アルジュエンド

 

「アルヴィンを、許すよ」
そう告げた途端、ぱあっとアルヴィンの表情が明るくなる。
「ジュード!」
アルヴィンは一気にジュードとの距離と詰めるとその体を抱き寄せた。
「ありがとう、ジュード」
「もう、本当に浮気は嫌だからね」
腕の中でそう言うジュードに、アルヴィンは頬擦りしそうな勢いで頷いた。
「ああ、もうしない。おたくだけだ」
「ほんと、調子いいんだから」
そんな二人の傍らをプレザはさっさと通り抜けた。
「お幸せに」
保健室を出て、プレザは職員室へと向かう。
その途中で足を止め、ふと保健室の扉を振り返った。
「……あんな情けないアルの姿、初めて見たわ」
格好つけで妙な所でプライドが高くて、女を食い物にしか思ってない男。
プレザと暮らしていたあの頃、もしプレザが浮気をしたとしてもアルヴィンは怒らなかっただろう。
さっさとプレザを捨てて違う女の元に行くだけだ。そういう男だった。
尽くしてもらう事に慣れ、飽きたら捨てて、当たり前のようにそうしてきた男が漸くただ一人の相手を見つけたのだ。
プレザには独占欲を主張する事も、執着を現す事も無かった男が。
本当に、あの坊やの事が好きなのね。プレザはそう思いながら再び職員室へと歩き出す。
「……貴方も捨てられれば良かったのに」
今となってはもう、負け惜しみでしかないのだけれど。
あの時プレザが受けた痛みを、あの男も少しは知ればよかったのに。
本当に、優しい子。プレザはジュードをそう思う。
その優しさがあの子自身を追い詰めなければいいのだけれど。
まあ、私にはもう関係のない話よね。プレザは微かに苦笑して職員室の扉を開けた。

 


その後、アルヴィンはレイアとミラに一発ずつ拳で殴られた。
二人とも武術を習っているだけあってアルヴィンの顔は見事に腫れ上がった。
「いってて……」
唇の端も切っていたアルヴィンは、冷えた濡れタオルを頬に当てながらおたくの幼馴染怖すぎ、と言った。
「歯が折れなかっただけ良かったと思えば?」
同情すらしてくれない恋人に、しかし悪いのは自分だとわかっているのでアルヴィンはちぇ、と唇を尖らせた。
その尖らせた唇にジュードがちゅっと口付ける。
「かっこ悪いアルヴィンも、嫌いじゃないよ」
にこっと笑うジュードに、アルヴィンは手を伸ばす。
「ジュー……」
「あ!いけない、もうこんな時間!」
ばっとジュードが立ち上がり、アルヴィンの伸ばした手が空を切る。
ジュードは慌てて小さな鞄を肩から提げると戸締り宜しく、と告げてぱたぱたと足音軽く部屋を出て行ってしまった。
「……ジュード君酷い……」
一人部屋に残されたアルヴィンはがくりと肩を落とした。

 


ジュードがマンションを出ると、そこには既に黒の高級車が止まっていた。
助手席側に回り、ドアを開けると遅くなってごめん、と運転席の男に声を掛けた。
「待った?ガイアス」
「いや、今来た所だ」
「そう?なら良いんだけど……」
ジュードがシートベルトを締めるのをちらりと横目で見てガイアスは車を走らせ始めた。
ガイアスには、既にジュードがアルヴィンを選んだという事は伝えてあった。
しかしそれからもメールのやり取りは変わらず続いていて、月に一度の食事会も変わらず催された。
今日はローエンは出先から直接店に来るという事で、ジュードの送迎をガイアスが受けたのだった。
アルヴィンが幼馴染二人に殴られた事をジュードが話すと、ガイアスは当然の報いだな、と頷いた。
「本来なら俺とローエンもあやつを叩きのめしたいと思っているのだがな」
「二人に掛かったらアルヴィン死んじゃうからそれは駄目」
くすくすと笑うジュードに、ガイアスもまた表情を和らげる。
ローエンには、保健医であるアルヴィンと付き合っている事を打ち明けた。
ローエンもまたアルヴィンに関する女癖の悪さの噂を聞き及んでいたらしく、そんな男と付き合ってるジュードを心配もしたのだが。
結局はジュードが選んだのであればそれ以上は言うまいという結論に落ち着いたらしかった。
寧ろ今まで内緒にされていた事の方が大きかったらしく、拗ねてしまった大伯父の機嫌をとるのにジュードは苦心した。
楽しそうに幼馴染と遊びに行った店について話すジュードに頷きながら、ガイアスはハンドルを操作する。
一度は手にしたが、結局ジュードはアルヴィンの元に戻って行ってしまった。
それを惜しいと思うが、けれどこれで終わりではないとガイアスは知っていた。
あの男はどうせまた同じ過ちを繰り返す。そしてジュードはまた傷付き、涙を零すだろう。
その涙を拭うのは自分だとガイアスは思っている。
傷付いたジュードを癒し、お前には俺がいるのだと何度でも囁こう。
そうして少しずつ、ジュードの心を手に入れよう。ガイアスは何一つ諦めてはいなかった。

 


それが発覚したのは、それから半年が過ぎた頃だった。
二年生になったジュードは相変わらず学年上位の成績を修めていた。
「昨日駅前でアルヴィン先生が女の人と歩いてるの見ちゃった!」
聞こえてきたその声にジュードの手がぴたりと止まる。
わいわいと情報を交換している女子たちの話に聞き耳を立てながらジュードはやっぱりね、と思う。
前も半年くらいでアルヴィンは女に走った。今回もそろそろかと思っていたのだが、見事に予想が当たった。
それにしても、とジュードは思う。
アルヴィンは自分が人目を引く容姿だという自覚がないのだろうか。
毎回毎回変装もせず堂々と街中を女と歩いていれば、誰かしらに見つかるのは時間の問題だとどうしてわからないのだろう。
本当にバカなんだから。ジュードはそう思いながら鞄を手に教室を出た。
そっちがその気なら、こっちにだって考えがある。ジュードは携帯電話を取り出してメールボックスを開いた。

 


ジュードからのメールを受け取ったガイアスは、やはりなと思う。
一年は持たないだろうと思っていたが、半年とは。情けないにも程がある。
ガイアスは手早くメールの返事を打つと、再び仕事に戻った。
そして数時間後、ガイアスが帰宅するとジュードがソファに座ってテレビを見ていた。
「おかえり、ガイアス。今ご飯温めるね」
ソファから立ち上がって軽い足音を立てながらキッチンへと向かう姿を見送り、ガイアスはネクタイを緩める。
クロークに向かい、上着を掛けてキッチンへと向かうとジュードが鍋を掻き回していた。
ガイアスに気付いたジュードが振り返って座ってて、と言うがガイアスは構わずその後ろ姿を抱き竦めた。
「ガイアス、危ないよ」
「問題ない」
離れようとしないガイアスに、ジュードはもう、と笑う。
「今日のメインはミネストローネだよ」
「美味そうだな」
鍋の中身が十分温まった頃、漸くガイアスはジュードを解放した。
配膳を手伝い、ガイアスが椅子に座るとジュードもその向かいに腰掛ける。
二人で少し遅めの夕食を済ませ、ガイアスがニュースを見ていると洗い物を終えたジュードが隣に座った。
「今日は泊まっていくのだろう?」
問えば、ジュードはにこりと笑ってうん、と頷いた。
「アルヴィンが浮気するなら、僕も浮気しないとね」
僕の浮気相手になってくれる?と見上げてくる蜂蜜色の瞳に、ガイアスは微かに笑うとその肩を抱き寄せた。
「お前の望むままに」
その手を取って甲に恭しく口付けるとジュードは嬉しそうに笑った。

 


翌朝、ガイアスにマンションの前まで送ってもらって部屋に戻ると、そこには目の下に隈を作ったアルヴィンが待っていた。
「ただいま、アルヴィン。自分の部屋に帰らなかったの?」
何事も無かったかのようにジュードがそう声を掛けると、どこ行ってた、と低い声で問い質された。
「メールしたでしょ?」
「今夜は浮気してきますって何だよ!ふざけんな!」
ばん、とローテーブルを叩くアルヴィンに、ジュードは動じずそのままの意味だけど?と小首を傾げた。
「しかもその後携帯の電源切りやがって!」
「だって着信が煩かったから」
しれっと答えながら定位置に座るジュードに、アルヴィンはますます声高になる。
「誰と寝た!またあの時の男か!」
「そうだよ。アルヴィンと付き合ってても僕が良いんだって」
それより、とジュードはアルヴィンを睨み付ける。
「どうして僕がそんな事をしたのか、考えた?」
「!」
途端、ぐっと言葉を詰まらせたアルヴィンをジュードはじっと見つめる。
「……俺が、浮気した、から」
ジュードの視線に負けたようにぼそぼそと告げたそれに、ジュードは正解、と頷いた。
「アルヴィンはいい加減、学生の情報網を甘く見ない方が良いよ」
ほんと進歩が無いよねアルヴィンって。そう呆れ交じりに言われ、先程までの勢いはどこへやら、アルヴィンはごめんなさい、と謝った。
「もうしません……」
「はいはい、その言葉を聞くのももう何度目だろうね」
僕、学校行く準備しなくちゃ。そう立ち上がったジュードの手をアルヴィンが掴む。
「もうしない!だからっ」
「アルヴィンが浮気しないなら、僕も浮気しないよ」
「わかった」
こくりと頷くアルヴィンの手を振り払って、ジュードは溜息を吐きながら学生鞄を手に取った。
そして情けない顔をしてジュードを見上げている男を見下ろし、仕方ないなあと苦笑する。
「今日はアルヴィンの好きなピーチパイ焼いてあげるから。それで仲直りね」
「!」
喜色を浮かべてこくこくと頷くアルヴィンの頭を、ジュードは子供にするように撫でた。

 


今年、ジュードは二十歳を迎えた。
大学は医学部に進み、将来は実家の診療所を継ぐ事を見据えていた。
アルヴィンとの関係は相変わらず続いていて、今も高等部で保健医をしているアルヴィンは毎晩と言っていいほどジュードの部屋にやってきた。
そして毎朝ジュードの作った弁当を手に出勤していく。付き合い始めて、もう五年が経とうとしていた。
アルヴィンはいい加減懲りても良いだろうにそれでも時折女に手を出す。
発覚するたびにジュードがガイアスの元へ行き、そしてそんなジュードにアルヴィンがもうしないと縋る。
そのやり取りをもう何度繰り返しただろう。数えるのも馬鹿らしくなってきた。
今ではもう諦めている。あれはもう病気だ。浮気病だ。ジュードはそう思うようになっていた。
それでもまだアルヴィンを好きだと思っている自分はもっと重症かもしれないとも思う。腹は立つけれど。
そんな時、携帯電話が震えたのでジュードはそれを取り出してメールボックスを開いた。
レイアからのメールで、激写しちゃった、との一言と共に一枚の画像が添付されていた。
「……」
ジュードはそれをジト目で見下ろした後、ボタンを操作して耳に当てた。
「……あ、今忙しい?うん、ありがとう。あのね、今夜そっちに行くから」
相手は多忙な身だとわかっているので、手短に用件だけを告げて通話を切る。
「さて、と……」
今回はアルヴィンには何てメールをしようかな。
そう考えながらジュードは次の授業へと向かったのだった。

 


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