アルジュエンド

 


「そうだったんだ」
動揺を隠してそう答えると、ええ、とローエンは頷いた。
「……じじいの昔話に付き合わせてしまってすみません。もうお休みになってください」
穏やかなローエンの眼差しに、ジュードはどこか罪悪感のようなものを感じながらそうだね、と応える。
「ローエンもちゃんと休んでね」
「ええ、ありがとうございます」
ローエンに背を向けて階段へと向かう。その背をローエンは凪いだ眼差しで見つめていた。
そしてジュードの姿が部屋に戻って行くのを確認して、ローエンは小さく呟いた。
「貴方はどうか、貴方の幸せを掴んでください……」
部屋に戻ったジュードは、先程と変わらぬ姿勢でアルヴィンが眠っているのを見てくすりと笑う。
「体痛めちゃうよ、アルヴィン」
そう囁いてその顔を覗き込むと、月の光に照らされていたアルヴィンの瞼が震え、ゆっくりと開かれた。
「……あれ、ジュード?」
ぼんやりとした声に、うん、と頷いてベッドに腰掛ける。
「体、大丈夫か。どっかおかしい所とかないのか」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
全くだぜ、とアルヴィンはわざとらしく盛大な溜息を吐いて椅子から立ち上がるとジュードの隣に座り直す。
「どう責任とってくれるんだ?」
「どう責任とればいい?」
「とってくれるんだ?」
「とって欲しいんでしょう?」
笑うジュードにこつんと額同士を合わせ、くっくと喉を鳴らしてアルヴィンもまた笑う。
「なあジュード、おたくを俺にくれよ。そうしたら許してやる」
きょとんと眼を丸くしたジュードは、すぐに頬に朱を上らせると、僕でいいの、と呟いた。
「おたくが欲しいんだ。くれるか?ジュード」
額を離し、笑みを消してじっと見つめてくるアルヴィンに、ジュードは嬉しそうに笑って頷いた。
「良いよ。僕をアルヴィンのものにして」
眼を閉じると、ふと共に暮らしたローエンの姿が甦る。だがジュードはその面影を振り払う。
あれは夢だったのだ。優しくも幸せな、泡沫の夢。
唇に触れてくる感触。肩を押されてベッドに押し倒される。
眼を開けると、真剣な顔をしたアルヴィンと目が合った。
今の僕が好きなのは、アルヴィンなのだ。ジュードはそう思いながら、再び目を閉じた。

 


空に開いた穴から空を駆ける船が現れ、無数の兵士が降ってきた。
空に浮かぶ船が強い光を放って大地を抉る。その爆風に吹っ飛ばされてローエンは気を失っていた。
どれくらいそこに倒れていたのかはわからない。だがローエンが目覚めた時、既に全てが終わった後だった。
取り敢えず仲間たちを探さなければならない。ローエンは一人ファイザバード沼野を抜け、冷原へと出た。
地形からして恐らくトウライ冷原だろう。魔物を避けながら進むと、洞窟に辿り着いた。ククル凍窟だ。
目を凝らしてみると、いくつかの真新しい足跡がある。何者かがここを通ったのだ。
あの突如現れた兵たちなのか、他の何者なのかそれはわからない。だが進むより他無かった。
暫く進むと、岩陰に隠れているアルヴィンを見つけた。その先にはあの空から降ってきた兵が二人、辺りを見回しながら歩いていた。
その姿が見えなくなって、ローエンはアルヴィンの背後に立った。
「アルヴィンさん」
「うおっ!びっくりさせんなよ!」
びくっとして振り返ったアルヴィンに、他の皆さんは、と問うといや、と首を横に振った。
「爆風に吹っ飛ばされて、気付いたら一人だった」
どうやらローエンと似たり寄ったりな状態だったらしい。
「他の皆さんも無事だと良いのですが……」
二人は一先ず凍窟を抜けようと奥を目指して歩いて行く。
「ところでアルヴィンさん」
「何だよ」
「ジュードさんとは上手く行ったのですか」
「ちょ、何でおたくが知ってんだよ!」
慌てたアルヴィンの声に、ローエンはほっほと笑う。
「じじいは何でもお見通しなのですよ」
アルヴィンはがしがしと頭を掻くと、まあ、それなりだよ、と照れくさそうに言った。
「そうですか、それなりですか」
ゆったりと頷いたローエンは、アルヴィンを見て言う。
「ジュードさんを泣かせるような事は、してはいけませんよ」
「……」
黙り込んだアルヴィンに、ローエンはあの子は優しい子です、と言葉を続ける。
「出来れば涙を零すような事にはならないで欲しいと願いますよ」
「……随分とジュードを気に入ってるんだな」
そっぽを向いたアルヴィンの言葉に、それは勿論、とローエンは頷く。
すると十字路になった通路の右手側から人の気配がして、二人はさっと岩陰に身を潜めた。
ぼそぼそと何か話す声が聞こえる。この声は。
現れたのは、ジュードだった。その背後には見知らぬ女性らしき人物がふわりと浮かんでいる。
「ジュード!」
アルヴィンが駆け寄ると、ジュードもまた目を丸くしてアルヴィンを呼んだ。
「ローエンも!」
「ご無事だったようですね」
ジュードはどうやら流沼に流されたらしかった。五体満足でいられるのは奇跡のようなものだ。
そして背後で浮かんでいる女性についてもミュゼという精霊なのだと知らされた。
ミュゼは穏やかに微笑んでいたが、それが何処か薄皮一枚だけのもののような、上っ面だけの笑みのようだとローエンは思った。

 


ミラが自らを犠牲にし、ジルニトラ号はクルスニクの槍と共に海の底に沈んだ。
辛くも脱出したジュード達は、イラート海停で宿を取った。
ジュードはミラの喪失をまだ受け入れられないのだろう、シーツに包まったままベッドの上を動こうとはしなかった。
アルヴィンはそんなジュードに見向きもせず、一人何処かへと去って行った。
彼もまたショックを受けていた。その状態でジュードを支えろとは言わない。だが、寄り添うことは出来たはずだ。
アルヴィンの気持ちもわかる反面、なぜジュードを一人にするのかという憤りもローエンにはあった。
ローエンがジュードを労わる事は可能だ。だがジュードは恐らくそれを望まないだろう。
今のジュードが必要としているのは、ローエンではない。
ジュードは私が見るから、と言うレイアに説得され、後ろ髪を引かれる思いでローエンはエリーゼと共に一旦カラハ・シャールへと戻った。
それから暫くして、レイアから手紙が届いた。今はハ・ミルにいるらしかった。
そんな時、ガイアスがイル・ファンで大規模な動きを始めたようだった。
ローエンはエリーゼと共にハ・ミルへと向かい、ジュード達と合流する事にした。
最後に見たジュードは自失状態だった。しかしハ・ミルで再会したジュードは自分を取り戻していた。
この短期間で立ち直ったジュードを強い子だとローエンは思う。
しかしジュードからアルヴィンの話を聞き、ローエンは怒りも呆れも通り越していっそ哀れだとすら思った。
アルヴィンもまた自分を見失っているのだ。自分たちを支えていた柱があんな形で失われ、断界殻もまた消えなかった。
ミラを見殺しにしたのにエレンピオスに帰る事も出来ず、アルヴィンもまた失意の底でもがいているのだ。
そうは思いながらも、とりあえず次に会ったらグランドフィナーレを食らわそうとローエンは思った。
どういう理由があれどジュードを殺そうとしたのだ。それくらいは許されるだろう。ローエンは笑みを浮かべながらそう思った。
そんなアルヴィンとはニ・アケリア霊山で再会した。アグリアとプレザと共にそこにいたアルヴィンは、しかし攻撃をしようとするアグリアからジュードを庇った。
そしてプレザとアグリアを退け、二人で話すその後ろ姿をローエンは見詰める。
余所余所しい二人の様子に、しかしローエンは今は自分が口を出す事では無いだろうと背を向けた。
「一先ずグランドフィナーレはお預けですね」
「え?ローエン、何か言った?」
小さな呟きに、近くにいたレイアが小首を傾げて見てくる。ローエンは何でもありませんよ、とにこりと笑った。

 


断界殻を開放し、ジュード達はニ・アケリア霊山へと降り立った。
エリーゼたちと穏やかに言葉を交わしているジュードを離れた所から見つめるアルヴィンの傍らにローエンは立つ。
「ジュードさんに声を掛けないのですか」
「俺はまだ、嫌われているから」
自嘲気味に笑うアルヴィンに、そうでしょうか、とローエンは首を傾げる。
「ジュードさんも単にきっかけが掴めないでいるだけだと思うのですが」
「……」
「一度はその想いが通じ合ったのです。糸が絡んだのならば解けば良いだけだとは思いませんか」
「……糸を解けるほど俺は器用じゃないんだよ」
何処か拗ねたように言うアルヴィンに、ローエンは笑う。
「ならば絡んだ部分を力技でぶった切って取り払ってしまえばいいのですよ。そうしてもう一度結び直せばいい」
「……おたく、たまに無茶苦茶な事言うよな」
呆れたような声音に、ローエンはそうですか?とアルヴィンを見る。
「いつまでも絡んだまま放置しておくよりは、良いと思いますけどねえ」
「……」
それでもまだ迷う様に視線を彷徨わせるアルヴィンに、ローエンは告げた。
「解く気が無いのでしたら、私が奪ってしまいますよ?」
「は?」
吃驚した様に目を見開いて見てくるアルヴィンに、じじいもまだまだ現役ですからと笑う。
さあお行きなさい、と驚いているアルヴィンの背を叩いて押し出した。
「ちょ、じいさん!」
よろける様にして足を踏み出したアルヴィンにジュードが気付き、その瞳がすっと切なげな色を宿した。
その視線は真っ直ぐにアルヴィンに注がれている。アルヴィンもまた、決まり悪そうにしながらもジュードに歩み寄って行く。
これで良いのだ。ローエンはぎこちなく言葉を交わす二人を見詰めながら思う。
二人が築いていくだろうささやかな幸せを、見守って行こう。
アルヴィンの言葉にジュードが微かに笑い、アルヴィンもまたほっとした様に表情を和らげた。
そんな二人を、ローエンは穏やかな微笑みを浮かべて見つめ続けた。


 


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