジュードがその頭を撫でると、アスカは一層機嫌を良くして嬉しそうに喉を鳴らした。
『ああん、ジュードってば本当に可愛いんだから!』
「……どゆこと、これ」
アルヴィンの声に、ジュードも困惑気味にアスカを見る。
「アスカ、アスカは僕の耳飾りに宿っていたの?」
『そうよ、ずっとジュードの傍にいたのよ。今まではマナが足りなかったからろくに話も出来なかったけど、もう大丈夫』
ジュードはアタシが守ってあげるわ。そう言ってアスカはその大きな翼でジュードを包み込む。
「ねえ、アスカ。そういえばアスカはどうやって実体化してるの?」
ジュードの問いに、アスカは耳飾りの銀細工よ、と答えた。
『銀細工に術式が組み込まれているの。まあ、簡易版源霊匣って所ね』
アスカの言葉にジュードはその耳飾りに手を添える。兄がこの石が何なのか知っていてジュードに託したのであれば、それは。
何て遠回しの愛情なのだろう。きっと兄は遠ざける事でしかそれを示す事が出来ないのだ。自分の傍らは危険なのだと信じて。
「兄様……」
俯くジュードを慰めるように頭を擦り付けていたアスカははっとした様に頭を上げた。
「アスカ?」
ジュード達がつられるようにアスカの視線の先を見ると、不意にその空間が裂けてミュゼを従えたガイアスが現れた。
「ガイアス!ミュゼ!」
「こんな所で会うとはな」
「やっぱりエレンピオスに来ていたのね」
倒れ伏す源霊匣ヴォルトを見おろし、使えんか、とガイアスは言う。
「やはりこの世界の黒匣を一掃するしか無いようだな」
だがガイアスのそれでは、黒匣を無くせば苦しむ者たちを無視する事になる。
「弱い人間はガイアスが守ってくれるわ」
ミュゼの自信に満ちた声に、ふん、とアスカが鼻を鳴らした。
『そうやって理想を押し付けるんじゃ、何の意味もないと思うけどねえ』
「光の大精霊アスカ、あなたも大精霊の一翼ならばそんな子ではなくガイアスに力を貸した方が良いと思うけれど?」
ミュゼの言葉に冗談じゃないわ、とそっぽを向く。
『そんな男、アタシの好みじゃないわ。その点、ジュードはアタシの理想そのもの。アタシはジュードに力を貸すわ』
「そんな理由で人に従うなんて、意外と頭が弱いのね」
『目的を見失って偶々近くにあった力に縋ってるアンタよりは遥かにマシだと思うけどぉ』
「なんですって!」
「ミュゼ、少し黙っていろ」
ガイアスの言葉にミュゼは悔しそうに顔を歪めた後、御心のままに、と従った。
「ジュード、ミラ。俺の理想がわからぬお前たちではないだろう」
ガイアスの言葉に、ジュードは首を横に振る。
「人が自由に生きるために、黒匣は必要なんだ!」
「お前のそれは可能性だけを語る恣意的なものにすぎん!」
「それでも、僕は……!」
「ガイアス、これ以上ここにいても無意味です。行きましょう」
「……うむ」
ガイアスはジュードを見詰めていたが、やがて踵を返してミュゼと共に裂けた空間の中へと消えて行った。
「ガイアス……」
小さくその名を呼ぶジュードを見下ろしていたアスカは、もう一度だけ頭をすり寄せると一筋の光となってジュードの耳飾りの中へと戻った。
それに手を当てると、仄かな温かさを放っていて。ジュードはその温かさを感じながら、そっと瞑目した。

 


ヴォルトのような大精霊クラスは無理だとしても、微精霊ならば使役が容易であるという事実はジュードに一筋の光を与えた。
けれど、もうガイアスにはその言葉は届かないだろう。戦うしか道はないのだ。
バランのマンションの屋上でミラと言葉を交わし、ミラが去った後もジュードはそこでじっと夜空を見上げていた。
ガイアスとも、兄ともまた戦わなければならないのだ。昔の優しい記憶が甦るが、ジュードはそれを振り払う様に首を横に振る。
ふと気配を感じて振り返ると、そこにはガイアスが立っていた。
「ガイアス!」
ガイアスはジュードの前まで歩み寄ると、手を伸ばしてジュードの頬に触れた。
「ガイアス……?」
「明日、我らは黒匣を一掃する作戦に打って出る」
「……それをわざわざ、伝えに来たの?」
見上げた先で、緋色の眼が僅かに揺れたように見えたのは、ジュードの気のせいなのかもしれない。
ガイアスの手がするりと頬を撫で、そして肩を掴んで引き寄せた。とすん、とジュードの体はガイアスの腕の中に閉じ込められる。
「ガイアス……」
「ジュード……俺の目指す世界はお前たちの目指す世界とは異なる」
だが、とガイアスはジュードを抱きしめて言う。
「今ならまだ間に合う。お前はリーゼ・マクシアへ帰れ。事が終われば迎えに行く。今度こそル・ロンドで大人しくしていろ」
しかしジュードはそんなガイアスを見上げ、それは出来ないよ、と僅かに微笑みを浮かべる。
「ガイアスが成すべき事を決めたように、僕だって自分で決めたんだ。それを諦めるわけにはいかないよ」
ガイアスは、優しいね。そう囁いてジュードはガイアスにすり寄る様に頬を胸板に寄せ、その広い背に腕を回した。
「ここまで来ても、それでも戦わずに済む道を示してくれた」
僕は、それだけで十分だよ。穏やかに言うジュードに、ガイアスは顔を寄せる。
夜の冷気に冷やされた唇がそっと触れ合い、ガイアスはその柔らかな唇を何度か啄んだ後、名残惜しそうに唇を離した。
「ガイアス……」
「それでも、約束は果たしてもらうぞ」
約束、と言われてジュードは顔を赤らめる。
「十年待ったのだ。この一件が落ち着いたら俺はお前を娶る」
「……僕達が勝ったら?」
拗ねたように言うジュードに、ふむ、とガイアスは考え込んだ後に言う。
「その時はお前達の意思を尊重しよう。だが、俺は負けるつもりはない」
「僕だって、負けないんだから」
睨み付けると、ガイアスがじっと見下ろしてくる。やがてジュードはふっと笑うと、ガイアスの名を呼んだ。
それに応じるようにガイアスの顔が近づいてきて、二人は再び唇を合わせた。

 

 


 


ガイアスはミュゼの力の一部だというナイフをジュードに渡して去って行った。
その翌朝、集まってきた仲間たちにそのナイフを見せてその力を説明する。
「俺たちをナメてんだよ」
「そんな事ないよ。あれでガイアスって良い人だもん」
アルヴィンの言葉を否定するレイアに、ジュードもまたそうだね、と頷いた。
「でも、それでも戦わなきゃならない所まで僕たちは来ちゃったんだ」
ジュードはナイフに布を巻いてしまうと、一人一人を見渡して告げた。
「行こう、みんな」
それぞれに頷き合い、ジュード達は次元の裂けた丘へと向かった。
ヘリオボーグ基地までは馬車を使い、そこから先のルサル街道は徒歩で進んだ。
丘に辿り着くと、閉じかけていた時空の裂け目をもう一度切り裂く。ジュードが振り返ると、ミラが力強く頷いた。
「私、いっちばーん!」
レイアを筆頭として次々と飛び込んでいく仲間たちを見送って、ミラはジュードに手を差し伸べた。
「さあ、行こう、ジュード!」
差し出された手をしっかりと握ると、ジュードは頷いた。
「うん、ミラ!」
二人で裂け目に飛び込むと、そこは以前通った所とは違う場所のようだった。
ここは世精ノ途。何が起きても不思議ではない。ジュード達は辺りを見回しながら用心深く進んで行った。
次第にここでの法則のようなものを何となく理解していったジュード達は、ひょいと高い段差を飛び降りた。
すると開けた場所に出て、そこにはウィンガルが待ち構えていた。
「ウィンガル!」
ミラの声に伏せていた視線を上げ、ウィンガルはジュードを見た。
「……来てしまったのか」
「僕は、ガイアスを止めて断界殻を開放する」
ジュードの言葉にウィンガルが剣を抜いて構えた。
「陛下の邪魔はさせない。お前が相手であろうとも!」
さあっとウィンガルの髪が白く染まっていくのを見ながら、ジュードもまた拳を構えた。

 


「ぐっ……」
がくりと膝をついたウィンガルに、ジュードは今にも振り下ろそうとしていた拳を止めた。
「……そこで止めるとは……相変わらず甘いな」
「それが、僕だから」
拳を下ろし、構えを解いたジュードにウィンガルは微かに笑う。
「そう、だったな……」
僅かに流れた柔らかい空気に、しかしすぐにそれを振り払うように首を横に振るとウィンガルはジュードを見上げた。
「陛下は正しい。陛下なら黒匣を破壊し、世界を変えられる。お前ならそれがわかる筈だ」
「確かにガイアスにはその力があるんだと思う。でも、僕の道は僕が選ぶ。そうじゃなきゃ、何も変えられない。変われないんだ」
「ジュード……」
幼かった少女。小さな手を引いて歩いた街並み。愛しい笑顔。それらがウィンガルの脳裏に甦る。
このか弱い子供はきっと生き残れない。ずっとそう思っていたが、それは自分の驕りだったのだろう。
「強く、なったな……」
だが、とウィンガルは剣を杖代わりにして立ち上がる。
「まだ私は……!陛下の理想を、叶える為に……!」
再び髪の色が白く染まり始める。それを見た途端、ジュードは地を蹴ってウィンガルにしがみ付いていた。
「もうやめて!リイン兄様!」
「ジュード……!」
ジュードがその体を抱き締めるとすうっと闘気が消えていき、髪の色も漆黒に戻っていく。
「ローエンから聞いたんだ。増霊極は使用者の命を削る事があるって……」
エリーゼにはその影響は出ていないようだったが、ウィンガルもそうだとは限らない。
「僕に、二度も兄様を失えって言うの……?」
十年前、もう兄には会えないのだと泣いたあの日。あの痛みをもう一度味わえというのか。
「兄様は僕たちに負けたんだ。だから、僕に従わないとダメなんだよ」
涙を浮かべながら微笑んで見上げてくる妹を、ウィンガルは見下ろす。
「死なないで」
「……」
ウィンガルは耐えきれなくなったように剣を捨てると、ジュードの体をかき抱いた。
「ジュード……!」
「兄様……どうか、生きて……!」
強く抱き合っていた兄妹はやがてゆっくりと体を離し、ウィンガルは世精ノ途の奥を指さす。
「陛下はあの奥だ」
「兄様……!」
「俺は敗者だ。勝者に従わねばならぬ義務がある。ただ、それだけだ」
そう言いながらもウィンガルの手はジュードの髪を優しく撫でた。
「行きなさい。お前の成すべき事の為に」
「はい……!」
ウィンガルの元を離れ、仲間たちと駆けて行く後ろ姿を見送ったウィンガルは崩れ落ちるように膝をついた。
「……少し、疲れた……な……」
だが、悪くはない。ウィンガルは世精ノ途の闇を見上げ、ふっと苦笑した。
そんなウィンガルを残し、ジュード達が世精ノ果テに辿り着くとそこにはガイアスとミュゼ、そしてクルスニクの槍に囚われたマクスウェルがいた。
「……やはり来たか」
「何で……こんな事になっちゃったんだろうね」
寂しそうに言うジュードに、誰のせいでもない、とガイアスが答える。
「……ありがとう、ガイアス」
視線を落とすジュードの傍らで、ミラがミュゼを見て言った。
「マクスウェルを返してもらうぞ」
「どうしてよ!どうしてそこまでして邪魔をするの!」
「ジュード、このままではお前にとって大切なものを失う事になるぞ」
ちらりとその視線がミラを捉える。ガイアスが何を言いたいのか、今のジュードにはわかった。しかし退くことは出来ない。
「逃げたら、向き合えない。それこそ失ってしまう」
拳を構えるジュードに、ミラもまた剣を構えた。背後で他の仲間たちもそれぞれ構える気配を感じる。
「格好悪い生き方は、見せられないのでな」
そんな二人に、ガイアスは短く瞑目すると強い視線で二人を見た。
「ならばこちらも本気で相手をしよう。未来がどちらを選ぶのか、見届けてくれる!」
ガイアスもまた長剣を構えると、ゆらりと闘気を燃え上がらせた。

 


ガイアスとミュゼを下したジュード達は断界殻を消し、新たな世界の幕開けを見た。
断界殻が消えれば世精ノ途も消える。ジュード達はミュゼの力でニ・アケリア霊山へと降り立った。
そこにはジャオにプレザ、アグリア、そして先に世精ノ途を脱出していたウィンガルがそこにいた。
ガイアスに手を引かれて現れたジュードに、ウィンガルは歩み寄るとその頭を優しく撫でる。
「お前の世界は作れたか」
兄の問いに、ジュードはううん、と首を横に振った。
「漸く最初の一歩を踏み出せただけだよ。これから、示していかなくちゃ」
何か言い合いをしているアグリアとレイアと、それを呆れ交じりに見つめるプレザ。そしてぎこちなくも言葉を交わすジャオとエリーゼ。
その近くではローエンとアルヴィンが何やら笑いながら言葉を交わしている。
そこに、ミラの姿はない。
「……」
ガイアスがそっとジュードの手を握る。泣きたければ泣け、と囁く声にジュードはふるふると首を横に振る。
「ミラが僕の好きなミラでいてくれようとしたように、僕もミラにそうありたいから。だから今は、泣かないよ」
ジュードがその大きな手を握り返すと、それを見ていたウィンガルが深い溜息を吐いた。
「ジュード、本当にその男で良いのか」
すると耳飾りが光を放ち、小鳥程の大きさのアスカが姿を現した。
『そうよぅ、本当にそんな男でいいの?ジュードってば』
アスカにはガイアスとの戦いには出て来ないように言ってあった。アスカの力は強すぎて、その力に頼るのはジュードの意に反していたからだ。
やっと出て来る事が出来た、とアスカは羽を伸ばすとジュードの肩に止まる。
『こういうむっつりタイプの男はね、女が苦労するんだから』
「貴様に口を出される事ではない」
ガイアスの低い声に何よ、やる気?とアスカが小さいながらも強い光を纏い、威嚇してきた。
「もう、ガイアスもアスカも止めなよ」
『でもジュードォ』
甘えた声を出すアスカに、これがロンダウの宝か、とウィンガルが再び深い溜息を吐き、そんな兄をジュードがくすりと笑って見上げる。
「これからの世界の事も、ガイアスの事も、僕はもう何一つ諦めたくない」
勿論、兄様の事も。そう笑うジュードに、ウィンガルもまた表情を和らげる。
「道は険しいぞ」
兄の言葉にジュードは大丈夫だよ、と笑って空いた方の手でウィンガルとも手を繋いだ。
「僕にはみんながいるから!」
その眩しいばかりの笑顔に、ウィンガルとガイアスは少女の手を優しく握りしめたのだった。

 

 


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