その少年を初めて見た時、ミラ・マクスウェルに依存しているように感じられた。
自分の意見をうまく言葉にできず、押し通すこともできず、ミラ・マクスウェルの陰に隠れるようにして立っていた少年。
初めの内は興味の範疇外だった。対話すべきはミラ・マクスウェルであり、彼ではない。そう思っていた。
だが少年はミラ・マクスウェルの死から立ち直り、その意思を継ぐ者として再び立ち上がった。
その強い光を宿した蜂蜜色の瞳に何故か心揺さぶられた。
やがて、彼を自分の手元に置きたいと思うようになった。
だが彼は再び姿を現したミラ・マクスウェルの手を取った。この手を取ることはなかった。
道は別たれ、お互いの理想を叶えるべく剣と拳を交えた。
あの戦いから一年。少年はミラ・マクスウェルとの約束を違えぬ為、奔走した。
定期的にガイアスの元へは少年の研究報告が入っていたが、会うことはなかった。
だが、今でもガイアスは思うのだ。彼を手元に置きたい、と。
そして、自覚した。自分の傍らに立つのは彼しかいないのだと。
男だとかそんな事はガイアスにとって問題ではなかった。王の座を世襲制にするつもりもなかったので跡継ぎは必要としない。
周りの目などどうだっていい。自分には彼が必要なのだ。そう確信した。
そんな折、少年がガイアスの座す城を訪れる事になった。
今までは書面でのみの報告だったのだが、どうしても直接説明したいことがあるとの事だった。
好機だと、思った。

 

「お久しぶりです、ガイアス王」
一年振りに会った少年は少しだけ背が伸びていた。研究にかまけて切っていないのだろう髪も伸び、まるで少女のようだとガイアスは思った。
畏まるな、以前と同じ呼び捨てでいい。そう言い放てば彼は少しだけ躊躇った後、じゃあ、とはにかむように笑ってガイアス、と呼んだ。
そうだ、この少女のような柔らかな声が聞きたかったのだ。この少し臆病さの覗く笑顔が見たかったのだ。ガイアスは説明を始めた少年をじっと見つめた。
淀みなく研究の成果を発表していく姿は凛としていて、初めて会った頃の影の薄さはもう無かった。
一通りの話が終わると、ガイアスは少年を私室に誘った。え、僕なんかが入っていいの、と畏まる少年の背を押したのはローエンだった。
私が特製の紅茶をお入れしますよ、と言う宰相にぱあ、と花が咲く様に顔を綻ばせ、礼を言う姿は可憐そのものだった。
四象刃の中で唯一生き残ったウィンガルに後を任せ、ガイアスもローエン特製の紅茶に口をつける。
気を利かせたローエンはお茶を出すとすぐに部屋を出て行った。二人だけになり、沈黙が落ちる。
その僅かな沈黙にも耐えきれなかったらしい少年は、何か話さなくてはと言わんばかりにかつて共に旅をした仲間たちの近況をガイアスに報告してきた。
正直な所、この少年以外の動向についてさして興味はなかったが、少年が楽しそうに話すのでガイアスも穏やかな気持ちでそれを聞いていた。
「それで、カン・バルクにはどれくらい滞在するのだ」
すると彼はきょとんとした後、え、明日帰るよ?と当たり前のように言った。
「報告も終わったし、書き途中のレポートもあるし」
「……暫くこちらに滞在する事はできんか」
ガイアスの言葉に、彼は更にきょとんとして栗鼠か野兎の様に小首を傾げた。
「どうして?」
当然のその質問に、ガイアスはどう答えたものか、と思案したが結局包み隠さず伝えることにした。
「俺が、お前と共に居たいのだ」
ガイアスの言葉に少年は蜂蜜の瞳を零れ落ちそうなくらい見開いて固まった。
そして数秒の硬直の後、さあっと頬に朱を上らせ、俯いてしまった。
「な、なに、その理由……」
「言葉のとおりだ。宿はこの城に部屋を用意する。城の書庫にも自由に出入りできるようにしてやろう。研究に必要な物があれば取り寄せてやる」
拒絶の言葉が出ない事に話を進めていくガイアスに、少年は慌てて赤い顔を上げた。
「ちょ、僕、助手の人たちにすぐ帰るって言ってきちゃったんだけど……」
「シルフモドキを飛ばせばいいだろう」
「で、でも、ガイアスだって忙しいでしょう?」
「うむ。確かに食事と寝る前くらいしかお前と会う時間はないだろう。だが、その僅かな時間だけでも俺はお前に逢いたいのだ」
頬を朱に染めていた少年は今度は耳まで真っ赤にしてでもだのなんだのとごにょごにょと言っていた。
だが、やがて小さな声で、一旬だけなら、とガイアスの願いを聞き入れた。
「ありがとう、ジュード」
僅かに己の顔が綻ぶのを自覚しながら言うと、少年、ジュードは赤い顔のまま、あのガイアスが好むはにかんだ様な笑みを浮かべたのだった。

 

「気を付けてね」
手紙をその足に結びつけたシルフモドキを窓辺から飛ばし、ジュードはその飛び去る姿を見送ってからそっと窓を閉めた。
ここはガイアスが用意していくれた部屋だ。これと言って調度品があるわけでもない、王城にしては質素な部屋だったがジュードが暮らしているイル・ファンの部屋に比べればはるかに広かった。
「ちょっと、落ち着かないよね」
一人そう呟いてジュードは苦笑した。
ガイアスが何を思ってジュードを引き留めたのか、ジュードにはよくわからなかった。
ガイアスはまるでジュードに好意を寄せているような言い方をしたが、ジュードはそれをどう解釈していいのかわからなかった。
まさかあのガイアスが自分なんかを相手にするはずもないと信じていたのだ。
確かに、ジュードの方はガイアスに恋をしていた。
初めはミラと同じ光を彼の中に見て惹かれた。そのカリスマに圧倒された。ただそれだけだった。
けれどミラが本当のマクスウェルとなって一年。その間、定期報告としてガイアスには何通も手紙を送った。
ガイアスは忙しいであろうにいつも律儀に一言返事をつけてシルフモドキをジュードの元に返してきた。
その返事を、その短い一言を毎回楽しみにしている自分に気付くのに時間はかからなかった。
ガイアスに抱いている想いは、ミラに感じていた想いと同じだと思っていた。憧憬、羨望。彼らは同じように光を宿していたから。
けれど時を重ねる毎に強くなっていくそれはジュードに恋を自覚させた。
自覚した時、自分でも驚くほど穏やかにその想いを受け入れていた。
ガイアスは王だ。導く者だ。その彼が自分を自分と同じように想ってくれるとは端から思っていない。
ただ想うだけになるだろうそれは、けれどジュードの中で大切な想いとなった。
そんな時にガイアスのあの言葉だ。勘違いしそうになる自分を叱咤し、ジュードは首を横に振った。
でも、とジュードは思う。
もしガイアスも自分と同じ気持ちだったのなら。
それはとても幸せな事だろう、とまるで夢を見るかのようにジュードはそっと目を閉じた。

 

その夜遅く、ソファに寄りかかって分厚い歴史書を読んでいたジュードは扉の向こうに人の気配を感じて顔を上げた。
するとノックも無しに扉が開き、ガイアスが入ってきた。
「ガイアス」
「起きていたか」
ノックが無かったのはジュードが寝ているかもしれないと思ったからだろう、ジュードはそう思って手にしていた本にしおりを挟んでテーブルの上に置いた。
「うん、面白そうな本がたくさんあったから」
「そうか」
ガイアスはいつもの鎧ではなく、民族調のシャツにズボンというラフな格好だった。
初めて見るその姿にジュードは自分の頬が微かに熱を持っている事に気付いた。
「あ、あの、書庫、自由に閲覧できるようにしてくれてありがとう」
顔の熱を誤魔化す様に言うと、ガイアスはそれくらい当然の事だ、と首を横に振った。
「無理に引き留めたのは俺なのだから」
そのままジュードの隣に座り、ガイアスはじっとジュードを見下ろした。
「な、なに?」
「お前は俺をどう思う」
「え?えっと……それは、どういう……」
「王という地位は関係なく、一人の男として俺はお前の目にどう映っている」
「え?え?」
首を傾げながらガイアスの真意を汲もうとするが混乱し始めた頭では何もわからない。
だがガイアスはジュードの答えを聞くまで待つつもりなのだろう、じっと無言で混乱するジュードを見下ろしている。
何か言わなくては、とジュードは考えの纏まらないまま唇を開いた。
「えっと……ガイアスは、その、厳しいけど優しい所もあって、皆に頼りにされてて、強くて、かっこよくて、ミラと、同じ光を持ってる人、かな?」
「そうか……ミラと同じ、か」
そう言って黙り込んでしまったガイアスに、ジュードは何か間違えただろうかと思ったがだからとそれを問うこともできずただ考え込むガイアスを見上げていた。
ガイアスが考え込んでいたのはほんの数秒の間だった。すぐにまたジュードを見下ろすと、では、と言葉を紡いだ。
「ミラの事は好いているのか」
「え?……うん、そうだね、好きだよ」
「では俺はどうだ」
「え?」
一瞬、ジュードはガイアスが何を問うたのか理解ができなかった。そして次の瞬間、自分でもわかるくらい一気に顔に朱が上った。
「そ、それはどういう……!」
「言葉通りだ。俺の事は好きか」
落ち着け、きっとガイアスに他意はないのだ、純粋に好きか嫌いかを聞いているのだ。ジュードは己にそう言い聞かせ、赤い顔のまま小さく頷いた。
「……好き、だよ」
「そうか」
するとガイアスの手が俯くジュードの顎をつかみ、くいっと持ち上げた。
ガイアスと視線が合う。その赤い瞳に吸い込まれそうな感覚に陥りながら見上げていると、その瞳が近づいてきた。
え、と思った時には唇にひんやりとした感触が当たっていた。
かちり。ジュードは己が固まる音を確かに聞いた。
触れるだけのそれはすぐに離れ、どアップになっていたガイアスの顔が遠ざかっていく。
何が起こった。今、ガイアスは何をした。ジュードが固まっているとガイアスが嫌だったか、と聞いてきた。
「そうじゃ、なくて……ガイアス、何でキスしたの」
「俺がお前を愛しているからだ」
俺がお前を愛しているからだ。頭の中で何度も繰り返してみる。自分は何か聞き間違えたのだろうか。それとも夢でも見ているのだろうか。
こんな事、あるはずがない。ガイアスが、自分を愛してくれているだなんて。
「……冗談、だよね?」
「こういった冗談は好かん」
「そう、だよね……」
冗談でもなく、聞き間違えでもないとしたら、それは。
「ガイアス、僕の事、好きなの」
「先程からそう言っているつもりだが」
半ばぽかんとして問えば、ガイアスは僅かに顔を顰めてそう答えた。
「じゃあ、僕を引き留めたのって……本当に、僕と居たかった、から、なの」
昼間夢想した事が、現実となろうとしている。ジュードは信じられない思いでガイアスを見上げた。
「そうだ。信じていなかったのか」
「だ、だって、ガイアスが僕なんかの事、想ってくれるなんて、思わなくて……」
「全て言葉のとおりだ」
ガイアスはそう言うとジュードの手を取り、その甲に唇を寄せた。
「お前がミラを想っているのだとしても今はそれで良い。だが必ずお前を奪ってみせる」
「ガイ、アス……」
ガイアスの唇が触れた手の甲がひどく熱を持っているようだ。
そこから甘い痺れが全身へと広がっていき、ジュードは息苦しいような感覚を錯覚する。
「ぼ、くは……ミラの事は大好きだけど、それは尊敬とか、憧れとか、そういうので……ガイアスが思ってるような関係じゃない、よ」
あの、と言葉を詰まらせるとガイアスはジュードの手を握ったままじっとその続きを待っていた。
「……僕、も……ガイアスの事が、好き……だよ」
勇気を振り絞るようにして想いを告げると、ガイアスは微かに目を見開いてジュードを見下ろしていた。
「その……ちゃんと、ガイアスが僕に言ってくれたような意味で、好き、だよ……」
恥ずかしさで死ねる。ジュードはそう思いながら俯くとまたガイアスの手によって上を向かされる。
「ならば、もう一度口付けても良いか」
ガイアスの言葉にジュードは羞恥に視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。
再び触れてきたガイアスの唇はやはりどこかひんやりとしていた。
ジュードが緊張でがちがちに固まっているとそれを解きほぐす様にガイアスの舌が唇を割って入り込んできた。
「んっ……」
唇は冷たかったのに侵入してきた舌は驚くほど熱を孕んでいて、傍若無人なまでに蠢くそれにジュードはただ翻弄されるばかりだった。
「……は、ぁ……」
漸く解放された頃にはがちがちに固まっていた先程とは打って変わって力の入らなくなった手でガイアスの胸元を掴んでいるのがやっとだった。
すっとガイアスの手がジュードの体に回され、え、と思った時には抱き上げられていた。
「ちょ、ガイアスッ」
軽々とジュードを抱き上げた彼はベッドの前まで行くとそっとジュードをベッドの上に横たえる。
ジュードの履いていた靴を脱がせ、ベッドの脇に落とすと自分も靴を脱いでベッドに上がった。
ぎしりと二人分の重みを受けたベッドが軋んだ音を立てる。ジュードに覆いかぶさるようにしてベッドに上がったガイアスはジュードの夜着のボタンをぷちぷちと器用に片手で外していった。
「ちょ、ちょっと待って!」
「何だ」
ボタンを外す手を掴まれ、動きを阻まれたガイアスが不満げな声を上げる。
「何だじゃなくて、僕たち、今さっき、その、好き合ってるって知ったばかりで……!」
「何か問題でもあるのか」
「そりゃもう少し時間が欲しいっていうか、心の準備が出来てないっていうか……!」
待ってよ、と訴えるジュードにガイアスは待てん、とばっさり切り捨てた。
「今すぐ心の準備とやらをしろ」
「えええええ」
そうこうしている間にもジュードが抑えていたガイアスの手はジュードの抵抗など物ともせず夜着を肌蹴た。
「ちょ、ガイアス……!」
「……」
ガイアスは夜着の下から現れたそれをまじまじと見下ろした。
現れた白く滑らかな肌。その胸元にささやかだが確かに主張する二つの膨らみ。
女だったのか。ガイアスは自分の下でじたばたと足掻いているジュードをベッドに縫いとめながらそれを見下ろした。
その沈黙をどう取ったのか、ジュードが泣きそうな目でガイアスを見上げていた。
「ぼ、僕、胸もおっきくないし、痩せてるし、きっとガイアス、楽しくないと思う、よ」
震える声を吸い取るようにガイアスはもう一度ジュードに口づけ、その小さな膨らみの上に手を滑らせた。
「んっ……」
ふるり、と組み敷いた小さな体が震える。ジュードの事を男だと思っていたガイアスにとって、胸の大きさなど大した問題ではなかった。
そして、ジュードが女である事は好都合だとガイアスは思った。
ジュードが男である限り、妃に据えることはできない。それでも良いと思っていた。妃など必要ない。必要なのはジュードだけだ。
だがジュードが女であるなら話は別だ。妃の座に据え、名実共に己の伴侶としたい。
「……ジュード」
「……ガイ、アス……」
「お前を抱きたい」
今すぐにでもその細い喉に食らいつきたい衝動を抑えてそう告げれば、ジュードは恥ずかしそうに視線を彷徨わせた後、ほんの少しだけ首を縦に振ったのだった。

 


 

温もりに包まれてジュードは目を覚ました。
眼前に広がるは鍛え抜かれた胸筋。ジュードは一瞬自分がどういう状況なのかがわからなかった。
数秒の硬直の後、昨夜の事を思い出して一気に赤面する。
そうだ、僕、ガイアスと。恥ずかしさの余りぎゅっと目を閉じる。
そういった行為についての知識は勿論あった。けれどキスすらまともにした事のなかったのに。
ジュードはそっと目を開けて上向いた。そこにはガイアスの寝顔がある。
ガイアスは優しかった。戸惑うばかりのジュードから快感を引き出そうと武骨な手で優しく触れた。
震えるジュードを宥めながらそこを貫いた時、ガイアスは何かに耐える様に顔を顰めた。
自分の快感を追いたいだろうにガイアスは拓かれたばかりのそこを慣らすようにゆっくりと動いた。
ジュード、ジュードと何度も呼ばれたのを覚えている。低く掠れて妙に色っぽい声だった。
慣れない痛みと微かな快感に翻弄されていたジュードはやがて体の最奥に熱を放たれたのを感じた。
それからぐったりとしたジュードはガイアスに抱えられて備え付けの風呂で体を清めてもらい、ガイアスの腕の中で眠りに就いた。
そして今に至る、というわけだ。
僕はガイアスが好きで、ガイアスも僕を好きだなんて。
ああ、なんて幸せなんだろう。こんな日が来るなんて思いもよらなかった。
じっとガイアスの寝顔を見詰めていると、ふとガイアスの瞼が震えて赤い瞳が姿を現した。
「おはよう、ガイアス」
「……」
ぼんやりとした眼でジュードを見ていたガイアスは、ああと頷くと徐にジュードの細い体を抱きしめた。
「おはよう、ジュード」
耳元で囁かれる低音にぞくりとしながらそろそろと自分もガイアスの背に腕を回す。
「体は大丈夫か」
「うん、ガイアスが優しくしてくれたから、平気」
照れくさそうに笑うジュードの唇にそっと触れるだけの口づけが落とされた。
性の匂いを感じさせないその口づけにジュードはどこか安堵して目を閉じた。さらり、と髪を撫でられる。
「名残惜しいが、起きねばならんな」
「うん……」
それでもジュードの髪を撫でる手は止まらない。その感触が心地よくてうっとりとしていると、不意に扉をノックされた。
「!は、はい!」
ジュードは慌てて飛び起きると裸足のまま扉の前に向かった。
『おはようございます、ジュードさん』
ローエンだ。どうしよう、ガイアスがいるのに扉を開けてもいいのだろうか。
『王がお邪魔していると思うのですが、お着替えをお持ちしたとお伝え願えますでしょうか』
「は、はい!」
ガイアス、と振り返るとベッドから降りたガイアスがこくりと頷いた。
ジュードが恐る恐る扉を開けると、にっこりと笑みを浮かべたローエンと目があった。
「おはようございます。よく眠れましたか」
「お、おはよう、ローエン。う、うん、眠れた、よ……」
きっとローエンには全てばれている。ジュードは顔が赤くなるのを止められなかった。
しかしそこはローエン。何も知りませんと言わんばかりにそれはよかった、と頷いた。
「お二人の着替えと洗面道具をお持ちしました」
「あ、ありがとう、ローエン」
今日には帰る予定だったジュードは着替えの類は殆ど持っていなかったのでローエンの気遣いは有り難かった。
「お着替えが終わるころには朝食の準備も整いましょう」
着替えと洗面道具を置くとローエンは一礼して出て行ってしまった。
「そういえばガイアスって侍女とか居ないの?」
昨晩ガイアスが着ていた様な民族調の服に腕を通しながら問えば、自分の事は自分で出来る、とガイアスらしい応えが返ってきた。
「お前が必要なら付けさせるが」
「ぼ、僕はいいよ!それこそ自分の事くらい自分で出来るし!」
そう言いながらも腰帯を手に悩み始めたジュードに苦笑すると、ガイアスはそれを取り上げた。
「これはこう巻くものだ」
手際良くジュードの細い腰にそれを巻きつけると、良く似合っている、とガイアスは微笑んだ。
「あ、ありがとう……」
ガイアスはいつもの赤の鎧を纏っており、素早いなあとジュードは感心した。
すると再び扉をノックする音が響いてローエンの声がした。
ちょうど朝食の準備も出来たようだった。

 

ジュードは一日の殆どの時間を読書で潰した。
研究に役立ちそうなものから歴史書まで興味の引いた物は何でも読んだ。
ガイアスと会えるのは、彼が言っていたように食事の時と寝る前の僅かな時間だけだった。
けれど多忙なガイアスがジュードと共に食事をする為にどれだけ気を回してくれているか察しているジュードはそれだけで申し訳ない反面、十二分に嬉しかった。
そしてガイアスは毎夜ジュードを抱いた。
最初の夜こそジュードが借りている部屋でだったが、二日目からはガイアスの私室で待っているように言われた。
先に寝ていても構わないと言われたが、ガイアスの香りに包まれて独りで寝るなんて出来そうになかった。
そうして夜遅く部屋に返ってきたガイアスを出迎え、湯浴みの準備をし、ガイアスが出てくるのを待つ。
その待っている時間が一番緊張した。今日もするのだろうか、という思いで頭が一杯になる。
湯浴みを終えたガイアスはソファで緊張しているジュードをベッドに誘い、押し倒した。
そしてジュードの胎内に熱を放つまでは決してジュードを離しはしなかった。
否、全てが終わってからもガイアスはジュードを離そうとしなかった。
湯で濡らしたタオルでジュードの身を清め、夜着を着せる。ジュードが自分でやれるから、と言ってもガイアスは自分がやると言って聞かなかった。
そして広いベッドの真ん中で寄り添って眠るのだった。
そんな日々が一旬の間続いた。
ガイアスとの約束は一旬の間だけ。そして今日がその一旬目。
ジュードは昨日までと同じようにガイアスの腕の中で眼を覚まし、手早く荷物を纏めると朝早くにカン・バルクを発った。
公務の時間を割いてまで見送りに出てくれたガイアスは引き留めたそうだったが、また来るから、というジュードの言葉に渋々と頷いたのだった。
カン・バルクからイル・ファンまで、普通に行こうと思ったら何日もかかる。
街道には魔物も出るし危険だ、とガイアスがワイバーンを貸してくれた。
確かに空路なら魔物も滅多な事では出ないだろうが、そのワイバーンに振り落とされるかもしれないという不安はあった。
だがせっかくのガイアスの好意だ。ジュードは有り難く借りる事にした。
そして何とか落ちる事なく空を駆け抜け、イル・ファンの手前でワイバーンから降りた。
頭の良いワイバーンはジュードを下ろすとカン・バルク方面へと向かって再び飛び去っていく。
あっという間に小さくなって見えなくなってしまったワイバーンを見送ったジュードはほっと一息ついてイル・ファンの自宅へと向かった。

 

イル・ファンに戻ったジュードは再び研究漬けの日々を送っていた。
しかし一つ今までと違っていたのは、一節の内の一旬をカン・バルクで過ごすようになった事だ。
助手や職員には研究報告の為、と伝えてある。実際、報告も行っているので嘘ではない。
ただ城にいる間は毎夜繰り返される情事にジュードは後ろめたい気持ちもあった。
それでもガイアスに呼ばれればジュードに断る理由はない。
そんな事を何節か繰り返したある日。ジュードは研究所で倒れた。
ここ最近、食欲が無く吐き気がして体調が思わしくなかった。
根を詰め過ぎているな、と思いながらも成果を追い求めた結果の昏倒だった。
医務室のベッドで目を覚ました時、ああとうとうやってしまった、と溜息を吐いた。
ガイアスにばれたら怒られるだろうなあと思っていると医師が顔を覗かせた。
幾つかの問診を受け、体温を測って初めてジュードはいつもより体温が上がっている事に気付いた。
疲労からくる発熱だろうと思っていると、医師は思いがけない事を言い出した。
「君、妊娠してるわけじゃないよね?」
その言葉にジュードは目を見開いて医師を見返した。妊娠、だって?
「……ま、さか、そんなわけ……」
はは、と引き攣った笑いを漏らすジュードに、医師は心当たりがあるなら一度産婦人科に行った方が良い、と言った。
「違うならそれはそれで安心できるだろうし、違わなかったら生活態度を改めた方が良い」
それからいくつか医師は何かを言っていたが、ジュードの耳には届かなかった。
妊娠。その一言がぐるぐると頭の中を巡っていた。
確かに月のものもここ数節来ていない。それは単に研究に打ち込みすぎて生活習慣が乱れているからだと思っていた。
そしてガイアスとの行為で避妊具を使ったことがない。
ガイアスは何も言わなかったし、ジュード自身、どこかで過信していたのだ。
自分が妊娠するなんてことはありえない、と。
女である事から目を逸らして生きてきたジュードにとって、妊娠なんてものは他人事だった。
ガイアスと思いが通じたことに舞い上がり、後先を考えず関係を結んだ結果がこれだ。
どうしよう、と何度も思う。でも本当にただ体調が悪いだけなのかもしれないし、と自分に言い聞かせ、ジュードは人目を憚るようにして産婦人科を訪れた。
優しそうな女医は診察を終えたジュードににっこりと笑って最も聞きたくない事実をジュードに告げた。
「三節目ですね。おめでとうございます」
それからどうやって帰って来たのか覚えていない。気づいたら自室のベッドでぼんやりと天井を見上げていた。
どうすればいいのだろう。ジュードはここに来て漸く事の重大さに気付いた。
ガイアスとの子供。愛した人の子供だ、産みたいと思う。けれどガイアスは王だ。
ガイアスが昔、世襲制にするつもりはないから妃は必要ない、と言っていたのを聞いた事がある。
それはつまり、ガイアスは誰とも縁を結ぶつもりがなく、子供も必要としないという事だ。
なのにジュードはガイアスの子を孕んでしまった。それはつまり。
「……堕ろした方が良いのかな……」
リーゼ・マクシアでは子供ができたら産むのが当たり前であり、堕胎は忌避すべき事だった。
事実、堕胎を執り行う医者は殆どおらず、所謂闇医者を頼るしかない。
探せば見つかるだろう。だが。
「……堕ろしたく、ない、よ……」
ガイアスと、僕の、赤ちゃん。殺すなんて、出来ない。けれどガイアスに知られたら彼の負担になってしまう。迷惑に、なってしまう。
どうすれば、と思い悩んでいると呼び鈴の音がしてジュードはのろのろと身を起こした。
誰だろう。チェーンを掛けたままそっと扉を開くと、そこには見慣れた顔がジュードを見下ろしていた。
「よう、ジュード君。久しぶりだな」
「アルヴィン……?」
慌ててチェーンを外し、扉を大きく開く。確かにアルヴィンだ。
「どうして……あ、もしかして、仕事の関係で?」
「そ。偶々近くに用があったんでね。おたくの顔もついでに見ていこうかと思ったんだけど……」
アルヴィンはそこで言葉を切り、まじまじとジュードの顔を見下ろした。
「おたく、体調でも悪いの」
「え……どう、して?」
「顔色、悪いぜ。どうせ研究漬けでろくに寝てないんだろ」
「ああ……うん、ちょっと、ね。それよりアルヴィン、上がって行ってよ」
「良いのか?休んでた方がいいんじゃねえの?」
「大丈夫だよ。それに……今は、一人でいたくないから……」
「ジュード?」
訝しむ声には応えず、ジュードはアルヴィンを室内に招き入れた。
「適当に座ってて。今お茶淹れるから」
「お構いなくーっと」
キッチンで紅茶を淹れ、トレイに二人分のカップを乗せて部屋に戻ると、ソファに座ったアルヴィンが何やら真剣な面持ちで何かの冊子を読んでいた。
「……おたく、妊娠してんの?」
「え」
がちゃり、と大きな音を立ててカップがテーブルに置かれる。何を、と言おうとしてアルヴィンの持っていた冊子の表紙が目に付いた。
初めての妊娠を迎えたお母さんへ。そう書かれていた。
そうだ、産婦人科で渡された冊子だ。気が動転していて覚えていないが、恐らく無造作にテーブルの上に放り投げたのだろう。
「え、と……」
誤魔化すか、本当のことを言うか。逡巡の後、ジュードは唇を噛み締めて小さく頷いた。
「誰の子だ」
硬い声に顔を上げられず、俯いているとジュード、と応えを求める様に名を呼ばれた。
「……ガイアス、の……」
消え入りそうな声でそう告げると、やっぱりか、とアルヴィンが小さく呟いた。

 

アルヴィンがイル・ファンの地を踏んだのは四節ぶりだった。
ユルゲンスと始めた商売の方も何とか形になってきて、イル・ファンを訪れたのも商談の為だった。
商談は無事成立し、時間も出来た事だし、と向かったのはジュードのマンションだった。
この時間ならジュードももう自室に戻っているだろう、そう踏んでアルヴィンはその部屋の呼び鈴を押した。
ジュードと会うのも四節ぶりだった。旅が終わって暫くは気まずさも手伝ってイル・ファンを訪れていてもジュードに合う事は出来なかった。
だがそんなアルヴィンにジュードは定期的に手紙を送ってくれた。そのやり取りで少しずつ溝が埋まっていくようなそんな気がした。
そして四節前、漸くアルヴィンはジュードに会う事が出来た。
久しぶりに会ったジュードは少しだけ背が伸び、髪も伸びていて少女らしさを得つつあった。
ジュードが女であると知ったのは、ハ・ミルでのあの時だった。
アルヴィンの振るった大剣の先がジュードの胸元を切り裂き、その小さな膨らみを露わにした。
それに動揺して隙だらけになってしまった結果、ジュードにぼこぼこにされたわけだが。
女みたいだと常々思っていたが、本当に女だったとは。
知って初めて、ジュードのミラを見る目に恋情が見えなかった理由がわかった。
一時はミラに依存し、ミラの後ばかりついて回っていたジュード。
てっきりミラに惚れているのだと思っていたが、それにしてはジュードのミラを見る目は純粋過ぎたのだ。
そういう事だったのか、と納得したのを今でも覚えている。
そしてそれを知ってどこか安堵した自分に気付いた。
その時初めて、アルヴィンはジュードに恋をしていることに気付いたのだ。
だが自分にその想いを告げる資格などない。何度も裏切り、利用し、傷付けた。
そんな自分が今さら好きだなんて、どの面を下げて言うのか。
けれどあの旅が終わってからもふと思い出すのはジュードの事ばかりだった。
ジュードに会いたかった。それと同時に会うのが怖かった。拒絶されるのが怖かったのだ。
そんな自分にジュードはこまめに手紙を送ってくれた。最初は返事を出すのも躊躇っていたものの、何度か手紙のやり取りをして漸く会う覚悟が出来た。
そして四節前、ジュードと再会してアルヴィンはしみじみと思ったのだ。
やはりこの少女が愛しいのだ、と。
この想いを告げる事はきっと無いだろう。告げた所で困らせるだけだ。けれど、せめてたまに会うくらいは許してほしい。
だからユルゲンスがイル・ファンで取引先を見つけてきた時はよくやった、と褒め称えた。
これでジュードに会いに行く口実が出来た。そう喜び勇んでやってきたのだが。
久々に会ったジュードは酷い顔色をしていた。
きっと研究にかまけてろくに食事も睡眠も摂っていないのだろう。そう指摘してやればジュードはどこか曖昧に頷いた。
ジュードがキッチンに向かってしまったのでアルヴィンはソファに遠慮なく座った。
そして目についたのが、初めての妊娠を迎えたお母さんへ、と書かれた冊子だった。
は?と思った。なぜこんな物がジュードの部屋にあるのだろう。
だが導き出される答えなんて一つしかない。
紅茶を乗せたトレイを手に戻ってきたジュードを問い質せば、ジュードはそれを認めた。
誰の子かと思えば、ガイアスだと言う。
やはりと思った。ガイアスのジュードを見る目は、自分と同じものを感じていた。
そしてあの頃のジュードもガイアスに惹かれているようだった。
ミラを見る目とよく似ていたから恋情なのか憧憬なのかは判断がつかなかったのだが。
いつの間にか二人は出来上がっており、挙句の果てに子供まで作っていたのだ。
理不尽な怒りが渦巻くのを感じた。ジュードを大切にしようとした矢先に横から攫われたようなそんな感覚。
けれどジュードは子供を産むか堕ろすか迷っていた。
ジュードの話によればガイアスに結婚の意思はなく、子供も欲しがっていないようだ、との事だった。
もしかしたらジュードがそう思い込んでいるだけなのかもしれない。けれどそれを聞いた瞬間、アルヴィンはチャンスだと囁く声を確かに聞いた。
今なら、ジュードを自分のものに出来るのではないだろうか。
ジュードは今、迷っている。産みたいという思いと、ガイアスに迷惑を掛けられないという思いがせめぎ合っている。
そこにもし第三の道を、逃げ道を、示したら?
ジュードを、手に入れられる?
「ジュード」
よせ、言うな、言っては駄目なんだ。本当にジュードの幸せを思うなら、言うべきじゃないんだ。
だけど。
俺だって、幸せに、なりたい。
「俺と一緒に、エレンピオスに行かないか」
ああ、俺はどこまでも自分勝手で、卑怯だ。

 

「え……?」
アルヴィンの言葉にジュードは首を傾げた。
「エレンピオスに……?」
「そうだ。エレンピオスならガイアスにもそうそう見つからないだろうし、お前の研究だって続けられる」
「でも……」
迷っているとアルヴィンのグローブに包まれた手がそっとジュードの手に重なった。
「大丈夫だ、俺がいる」
「アルヴィン……?」
「子供も俺の子供として産めばいい」
「それじゃアルヴィンに迷惑が……」
「迷惑なんかじゃないさ。俺はお前の事が好きだ。だから、お前は俺を利用すればいい」
アルヴィンの言葉がまるで危うい薬のようにじわじわと思考を蝕んでいく。
エレンピオスに行けば、ガイアスにも迷惑を掛けず、子供も産める?
それはとてもとても甘い囁きだった。
今のジュードには、とにかくガイアスに妊娠の事実を知られることが怖かった。
知られて、堕ろせ、必要ないと言われるのが怖かった。
「……僕……僕、は……」
迷うジュードに、アルヴィンは念を押すように言った。
「産みたいんだろ?」
「……っ……」
「大切にする。お前も、子供も」
だから、ジュード。
「俺と、エレンピオスに行こう」
革越しに伝わってくるアルヴィンの掌の温もりに、ジュードは泣きそうになりながら頷いた。
「ジュード……大丈夫だ。俺が守ってやる……」
引き寄せられ、抱きしめられた。ガイアスとはまた違った温もりにジュードは涙を零す。
それは、訣別の涙だった。
声を殺して泣くジュードを抱きしめながら、アルヴィンはほの暗い笑みを浮かべた。
これで、しあわせに、なれる。

 


ジュードはアルヴィンの手を取った。それはガイアスに対する裏切りと同義だった。
それでもジュードは差し伸べられたその手を取らずにはいられなかった。
どうしても、この子だけは。
その一念でアルヴィンの手を取った。
例えガイアスともう二度と会うことがなくても。あのふとした瞬間に見せる穏やかな笑みが見られなくても。
自分の全ては、この子に捧げよう。
そうしてジュードはアルヴィンに手を引かれるがまま、イル・ファンから逃亡したのだった。

 

アルヴィンに連れられてジュードは一先ずシャン・ドゥの宿に泊まった。
ユルゲンスと最終的な打ち合わせをするのだと言って、アルヴィンはジュードを部屋に置いて何処かへ行ってしまった。
一人になると、本当にこれでよかったのだろうか、という思いに駆られる。
だが、もう後戻りはできない。イル・ファンの研究所には辞表を提出してきた。
と言っても引き留められる事はわかりきっていたので朝早くに研究所を訪れて室長の机に辞表をそっと置いてきただけだ。
今頃騒ぎになっているのかもしれない。けれどもう帰れない。
ジュードはもう、選んでしまったのだ。
ベッドに腰掛けて、迷いを振り切るようにじっと目を閉じているとこつりと窓が叩かれた。
「え?」
顔を上げて窓を見ると、そこにはシルフモドキがちょこんと佇んでいた。ガイアスのシルフモドキだ。
窓を開けるとシルフモドキはジュードの手に止まり、読め、と言う様に手紙の巻きつけられた脚を差し出してきた。
「……」
書いてある事なんてわかりきっている。前回ガイアスの城から帰ってきて三旬。そろそろだと思っていたのだ。
折りたたまれた手紙を開くと、そこにはやはりガイアスの字でいつものようにワイバーンを迎えに寄越す、と言った事が書かれていた。
ジュードはそれを何度も読み返した後、紙とペンを取り出した。
今はちょっと忙しくて暫くそちらには行けません。ごめんなさい。
文字を綴る手が震えそうになるのを抑え、涙が零れそうになるのも堪えた。
ジュードは己の綴った一文を何度も見返した。字が震えてないか、いつも通りか、それを何度も確認した。
大丈夫、いつも通りだ。きっとこれで少しは時間を稼げる。
そして待ち侘びていたシルフモドキの脚に手紙を巻きつけ、窓から飛ばした。
あのシルフモドキを見るのも、きっとこれが最後だろう。
ジュードは静かに窓を閉めると再びベッドに腰掛けた。
本を読むという気分でもなく、ぼんやりしているとアルヴィンが戻ってきた。
「おかえり、アルヴィン」
「さっき、シルフモドキ飛ばしてたろ」
開口一番にそう問うアルヴィンにジュードはどうして、と問い返した。
「宿屋の前で部屋を見上げたら、ちょうどおたくがシルフモドキを飛ばすのが見えたんでね」
そういうことか、とジュードは納得して曖昧な笑みを浮かべた。
「うん、ガイアスから手紙が届いて……僕、ガイアスに今忙しいって嘘ついちゃった」
「ジュード、良いんだよな?」
もし、今ここでやっぱりエレンピオスに行くのを止める、と言えばきっとアルヴィンは許してくれるだろう。
けれど。
「……良いよ」
もう、決めたのだ。
「アルヴィンと、一緒に行く」
精一杯の笑顔を浮かべてそう言うと、アルヴィンは何処か痛みを堪えるような顔をしてジュードの前に片膝をついた。
「……必ずお前を幸せにする。もう裏切らない。絶対だ」
騎士が主に忠誠を誓うようなそれにジュードはくすりと笑った。
「うん、信じてるよ、アルヴィン」
腕を伸ばせば抱き寄せてくるアルヴィンのその腕の中で、ジュードはそっと目を閉じた。

 

アルヴィンに連れられてエレンピオスにやってきて三節が過ぎた。
アルヴィンの従兄であるバランの住むマンションから徒歩五分の所にあるマンションの一室で二人は暮していた。
今のジュードはバランと共に源霊匣の研究を進めている。
バランには全てを打ち明け、協力を乞うた。
彼は二つ返事で受け入れてくれ、ジュードの研究は全てバラン名義で発表していた。
アルヴィンはユルゲンスが送ってきた商品をトリグラフの商店に卸す仕事をしている。
毎朝ジュードの作った弁当を手に出ていき、仕事が終われば寄り道せず帰ってくる。
本当の新婚夫婦みたいだよ、とバランにからかわれ、二人揃って赤くなったりもした。
ジュードのお腹は少しずつ大きくなっていた。いい加減、いつものパンツルックでは窮屈だろうとアルヴィンの仕事が休みの日に二人でマタニティウェアを買いに行った。
夫婦として扱われる事にも大分慣れてきた。優しい旦那さんですね、と言われて抵抗なく頷けるようになった。
籍こそ入れてなかったが、アルヴィンを夫として認識する事に少しずつ抵抗が無くなっていった。
けれどガイアスは今頃どうしているだろうか。ふとした折にそう思う。
いつものように政務をこなしているだろうか。それとも、自分を探してくれているのだろうか。
そこまで考えて、ジュードは頭を横に振ってその考えを振り払った。
自分はもう、アルヴィンの妻なのだ。ガイアスの事は、もう、過去の事なのだ。何度もそう自分に言い聞かせてきた。
ガイアスではなくアルヴィンと生きていく事を選んだのは、他でもない自分自身なのだから。
ごめんなさい、ガイアス。
幾度目かになるかもわかららないほど繰り返した謝罪を胸に、ジュードはアルヴィンの帰りを待った。

 

ジュードがその姿を消して早三節が過ぎていた。
シルフモドキも何度飛ばしてもジュードを見つけ出すことができず、読まれなかった手紙を巻きつけたままガイアスの元へ帰ってきた。
ジュードからの最後の手紙には、忙しいから、という一言だけが書かれていた。
それを愚直に信じてジュードからの手紙を待っていた。こちらから手紙を飛ばすのも控え、ただジュードからの手紙を待っていた。
だが一節が過ぎ、二節が過ぎても研究報告の手紙すら届かなかった。
さすがに訝しんだガイアスがイル・ファンの研究所と連絡を取ってみた所、既にジュードは姿を消した後だった。
ある日の朝、室長が出勤してくると机の上に辞表が置かれていたという。その辞表にもジュードの行先の手掛かりはなかった。
ガイアスはローエンを通じてかつてジュード共に旅をした仲間たちに手紙を飛ばした。しかし、誰もジュードの居場所を知る者はいなかった。
相手の霊力野を感知して居場所を見つけるはずのシルフモドキが見つけられないという事は、それを阻む精霊術を使っているか、シルフモドキでも飛べないほど遠くにいるかだ。
相手はあのジュードだ。どちらの可能性も考えられた。そしてシルフモドキがジュードを見つけられない最悪の可能性までも脳裏に浮かび、だがガイアスはその考えを切り捨てた。
ガイアスはローエンにジュード捜索の指揮を任せた。本来ならガイアス自身が全土を歩いてでも探したかったが、自分は王なのだ。今はこの城を動くことは出来ない。
けれど時折どうしようもない程の焦燥に襲われ、城を飛び出してしまいそうになる。
そんな時はいつもジュードが訪れた時に使わせていた部屋を訪れて心を落ち着けた。
ジュードが使っていた部屋は、後宮の中で最も重要な部屋、つまり正妃が使うべくして作られた部屋だった。
ジュード自身はそんな事は露とも知らなかっただろうが、後宮で働く者たちはジュードを未来の妃として見ていた。
何せあのガイアスが初めて後宮に連れ込んだ少女だ。正妃の部屋を使わせた時点でガイアスの寵愛ぶりは誰の目にも明らかだった。
一節の内の一旬だけこの部屋を使っていたジュード。香水をつけているわけでもないのに仄かに花の香りがしたジュード。
その香りが残っているわけもないのだが、それでもガイアスはこの部屋に来ると少しだけ心を落ち着かせることが出来た。
何故、何処に。もう何度繰り返したかわからない問いかけの答えをくれる者はいない。
だが、必ず見つけ出してみせる。
ガイアスはそう強く心に誓い、部屋を出て行った。

 

ジュードの胎は日に日に大きくなっていき、あっという間に妊娠十節目を迎えた。
もういつ産まれてもおかしくないと医者には言われていたが、胎動を感じる以外は特に変化がなかった。
ここ数日、アルヴィンはジュードが心配なのだろう、仕事を早めに切り上げて帰ってくる。
GHSもあるんだし大丈夫だよ、と笑うジュードにけれどアルヴィンは心配なんだよ、とその小柄な体を後ろから抱きしめた。
その日もいつものように二人で夕食を摂った後はジュードはアルヴィンに凭れ掛かって本を読んでいた。
こうしたさり気ないスキンシップももう随分と自然に出来るようになった。
そんなジュードの気を許した態度にアルヴィンは幸せを感じていた。
母が死んでからはもう自分には一生無縁だろうと思っていた、家族という存在。
ジュードの胎にいる子供が自分の本当の子では無い事が唯一惜しまれたが、もうそれでも構わなかった。
ジュードが傍にいてくれる。ガイアスより自分を選んでくれた事実がアルヴィンを支えていた。
例えジュードがアルヴィンを逃げ道として利用しただけであっても、それでも良かった。
今まで散々裏切って利用して傷付けてきた分、ジュードを大切にしてやりたい。その胎の子ごと、愛しんで大切にしたい。
アルヴィンがそう思いながら明日届く荷物の納品予定書を見ていると、突然ジュードがぱたりと本を閉じた。
「ジュード?」
アルヴィンが書類から視線を上げて傍らを見ると、何処か強張った面持ちでジュードはアルヴィンを見上げて言った。
「産まれるかも」
「は?」
「さっきからなんか、お腹痛い」
「え、ちょ、マジでか!」
そういう事は早く言え!アルヴィンはそう怒鳴ってGHSを取り出した。

 

それからというもの、目まぐるしく事態は動いた。
アルヴィンが慌てて医者を呼び、テンパったアルヴィンは何故かバランも呼び出した。
そして医者よりバランが先に駆け付け、慌てふためいているだけのアルヴィンを見ると呆れながらもてきぱきと指示を出して出産の準備をさせた。
それから暫くして医者が助産師を連れてやってきた。医者がジュードを診ている間、うろうろと落ち着きなく部屋を歩き回っていたアルヴィンはバランにしゃんとしろと背中を叩かれた。
陣痛が始まっても出産に至るまでには半日ほど掛かることが多い。初産なら尚更だ。
夜中になってもアルヴィンは痛みに呻くジュードを見守る事しかできず、ひたすらジュードの手を握っていた。
そして夜が明ける頃、ジュードは元気な女の子を産んだ。
純白のおくるみに包まれた赤子は、ジュードの枕元でむにゃむにゃと口を動かしていた。
「抱いてあげてください、お父さん」
助産師の言葉にアルヴィンは戸惑った。お父さん。俺が、父親。
ジュードを見下ろせば、疲労を滲ませ母となった少女がアルヴィンの背を押す様にゆっくりと頷いた。
助産師が赤子を抱き上げ、そっとアルヴィンに抱かせる。
軽いけれど、思っていたよりずしりと重い新たな命の重みに、アルヴィンは目の前がぼやけていくのを感じた。
本当の父親が誰だとか、もう、関係ない。
この子は、
「俺の、子だ……!」
まだ目も開いていない赤子に頬を寄せるアルヴィンを、ジュードは穏やかな目で見上げていた。

 

赤子はマイアと名付けられた。二人で何日もああでもないこうでもないと考えた末の命名だった。
バランが出産祝いにとくれたピンク色のおくるみに包まれたマイアは目も開くようになった。
その瞳の色はジュードの蜂蜜色でもなく、アルヴィンの鳶色でもなく、鮮やかな赤だった。
だが、ジュードもアルヴィンもその事については何も言わなかった。二人にとって、もうそんな事は些細な事だった。
ジュードはこれまでアルヴィンを隠れ蓑にして暮らしてきた。何処か後ろめたさがあった。
だが、アルヴィンがマイアを自分の子だと言ってくれた時、思ったのだ。
アルヴィンと、本当の家族として生きていこう。
アルヴィンと、自分と、マイアの三人で、幸せな家庭を築こう。
ジュードはそう、本当の意味での覚悟を決めたのだった。

 

ジュードの一日はマイアの世話で殆どが潰れた。
数時間おきの授乳は夜中であろうが当然のように起こされ、眠い目を擦りながら母乳を与えた。
アルヴィンは積極的に子育てを手伝ってくれた。
仕事で疲れて帰ってきても必ずマイアの相手をし、風呂に入れた。おむつを替えるのももう手慣れたものだ。
そんなアルヴィンをジュードは微笑ましく思いながら見守った。
ある日、二人はマイアを連れて買い物に出かけた。マイアの身の回りの物で足りなくなった物を揃える為だ。
一通りの物を買い、帰路を辿っていると不意に二人の前に立ち塞がる影があった。
「……ローエン」
「お久しぶりです、ジュードさん、アルヴィンさん」
動揺で言葉を失っていると、すっとアルヴィンがジュードを背に庇うように立った。
「先、帰ってろ」
「でも、アルヴィン……」
縋る様に見上げれば、アルヴィンは優しく微笑んで大丈夫だ、とジュードを促した。
「……わかった。ローエン、ごめん……」
ジュードはローエンの目を見る事が出来ず、俯いたままその脇を通り抜けた。

 


 

ジュードの姿が完全に見えなくなってからアルヴィンは口を開いた。
「よく、ここがわかったな」
リーゼ・マクシアを発つ時に利用したシャン・ドゥの宿屋の主にも金を握らせて黙らせたはずだ。ユルゲンスやバランが漏らしたとも考えにくい。
「この一年、リーゼ・マクシア全土を探しましたが全く手がかりが得られませんでした。ならばもうエレンピオスしか無いでしょう?」
エレンピオスはガイアスの手の及ばぬ場所だ。早い時期から密偵を放っていたものの、結果は芳しくなかった。
ジュードはヘリオボーグ基地で研究を続けていたが、バランが敷いた箝口令によってジュードの存在は伏せられていたからだ。
エレンピオスでもないのかと密偵を引き上げさせようとしたある日、事態は動いた。
もしかして病院なら一度くらい罹っていないだろうかとトリグラフの総合病院のデータベースに不法にアクセスした者がいた。
かくしてそこにジュード・マティスの名前はあった。
カルテには個人病院に転院した旨が記されており、転院先の病院名も記されていた。
医師は患者の個人情報を教える事は出来ないと突っぱねた。しかし何日も病院の前に張り込んだ結果、ジュードらしき人物が出入りしている事実を掴んだのだ。
密偵からの報告にローエンはどうしたものかと思案した。
ジュードが見つかったのは喜ばしい事だった。しかし報告書によればどうやらジュードはアルヴィンと夫婦として暮らしており、子供まで産んでいるという。
ガイアスにそのまま報告するのは躊躇われた。
そこでローエンはウィンガルに相談し、ガイアスには適当な理由をつけてエレンピオスに直接出向くことにした。
とはいってもローエンもほいほいと城を空けられる身ではない。報告を受けてからローエンがエレンピオスに出向けるようになるまでに一節かかった。
「お子さんのお名前を聞いてもよろしいですか?」
「……マイアだ」
「マイアちゃんですか。そうですか。可愛らしかったですねえ」
にこにことそう言葉を紡ぐローエンはその笑顔のまま核心を突いてきた。
「あの子は、王の子ですね?」
びくりとアルヴィンの肩が揺れる。
「どうして、そう思う」
「瞳の色が王と同じでしたから」
「よく、見てるんだな……」
じじいを甘く見てもらっては困ります、とローエンは笑う。
「……あの子は、俺の子だ。俺の、娘だ」
「ですが、王はジュードさんを探しています」
「そんなの関係あるかよ!」
アルヴィンは声を荒げて言った。
「あいつが不安で潰れそうになってた時、支えたのは俺だ!マイアが生まれるまで見守ってきたのも、あいつが死にそうになりながらマイアを産んだ時に傍にいたのも、この俺なんだ!」
漸く、家族になれたのだ。独りになったと思っていた自分に、ジュードは家庭の暖かさを思い出させてくれた。それを失うなんて、耐えられない。
「俺から、あいつを奪うなよ……!」
最初に奪ったのはアルヴィンだ。だが、もう今更、返すなんて出来ない。自分はもう、あの暖かさを知ってしまった。
「アルヴィンさん……」
ローエンが痛ましいものを見るような目でアルヴィンを見た。
お互い見詰め合ったまま沈黙が流れ、やがてローエンが一つ溜息を吐いて視線を伏せた。
「……わかりました。王にはジュードさんが見つかった事は黙っておきましょう」
「ローエン……」
「ただし、条件があります。ジュードさんを必ず幸せにする事。そして、このじじいに定期的にジュードさんとマイアさんの事を報告をする事」
良いですね、と器用にウインクをするローエンに、アルヴィンはすまない、と頭を下げた。

 


アルヴィンとローエンは今頃何を話しているのだろう。ジュードは不安に駆られながらマイアをベビーベッドに寝かせた。
何も知らないマイアはうーうー言いながら手足をばたつかせている。
そんな娘の赤い瞳を見下ろしながら、どうしよう、とジュードは唇を噛んだ。
ローエンに見つかったという事は、ガイアスにも知られている可能性が高い。
もしガイアスと会う事になったら、どうすればいいのだろう。
いや、どうもこうもない。自分はもうアルヴィンの妻なのだ。ガイアスに詰られたとしても甘んじて受けよう。
あの時、ガイアスよりアルヴィンを選んだのは自分なのだから。
気持ちを切り替えよう。ジュードはぱちんと自分の頬を叩くとキッチンへと向かった。
今日はアルヴィンの好きなものばかり作ろう。食後のデザートにピーチパイも焼こう。
料理は好きだ。作ることに没頭している間は余計な事を考えずに済む。
そうして粗方の料理が出来上がる頃、アルヴィンは帰ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま、ジュード」
抱き寄せられ、ジュードもそっとアルヴィンの背中に腕を回した。
「……ローエン、なんて言ってたの」
「大丈夫だ。王様には黙っててくれるってさ」
え、とアルヴィンの顔を見上げる。本当に?と問えばああ、とアルヴィンは力強く頷いた。
「その代わりに条件出された」
「条件?」
「おたくとマイアの事、定期的に報告しろってさ。あと……」
「あと?」
小首を傾げて見上げてくるジュードの頬にそっと口づけ、アルヴィンは笑った。
「おたくを必ず幸せにしろってさ」
「アルヴィン……」
「幸せにする。絶対だ」
「うん、アルヴィン……」
すっとアルヴィンの顔が近づいてきて、ジュードは自然と目を閉じていた。
これで、良いんだ。そう信じ、ジュードはアルヴィンの唇を受け入れた。

 


「どうだった」
ローエンがガイアスの元に参じると王は開口一番にそう問うてきた。
ガイアスにはエレンピオスにジュードに似た人がいるという報告が来たので確かめに行ってくる、と伝えてあった。
だが、ローエンは心底残念そうに首を横に振った。
「人違いでした」
「……そうか」
ローエンを疑う事もなくガイアスは深い溜息を吐いた。
「ジュード……」
そうして王座から降りたガイアスが後宮へと向かうのをローエンは見送った。
恐らくまたジュードが使っていた部屋に向かったのだろう。最近のガイアスは一日一回はその部屋へと向かっていた。
ガイアスの中で渦巻く葛藤をローエンは知っている。自らの足でジュードを探しに行きたいという願いと王としての責務の狭間で揺れる男の背をこの一年、見守ってきた。
だがそれと同時にアルヴィンがどれほど幸薄い人生を送ってきたかも知っている。その果てで漸く手に入れた安息なのだという事も。
ジュードを失って立ち直れないのはどちらかなど、火を見るより明らかだ。
ガイアスは己が王であることを自覚している。だから例えジュードがこのまま見つからなかったとしても独りでその道を行くだろう。
だがアルヴィンは脆い。今ジュードを無理に奪い返せば彼はきっと立ち直れない。
もう少し、様子を見るべきだ。ローエンはそう判断した。
さて、と自らの髭を弄りながら思う。ウィンガルにはどう説明したものか。
ローエンはそう思案しながらウィンガルの執務室へと足を向けた。

 


「アルヴィン」
マイアが漸く眠りに就き、二人でのんびりしているとジュードがぽつりとその名を呼んだ。
「なに?」
アルヴィンが傍らのジュードを見下ろすと、ジュードはあのね、とアルヴィンのシャツを掴んで言葉を紡いだ。
「僕、をね、その……」
「ジュード?」
様子のおかしいジュードに首を傾げていると、赤い顔をばっと上げてジュードは言った。
「僕をね、アルヴィンの……本当の奥さんに、して欲しいんだ」
アルヴィンはジュードの言葉を何度も脳内で繰り返し再生した。
それは、つまり。
「……抱いて、良いのか?」
信じられない思いでそう問えば、顔を赤くしたジュードは再び俯いてこくりと頷いた。
今まで触れるだけのキスは何度も交わしてきた。けれど、それだけだった。
それ以上の触れ合いは、禁忌のような気がしていたのだ。
それを、ジュードから求めてきた。アルヴィンは急激に湧き上がった衝動に突き動かされてジュードに口付けていた。
「んんっ……」
いつもの触れるだけのキスじゃない。唇を割ってアルヴィンの熱い舌が入り込んでくる。
咄嗟に逃げようとする舌を絡めとられ、吸い上げられた。卑猥な水音が響き、ジュードの手がきつくアルヴィンのシャツを掴む。
「……は、ぁ……」
とろりとした視線で見上げてくるジュードのそれにアルヴィンは下肢に熱が集まっていくの感じた。
そっとジュードをベッドに押し倒し、本当に良いのか、と問う。
恥ずかしそうに頷くジュードに、アルヴィンは湧き上がる欲のままにその小柄な体に覆い被さった。

 

結果として、アルヴィンとジュードは体を繋げる事は出来なかった。
口付けと愛撫に蕩けるジュードの、子を産んでも狭いそこを指で広げ、アルヴィンの熱を受け入れる準備を整えた。
けれど、その先端を濡れそぼるそこに押し当てた時、アルヴィンは気付いてしまった。ジュードの手が、震えている事に。
アルヴィンは押し入りたい衝動を抑え、そこに熱を擦り当てて挿入しないまま果てた。
どうして、と見上げてくる視線に、大丈夫だからとその目尻に口づけを落とす。
無理しなくていい。おたくが本当に俺を受け入れてくれるまで待つよ。
アルヴィンの言葉に、ジュードはごめんね、と同じように口づけを返した。
熱をジュードの腹にぶちまけてしまったのでそれを清め、二人は寄り添って眠りに就いた。
体は繋げられなかったけれど、アルヴィンは満たされていた。

 


ここ数年のローエンの楽しみは、一旬毎に届くアルヴィンからの報告を読む事だった。
ローエンがアルヴィン達の元を訪れてから三年。約束通りアルヴィンは毎旬ローエンのGHSに報告という名の育児日記を送っていた。
ジュードとマイアの画像も毎回添付されており、幸せそうな二人の姿にローエンは満足げに頷く。
つい最近まで第一反抗期を迎えていたマイアも漸く大人しくなったらしく、ほっとした様子が文面から窺えた。
ほのぼのとしていると扉をノックする音がしてローエンは電源を落とした。
「イルベルト殿、少し良いか」
入ってきたのはウィンガルで、ローエンははいと頷いてGHSを執務机の引き出しの中に片づけた。
そのままウィンガルの後について部屋を出ていき、ローエンの執務室には誰もいなくなった。
「イルベルト、居るか」
そこにやってきたのはガイアスだ。ガイアスは部屋に入るとぐるりと室内を見渡した。
どうやらローエンはいないようだ。踵を返して部屋を後にしようとしたその時、何処からともなく音楽が聞こえてきてガイアスは足を止めた。
何処から、と耳を澄ませて視線を巡らせると、ローエンの執務机が目に付いた。その一番上の引き出しから聞こえてくる。
不躾かと思ったが、好奇心に勝てずガイアスは引き出しを引いた。
整然と片づけられている中、ぽんと無造作に置かれた手のひらサイズの何か。音楽はそこから流れている。
これはGHSというやつか?ガイアスはそれを手にとってまじまじと見る。
エレンピオスで普及しているというそれの存在は知っていたが実物を見るのは初めてだった。
画面には「アルヴィンさんからのメールです」と表示されている。アルヴィン。あの男か。
メールとは何だろうと思っていると不意に音楽が途切れ、ガイアスは何気なくいくつもあるボタンのうちの一つを押した。
すると画面が切り替わり、この四年間ずっと探していた少女の姿が現れた。
「ジュード……?」
記憶にあるより大分髪が伸び、大人っぽくなっていたがそこに写っているのは確かにジュードだった。
その腕に幼い少女を抱え、楽しそうに笑っているジュード。
食い入るように見つめていると、扉が開いた。
「おや、王、いかが……」
ローエンはガイアスが持っているのが己のGHSだと気付くと全てを悟った。
「……どういう事だ、イルベルト」
ガイアスの低い声に、ローエンはタイムリミットですね、と内心で呟いた。

 

「では貴様は三年もの間、この俺を謀っていたという事だな」
地の底に響くような低音で問う王に、ローエンは申し訳ございません、と頭を下げた。
三年も前にジュードが見つかっていたのにも関わらずそれを秘匿していた事実に、さすがのガイアスも苛立ちを隠せないようだった。
ジュードが姿を消して四年。手掛かりすら無い日々にどれ程ガイアスが心を痛めていたか。それを誰より間近に見てきたのがこのローエンだというのに。
「あの時のアルヴィンさんはとても不安定でした。あの時彼からジュードさんを奪ってしまってはどうなっていた事か」
「あの男の事など知った事ではない」
ローエンの言葉をガイアスはばっさりと切り捨てた。ガイアスにとってアルヴィンは己からジュードを奪い去った輩だ。同情の余地など無い。
「すぐにエレンピオスへ行く」
部屋を出て行こうとするガイアスをローエンが引き留めた。
「お待ちください。その前に、こちらをご覧ください」
ローエンはGHSを操作し、一枚の画像をガイアスに見せつけた。
そこにはジュードとアルヴィン、そしてその娘だという子供が写っていた。
アルヴィンに肩を抱かれながら娘を抱き、何の衒いもなく笑うジュードはとても幸せそうでガイアスは顔を顰めた。
「彼らはもう家族なのです。それを引き裂くご覚悟がおありですかな」
「……それでも会わねばならぬ」
ガイアスの頑なな声にローエンは内心でアルヴィンに謝りながらもう一つ重大な事実を打ち明ける事にした。
「そこまでのご覚悟をお持ちならば、もう一つ。マイアさんのお顔をよくご覧下さい」
差し出されたGHSを受け取り、訝しげに二人の娘だという子供の顔を見る。
ジュードに似たのだろう、漆黒の髪に少し吊り上った眼をしており、その瞳の色は赤いように見える。
赤、だと?ガイアスは目を凝らしてその小さな画像を見詰める。
どれだけ見ても、その子供の瞳はジュードの蜂蜜色でもなく、アルヴィンの鳶色でもなく、鮮やかな赤だった。
まさか、とローエンを見れば、彼はしっかりと頷いた。
「そうです、あなた様の御子です」
「ならば何故ジュードは姿を消したのだ」
これはアルヴィンさんからの情報からの推測ですが、とローエンは前置いて言った。
「あなた様は以前、妃を娶るつもりもなければ子供も必要ないとおっしゃったとか」
確かにジュードを愛する以前はそのように考えていたし、そう言って憚らなかった。ジュードの前でもそう口にしたことがあったかもしれない。
「その為にジュードさんは子供を身籠った事をあなた様に告げる事が出来ず、アルヴィンさんを頼ったのだと」
「……俺が、全ての元凶だと言いたいのか。身から出た錆だと」
「そこまで申すつもりはございません。ですが、あなた方お二人は、少し、言葉が足りなかったのではないですか?」
せめてジュードに与えた部屋の意味をちゃんと教えていたら。お前を生涯の伴侶としたいのだとちゃんと告げていたら。
ジュードは姿を消すことなく、ガイアスの傍らで笑っていたのだろうか。
ガイアスは手の中のGHSをローエンに返すと踵を返した。
「……エレンピオスに行く。ついて来い」
「御意」
何かを決意した王に、ローエンは静かに頭を下げた。

 


 

昼過ぎにアルヴィンからメールが入った。今日は仕事が早く終わるとの事だった。
予測される終業時間も明記されており、じゃあ買い物の帰りに迎えに行くよ、と返信するとすぐに了解、と返ってきた。
家を出る時間までジュードはマイアをお昼寝させ、自分はヘリオボーグ基地から持ち帰った資料に目を通した。
集中していると時間はあっという間に過ぎ、はっと気づけば家を出なくてはならない時間になっていた。
「マイア、お買い物とパパのお迎え行こう?」
眠ったままのマイアを揺すって起こすと、パパの一言にぱっと目を覚ました。
「パパ!おむかえ!いく!」
颯爽と玄関に向かおうとするマイアを引き留めてぼさぼさになった髪を梳かしてやる。
肩まで伸びた黒髪が大人しさを取り戻し、よし、と櫛を置けば今度こそマイアは玄関へと走った。
「ママ、はやく!」
「はいはい」
ジュードは財布とGHSを鞄に入れ、マイアの手を引いて部屋を出た。
トリグラフの街並みはジュードにとって随分見慣れたものとなっていた。
行きつけの店で食材を買い、アルヴィンの職場へと向かう。
アルヴィンの職場はトリグラフ港にある宿屋の隣だ。商業区を抜けて二人はトリグラフ港へと向かった。
もうすぐ辿り着く、という所でジュードは宿屋から出てきた二人組に目が行った。
その二人に視線を向けたのは偶然だった。たまたま進行方向にいたから目に入った。それだけの筈だった。
だが。
「え……」
思わず歩みを止めた母親を、マイアが不思議そうに見上げた。そして母親の視線の先を見やり、もう一度母親を見上げた。
だがジュードは娘の視線に気づかない。
ジュードの視線の先には、この四年間で思い出として片づけた筈の男がいた。
傍らのローエンがジュードに気付いて男に声をかける。男がジュードを見た。
その変わらず強い意志を秘めた視線にジュードの体は硬直する。
「ガイ、アス……」
四年ぶりに口にしたその名は、酷く掠れて震えていた。
真っ直ぐにこちらへと向かってくるガイアスに、逃げなくては、と思う。なのに体が凍り付いた様に動かない。
その威圧感に押されたのか、マイアがさっとジュードの後ろに隠れ、男をじっと見上げた。
ガイアスは手を伸ばせば届くほどに近くまで来て、足を止めた。
「……ジュード」
四年ぶりに聞いたその低音に、ジュードの体がびくりと震える。
「息災であったか」
「う、ん……ガイアスも、元気、そう、で……」
徐々に俯いていくジュードに、本当にそう思うか?とガイアスが告げた。
「え……」
再び顔を上げると、ガイアスがどこか切なそうな顔でジュードを見下ろしていた。
「お前が姿を消してからのこの四年、安らげる日は一日たりとも無かった」
ジュード、とガイアスの手がジュードの頬に触れる。
「俺の元へ帰って来い」
その言葉に打たれたようにジュードの体はジュードの思う様に動かない。
「でも……僕、は……」
「ローエンから大体の話は聞いた。お前が誰と暮らしているのかも。それでも俺はお前を諦める事など出来ぬ」
「ガイアス……僕……」
何を言えばいいのだろう。何を言うつもりなのだろう、僕は。ジュードは停止したままの思考で言葉を紡ごうとして、けれどマイアの声にそれは遮られた。
「パパ!」
マイアがジュードの手を離れて駆け出す。その先には、険しい表情をしたアルヴィンがこちらに向かって歩いてくる所だった。
「アルヴィン……」
駆け寄ってきたマイアを抱き上げたアルヴィンはジュードをちらりと見た後、ガイアスを睨み付けた。
「奥さんが強面のおっさんに絡まれてますーって言われて来てみりゃ、あんたか」
そしてその強い視線のままガイアスの後ろに控えていたローエンも睨んだ。
「おいじいさん、約束と違うんじゃねえの」
アルヴィンの言葉に、ローエンは申し訳ございません、と謝った。
「王にGHSを見られてしまいまして」
「……まあ、見つかっちまったもんは仕方ないな。で、うちの嫁さんに何か用?」
「籍は入れてないと聞いたが?」
「はっ。籍が入ってようがいまいがジュードがこの四年間俺の嫁さんとして暮らしてきた事に変わりはねえよ」
なあ、ジュード。いやに優しい声音に、ジュードはぎこちなく頷く事しかできなかった。
「う、ん……」
「というわけで、今さら会いに来た所でおたくに割って入る余地はないわけよ」
「……」
アルヴィンとガイアスが睨み合っていると、まあまあ、とローエンが割って入った。
「立ち話もなんですし、どこか入りませんか」
「こっちには話すことなんて無いんだがね」
「そう仰らずに。宿屋にあるバーなどいかがです?」
するとアルヴィンは何かを思いついた様に唇の端を歪めて笑うと、もっと良い所があるぜ、と言った。
「ウチはどうだ」
「アルヴィン?」
どういうつもりなの、とジュードがアルヴィンの腕を引くがローエンがではそうしましょう、と頷いてしまったのでジュードは困惑の瞳で三人を見た。

 

部屋に辿り着くまでガイアスは一言も言葉を発しなかった。
マイアがしきりにガイアスを気にしていたが、アルヴィンは適当な事を言ってマイアの気を逸らさせていた。
部屋の鍵を差し込んでロックを外すジュードの手が震えていたが、誰も何も言わなかった。
アルヴィンが扉を開き、マイアを抱いたままガイアスを見て言った。
「ようこそ?俺たちの愛の巣へ」
その瞬間、ジュードはアルヴィンが何故ガイアス達を部屋に呼んだのかを理解した。
だがもう遅い。ジュードは二人を招き入れると逃げる様にキッチンへと向かった。
人数分の紅茶を用意しながらジュードは震える手をもう片方の手で押さえつけた。
アルヴィンはガイアスに見せつけるつもりなのだ。己とジュードが夫婦として、家族として過ごしてきた空間を。
この部屋はそう広くはない。ダイニングと対面式のソファのあるリビングがあり、リビングから続き間で寝室として使っている部屋があるだけの部屋だ。
一つしかないベッドにガイアスは何を思うだろう。胸の奥が痛みを訴えてきてジュードはギュッと胸元を握った。
しっかりしなきゃ。ジュードは己にそう言い聞かせてトレイを手にリビングへと向かう。
リビングではアルヴィンがマイアを膝に乗せてローエンとマイアについて話していた。ガイアスはローエンの隣で腕を組んでじっと黙っている。
そんなガイアスを見る事が出来ず、ジュードは俯いたままそれぞれの前にカップを置いた。
やる事が無くなってしまってどうしようと思っているとアルヴィンが自分の隣をぽんと叩いた。
「座れよ、ジュード」
「うん……」
言われるがままアルヴィンの隣に座り、居心地の悪い思いをしているとさて、とローエンが己の白髭を撫でた。
「黙っていても始まりませんぞ、陛下」
「……そうだな。……ジュード」
「は、い……」
「もう一度言う。俺の元に帰って来い。この四年の事が気にならないと言えば嘘になる。だが俺はもうこれ以上お前の居らぬ日々を過ごすつもりは無い」
「でも、僕は……」
「ジュード」
言葉を詰まらせて俯いてしまうジュードの名をガイアスが噛み締めるように呼ぶ。
「俺は今でもお前だけを愛している。俺の妻となれ」
「でも、ガイアス、誰とも結婚したくないって……」
「確かに昔はそう思っていた。だがお前を愛してからは考えを改めた。お前とならば手を取り合ってゆけると思ったのだ」
「子供もいらないって……」
「世襲制にするつもりは今もない。だが子供が欲しくないわけではない。お前との子ならば、俺は欲しいと思っていた」
「ガイアス……本当に……?」
信じられない、と言う様に問えば、真実だ、と真っ直ぐな目でガイアスは頷いた。
「ジュードさんが王城でお使いになっていた部屋を覚えていますか」
割って入ったローエンの言葉にジュードは頷く。
「あの部屋は本来、正妃となった女性の為の部屋です。王は最初からあなたを娶るつもりだったのですよ」
「でも、ガイアスはそんな事、一言も……」
「あの時のお前はまだ幼かった。もう少し様子を見るつもりだったのだ」
「その幼かったジュードを孕ませておいてよく言うよ」
今まで黙ってマイアの遊び相手を務めていたアルヴィンが口を挟んだ。
「子を孕んでも構わないと思ってジュードを抱いていたのは確かだ。そうすれば、ジュードが手に入ると思っていたからな」
だが、実際にはジュードは姿を消した。ガイアスはアルヴィンを睨む。
「まさか貴様にかどわかされるとは思いもよらなかったぞ」
「かどわかすだなんて人聞きの悪い。ジュードは自分の意思で俺を選んだんだ。なあ?ジュード君」
「……うん……」
頷く事しかできないジュードにそれでもガイアスは言葉を綴った。
「お前が子を孕んだ事を俺に言えないような雰囲気を作っていた俺自身にも原因はある。それは謝ろう。だがジュード、一度考えてはくれまいか」
ガイアスの元へ帰るか、アルヴィンとこのまま暮らすか。
「……」
頷く事も拒絶する事も出来ず黙っていると、今すぐでなくていい、とガイアスは言った。
「明日、また来る。それまでに答えを出しておけ」
そう言って立ち上がると玄関へと向かう。ローエンも紅茶ありがとうございました、と一礼してガイアスの後に続いた。
「……それでもお前がその男を選ぶというのであればもう何も言わん。だが、少しでもお前が迷っているようなら……」
俺はお前を奪ってでも連れ帰るぞ。
そう言い捨ててガイアスはローエンと共に部屋を出て行った。
そして部屋には困惑の表情を浮かべるジュードと無表情のアルヴィン、菓子を食べる事に夢中なマイアが残された。
「……」
「……」
静まり返った室内にマイアが菓子を食べる音だけが響く。
そんな沈黙を破ったのはジュードだった。
「……そろそろ、お夕飯作るね」
アルヴィンの返事を待たず、ジュードはカップをトレイに乗せてキッチンへと向かった。
その後ろ姿を見送り、アルヴィンは膝の上のマイアを抱き寄せる。
「パパ?」
食べかけの菓子を手にきょとんとして見上げてくるマイアの黒髪を優しく撫でながらアルヴィンは呟いた。
「潮時、なのかねえ……」

 

その日の夕食は静かだった。
マイアが時折どちらかに向かって何かを話すことはあったが、アルヴィンとジュードの会話は無かった。
ジュードが洗い物をしている内にアルヴィンとマイアが風呂に入っていった。
風呂場から聞こえてくる、二人分のいつも通りの楽しげな声にジュードは一つ溜息を落とした。
アルヴィンは、どう思っているのだろう。ジュードはそれが気掛かりだった。
ジュードはマイアが生まれたあの日にアルヴィンと生きていく事を選んだ。今さらそれを覆すつもりはない。
ガイアスの事は正直な所、今でも愛しいという想いはある。けれどアルヴィンとの生活を捨てる事も出来ない。
だがアルヴィンは?
アルヴィンとジュードは未だに体を繋げたことが無い。もう大丈夫だと言ってもアルヴィンは決して挿入しなかった。
いつもジュードを手や舌で高みに連れて行き、自分はジュードのそこに熱を擦りつけるか口で奉仕させるかして挿れようとはしない。
それがジュードは不安だった。最後の一線を越えられない。そのもどかしさはアルヴィンに何処かで拒絶されているようだった。
「……」
出しっぱなしになっていた水を止め、ジュードはリビングへと向かった。
二人と入れ替わりに自分も風呂に入り、濡れ髪をタオルで拭いながらリビングに戻るとアルヴィンとマイアがパズルで遊んでいた。
「ジュード」
「ママ、みて!」
穏やかに笑うアルヴィンと愛しい娘。
この光景を、失いたくない。
ジュードはそう思って二人の元へ向かった。

 

「なあ、ジュード」
マイアを寝かせ、二人だけになるとアルヴィンが口を開いた。
「なに?」
「おたく、ガイアスの所へ帰ったら?」
え、と傍らの男を見上げる。アルヴィンは真っ直ぐ前を向いたままジュードを見ようとしない。
「マイアにとっても、その方が良いだろ。何たって本当の父親だしな」
「どう、して……」
「ずっと考えてた事だ。いつかガイアスがお前を迎えに来たら、返してやろうってな」
何で、と辛うじて声にすると、アルヴィンは俺じゃお前に本当の幸せを与えてやれない、と自嘲気味に笑った。
「そんな事無い!僕は今でも十分幸せだよ?アルヴィンが約束してくれたとおり、僕は幸せなんだよ?」
だがアルヴィンは緩やかに首を横に振ってそれを否定した。
「それは幸せじゃなくて、逃避だ。逃げる楽さを幸せだと勘違いしてるだけだ。本当はおたく、まだガイアスの事愛してんだろ」
「そ、れは……」
言葉を詰まらせて俯くと、ほらな、と頭上から苦笑交じりの声が落ちてきた。
「おたくが本当に愛してんのはガイアスなんだよ。たまたま俺が逃げ道作ってやったから俺を選んだだけで……」
「確かに!確かに、僕は今でもガイアスの事を愛してるんだと思う。でも、アルヴィンの事もちゃんと愛してるんだよ?」
アルヴィンと生きていこうって改めて誓ったばかりなのに、どうして。
「……だから、僕と最後までしなかったの?」
「……」
アルヴィンは何も答えない。それが答えだとジュードはわかってしまった。
「……そう」
ジュードは唇をきゅっと噛み締めると、徐に夜着を脱ぎ始めた。
「ジュード?」
目を丸くして見ているアルヴィンの前でジュードは一糸まとわぬ姿になるとアルヴィンをソファの上に押し倒し、その上に乗り上げる。
「しよう、アルヴィン」
「ちょ、おい……」
「それで明日、婚姻届出しに行こう」
「待て、ジュード、落ち着いて……」
「僕は落ち着いてるよ」
ジュードの手がアルヴィンのズボンに掛かり、その細い手首を咄嗟に掴んでいた。
「ジュード」
責める様にその名を呼べば、ジュードはくしゃりと顔を歪めて泣きそうになりながら言った。
「僕と、したくない、の?」
ジュードのその問い掛けに、アルヴィンは己が岐路に立たされている事に気付いた。
自分がどう答えるかによって、全てが決まるのだ。アルヴィンもまた痛みを堪えるかのように顔を歪め、ジュードを見上げた。



→「……悪い」



→「本当に、良いんだな?」

 

 

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