ワイバーンで空を駆けていると巨大な魔物に襲われ、ジュード達は近くに見えた街に落ちた。
そこが何処かも確認する前に戦いになり、何とか魔物を倒して辺りを見渡すと、そこは見覚えのある街並みだった。
「ここは……カラハ・シャール!」
すると騒ぎを聞きつけたドロッセルが兵を従えて駆けつけた。
「エリー!ローエン!みなさん!」
ドロッセルは再会を喜ぶべきか困惑するべきかと戸惑いながらも迎えてくれた。
「ア・ジュールが攻めてきたのかと思いました」
苦笑するドロッセルに、ごめんね、とジュードもまた苦笑すると、視界の端でアルヴィンががくりと膝をつくのが見えた。
「アルヴィン!怪我したの?僕を庇った時?」
駆け寄ったジュードに、アルヴィンは苦笑する。
「大した事無いと思ったけど……やっぱキツイわ」
「今、治すから……!」
ジュードが治癒術を掛け、応急処置をするとドロッセルの好意で領主邸にお世話になる事になった。
ワイバーンの方も治癒術を掛け、それでも数日かかるとの事だった。その言葉にミラがある意味良かったのかもしれないな、と告げる。
「みんな、十分に休むといい」
ミラの言葉に一同は頷くと、それぞれ散り散りになった。
ジュードは自分の荷物をベッドの脇に置くと部屋を出て階段を下りていく。窓辺にローエンの姿が見えて歩み寄った。
「ナハティガルの事、考えてたの?ローエン」
ローエンは穏やかな視線でゆっくりと頷く。
「二人の事、聞きたいって言っても……良い、かな?」
ジュードの控えめな言葉に目を細めて笑うと、構いませんよ、と告げた。
ローエンはゆったりと語った。ナハティガルとの出会い、過ごした日々、震撼する白夜、ナハティガルの妹であるキャリーの死。
そして王位に就いたナハティガルは独裁権の拡大に走り、ローエンは軍を去った。
「皆が私を責めましたよ」
自嘲気味に薄い笑みを浮かべるローエンに、ジュードはゆっくりと首を横に振る。
「ローエンは悪くない。ナハティガルだって……悪いのは、二人のお兄さんだよ」
ローエンはだからこそです、と窓の外を見る。
「私もナハティガルも間違いに気付けなかった」
成すべき事から目を背けてしまったのだ、と告げるローエンに、ジュードはかけるべき言葉が見つからない。
「ナハティガルの信念は歪んでしまった……」
そして、とローエンはジュードを振り返ると静かに告げた。
「私は覚悟を持てなかった……あの時、私は愛する人を失って失意の底にいた」
だがローエンはいえ、と首を横に振ってそれはただの言い訳ですね、と苦笑する。
「出発までには答えを出します。もう少しだけ、待っていただけますか」
「うん。でもね、ローエン」
ジュードはローエンに微笑んで告げた。
「もしローエンがこの戦いを止めても、僕は責めないからね」
ローエンが微かに目を見張ってジュードを見る。ジュードさん、と小さく呟いてローエンは視線を伏せた。
「……はい」
そうして背を向けてしまったローエンの元を去り、ジュードは領主邸の外へと向かった。
アルヴィンは何処へ行ったのだろう。街を歩いていると、宿屋の近くでその姿を見つけ、ジュードは駆け寄る。
「怪我はもういいの?」
しかしアルヴィンは気にするな、と笑うだけでジュードの心配すら拒絶しているようだった。
「でも……まだ痛むんでしょう?」
「大丈夫だって」
それとも、とアルヴィンは唇の端を歪めて笑う。
「信用できない?」
「そうじゃないけど……」
「信じて良いのか?」
「信じて欲しくないの?」
「信じたくないの?」
いつか交わしたようなやり取りに、ジュードは溜息を吐く。
「……アルヴィンは嘘ばっかだけど、僕の言葉は信じてくれたから……」
視線を落とすジュードに、アルヴィンは怪我をしていない方の腕をジュードの肩に回して抱いた。
「俺に助けられてめろめろになっちまったか?」
「アルヴィンの事は別に嫌いじゃないよ?」
「じゃあ好きなの?」
「……嫌いじゃない、じゃダメなの?」
頬を朱に染めてぼそぼそと言うジュードに、アルヴィンはぷっと噴き出して笑うとジュードの髪に頬をすり寄せる。
「あーあ、ジュード君は本当に可愛いねえ」
また前みたいにキスしたりしても良い?そう耳元で囁かれ、ジュードはますます顔を赤くする。
アルヴィンは時折ジュードにキスをしたり、悪ふざけをするように体に触れてきた。
どこまで本気なのかはわからないが、ジュードはそれが嬉しかった。
自分はきっと、アルヴィンの事が好きなのだ。だから裏切られたと知ってあんなにも傷付いたのだ。
「べ、別にアルヴィンがしたいならいいけど……」
「え?なになに?今ここで熱烈なキスをして欲しいって?」
「そ、そんな事言ってない!」
もう、アルヴィンのバカ!ジュードはそう言い放って領主邸へと駆け戻って行った。
領主邸の前でミラと合流し、屋敷の中へと入る。
お茶にしましょう、と笑うドロッセルに頷いて、ジュードはソファに歩み寄った。
ふと、誰かに呼ばれた気がして振り返る。
「ジュード?」
先に座ったミラがジュードを見上げてきたが、ジュードはふらりと引き寄せられるように大きな古時計の前に立った。
凝った意匠のその古時計は役目を終えたのか、その針を止めている。
なんだろう、呼ばれている気がする。
ジュードが何気なくその古時計に手を当てると、途端に針が動き出した。
「え……」
しかしその針は通常とは逆に回り、狂ったようにぐるぐると回り続ける。
「ジュード?」
背後でミラが立ち上がった気配がして、ジュードが振り返ろうとした途端に盤面から強い光が放たれ、ジュードは咄嗟に目を閉じた。
「ジュード!」
ミラが叫ぶ声がする。ミラ、とその名を呼ぼうとして、けれどそれが声になるより早くぎゅんっと体が何かに引き寄せられるような感覚に襲われた。
そして光が収まると、そこには何事も無かったかのように動きを止めた古時計があった。
「……ジュード?」
ジュードの姿は、何処にもなかった。

 


トロス改めガイアス軍がア・ジュール王メラドの座すカン・バルクの城を占拠し、新生ア・ジュールの誕生を宣言して一節。
その日、ローエンは数人の兵を連れてアルカンド湿原を巡回していた。
十年前の大津波の影響でこの先のファイザバード荒野は沼野へと姿を替え、このアルカンド街道も湿原へと姿を変えていた。
霊勢が変化すれば大地も変化し、住みつく魔物も変わってくる。
ここ数節、このアルカンド湿原に巨大な魔物が住みついているらしいという報告を受け、調査に乗り出したのだった。
ファイザバード沼野があの状態である以上、近づく者は殆どいない。このアルカンド湿原もそうだ。
今ではこのアルカンド湿原には薬草などを取りに来る者ぐらいしか足を踏み入れはしない。だから今の所実害の報告は無かった。
しかし王都イル・ファンにまで侵入して来る様な事態は避けねばならない。今の内に討伐しておくべきだ、というのがローエンの考えだった。
そしてファイザバード沼野にほど近い開けた場所に、その魔物はいた。
硬い甲羅に一対の長い触手。巨大な魔物はローエン達に気付くと威嚇し、触手を振り回した。
今日は調査だけのつもりだったのだが。致し方ない。ローエンはサーベルを取り出すと術の詠唱に入った。
指揮者と呼ばれ、まだまだ現役のローエンは殆ど一人でその魔物を倒した。
感嘆の声を上げる兵士たちに、怪我はありませんか、と声を掛ける。ローエンの強さは勿論、この物腰の柔らかさと気配りもローエンの人気の理由だった。
すると一人の兵士が駆け寄ってきて報告した。子供が倒れている、との事だった。
こんな所に子供が?ローエンがそこへ向かうと、確かに子供が倒れていた。
年の頃は十代前半か、いっても半ばくらいだろう黒髪の少年。
ぴくりとも動かないが、ローエンが診るとただ気絶しているだけだとわかった。
しかし頭を打っているのか、霊力野に乱れが見られた。応急処置として治癒術を掛け、兵の一人にこの子をお願いします、と預けた。
ローエンが運んでも良かったのだが、もし魔物が襲ってきたらローエンは指揮をとらねばならない。両手が塞がるのは避けたかった。
イル・ファンに戻り、一先ず少年をオルダ宮の医務室に運び込む。診察の結果、脳震盪を起こしているようです、と医者は告げた。
後は軽い打撲だけですね、との言葉に取り敢えず安心する。親もきっと心配しているだろう。
すると少年の指がぴくりと動き、その瞼が震えて開かれた。
蜂蜜色の瞳が現れ、ゆっくりとローエンを見た。
「気分はいかがですか」
ローエンが優しく問うと、少年はぼんやりとした視線でローエン?と呼んだ。
自分の知り合いにこのような少年はいないはずだが。そう思いながらもそうです、ローエンです、と頷く。
すると少年は何度かゆっくりと瞬きをして、ここは、と呟いた。
「オルダ宮の医務室です。あなたはアルカンド湿原で倒れていたのですよ」
「オルダ宮……アル、カンド……?」
ふっと少年の瞳が揺らぎ、戸惑いを宿したように見えた。覚えていますか、と問うと少年はわからない、と小さく告げた。
「僕……どうして……」
混乱の色を宿し始めた少年に、ゆっくりで大丈夫ですよ、とローエンが優しく微笑む。
「ああ、それとお名前を教えていただけますか?」
「……名前……ジュード……?」
何故か疑問形で答えるジュードに、良い名前ですね、とローエンは微笑む。
「ではジュードさん、お住まいはどちらに?」
するとジュードの困惑の色がますます強くなる。少年は縋る様にローエンを見上げてわからない、と告げた。
「どうして……何も思い出せない……」
ローエンが医師の男を見ると、もしかしたら頭を打った衝撃で健忘を起こしてるのかもしれません、と言う。
その後の診察により、少年はジュードという名前しか覚えてない事が分かった。
最初にローエンの名前を呼んでいたが、本人も無意識の事だったらしく、呼んだ事を全く覚えていなかった。
ジュードは身元の手掛かりになりそうなものは何も持っておらず、身一つで倒れていたのだった。
医師の男や看護師たちには何処か怯えた色すら浮かべるジュードは、何故かローエンにだけは心許しているようだった。
やはり知り合いか何かだろうか、と思うが、いくら記憶を浚ってみてもジュードという少年に心当たりはない。
イルベルト家に連なる者だろうかと思って調べてみたが、やはりジュードという名を持つ者はいない。
アルカンド湿原で倒れていたのならイル・ファンに住んでいる可能性もあると住民票を調べてみてもそれらしきは出て来ない。
全くの謎に包まれた少年は、途方に暮れたようにローエンを見上げた。
いつまでもここに入院させておくわけにもいかない。ローエンはこれも何かの運命でしょう、と少年を自分の家に連れて行った。
ローエンは堅実質素な生活を好んでいた為、一般的な家樹を居として構えていた。
物珍しそうに屋内を見回す少年に、客間を使う様に告げる。
「あの……すみません、色々とご迷惑をおかけして……」
しゅんとしている少年に、構いませんよ、とローエンは笑う。
「どうせ寂しい独り身です。貴方のような方なら歓迎しますよ」
少年は大人しく控えめで、記憶が無い不安がそうさせているのだろう、おどおどと視線を彷徨わせていた。
けれどローエンの言葉に彼は漸く安堵した様に笑った。小さな花が綻ぶような、あどけなく愛らしい笑みだった。
「ありがとうございます……」
「これから宜しくお願いしますね、ジュードさん」
ローエンの微笑みに、ジュードは笑みを深めるとはい、と頷いた。
こうして、ローエンは記憶喪失の少年、ジュードとの生活を始めたのだった。

 


ジュードは家事は何でも要領よくこなした。洗濯掃除はてきぱきと片づけて行き、料理の腕もなかなかのものだった。
自分の事や地理歴史などの記憶はなくてもそういう事は覚えているらしくて、ローエンはジュードの作ってくれた食事を有り難く頂いた。
ローエンも料理はそれなりにできたが、栄養のバランスばかり考えてしまう傾向にあり、ジュードのような素朴な美味しさではない。
家庭料理、といった趣のそれは、長い間機械的に食事を続けていたローエンの胃袋を満足させた。
軍務を終えて家に帰ると優しい笑顔が出迎えてくれて、温かい食事を食べられる。そんな些細な事がローエンは嬉しかった。
キャリーを失って十年。未だその悲しみは癒えなかったが、それでもジュードの存在はいつの間にかローエンの救いとなっていた。
ジュードについては相変わらず何もわからないままだった。
ア・ジュールの生まれなのだろうかとも思ったが、さすがにそうなると調べる事は困難だ。
だが、ジュードとの生活が一節を越えた頃、ローエンはもうこのままでも良いのではないだろうかと思う様になっていた。
きっとどこかでジュードの家族はジュードの帰りを待っているのだろう。それでもローエンは出来るだけの事はしたのだ。これで見つからないのだから仕方ないだろう。
それに何より、この暖かな生活を失いたくないという思いがローエンにはあった。
いってらっしゃい、と送り出され、おかえりなさい、と笑顔で出迎えられる。
そんな些細な事に幸せを見出していたローエンは、ジュードがこのままずっとこの家にいてくれれば良いのにとさえ思った。
ジュードは初めの内は失った記憶を取り戻そうと焦っていたが、次第に落ち着いていった。
焦ったってどうしようもないよね、と苦笑してジュードは無理に思い出そうとするのを止めた。
ローエンの世話になっている事だけは心苦しく思っているようだったが、自分の家だと思って良いのですよ、とローエンが告げると嬉しそうに笑った。
ありがとう、ローエン。その言葉に、礼を言うのはむしろこちらの方だとローエンは思っていた。
まるで父と子の様に二人は過ごし、そんな暮らしもあっという間に三節を迎えた。
お互いに、この暮らしがもう当たり前となってきていた、そんな時。
「最近猫を飼い始めたらしいな」
ナハティガルの言葉にローエンはそうですね、と頷く。
「大人しくてとても良い子ですよ」
「ふん。お前が猫に走るとはな」
含みを持った言い方に、とんでもない、とローエンは苦笑する。
「行く所が無い様なので保護しているだけですよ」
「それにしては最近のお前はえらく機嫌が良い」
言われてみて初めて気付いたようにローエンは己の顎に手をあてた。
「そう、でしょうか」
「余程その猫が可愛いと見える」
くつくつと喉を鳴らして笑うナハティガルに、ローエンもまた笑う。
「確かに、可愛い事は否定しませんよ」
「まあ、精々引っ掻かれぬよう気を付ける事だ」
それには笑みで返し、ローエンは一礼すると謁見の間を出た。
オルダ宮を後にしながらナハティガルの言葉を反芻する。ナハティガルは深読みし過ぎだ。ふっと苦笑する。
確かに今ではジュードの事は愛しいとすら思う。
けれどそれはあくまで親が子に対するそれであり、ナハティガルが思っているような事は無い。
無い。その筈だ。
時折、彼を無償に抱きしめたいと思うのも、単に愛情表現の一つでしかない。
そうだ、そうに決まっている。ローエンは雑念を振り払う様に首を横に振り、ジュードの待つ自宅へと向かった。

 



ローエンがジュードを拾って一年。ア・ジュールは連邦国家として完全統一を果たした。
前ア・ジュール王であるメラドを支援していたナハティガルとしては面白くない結末だっただろう。
けれどローエンからしてみれば非道な人体実験を繰り返していたというメラドより、ガイアスの方が余程良いのではないかと思っていた。
勿論、そんな事はナハティガルの前では口にはしなかったが。
だがジュードに対しては違った。ローエンはナハティガルにも言えない胸の内をジュードに吐露した。
そんなローエンにジュードは口を出す事は無く、そうだったんだ、とだけ応えた。頭の良い子だと思う。
ジュードは意外とスキンシップが好きな子供だった。もしかしたら、余り親の愛情を受けずに育ったのかもしれない。
頭を撫でたり、こうしてソファで並んで座ったり。些細な事で嬉しそうな顔をした。
本を読むローエンの隣に座って、同じように本を覗き込んでくる。その細い肩を抱くと、こてんとローエンの肩に頭を預けてきた。
そんな触れ合いがローエンにとっても嬉しく、同時に苦しくもあった。
それをはっきりと自覚したのは、もう半年ほど前になるだろうか。
ローエンはジュードを愛していた。保護者としてではなく、一人の男として。
保護者としての愛情の裏でいつの間にか育っていたそれは、ある日突如としてその殻を突き破った。
醜いまでのその欲望に、ローエンはジュードを手放す事を考えた。だが拾った以上責任があったし、何よりもう手放すなんて無理な話だった。
愛情は執着を生み、情欲を呼んだ。そのしなやかな肢体にもっと触れたいと思ってしまった。この年になって情欲に振り回されるなんて。
しかしそれに耐えねばならない。そうしなければ、この幸せな時間は続いて行かないのだ。
「ローエン?」
ジュードの声にはっとする。
「ああ、すみません。少し考え事をしてました」
苦笑してページを捲ると、その手にジュードの手が重なってぴくりと震えた。
「何か悩み事、あるの?」
「いいえ。そう見えましたか?」
誤魔化す様に笑えば、うん、とジュードはローエンの肩から頭を上げ、真っ直ぐにローエンを見詰める。
「僕の事?」
「!」
思わず言葉に詰まると、やっぱりそうなんだね、とジュードは俯いた。
「……僕が邪魔になった?」
「そんな事はありませんよ」
「じゃあ、どうして……」
再び見上げてくる蜂蜜色の瞳には、怯えにも似た悲しみの色が宿っていた。
ああ、この子は怖いのだ。捨てられるのだと自分で決めつけて、けれどそれを知るのが怖いと思っている。
ローエンは腕を伸ばすとジュードを抱き寄せた。初めて抱き締めた体は細くて、力を籠めたら折れてしまうのではと思う。
「私には、貴方が必要です」
「ローエン……」
視線が絡み合い、自然と近づいた。そっと触れたジュードの唇は柔らかくて、ローエンはそれをもっと感じようと何度も角度を変えて啄んだ。
名残惜しげに唇が離れ、間近で視線が絡む。
「……貴方を愛しています」
「ロー……」
その声を奪う様にローエンは再び口付けて、今度は舌を差し入れた。
「んっ……」
逃げようとするその小さな舌を絡め取り、その口内を犯していく。ちゅく、と舌の絡み合う水音が漏れ、それがローエンの欲を煽った。
「ふ……」
長い口付けから解放されたジュードは頬を上気させ、その瞳を薄らと涙で潤ませながら蕩けた視線で見上げてきた。
「……僕も、ローエンが好き、だよ……」
「ジュードさん……」
「ローエンになら、何されてもいい、よ……」
蕩けながらも何処か恥ずかしそうに言うジュードに、愛しさが込み上げてきてローエンはその体をソファの上に押し倒した。
「そういう可愛い事言うと、襲っちゃいますよ?」
苦笑交じりに言えば、ジュードはくすりと笑って腕を伸ばしてきた。
「いいよ……襲って?」
誘われるがままに唇を寄せ、ローエンはその柔らかな唇を堪能した。

 


室内にじゅぷじゅぷと卑猥な水音が響く。それに被さる様にしてジュードの甘い声が響いた。
「あっ、んっ……」
ソファの上に横たわったジュードは大きく脚を広げさせられており、その中心にローエンが顔を伏せていた。
水音はそこから響き、ローエンが頭を上下させるたびに水音が響いてジュードもまた甘く鳴いた。
水音に隠れるようにしてぬぷぬぷと粘膜が擦れる音がする。ローエンの節くれだった長い指が、ジュードの最も奥まった場所を貫いていた。
内壁のしこりをぐりぐりと擦るその指を締め付けながらジュードは嬌声を上げ続ける。
「ローエン、ローエン……!」
ジュードが切なげな声を上げる。限界が近い事を悟ったローエンは吐精を促す様にそこを強く擦って熱を吸い上げた。
「あああっ」
強い刺激に耐えきれず、ジュードがローエンの口内に熱を放つ。
ぴゅくぴゅくと吐き出される熱を飲み下し、ローエンはそれから唇を離した。
荒い息を吐いてくたりとしているジュードの腹に口付け、御馳走様でした、とローエンは笑った。
ジュードはふらりと起き上がると、ローエンのベルトに手を掛ける。しかしその手に自らの手を重ね、ローエンは微笑んだ。
「私は良いのですよ」
「でも……」
「私は貴方が気持ち良ければそれで良いのです」
ローエンの言葉にジュードはむっとした様に唇を尖らせ、ローエンのベルトを外し始めた。
「僕だって、ローエンに気持ちよくなって欲しい」
「ジュードさん……」
ズボンの前を寛げ、硬く勃ち上っているそれを取り出すとジュードはそっとそれに唇を当てた。
手の中のそれがぴくりと震える。唇を滑らせ、根元から舌を這わせて先端を口に含んだ。
ローエンがしてくれたように唾液を絡めて頭を上下し、舌で裏筋を擦りあげる。
拙い口淫でもローエンのそれはますます硬さを増し、ジュードは嬉しくなって懸命に扱きあげた。
やがてローエンがもうこれ以上は、とジュードの髪を撫でる。けれどジュードは大丈夫だから、とその熱を舐め上げながら言う。
「出して、ローエン……」
ジュードの舌先が尿道を犯す様に突き、強く吸いあげられてローエンはジュードの口内で果てた。
「ん……」
どろりとしたそれをどうにか飲み下し、ジュードは唾液でべたべたになった口元を拭う。
「無理して飲まなくても良かったのですよ」
苦笑するローエンに、だってローエンも飲んでくれたし、とジュードは今更のように恥ずかしそうに視線を伏せた。
愛しさが込み上げてきて、ローエンはジュードを抱きしめた。
あの日、キャリーと共に失ったと思っていた幸せは、ここにあったのだ。唇を合わせながら、ローエンはジュードと出会えた奇跡に感謝した。

 


その日以来、ローエンとジュードは毎夜のように肌を重ねた。お互いの手や口で高め合い、達するだけで満足していたそれも次第に更なる欲が擡げてくる。
ジュードと繋がりたいと思うのに、そう時間はかからなかった。
そんなローエンをジュードは受け入れてくれた。僕ももっとローエンを感じたい、と潤んだ瞳で言われて誰が止まれるものか。
そうして体を繋げて、ローエンはジュードの中で果てた。
ジュードの体の負担を考えて体を繋げるのは三日に一度と決めていたが、まるで若者の様にジュードを求めてしまう自分にローエンは苦笑した。
ローエンはジュードに溺れていると言っていいほど愛情も欲もその身に注いだ。
軍務が終われば真っ直ぐに帰宅し、二人だけの時間を楽しむ。休みの日は二人で買い物に出かけたり、二人で料理を作ってみたりして。
「ローエンって髭とか似合いそうだよね」
「そうですか?では生やしてみましょうかね」
ベッドの中でくすくすと笑いあう声が響く。些細なやり取りが心地よかった。
幸せだった。ジュードを愛し、ジュードに愛される日々は何よりも代えがたいものとなった。
だが、それに反比例するようにローエンとナハティガルとの仲は日に日に悪化していった。
武力と王権拡大を目指すナハティガルのやり方は、次第にローエンの意見とぶつかる様になっていった。
そしてローエンがジュードと出会って三年が過ぎた頃、ナハティガルはローエンを実質的な指揮権を持たない参謀総長の座へと左遷した。
二人の溝が決定的なものとなった瞬間だった。
一体どこで道を違えてしまったのか。悩むローエンにジュードはそっと寄り添っていた。
「大丈夫だよ。きっとナハティガル王もいつかわかってくれる。ローエンが誰よりナハティガル王の事を思ってるんだって、僕は知ってるよ」
その言葉にどれほど救われただろう。この笑顔が、優しい手があったからローエンは軍内で孤立しつつある現状を耐えられた。
しかしそんなある日、ローエンがいつもの様に帰宅すると、出迎えてくれる声が無かった。
おや、と思いながら中へと向かうとジュードが倒れていた。
「ジュードさん!」
抱き起こすと、ジュードは瞼を震わせてその蜂蜜色を覗かせ、あれ、とローエンを見上げた。
「僕……」
「大丈夫ですか。どこか痛みますか」
しかしジュードはローエンの言葉が聞こえていないようにぼんやりと見上げ、ローエンの頬にそっと手を当てた。
「……ローエン」
ふわりとジュードの体が光を纏う。何が、と見下ろしているとあっという間にジュードの体は光と同化してほろりと崩れて消えて行った。
「ジュード、さん……?」
さっきまであった腕の中の温もりは、もうどこにもなく。
ローエンは呆然としたまま、その場から動く事が出来なかった。

 


アルヴィンが領主邸に戻ってくると、ミラ達がテーブルを囲んで深刻な顔をしていた。
「何湿気た顔してんの?」
へらっと笑って問うと、ミラがアルヴィンを見て言った。ジュードが消えた、と。
「……はあ?」
ジュードならさっき自分の所に来ていたと告げれば、その後だ、とミラが説明した。
壁際にある古時計。それにジュードがふれた途端に光って消えたのだと。
「お兄様かお父様なら何か知っていたのかもしれないのだけれど……」
ドロッセルが困惑を浮かべて手を頬に当てる。
「私が物心ついた時からもうその時計は止まっていたのだけれど、何故かお父様は大切になさってて……」
「先程の光は何か精霊の気配を感じたのだが……もしかしたら時計に何かしらの術が掛けられていたのかもしれない」
ミラの言葉にドロッセルはでも、と首を傾げる。
「今までは何ともなかったわよ?」
「時限式だったのか、ジュードに何か引き金となる物があったのかはわからないが……」
「どうにかならないのかよ」
アルヴィンの言葉に、ミラは首を横に振った。
「何が起こったのかがわからない以上、何とも言えないな」
「おたく精霊の主だろ。時計にかけられてんのが精霊術なら何とかならないのかよ」
何処か苛立った声に、無茶を言うな、とミラが呆れた声を上げる。
「幾ら私が精霊の主だからと言って、何でもかんでもわかるわけではない」
するとドロッセルがぽんと手を叩いた。
「そうだわ。お父様の日記を見てみましょう。何かわかるかもしれない。ローエン、手伝って頂戴」
ローエンは勿論ですとも、と腰を折るとドロッセルの後に続いて去って行った。
「何か他に出来る事は無いのかよ」
「いや。ジュードがどこかに飛ばされたのだと仮定したところで、ジュードの方から動いてくれない限りはどうしようもない」
私も日記とやらを見て来よう。そう立ち上がって去っていくミラの後姿を見送って、アルヴィンは舌打ちした。
どっかとソファに座り、くそっと髪をかき混ぜる。
ラフォート研究所でジュードを見かけたあの瞬間、アルヴィンはジュードという少年に恋をしていた。
所謂一目惚れというやつだ。自分らしくない、とアルヴィンは思う。
押し殺すはずの想いは日に日に大きくなっていき、耐えきれずに口付けてみたりその体を弄ったりした。
けれどそんな自分を、誰か一人に愛を捧げるなんて事を受け入れたくなくて、茶化してはからかって本気ではないのだとアピールした。
そういうスタンスを取る事でしか、ジュードへの想いを認められなかった。
しかし触れれば触れるほど欲は深まって行き、あんな子供の悪戯のような触れ合いだけでは物足りなくなっていた。
いつかは捨てるのに。利用するだけ利用して、最後にはゴミの様に捨てるつもりなのに。
なのにこうして彼の身に何かが起こったのだと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
ちっと舌打ちして顔を上げると、不意にアルヴィンの耳に甲高い耳鳴りのような音が聞こえた。
何だ、と思っているとあの古時計の針がぐるぐると回りだし、光が集まり始めた。
「!」
アルヴィンは近くにいた警備兵にミラ達を呼んでくるように言い、その光にそろりと近づいてみる。
光の球は無数に集まり、やがて人の形を模るとその輝きを収めていった。
「ジュード!」
輝きが収まったそこには、消えたはずのジュードが倒れていた。
アルヴィンが抱き起こしてその名を呼ぶと、閉ざされた瞼が震えてゆっくりと開かれていく。
「ジュード!俺がわかるか?」
問いかけると同時にミラ達が駆けつけた。口々にジュードの名を呼び、その顔を覗き込む。
「……アル、ヴィン?」
どうして、僕、と囁く様に言うジュードに、アルヴィンは心配させるんじゃねえよ、とその体を抱きしめた。
「僕……」
アルヴィンに抱き締められながらジュードは視線を泳がせ、一歩退いた所でこちらを見ているローエンと目が合った。
ああ、ローエンだ。そう思った途端にジュードの意識は再び薄れていき、やがて途切れて落ちた。

 


目を覚ますとそこは領主邸の客間だった。ぼんやりと天井を見上げながらジュードは今までの事を思い返してみる。
あの古時計は何だったのだろう。あれに触れた途端に光が溢れ、ジュードは十年前の世界にいた。
記憶が失われていた頃の記憶も今のジュードにはあった。あの世界が実際の過去の世界なのか、ただの夢なのかはわからない。
服はあの家で纏っていたものではなく、元々着ていた服に戻っていたし、四年近く経って背も伸びたはずなのにそれも無かった事になっているようだった。
だが、あの世界でジュードはとても幸せだった。記憶が無い不安は付きまとっていたが、それでもローエンの優しさと愛情のお陰で立っていられた。
「……」
ジュードは視線を動かし、椅子に座ったまま眠っている男を見上げた。アルヴィンだった。
恐らくジュードに付き添っている内に寝てしまったのだろう。難しい顔をして眠っているアルヴィンに少しだけ笑みを浮かべる。
アルヴィンの事は今でも好きだ。アルヴィンはきっとジュードの事なんてからかい甲斐のある子供くらいにしか思っていないだろうけれど、それでも好きだった。
けれどそれと同時にローエンへの愛情も消えていない。アルヴィンへの恋心とローエンへの愛。その両方が今のジュードの中には混在していた。
まだ少し頭が混乱している。ジュードは静かに身を起こすと、アルヴィンにそっと毛布を掛けて部屋を出た。
階段を下りていくと、昼間と同じように窓辺にはローエンがいた。
じっと夜空を見上げていた視線は、気配に気づいてジュードを見た。
「……目が覚めたのですね」
「うん。みんなには迷惑かけちゃったね」
苦笑するといいえ、とローエンが首を横に振った。
「あれは不慮の事故です。ジュードさんに非はありませんよ」
「ありがとう……」
そう言ってジュードは視線を伏せる。何を言っていいのか、わからなかった。
「……少しだけ、昔話をしても?」
「え?うん」
視線を上げると、ローエンは夜空を見上げたまま告げた。
「私は三十六の時、一人の女性と恋に落ちました。彼女もまた私を愛してくれた。しかし彼女は亡くなり、私は長い間失意の底にいました」
ローエンはその時を思い出す様にふっと目を閉じ、再びゆっくりと開いた。
「そしてそれから十年後、私は一人の少年と出会いました。彼は記憶を失っていて、どこの誰だかもわからなくなっていました。私はそんな彼を保護したのです」
どきりとしてジュードは目を見開く。ローエンが言っているのは、ジュードの事に違いない。
「彼はとても良い子で、私は初めは父のような思いで彼を見ていた。自分に息子が居たらこんな感じなのだろうかと」
しかし、とローエンは視線を落とすと緩やかに首を横に振った。
「私は彼を愛してしまった。そしてそんな私を彼は受け入れてくれた」
幸せでした、とローエンは言う。
「一度は全てを失ったとまで思った私が、またあんな幸せを手に入れられて。あの日倒れていた彼と出会えたことは奇跡だと思いました」
だが、奇跡は長くは続かなかった。
「彼と出会ってもう少しで四年が経とうとしていた頃、彼は姿を消してしまった。私は再び失意の底に突き落とされました」
それに重なる様にしてナハティガルによる六家の粛清が行われ、ローエンは全てを投げ出して軍を退いた。
「誰に何と言われようと、責められようとあの時の私には何一つ届かなかった」
失意のまま各地を彷徨い、無理が祟って病に倒れた所を拾ってくれたのがクレインだった。
「私はクレイン様の為に残り短い人生を捧げようと誓いました」
この屋敷での日々は穏やかなものだった。クレインはローエンの過去を問わなかったし、ドロッセルも本当に良くしてくれた。
「そんな時に出会ったのが貴方でした」
ローエンは視線を上げるとジュードを真っ直ぐに見た。
「貴方は彼と本当によく似ている。笑い方も仕草も、名前までも同じで、まるで彼が帰ってきてくれたようでした」
この耳の奥に残っているあの声まで良く似ていて、ローエンは錯覚しそうになる。
しかしそんな事はあり得ないのだと、ローエンは自らにそう言い聞かせてきた。
「貴方のお陰で、とても懐かしい記憶を思い出せました。ありがとうございます」
「ローエン……」
穏やかなまでに優しく微笑むローエンに、ジュードは告げた。

 


→「それ、僕なんだ」

 


→「そうだったんだ」

 

 


戻る