ジュードは今、恋をしていた。
断界殻を開放して一年。ジュードは源霊匣の研究に明け暮れていた。
そんなジュードの元には頻繁に手紙やメールが届いた。
それはレイアだったり、エリーゼだったり、かつての仲間たちからのものだった。
そんな中で、時折ガイアスからも手紙を貰った。
ガイアスも最近GHSを使う様になったらしいのだが、まだ使い方がよくわかっていないらしい。
その為にGHSを手に入れてもガイアスは手紙という手段でジュードと連絡を取っていた。
ガイアスとやり取りする手紙の内容はいつも研究に関する事ばかりだ。
私生活について話す様な、そんな仲ではないから仕方がない。
けれど、ジュードはそれが時折寂しいと思う事がある。
ガイアスとも、レイア達との様にささやかな事で文を交わしてみたい。
そんな事が叶う相手ではないとわかっていても、ジュードの中でその思いはいつまでも燻っていた。
ジュードは、ガイアスに恋をしていた。
それを自覚したのは半年ほど前。
研究についてではあったが何度も手紙のやり取りをして、その手紙を心待ちにしている自分にジュードは気付いた。
目まぐるしく過ぎていく日常の中で不意に思い出すのも、ガイアスの事ばかりだった。
ああそうか、僕、ガイアスの事が好きなんだ。
けれど自覚したからと言って想いを告げるわけにもいかない。
ガイアスも自分の男だったし、年の差だって考えるだけで落ち込みそうなほど離れている。
そして何よりガイアスは王だ。
そんな彼にジュードの想いを告げた所で迷惑なだけだ。
そうそう会う事も無いし、この想いを封じ込めるのは容易な事だ。
その筈だった。
それなのに今ジュードはガイアスとローエンと共に買い物に来ていた。
どういう運命の悪戯なのか、ジュードは今、ガイアスと共に旅をしている。
正確には、ルドガーと共に、だが。
何でこんな事に。ジュードは嬉しいやら何やら複雑な気持ちで溜息を一つ吐いた。
「ジュード」
「え?何?」
「パナシーアボトルはいるか」
「ああ、うん、二本買おうか」
そうだった、減ってきたアイテムを補充するために道具屋を訪れていたのだった。
店主に代金を支払い、商品の入った紙袋を受け取るとひょいとそれを奪われた。ガイアスだ。
「持とう」
「え、良いよ、そんなに重くないし」
だがガイアスは返すつもりはないらしく、さっさと先を行ってしまう。
「もう、ガイアスってば」
そう言いつつも嬉しい気持ちを隠しきれずくすりと笑うと、それを見守っていたローエンもまた微笑んだ。
「ガイアスさんはジュードさんとご一緒出来て嬉しいのですよ」
「え?」
きょとんとしてジュードがローエンを見上げると、先を行っていたガイアスが立ち止まって振り返った。
「ジュード、ローエン、何をしている。帰るぞ」
「行きましょうか」
「え、あ、うん」
さっきのローエンの言葉はどういう意味だったのだろう。
ジュードは内心で首を傾げながらガイアスの後を追った。

 


ルドガー達との待ち合わせはトリグラフ駅の構内だった。
きょろりと辺りを見回すと、構内の一角にルドガー達の姿が見えた。
ルドガーはGHSで誰かと話しているようで、傍らにいたレイアがジュード達に気付いて手を振った。
「仕事?」
ルドガーをちらりと見てレイアに問えば、そうみたい、とレイアは頷いた。
するとルドガーは話を終えたらしくGHSをしまっていた。
「また分史世界が見つかったの?」
ジュードの問いに、ルドガーが頷く。
「進入点はカン・バルクらしい」
「じゃあメンバーを決めて、ルドガー」
ジュードの言葉にルドガーは暫く考えた後、まずはガイアスを指名した。
場所を考えて、ガイアスは居た方が良いと判断したのだろう。
そして次にジュードとアルヴィンの名を呼んだ。
「結局いつものパーティーじゃん」
レイアの言葉にジュードは苦笑する。
そこそこ大所帯になっている彼らは二つのパーティーに分けて行動する事が多い。
その中でここ最近常になってきている組み合わせだった。
「ちょうど道具も揃ってる所だし、早速行ってみる?」
「そうだな」
ルドガーが懐中時計を取り出し、意識を集中する。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「気を付けてね!」
レイアの声を最後に、世界は歪んで闇に包まれた。

 


ふっと世界に放り出された四人は辺りを見渡した。
確かにカン・バルクの一角のようだった。
まずは基本的な情報を集めなければならない。それには新聞を買うのが手っ取り早いとルドガー達は学んでいた。
宿屋に行き、カウンターで新聞を一部購入する。
どれどれ、とまずは日付を見たルドガー達は示された年数に驚きの色を浮かべた。
「……三十年後、って事?」
ルドガーの横から新聞を覗き込んでいたジュードが呆けたように言う。
「マジかよ……」
アルヴィンが頭を掻きながら嘆息する隣でガイアスは一人腕を組んで無言で立っていた。
新聞を読み進めていくと、どうやらこの世界でのガイアスは二年前に亡くなっており、今はリーレンという青年がこの国の王らしかった。
しかもどうやらリーレンという青年はガイアスの実の息子らしい。
聞き込みをしてみると、リーレンという王は若いながらも人望もあり、穏やかな人柄だと言う。
前王であるガイアスは世襲制を廃していたが、ガイアス亡き後、王の座を、と民衆が選んだのがリーレンだった。
ならば王に会ってみよう。全員一致でそう決まった。
王城は一般の者も自由に出入りが出来る様になっており、ルドガー達は広い通路を奥へと向かって歩いた。
「おい、これって……」
アルヴィンの言葉に皆が足を止める。
通路の壁に掛けられていたのは、大きな肖像画だった。
ガイアスと、その子供たちだろう、少女と少年の姿。そして。
「……僕?」
ガイアスの傍らには、ジュードによく似た女性が描かれていた。
長い黒髪を垂らしたその姿は、ジュードそのものと言っても良かった。
「前王のガイアス様と、その奥方であるジュード様ですよ」
背後からかかった声に振りかえれば、そこには上品そうな老婆が立っていた。
老婆はガイアスとジュード、そしてアルヴィンを見ると、こんな事もあるのですね、と微笑んだ。
「こんなに良く似た方々がいるなんて」
「あの……この肖像画って……」
ジュードの問いに、老婆は頷いた。
「現王であらせられるリーレン陛下の五歳の祝い事の一環として描かれました」
「この男の子がリーレン陛下なんですね。女の子の方は?」
「リーレン陛下の姉君、マイア様でございます。マイア様は十年前にファン家へと嫁がれました」
それにしても、と老婆はジュードを見つめて言った。
「本当に奥方様によく似ていらっしゃる」
「あの……その奥方様は、今は?」
すると途端に老婆は表情を曇らせ、お亡くなりになりました、と告げた。
「三年前、ご病気でお亡くなりになられました。そしてその後を追う様にガイアス様もお倒れになり、翌年に帰らぬ人となりました」
「そう、でしたか……」
「リーレン陛下とマイア様はそれはもうお嘆きになりました。見ていた私たちも思わず涙を零してしまう程に」
まるで間近で見てきたような言葉に、あなたは、とジュードが問うと老婆は失礼しました、と軽く頭を下げた。
「名乗るのが遅れました。私はサーシャ・プランド。二年前までリーレン陛下の侍女を務めておりました」
「そうでしたか……サーシャさん、リーレン陛下に会うにはどうすれば良いんでしょう」
「陛下に、ですか?」
サーシャは小首を傾げてジュードを見た。
「そうですね。リーレン陛下はガイアス様に倣って民と直接面会する時間を設けております」
「並ぶしかない、か……」
アルヴィンのげっそりとした声に、サーシャが私が一筆認めましょう、と言った。
「少しは早めに会わせてもらえるはずです」
「良いんですか?」
ジュードの申し訳なさそうな声に、サーシャは構いません、と微笑んだ。
「ご両親を亡くされてからの陛下はいつも何処かお元気のない様子でした。あなた方なら、少しは陛下の慰めになるでしょう」

 


その日の謁見は終わっていたので、サーシャとは明朝にまた王城の門前で待ち合わせる約束をしてルドガー達は宿をとった。
二人部屋を二部屋。部屋割りはルドガーとガイアス、ジュードとアルヴィンとなった。
「それにしてもジュード君が王妃様ねえ」
ベッドに腰掛けながらしみじみとして言うアルヴィンに、僕もびっくりした、とジュードもまた自分のベッドに腰掛けた。
「僕が女性っていうのにもびっくりしたけど、まさかガイアスと結婚して子供まで生んでるなんて……」
「嬉しかったか?」
「な、何言ってるの!そんな事思ってないよ!」
アルヴィンの言葉にジュードは真っ赤になって反論する。
「じゃあ、羨ましかったのか?」
「う、羨ましくもないよ!」
ジュードのガイアスへの気持ちを知っているアルヴィンはこうして時々からかってくる。
「本当は?」
「う……ほんとは、少し、羨ましかったです……」
「素直で宜しい」
からかいは困るけれど、それでも気持ちを隠さずにいられるのは有り難い。
「あーあ、ジュード君は何であんな堅物が良いのかねえ。俺にしておけばいいのに」
「またそんなこと言って……」
アルヴィンの軽口は時々困るけれど、それでもジュードの気持ちを軽くした。

 

翌朝、ルドガー達が王城の門前まで行くと、そこにはすでにサーシャが待っていた。
「こちらをお見せください」
差し出された手紙を受け取って、ジュードは礼を述べた。
「ありがとうございます、サーシャさん」
「陛下によろしくお伝えください」
サーシャはぺこりと一礼して去って行った。
もしリーレンが時歪の因子ならば、自分たちはリーレンを倒さねばならないだろう。
サーシャの好意を踏みにじる様な事はしたくなかったが、仕方のない事なのだとジュードは己に言い聞かせた。
手紙を門兵に渡すと、暫く待たされた。
すると、順番が早まるどころかすぐに謁見を許された。
ルドガー達が謁見の間に入ると、王座には若い男が座っていた。
緋色の瞳に長い黒髪を後ろで一つに束ねた青年。目元がジュードとよく似ているとルドガーは思った。
これが現王、リーレン。
「確かに、良く似ている……」
リーレンは感慨深そうにジュード達を見詰め、そう呟いた。
「母上と父上、そしてアルヴィン……出来過ぎなくらい似ている」
「そんなに、似てますか」
ジュードの問いに、リーレンは似ている、と頷いた。
「若かりし頃の三人が時を超えて現れたのかと思うくらいに似ている」
そんな事はある筈がないのだなが、とリーレンは自嘲気味に笑う。
「して、私に何用だ」
ちらりとジュードがルドガーを窺うと、ルドガーはわからないと言う様に微かに首を横に振った。
リーレンが時歪の因子ではないのだろうか。となれば。
「ええと、この城の書庫を見せてほしいんです」
予めリーレンが時歪の因子でなかった時のために用意しておいた理由をジュードが述べる。
「書庫を?」
「はい、僕たちはこの国の歴史を調べているのですが、この城の書庫にはこの国の成り立ちを深く掘り下げた書物がたくさんあるとか」
「確かにあるにはあるが……」
リーレンは言葉を切ってじっとジュードを見詰めていたが、やがていいだろう、と告げた。
「書庫の閲覧を許可する。ただし、兵を一人つけさせてもらうぞ」
「構いません」
ジュードの応えに、リーレンはすっと片手を上げた。
すると一人の兵士が歩み出て、書庫までご案内させていただきます、と言った。
「ありがとうございます、リーレン王」
「良い。昔を思い出させてもらった。その礼だ」
リーレンの言葉にジュードはもう一度頭を下げ、ルドガー達と共に兵士の後に続いて書庫へと向かった。
「……」
その後ろ姿が見えなくなるまで見つめていたリーレンは、視線を伏せると小さく呟いた。
「母上……」

 


書庫に入った四人は、他に人がいないことを確認して監視役の兵士を昏倒させた。
「こっちだ」
ガイアスに導かれて三人は広い書庫の一角で立ち止まる。
ガイアスが一つの本棚に手を掛けると、本棚がするすると横にスライドした。
そして現れたのは、一つの通路。
「これが……隠し通路」
「そうだ。俺の部屋と繋がっている」
ジュードの言葉にガイアスが頷く。
リーレンが時歪の因子でないのなら、リーレンの持ち物がそうである可能性がある。
リーレンが嘗てガイアスが使っていた部屋を使っているかは賭けだったが、手掛かりがない以上行くしかない。
「行くぞ」
兵士が目を覚ます前に全てを終わらせなくてはならない。
四人は狭い通路を駆け抜けた。
やがて辿り着いた先は、ガイアスが嘗て私室として使っていたという部屋だった。
書庫と同じように本棚が扉の代わりになっていて、それを裏側からスライドさせて部屋に侵入を果たした。
リーレンが私室として使っているかはわからなかったが、誰かが使っていることに違いはないようだった。
「ルドガー、何か感じるか」
ガイアスの言葉にルドガーが意識を集中する。だが、これといって何も感じない。
「ここまで来てハズレかよ」
アルヴィンが溜息を吐き、次の瞬間ぎょっとしたように身を強張らせた。
「……なあ、あれ、なに」
天蓋付きの大きなベッドの陰に隠れる様にして立っている人影があった。
「……これって」
ジュードがそっとそれに近づく。立っていたのは、人の背丈ほどある精巧なビスクドールだった。
漆黒の長い髪に蜂蜜色の瞳を埋め込まれたその人形は、ジュードによく似ていた。
ジュードが今にも動き出しそうなその人形の頬に手を伸ばした時、勢いよく扉が開いた。
「母上から離れろ!」
現れたのは怒りを露わにしたリーレンだった。
「お前たちが姿を消したと報告を受けてまさかと思って来てみれば……」
リーレンの手が腰に帯びた剣にかけられる。
「母上に触れていいのは私だけだ!」
リーレンの叫びに同調するようにその体から漆黒の闇が溢れ出す。時歪の因子だ。
「やっぱ王様が時歪の因子かよ!」
四人がそれぞれ構えると、リーレンもまた長剣を引き抜いた。

 


リーレンは強かった。ガイアスとジュードの血を引いているだけあって格闘センスは抜群だった。
長剣が折れてもすぐさま体術に切り替えて拳を繰り出してくる。
だが所詮は一人対四人。やがてリーレンはがくりと膝をついた。
「はは、うえ……」
リーレンの手が人形へと伸ばされる。
その背に骸殻を纏ったルドガーの槍が突き刺さる。リーレンが血を吐いて崩れ落ちた。
槍の先には漆黒の歯車。
倒れ伏したリーレンはそれでも人形へと腕を伸ばす。
「これ、で……あなたの、おそばに……」
甲高い音を立てて歯車が砕け散った。
「ははうえ……」
ぴしりと世界がひび割れ、砕け散った。

 


「毎度の事だが、やっぱいい気はしないな」
「そうだね……」
アルヴィンの言葉にジュードが俯く。
正史世界のカン・バルクへと戻ってきた四人は今日はもう休もうと宿をとった。
するとガイアスが今日はジュードと同室が良いと言い出した。
驚いたのはジュードだ。今までルドガーとガイアス、ジュードとアルヴィンの組み合わせが常だったのに、急に何を言い出すのか。
だからとその申し出を拒否する理由もないのでジュードはガイアスと同じ部屋に向かった。アルヴィンがにやついていたのは見なかったことにする。
ガイアスと二人部屋になるのはこれが初めてだ。ジュードはどうしようもなく高鳴る鼓動を抑えながら部屋に入る。
「ジュード」
扉を閉めた途端、名を呼ばれてジュードはびくりとして振り返る。
「な、なに、ガイアス」
「今回の分史世界で、俺とお前は夫婦だった。それをどう思った」
「どうって……そんな世界もあるんだなあって……」
リーレンは母親に酷く傾倒しているようだった。それほどまでにリーレンにとって大きな存在だったのだろう。
「嫌悪は感じなかったのだな?」
「え?どうして僕が嫌悪感を感じるの?」
きょとんとしてガイアスを見上げると、ガイアスはじっとジュードを見下ろして何か考え込んでいたが、不意に手を伸ばしてジュードの顎を掴んだ。
「ガイアス?」
されるがままにガイアスを見上げていると、ふっとガイアスの顔が近づいてきた。
え、と思った時には時すでに遅く。
「……なに、今の」
すぐに離れていったそれは、確かにガイアスの唇の感触で。
「キスだが」
「そうじゃ、なくて……なんでガイアスが僕にキスするの」
「嫌だったか」
「嫌じゃ、なかったけど……そうじゃなくて……なんでって聞いてるんだけど……」
「俺がお前を愛しているからだ」
さらっと言われたその言葉に、ジュードは大きく目を見開いてガイアスを見上げた。
「……え?」
「お前が二十歳になるまで黙っておこうと思ったのだが、俺とお前が夫婦だと言う世界をこの目にして抑えが利かなくなった」
「……本当に?」
ぽかんとして問うジュードに、ガイアスが頷く。
「真実だ」
ぽんと音がしそうなほど一瞬にして顔を真っ赤にしたジュードは、どうしよう、と己の熱い頬を両手で覆って俯いた。
「ここ、分史世界じゃないよね?ガイアス、本物だよね?」
そわそわと左右を見るジュードの手をガイアスは引っ張ってベッドに押し倒した。
「わっ、ガイアス?」
「この世界も、俺も、本物であるとわからせてやろう」
「え、ちょ、ガイ、んんっ……!」
翌朝、アルヴィンのにやにやとした視線にジュードは耳まで真っ赤にしたのだった。

 

 

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