ジュードとアルヴィンが恋人同士となったのは、断界殻を開放してから半年が経過した頃だった。
それまでの二人は想い合ってはいたものの、なかなかそれを通じ合わせる事は出来なかった。
男同士という事もあったし、年の差もあった。
何よりアルヴィンは何度もジュード達を利用し、裏切っており、そんな事を言い出せるような空気ではなかった。
しかしぎくしゃくしていた関係も断界殻を開放し、旅が終わってそれぞれの道を歩き出してから漸く修復の兆しが見えた。
全てはジュードの努力によるものだった。
アルヴィンは自分からは滅多に手紙を飛ばしてくれなかったので、ジュードの方から頻繁に手紙を出す必要があった。
アルヴィンがリーゼ・マクシアにいる間はシルフモドキも仕事を果たせたが、エレンピオスに行っている間はさすがのシルフモドキもジュードの手紙をそのまま持ち帰ってきた。
手紙のやり取りを始めて半年後、漸く重い腰を上げたアルヴィンがジュードの元を訪れた。
半年ぶりの再会をジュードは素直に喜んだが、アルヴィンの態度は自分から会いに来ておいて余所余所しかった。
最初は純粋に喜んでいたジュードも、アルヴィンのその態度に次第に言葉少なくなっていった。
もう、手紙……送らない方が、いい、のかな?
重い空気に耐えきれなくなってジュードがそう切り出すと、そうじゃない、とアルヴィンはジュードに小さな黒匣を差し出した。
自分がエレンピオスにいる間はジュードの手紙を受け取る事が出来ない。なのでこれを代わりに贈りたいのだ、と。
それは、ここ最近エレンピオスで急激に普及しているGHSという通信機器だった。
だが、小さくても黒匣は黒匣。いくら断界殻が解放され、黒匣を使っても精霊が死ぬ事が無くなったと言っても黒匣を無くす為に源霊匣を研究しているジュードにこれを渡すのは気が引けてしまっていたという事だった。
気が漫ろだったのも、いつ切り出そうかとそわそわしていただけだったと言う。
その言葉に安堵したジュードはGHSの使い方を教わりながら思った。
やっぱりアルヴィンの事、好き、だな。
何度も利用され、裏切られ、果てには殺されかけた。それでも憎み切れなかった。嫌いになれなかった。
恋心って怖いなあ、なんて思っていると、聞いているのかと叱られた。
ううん、アルヴィンの事が好きだなあって思ってた。
自然とぽろりと出てしまったジュードの本音に二人は数秒の間硬直した。
先に我に返ったのはジュードの方だった。一瞬にして顔を真っ赤にすると、GHSを握りしめたままその場から逃亡しようとした。
だがアルヴィンも我に返ってしまい、すぐに腕を取られた。恐る恐る見上げたアルヴィンの顔も赤かった。
ジュードが言葉に詰まっていると、俺なんかでいいのかよ、とアルヴィンが戸惑いに満ちた声で聞いてきた。
なんか、じゃなくて、アルヴィンが、良いんだよ。そう返すと、アルヴィンはジュードを抱きしめてきた。
強く抱きしめられながらジュードが聞いたのは、ありがとう、と言う震える声だった。
そうして、二人は恋人同士となったのだった。

 

それから更に半年後。

 

「ルドガー!」
トリグラフ駅の片隅で立っていたルドガーにジュードが声をかける。
今日はそれぞれ自由行動をしていたのだが、ルドガーのGHSにヴェルから分史世界発見の連絡が入ったのだ。
そして仲間たちに連絡した所、一番乗りでやってきたのがジュードだった。
「早かったな」
ルドガーの少し驚きに満ちた声に、偶然近くにいたから、とジュードは笑った。
それから暫くして他の仲間たちも一人、また一人と集まってきて、全員集まった所でルドガーは今回の任務について説明した。
進入点はこのトリグラフらしい。
「じゃあメンバーを決めないとね」
ルドガーの力では自分を含め四人(と一匹)までしか分史世界に飛べない。ルドガーはこくりと頷くと進入メンバーを話し合った。
結果、今回はルドガー、ジュード、アルヴィン、レイアの四人、で行くことになった。
「じゃあ、行くぞ」
ルドガーが時計に意識を集中させると、世界がぐにゃりと歪んだ。一瞬の浮遊感の後、辺りの景色が安定する。
辿り着いた先は先程と同じ、トリグラフ駅の一角だった。まるで世界が変わったなんて気のせいじゃないだろうかと思うくらい変わらない景色。
しかし他の仲間たちの姿は消えており、よくよく見渡せば構内も多少の様変わりを見せている。進入に成功したようだ。
とりあえず情報を集めよう、という事で手っ取り早く駅の売店で新聞を購入した。
日付を確認すると、自分たちの世界から十年の時が過ぎているようだった。
そしてここでも源霊匣は普及しており、それを発明、普及させたのがジュードだと言う事だった。
新聞にはジュードの記事が載っていて、それを読んだルドガーは首を傾げた。
記事はジュードの研究について書かれていたが、そのジュードを表すのに「彼女」という単語を使っていた。
もしかして、この世界のジュードは女性なのだろうか。そうするとジュードが時歪の因子である可能性が出てくる。
ジュードはどこか複雑そうにその記事を読んでいたが、ルドガーの視線に気付くと大丈夫、と笑った。
「一先ず、僕の情報を集めてみよう」
ルドガーはこくりと頷くと二手に分かれよう、と提案した。
「じゃあ僕とルドガーは商業区の方を。アルヴィンとレイアは居住区の方をお願い」
了解、とアルヴィンとレイアの声が揃ってジュードはくすりと笑った。
そして途中でアルヴィン達と二手に別れたルドガーとジュードはまずは、とメイン通りに向かった。
「おや、ジュード先生じゃないか」
すると早速擦れ違いざまに老婆に声を掛けられ二人は立ち止った。
「今日は帰ってくるの早いんだね。あら、こちらの方は?」
老婆はジュードと面識があるらしい。取り敢えず話を合わせる事にした。
「ええと、友人です」
すると老婆は少しからかいの色を滲ませて二人を見た。
「旦那に見られたら叱られるんじゃないのかい?」
旦那、の言葉に二人は顔を見合わせる。どうやらこの世界のジュードはやはり女性で、既に誰かと結婚しているらしい。
「そういえば今日は子供たちは連れてないんだね」
「え?子供、ですか?」
思わず問い返すと、老婆は気にした様子もなくそうだよ、と頷いた。
「いつも帰宅ついでに託児所に迎えに行ってるんじゃなかったっけ?三人もいると大変だろう。しかも一人はまだ乳飲み子だ」
研究もあるのに大変だねえとしみじみ頷く老婆に、ジュードは曖昧な笑みを浮かべた。
「大丈夫です。ええと、主人の協力もあるので……」
適当にでっちあげると、老婆はそうだろうねえと頷いた。
「この前もみんなで買い物していただろう?いつまで経っても仲が良くて良い事だ」
そう笑うと、老婆はいつまでも仲良くね、と言って去って行った。
「僕が結婚か……どんな人と結婚したんだろう?」
少し興味あるな、と苦笑するジュードに、もう少し街を歩いてみようとルドガーは提案した。
この街ではどうやらジュードの顔は知られているらしく、ちょっと歩くだけで一人、また一人と声をかけてきた。
すると大抵の人がジュードと共に居るルドガーの事を不躾に見た後、旦那に怒られない?とジュードに告げた。
どうやらこの世界のジュードの夫は独占欲が強い事で有名らしい。そして休みの日はいつも家族で買い物に来て、とても仲が良いとの事だった。
そしてまた同じように声をかけてきた若い女性は、やっぱりルドガーをじろじろと見た後、とんでもない一言を口にした。
「奥さんがモテモテだとアルフレドさんも大変だよねえ」
「え!」
アルフレド、と言われて浮かぶ人物なんて一人しかいない。まさか、とジュードが動揺していると、しかし女性は構わずしゃべり続けた。
「だってジュード先生、この前もなんか強面だけどカッコイイおじ様と渋いおじいさんと一緒に歩いてたでしょう?」
「えっと……」
もしかして、ガイアスとローエンの事ではないだろうか。
「あの人たちは研究の関係者で……この人もただの友達です」
「へえ、源霊匣の研究者って男前ばかりなのね!羨ましい!」
今度紹介してね、と笑って女性は去って行った。
「旦那さん、アルフレドっていうみたいだな」
「ああ……うん」
「ジュード?」
ジュードの曖昧な返事に訝しげな声を上げると、ジュードはあのね、とルドガーを見た。
「アルフレドって……アルヴィンの本名なんだ」
そういえばバランがアルヴィンの事をそんな名で呼んでいた気がする。
「……え、じゃあ、ジュードの旦那さんって……」
アルヴィンなのか?と首を傾げると、ジュードは顔を仄かに赤く染めてそうかもしれない、と頷いた。
「僕が女性で、アルヴィンと結婚して子供を産んでる世界、って事、なのかな」
今までの情報を統合すると、そういう事なのだろう。
「やっぱり、この世界の僕が時歪の因子である可能性が高いよね」
「そうだな……一旦アルヴィン達と合流した方が良いかもしれないな」
今までの経験上、時歪の因子所持者とは戦いになる事が多い。この世界のジュードが時歪の因子であるのなら、戦力を分散したままなのは得策ではない。
ルドガーはGHSを取り出すと、アルヴィンの番号を呼び出した。

 


「何か最近ルドガーとジュードって仲良しだよねー」
ルドガー達と別れたアルヴィンとレイアはとりあえず中央公園に向かった。
「あー、うん。そうだな」
気のない返事にレイアは何よーとアルヴィンの前に立ちはだかる。
「アルヴィンは気にならないの?」
「いちいち気にしてたら胃に穴が開いちまうよ。ほら、調査調査」
公園では子供たちが大勢遊んでいて、その中の一人がアルヴィンに気付くと声を上げた。
「あ!アルフレドおじさんだ!」
「え、ほんとだ!アルフレドおじさんだ!」
「ちょ、おじさんって……」
おじさん呼ばわりされて傷ついているアルヴィンの足元に子供達はじゃれついてきた。
「ねえねえ今日はマイアお姉ちゃんとアレックスは一緒じゃないの?」
誰だそれ、と思ったがアルヴィンはにっこりと笑うとごめんな、とじゃれつく子供の一人の頭を撫でた。
「今は一緒じゃないんだ」
「えーつまんなーい」
「つまんなーい」
「また今度な」
すると一人の子供が傍らのレイアに漸く気付いて声を上げた。
「あー!アルフレドおじさん、うわきだ!」
「ほんとだ!おんなのひとつれてる!」
浮気だ、と騒ぎ出した子供たちにアルヴィンとレイアは顔を見合わせる。
どうやらこの世界のアルヴィンには恋人がいるらしい。子供たちはアルヴィンを指さして言った。
「ジュードせんせいにいっちゃお!」
「ジュードせんせいにおこってもらわないと!」
「は?」
思わぬ名前にアルヴィンとレイアが目を丸くするが、そんな事お構いなしに子供たちは騒ぎ立てる。
「ジュードせんせいにさつげきぶこうけんされちゃえ!」
「おいおい」
物騒な事を言う子供にアルヴィンは痒くもない頭をがしがしと掻きながらもしかして、と思う。
「この子はジュードの友達だよ」
な?とウインクされ、レイアがそうそう、と頷く。
「ジュードに会いに来たんだけど、ジュードはもう帰ってきてるかな?」
「きょうはまだみてないよー」
「ぼくもみてないー」
「そうか、ありがとうな」
子供たちに礼を言い、二人は再び歩き出す。
「ねえ、この世界のジュードとアルヴィンも恋人同士なんだね?」
二人の仲を知っているレイアがにまにましながら言う。
「良かったね、アルヴィン」
だがアルヴィンは肩を竦めて頭を振った。
「これから壊す世界に、良いも悪いもあるかよ。しかも今の所この世界のジュードが時歪の因子である可能性が高い。とくりゃこの世界のジュードと戦う事になるかもしれないんだ」
気が重いよ、俺は。そう呟くアルヴィンに、レイアもそうだよね、と俯いた。
「取り敢えず、この世界のジュードを探そっか」
「そうだな……」
二人は念の為に自分たちの知るジュードが住んでいるマンションを訪ねてみた。
掃除をしていた管理人の女性に声をかけてみると、あら、と管理人は目を丸くした。
「アルフレドさんじゃないですか。お久しぶりですね」
元気でした?と笑う管理人にええまあ、と適当に話を合わせながら情報を引き出した。
この世界のアルヴィンとジュードは恋人同士を通り越して夫婦らしかった。しかも子供もいると言う。
今は違うファミリータイプのマンションで暮らしているらしいのだが、さすがに当人であるアルヴィンの姿でその住所を問う事は出来なかった。
「子供までいたとはねえ……マイアにアレックス、ねえ。しかも最近三人目が生まれたらしいって……」
しみじみとして呟くアルヴィンに、レイアがどんな子なんだろうね、と傍らを歩くアルヴィンを見上げた。
「ジュードに似てるのかな?アルヴィンに似てるのかな?」
「どうだろうな」
するとアルヴィンのGHSが鳴り始めてポケットからそれを取り出した。
ルドガーからの着信だった。

 


合流したルドガー達は情報を突き合わせてみた。
どちらも収穫は似たり寄ったりで、やはりジュードを探すしかない、となった。
「ヘリオボーグ基地に行った方が早いんじゃねえの?」
「うーん、もし僕と同じ終業時間なら、そろそろ基地からトリグラフへの馬車に乗ってる頃だと思う。すれ違いになる可能性が高いよ。残業してなければ、だけど」
「じゃあ街道入口で待ち伏せするか」
アルヴィンの言葉に、三人は大きく頷いた。
だがここでは人目に付き過ぎる。結局四人は一旦トルバラン街道に出て、岩陰に隠れる事にした。
そして暫くすると遠目にも馬車がこちらに向かってやってくるのが見えた。
トリグラフの手前でその馬車は止まると、中から数人の乗客が出てきた。その中に、ジュードはいた。
四人は無言で頷き合うと、そっとこの世界のジュードの後を追った。
見失わない程度に距離を置いて後をつけていくと、ジュードはある施設の中に入っていった。
「……託児所?」
看板を見てそういえば、とジュードが言う。
「この世界の僕は帰り道に子供を迎えに行ってるみたい」
「え、じゃあ二人の子供が見れるって事?」
「レイア、静かに」
「ご、ごめん」
暫くしてジュードが一人の赤子を抱き、両脇に十歳前後の女の子と五歳前後の男の子を連れて出てきた。
女の子はジュードによく似た顔立ちをしており、男の子はアルヴィンによく似ていた。
「やだ、可愛いっ」
「レイア」
「スミマセン……あれ?」
レイアが何かに気付いた様に首を傾げた。
「ねえ、女の子の方、目の色赤くない?」
「え、そう?よく見えないけど……」
これだけ離れていてよくそこまで見えるものだ。ジュードが感心していると、絶対赤だよ、とレイアが言い張った。
「でもジュードもアルヴィンも赤じゃないよねえ。でもあの顔はジュードの小さい頃そっくりだよね」
あれ?と混乱し始めたレイアに、とにかく今は後を追うよ、とジュードが促した。
子供達を連れたジュードはトリグラフ港に向かっているようだった。
恐らく女の子がマイアで男の子がアレックスなのだろう、二人とジュードは何か言葉を交わしているようだったが、その内容までは聞こえない、
やがてトリグラフ港に辿り着くと、ジュード達は宿屋の隣にある事務所風の建物の中に入っていった。
また暫く待っていると、今度は一人の男も加わっていた。この世界のアルヴィンだ。
アルヴィンはアレックスを片腕で軽々と抱き上げ、マイアの手を引いていた。
彼らは何か言葉を交わしながらトリグラフ商業区の方へと戻っていく。
その姿は幸せな家族そのもので、ジュードは胸が痛むのを感じた。
自分はこの世界の自分と違って男だ。どうやったってアルヴィンの子供は産めない。アルヴィンに家族を作ってやる事が出来ない。
それが少しだけ、悔しかった。
「!」
はっと傍らのルドガーが息を飲む気配に顔を上げると、一瞬だったがジュードの体から靄のような暗い闇が溢れていた。
間違いない。ジュードが時歪の因子だ。
四人は視線を交わすと、居住区に向かって歩く彼らの後を追った。
辿り着いたのは、とあるマンションだった。オートロックらしく、入る事の出来ないルドガー達は彼らが何階のどの部屋に住んでいるかまではわからなかった。
「どうする?」
「うん……今日はもう日も暮れてきたし、多分彼らももう出てこないんじゃないかな」
「じゃあ今日は一先ず宿屋で休む?」
マンションの陰でああでもないこうでもないと作戦を練っていると、不意にマンションから誰かが出てきた。
この世界のジュードだった。
連れていた子供たちの姿もアルヴィンの姿もない。一旦部屋に戻ってからまた出てきたのだろう。
するとこの世界のジュードはマンションの前でじっと立ち止まって何かを考え込んでいた。
そして不意に言った。
「出てきたらどう?」
全員がぎくりと体を強張らせ、顔を見合わせる。それでも隠れていると、この世界のジュードがふうと溜息を吐いた。
「トリグラフ入ってから、ずっと着いて来てたでしょう?」
明らかにこちらを見ての言葉に、ルドガー達が観念してマンションの陰から姿を表すと、ジュードは少しだけ驚いた様に目を見開いた。
「……また、来たんだね」
「?」
ジュードの苦い声にルドガー達は顔を見合わせる。彼と会うのはこれが初めてのはずだが。
そんなルドガー達の疑問に気付いた様に、ジュードはごめんね、と苦笑した。
「前にも、君たちが僕の元にやって来た事があったんだ。分史世界、って言うんだよね。ここも、その一つだって教えてくれた」
そして、僕が時歪の因子っていうこの世界を構築している要だという事も。ジュードの言葉にルドガーは小さく頷く。
ジュードはもう一人のジュードへ視線を移すと、君は男の人だよね?と聞いてきた。
ジュードが頷くと、そう、と彼女も頷いた。
「前に会った僕も、男の人だった。君たちも、分史世界の人なの?」
「いや、俺たちは正史世界の人間だ」
「そう……じゃあ僕は男の子として生まれるのが本当だったのかな」
でも、僕は女の子として生まれてよかったって思うよ、とジュードは微笑む。
「色々あったけど、僕はアルヴィンと家族になれた。子供も三人も授かった。とても幸せな事だよ」
幸せそうに微笑むジュードに、けれどルドガーはこの世界を壊さねばならない。やりきれない思いを打ち消す様にぐっと拳を握りしめた。
「君たちは、これが欲しいんでしょう?」
すっと差し出したジュードの掌の上に、漆黒を纏った歯車が現れる。時歪の因子だ。
「これを壊せばこの世界も壊れる。そうだよね」
ルドガーが頷くと、ジュードは再び掌の上の時歪の因子を体の中に戻した。
「……前に来たっていう私たちは、どうなったの?」
レイアの疑問に、ジュードは曖昧な笑みを浮かべて小首を傾げた。今もこの世界が続いている事。それが全ての答えだった。
「……死体の処理は簡単だったよ。何せ勝手に消えてくれたからね。でも、君たちが正史世界の人間なら……どうなるのかな?」
穏やかなままの笑顔に何処かひやりとしたものを感じてルドガー達はそれぞれの武器に手をかける。
「おいおい、四対一ってちょっと卑怯じゃねえの?」
マンションから出てきた男の声に一同の視線がそちらに向く。この世界のアルヴィンだ。手には大剣と銃が握られている。
「という事で、加勢に来たぜ」
大剣を肩に担いで笑うアルヴィンに、ジュードはもう、と苦笑した。
「子供たちは?」
「部屋で大人しく待機」
「そう、なら良いんだ。子供たちにこんな所、見せたくないしね」
口元には笑みを浮かべたまま、ジュードが拳を構える。やはり戦うしかないのか。ルドガー達も武器を構えると、一斉に地を蹴った。

 


戦いは、四対二だというのに互角だった。
こちらの世界のアルヴィンとジュードの連携は驚くほど息が合っていて、お互いがお互いをカバーし合っていてなかなか致命傷を与えられない。
それでも次第にルドガー達が押し始めた。この世界のジュードの顔に苦悶の色が浮かぶ。
一瞬の隙が生まれ、アルヴィンの銃がジュードに狙いを定めた。
これで、終わりだ。
アルヴィンが引き金を引くと、この世界のアルヴィンが弾丸とジュードの間に割って入ってきた。
「アルヴィン!」
ジュードの悲鳴が響く。ぐらりとアルヴィンの体が揺らぎ、がくりと膝をついた。
「アルヴィン、アルヴィン!」
崩れ落ちる男の体を咄嗟に支えたジュードに、再びアルヴィンは銃を向ける。
「やめてえええええ!」
突然響き渡った甲高い声にルドガー達の動きが止まる。
そこには、彼らの娘であるマイアが涙を浮かべて立っていた。
「パパ!ママ!」
マイアは二人に駆け寄ると、瀕死の父親に治癒術をかけ始めた。
「どうしてこんなひどい事するの!パパとママが何をしたっていうの!」
少女の悲鳴じみた声にルドガーは唇を噛み締める。
この世界は壊さなくてはならない。そうしないと、自分たちの世界が壊れてしまう。
仕方のない、事なのだ。割り切らねばならない。
「マイア……」
父親の手がゆっくりと持ち上がってマイアの頬に触れる。
「もう、いい……手遅れだ……」
「でも!パパ!」
「マイア……パパは、マイアと、アレックスと、イーデンのパパで良かったよ……」
「ダメ!パパ、そんな事言わないで!」
とうとうマイアの紅の瞳からはぼろぼろと大粒の涙が溢れ出し、父親の頬を濡らした。
アルヴィンは己の体を抱くジュードへと視線を移すと、ごめんな、と微かに笑った。
「俺……約束……守れた、か?」
十分だよ、とジュードもまた涙を零して夫の手を握った。
「アルヴィンは、ちゃんと僕を幸せにしてくれた。守ってくれたよ……!」
「そう、か……よかった……」
ジュードの手の中からアルヴィンの手が静かに滑り落ち、アルヴィンはまるで眠る様に目を閉じた。
「パパ!パパ!」
マイアの悲鳴が響く。ヴィクトルと戦った時のようなやりきれない思いがルドガーを襲った。
「アルヴィン……おやすみ」
ジュードの手が優しくアルヴィンの髪を撫で、涙を流したままルドガー達を見上げた。
「僕たちの、負けだ……これは君にあげるよ」
差し伸べた掌の上に、再び時歪の因子が現れる。ルドガーがそれを受け取ると、壊すのは、少しだけ待ってくれないかな、とジュードが言った。
「最期は、家族全員でいたいから」
「……」
ルドガーが頷くと、ジュードはありがとう、とまた涙を流した。
そして力を失った夫の体を抱き上げようとして、けれど失敗したジュードにアルヴィンが歩み寄った。
「俺が背負うよ」
父親と同じ顔の男をマイアは涙で濡れた目で睨みあげ、どうして、と絞り出すように言った。
「パパと同じ顔なのに、どうしてこんなひどい事を……!」
アルヴィンは己と同じ顔をした男を背負うと、同じだからだよ、と小さく呟いた。
そしてジュードに案内されて彼らの住む一室に辿り着くと、帰りを待ちわびていたアレックスが母親に飛びついた。
「おかえりなさい!」
「……ただいま、アレックス」
そしてアレックスは後から入ってきた人々を見上げて、きょとんとした。
「……パパとママのそっくりさん?」
「アレックス、イーデンは?」
母親の言葉にアレックスは、ねてるよ、と笑った。
「パパ、どうしたの?パパも寝ちゃったの?」
「そうだよ、パパはちょっと疲れちゃって、寝ちゃったんだ」
こちらへ、と通された広いリビングのソファにアルヴィンは背負っていた男の体を横たえた。
穏やかに目を閉じているその姿は、傷だらけでなければ本当にただ眠っているだけにも見えた。
ジュードはリビングに置かれたベビーベッドですやすやと寝息を立てているイーデンを抱き上げると夫の遺体の傍らに座った。
「マイア、アレックス、おいで」
片手でイーデンを支え、子供たちに手を差し伸べるジュードの表情は穏やかで、マイアは渋々と、アレックスは嬉々として母親の手を取った。
そしてもう一人のジュードを見上げ、彼女は微笑んだ。
「……マイアだけ、瞳の色が違うでしょう?この子はね、ガイアスとの間にできた子なんだ」
「え!」
ジュードが驚きの声を上げると、彼女はくすりと笑った。
「誰にも相談できなくて、産もうか堕ろそうか迷ってた時に偶然アルヴィンにばれちゃって……そうしたらアルヴィンが言ったんだ」
――大丈夫だ、俺がいる
――子供も俺の子供として産めばいい
「最初はただガイアスに見つかりたくなくて、アルヴィンを隠れ蓑にしてた。でもマイアが産まれて、アルヴィンはマイアを自分の子だって言ってくれた」
――俺の、子だ……!
「その時に思ったんだ。アルヴィンと本当の家族として生きていこう、三人で幸せな家庭を築こうって」
この十年、本当に幸せだった。ジュードは視線を伏せながら言う。
「でももう、終わりなんだね……」
そう呟くとジュードは顔を上げ、ルドガーを見上げると小さく、けれどしっかりと頷いた。
ルドガーも頷き、時計に意識を集中させる。
骸殻を纏い、手にした槍で時歪の因子を貫いた。
ぱぁん、と甲高い音を立てて時歪の因子が砕け散る。
「正史世界の僕」
ジュードはジュードを見上げ、微笑んだ。
「僕は幸せだった。それだけは、覚えていて」
「……絶対に、忘れないよ」
ジュードが力強く頷くと、ぴしり、と世界に罅が入った。
「……ありがとう」
それが、この世界で聞いた最期の言葉だった。

 

暗闇から放り出されるようにして正史世界に戻ってきたルドガー達は、辺りを見回した。
ここはトリグラフの居住区にある中央公園だ。
「終わった、か」
アルヴィンが苦々しげに呟く。傍らでレイアがそうだね、と俯いた。
「ホント、胸糞悪いお仕事だこと」
「ちょっと、アルヴィン……」
非難の声を上げたレイアの肩にルドガーは手を乗せる。
いいんだ、と言う様に首を横に振れば、レイアはでも、と言いながらもそれ以上は何も言わなかった。
「俺、先に宿帰ってるわ」
ひらりと手を振って商業区の方へと一人歩いていくアルヴィンの姿を見送って、ルドガーはジュードを見た。
「……追わなくて、いいのか」
「……うん……かける言葉が、見つからなくて……」
「傍にいるだけでも、違うと思うぞ。こんな時は……」
ルドガーの言葉にジュードは逡巡した後、そうだね、と苦笑して駆け出した。
その後ろ姿を見送って、ルドガーは他の仲間たちに帰って来た事を知らせるためにGHSを取り出した。

 

追いかけてきたジュードと共に部屋に戻ったアルヴィンは、どっかとベッドに座って深い溜息を吐いた。
「お茶、淹れるね」
「いらねえよ。……ジュード」
アルヴィンが備え付けのティーセットを取り出そうとするジュードを制して呼ぶ。
「なに?」
近づくと、不意に腕を引っ張られてベッドに投げ出された。
「わ、っと……」
アルヴィン、とその名を呼ぼうとして、けれど見下ろしてくる男の顔が苦しげに歪んでいてジュードは言葉を詰まらせた。
「ジュード……」
そのままきつく抱きしめられ、ジュードは目を閉じてその背に腕を回した。
「……ねえ、アルヴィン」
返事はない。けれど構わずジュードは言葉を紡いだ。
「僕ね、あの世界の僕が羨ましかった。アルヴィンと結婚できて、子供も産めて、凄く幸せそうだった」
ぎゅ、と締め付ける力が強くなる。それに少しだけ息苦しさを感じながらもジュードは言葉を紡ぐ事を止めない。
「僕は男だから、アルヴィンとは結婚できないし、家族を作ってあげる事も出来ない」
でもね、と男の髪を優しく撫でる。あの世界のジュードが夫にしていたように。
「それでも、アルヴィンとずっと一緒に居たいって思う。ずっと一緒に生きていきたいって、そう思ってるよ」
すっと抱きしめる力が緩み、アルヴィンが顔を上げた。
「ジュード……」
切なげな表情のアルヴィンを安心させるようにジュードは優しく微笑む。
「僕は、アルヴィンのそばにいて……良い、かな?」
「っ当たり前だろっ……!」
そして再びきつく抱き締められる。その背を優しく撫でながらジュードはありがとう、と笑ったのだった。




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