リドウは生まれつき内臓に疾患を持っていた。そして六歳の時、内臓の幾つかを医療用黒匣へと入れ替えた。
しかしその際の莫大な医療費が一家を離散させ、リドウは六歳にして一人で生きていくしかなかった。
生きていくには何だってやった。日の光の当たる事のない組織に属し、リドウは泥水を啜る様にして生きてきた。
そんなリドウが十二歳を迎えたある日、ビズリーと名乗る男に拾われ、まっとうな暮らしを与えられた。
ビズリーはこのエレンピオスで大きな力を持つクランスピア社の社長だった。
全てはそんなビズリーの気まぐれだった。ビズリーは何人もの孤児をそうして拾っては有能さを見出せば後ろ盾となり、無能だと判断すれば捨てた。
リドウに与えられたのは安いアパートだったが自分だけの部屋。そして飢えからも遠いその暮らしにリドウはしがみ付いた。
リドウは必死で勉強し、体を鍛え、ビズリーの役に立とうとした。
幸いな事にリドウは物覚えが早い上に要領も良く、次第に仕事も一人で任される事も多くなっていった。
リドウは十六の年に医師としての免許を取り、雑務エージェントから医療開発部のエージェントとなった。
そして二十一の年に若くして室長の座に座った。ビズリーの覚えも良く、期待されているのだと思うとそれに応えなくてはと思った。
応えられなくなったら、それは今の生活を全て失うという事を意味していたのだから。
リドウには友人らしい友人がいなかった。人付き合いなどろくにしてこなかったし、そんなものは必要ないと思っていた。
だが、それでもそんなリドウが喋りかける相手が一人だけいた。通信研究開発部のユリウスだ。
彼はビズリーの実子であり、ビズリーから誰よりも期待を掛けられていた。
出会ったころのユリウスは目つきの悪い、荒んだ子供だった。自分も人の事は言えなかっただろうが、それでもユリウスは無愛想な子供だった。
ビズリーの息子であるという重圧、期待、それらがユリウスを苛んでいるのは明らかだった。
ビズリーは恐らく自分の役に立たないとなればそれが実の息子であろうと捨てるだろう。そういう男だ。
だからユリウスの苦悩はリドウにも理解できた。捨てられないようにと必死で努力し続けなければならない。
その頃のユリウスは誰も彼も拒絶していて、似た境遇のリドウとは思う所があったのか、多少話す事があったがそれ以外で私語をしている所を見た事が無かった。
そしてリドウが医療開発部の室長になるより少し早く、ユリウスは通信研究開発部の室長となった。ユリウスはまだ二十歳だった。
その数日後、リドウはユリウスから言われた。プランツ・ドールは要らないか、と。
プランツ・ドールとは人の形をした植物の総称だった。大抵は幼い少女の姿をしており、中には少年の姿をした個体もあるがそれは希少だった。
ユリウスの話によると、室長になった祝いにとビズリーからプランツ・ドールを贈られたらしい。
だがユリウスはプランツ・ドールになど全く興味が無く、そんなものを貰っても邪魔なだけだった。
しかも世話をしなくてはならない分、余計なものを押し付けてくれたと思っているようだった。
取り敢えず見るだけ見てみる事にして、リドウは初めてユリウスの住むマンションを訪れた。
部屋に入ると、ユリウスの腰に突進してしがみ付いてくる子供がいた。これが噂のプランツ・ドールらしい。
しかしユリウスはそんなプランツ・ドールを引きはがし、これだ、とリドウに差し出した。
怯えた眼で見上げてくるそのプランツ・ドールは、希少と言われている少年型だった。
銀の髪にアクアグリーンの瞳。これ一体で立派な家が建つくらいの値段がする筈だ。
欲しいならくれてやると素っ気なく言うユリウスに、これじゃ駄目だな、とリドウは肩を竦めた。
プランツ・ドールは主を選ぶ。金さえあれば買えるというものではない。選ばれて初めて、手に入れる権利を得るのだ。
このプランツ・ドールは明らかにユリウスに懐いていた。ユリウスがどう思っていようと、ユリウスを主として選んだのだ。
どうしても要らないってんなら専門店で引き取ってもらえよ、とリドウは言う。
このトリグラフには一軒だけプランツ・ドールを扱う店があった。
そこへ行けば引き取ってくれるはずだと教えると、プランツ・ドールについて何も知識が無いのだろうユリウスはそうか、と頷いていた。
ユリウスがあのプランツ・ドールを店に連れて行ったのかは知らない。だが結局養う事にしたらしかった。
どういう心境の変化があったのかはわからないが、ユリウスは少しずつ変わっていった。
伊達眼鏡を掛け、人を睨み付けるあの目つきを止めた。他の社員とも交流を持つようになった。ぎこちなく笑うようにもなった。
ユリウスのGHSの待ち受けは飼い猫と一緒に眠っているあのプランツ・ドールの少年だった。
ユリウスが変わったのは、あのプランツ・ドールが原因なのは明らかだった。プランツ・ドールには不思議な癒しの力があると言う。
それがユリウスを癒したのかもしれない。人並みに人付き合いが出来る様になっていくユリウスを、リドウは憎らしく思った。
リドウにとってユリウスは同族だった。なのにこの変化は何だ。GHSを眺めて幸せそうに微笑む姿は、裏切られたような気すらした。
そんなある日、リドウは街でユリウスを見かけた。傍らにはあのプランツ・ドールの少年がいた。
猫のパーカーを纏ってユリウスと手を繋いで歩く少年は、心底楽しそうにユリウスを見上げている。
そんな少年にユリウスは優しげに何かを話しかけながら歩いて行く。あのユリウスがリドウの視線に気付かぬまま去って行った。
リドウはこの胸を苛む感情が何なのか漸く理解した。リドウはユリウスが羨ましかったのだ。
日々に安息なんて無いようなものだった。ユリウスとは決して仲が良かったわけではなかったが、それでもそんなリドウの唯一の理解者だったのだ。
だがもうユリウスはリドウから遠い所にいる。あの少年に安らぎを見出し、幸せを感じて日々を過ごしている。
お前だけ幸せになるなんて、狡いじゃないか。リドウはずっと心の奥底に封じてきた感情が滲みだすのを感じた。
俺だって安らぎたい。幸せを感じたい。そんな些細な願いさえ自分は叶えられないのに、ユリウスはそれを叶えた。
リドウはきつく拳を握り、その場を立ち去った。リドウが二十二の年の事だった。
それから七年後、リドウはたまたま通りがかった裏路地で倒れている子供を見つけた。
死んでいるのかと爪先で転がしてみると、肌蹴た胸元に六枚の花弁を模した刻印が見えた。プランツ・ドールだ。
プランツ・ドールには人間との差別化を図るために胸元に六枚の花弁を模した刻印を刻みつけられている。
そしてその下に管理コードナンバーと個体名が刻まれているのだ。
捨てられたのか逸れて行き倒れたのかはわからないが、出回っている殆どが少女型のプランツ・ドールの中で珍しい少年型だった。
黒髪に白い肌を持つその子供の姿をした、人に酷似した人ならざる生き物。
リドウは放置してその場を去ろうとしたが、ふと脳裏にユリウスとあのプランツ・ドールの姿が頭を過ぎって足を止めた。
振り返るとぴくりともしないプランツ・ドールを見おろし、リドウはちっと舌打ちをしてその小さな体を抱き上げた。
マンションに連れて帰ると、とりあえず汚れていたので服を脱がせ、湯で濡らしたタオルで体を拭いた。
胸元の個体名を読み取ると、このプランツ・ドールはジュードという名らしかった。
ジュード、ねえ。大層なお名前ですこと。リドウはそう思いながら小さな体をバスローブで包んでソファの上に寝かせた。
洗濯機が微かに音を立ててこの少年が着ていた服を洗っている。
捨てられたならともかく、逸れたのなら届け出が出ているはずだ。
そこまで考えて、リドウはわざわざ連れて来なくてもあのままプランツ・ドールの店に連れて行けば良かったのだと気付いた。
そうすればこんな面倒な事はしなくても済んだ。リドウは小さく溜息を吐いてソファに座ると、眠り続けるプランツ・ドールを見下ろした。
するとリドウの視線の先でプランツ・ドールの瞼が震え、ゆっくりと開かれた。蜂蜜色の瞳がリドウを捉える。
「お目覚めかい」
声を掛けると、少年はきょとんとリドウを見上げながら身を起こした。はらりとバスローブが肌蹴るが気にした様子はない。
じっと見下ろしていると、同じようにじっと見上げていた少年が柔らかく笑った。花が綻ぶような笑顔だった。
「……お前、捨てられたの。それとも飼い主から逸れたの」
にこにことしている少年を見おろし、リドウは無駄とわかっていて問う。
少年はリドウの言葉を理解しているのかしていないのか、きょとんとして首を傾げた。
くいっと少年の小さな手がリドウの袖を引っ張る。それと同時にぐーっと少年の腹が鳴って少年が何を伝えたいのかはよく分かった。
「……プランツはミルクと愛情で育つ、ねえ」
ミルクティーやチャイを淹れる為にミルク自体はあるのだが。確かプランツ・ドールは基本的には専用のバカ高いミルクしか飲まないのではなかったか。
通常のミルクでも不可能ではないが、余り良くはないとされている。
しかし少年はじっと期待に満ちた目でリドウを見上げてきており、リドウは二度目の溜息を吐いてキッチンへと向かった。
ミルクはミルクでもホットミルクしか受け付けないとも聞いた事がある。リドウは面倒なお姫様だと呟いてミルクパンにミルクを注いだ。
すると少年がソファを降り、ぱたぱたと駆け寄ってきてリドウの腰にしがみ付く。
「おいおい、ローブくらい着てきてくれよ」
素っ裸で抱き付いてくる子供を引きはがし、リドウはソファに落ちているバスローブを取って子供に着せ直した。
そうしてゆっくりと人肌に温めたミルクをカップに注ぎ、小さな手に握らせた。
子供はくんくんと匂いを嗅いでいたが、やがてそっとそれを口にした。余程腹が減っていたのだろう、こくこくと立て続けに飲み下すとぺろりと口の周りを舐めてにこーっとリドウを見上げてきた。
その時に感じた温かい何かを何と表せば良いのだろう。けれどリドウはこれは店に連れて行くまでの事だと視線を逸らした。
「満足していただけたようで何より」
ひょいとカップをその手から奪って、リドウは手早くそれを洗うとソファに戻ってきた。
その間も子供はバスローブの裾を引きずってとてとてとリドウの後をついて回り、リドウがソファに座ると自分も隣に座った。
「……もしかして、俺に懐いてる?」
見下ろしてもきらきらとした蜂蜜色の瞳が見上げてくるばかりで応えなどない。
リドウは面倒な事になったのかもしれない、と思いながらソファに身を預けた。
やがて洗われた子供の服が乾き、それを着せてリドウはマンションを出た。
子供に歩く速度を合わせてやるなんて考えのないリドウがすたすたと進むと、子供は懸命についてきた。
そしてプランツ・ドールの専門店に着くと、子供はきょとんとしてその店を見上げた。
「いらっしゃいませ」
店内に入ってきたリドウに優雅に腰を折ったのは、歳の頃は三十くらいの長い金髪を垂らして眼鏡をかけた男だった。
男はリドウが連れてきた子供を見るなり、おや、と目を見開いた。
「路地裏で転がってたんでね。ここならデータを管理しているんだろう?」
「ええ、しかしデータを照合する必要はありません。その子は昨夜この店から盗まれた子です。恐らく盗んだものの、結局逃走の邪魔になるからと捨てたのでしょう」
ジュード、と名を呼ぶと子供は小首を傾げて男を見上げた。だがリドウの後ろから出てこようとしない。
おや、と男は手を形の良い顎に当てるとリドウを見た。
「この子を見つけていただいた時点でこの子は目を覚ましておりましたか?」
「いいや、寝てたね」
ふとリドウは気付く。店にいるプランツ・ドールは全て眠っていた。まさか、と男を見ると、そうですと男は頷いた。
「目を覚ますこと自体が、プランツに選ばれるという事なのです」
つまり、リドウはこの子供に選ばれたのだ。主たる資格があるのだと。
「……それで?」
「一度目を覚ましてしまったプランツはそのお客様に引き取っていただくのがベストです」
「俺に引き取れ、と?」
「本来ならこのお値段なのですが」
男がさらりと札に金額を書いてリドウに見せる。
「……冗談は程々にした方が良いと思うぜ?」
その金額にリドウは眼を見開かざるを得なかった。少年型のプランツ・ドールが軽く家を買えるレベルの値段だと言うのは知識としてはあった。
だが実際にそれを差し出されるのとでは衝撃の度合いが違う。
だが男はさらりとその札に新たな金額を書くと、今ならこのお値段でお求めできます、と告げた。
その金額は、それでも高額だったが最初の値段の何十分の一だった。
「……どういう事だ」
「まずは一度目覚めてしまうと、どうしてもその方に買って頂かない事には枯れてしまいます。そうなると全損です」
確かにメンテナンスで記憶の初期化は出来るらしいが、それ自体にも枯れるかもしれないというリスクがあると言う。
「その上、一度でも盗まれた商品というものは敬遠されがちでして」
全損するくらいなら叩き売った方がまし、という事なのだろう。
確かにプランツ・ドールとしては安い。だが高い買い物だ。リドウはただの植物人形にそんな大金を出すつもりはなかった。
そう言ってやろうと唇を開いたその時、くいっとリドウの袖を引く者がいた。渦中の子供だ。
自分の立場を理解しているのか、子供は縋る様な切なげな瞳で見上げてくる。う、とリドウは言葉を詰まらせた。
そもそも人間の子供だって嫌いなのにこんな植物人形を育てる事なんて。
だが店員はそんなリドウの考えを読んだかの様に、つらつらとプランツ・ドールの世話の容易さを説いた。
最低限、朝と夜のミルクと日光浴さえ欠かさなければ大丈夫だと。
人間と違って汗をかく事も無いので、風呂もどうしても毎日入れなければならないというわけでもない。
簡単でしょう?とにこりと笑う店員と、見上げてくる子供の視線に負け、リドウは唸るような声でローンで頼む、と言った。
そしてオマケとしてぶんどった衣類やら肥料である砂糖菓子の入った紙袋を下げ、リドウは重い足取りで帰路に就いた。
その傍らには当たり前の様に黒髪の子供が足早について来ている。
リドウは畜生、と唸るように呟いてマンションへと向かった。
リドウとプランツ・ジュードとの生活は、こうして始まった。

 

 



ジュードと名付けられたプランツ・ドールは店の男曰く、大人しい性格の品種らしかった。
確かに横着をする事も無く、ミルクも普通のミルクを文句ひとつ言わず飲む。といっても彼らは基本的に喋ったりはしないが。
毎朝リドウの目覚めた気配でジュードも目を覚まし、自分のベッドから出てリドウの後をついて回る。
自分の朝食の用意をしながらミルクを温め、並んで座って食事を摂った。
食後に新聞を読んでいると、ジュードは横にちょこんと座ってじっとリドウを見上げている。
その視線を無視して新聞を畳むとスーツに着替えて出勤する。大人しくしてなよ、と一言だけ告げてリドウは部屋を出た。
その言葉通りジュードは大人しくしているらしく、夜になってリドウが帰宅するとソファからぴょこんと飛び降りて駆け寄ってくる。
ただいま、と告げる相手がいるというのは、何処かくすぐったい気分になる。
何かを期待するように見上げてくるジュードの頭をぽんぽんと叩いて着替える為に寝室へと向かう。
ジュードが何を期待しているのか、薄々は気付いている。だがリドウはそれを実行した事は無い。
誰かを優しく抱きしめる事すら出来ない自分に時々嫌気が差すが、それでもリドウはジュードに最低限のスキンシップしかしなかった。
仕事ならばどんな相手とでも上手くあしらう事が出来るのに、私生活ではそのスキルは全く役立てていない。
夕食が終わるとニュースを一通り見る。娯楽番組などは殆ど見なかった。
そうしてジュードと共に風呂に入って後は寝る。それの繰り返しの毎日だった。
リドウは最低限の事しかジュードに話しかけなかった。多少の事なら理解できるようだったが、会話ができるわけでもない。話しかけたところで仕方ないと思っていた。
プランツ・ドールはミルクと持ち主の愛情で育つ。一番の基本だ。
だがミルクは人間と同じものを飲み、愛情が足りているとは思えない。それでもジュードの髪は艶々していたし、肌もつるつるだった。
多分時々与えている砂糖菓子のお陰だろうとリドウは思う。肥料という名のそれは栄養価が高いらしい。価格も高いが。
ジュードは自分の事すら何もできないのでリドウが全てやってやる必要があった。
ミルク、着替え、風呂、爪切りから散髪までリドウがやった。
髪に関しては美容室に連れて行こうかと思ったが、ちょっと切るだけなのだから自分でやった方が安上がりだ。
手先が器用でセンスもあるリドウにとって、それくらい簡単な事だった。
未だ何処かぎこちなさを感じさせる共同生活は、あっという間に三節目を迎えていた。
そんなある日、リドウはいつものように昼食を摂るため食堂へと向かった。
外へ食べに出る時もあるのだが、今日は何となく外に出るのも面倒だった。野菜中心のメニューを選び、トレイを手に開いている席を探す。
ふと視線の先に見知った顔を見つけた。ユリウスだ。ちょうど彼の前が空いている。リドウはユリウスの元へ向かうとよう、と声を掛けて座った。
「ああ、お前か」
「お前ほんとトマト好きだよな」
ユリウスはトマトソースのパスタを食べていた。結構な確率で食べている気がするのだが。
「飽きないわけ」
「人の好物にとやかく言うな」
「はいはい」
そういえば、とふとリドウはユリウスの左手を見る。彼の手にはここ最近、ずっと黒の手袋がはまっている。
「お前その左手、どうしたんだ」
するとユリウスは自らの左手を見おろし、ああ、これか、と何故か優しい目をした。
「ルドガーを庇ってちょっと、な」
「ルドガー?」
「お前は一度会っているだろう、俺のプランツだ」
そんな名前だったのか、と思いながら詳しい話を聞くと、どうやらミルクを温めている時に来客が来て、それに対応している内に待ちきれなくなったルドガーが火に掛けられた鍋に手を伸ばしたらしい。
それを止める為に咄嗟に手を差し出した結果、火傷を負ったという事だった。
「はあ?プランツの為に火傷したのお前」
だがユリウスはむっとした様にリドウを見た。
「ルドガーは俺の大切な家族だ。家族が傷付かずに済んで良かったと思う事の何が悪い」
プランツを心底大切に思っていると言わんばかりのユリウスの言葉に、リドウは何故か強い苛立ちを感じて眉根を寄せた。
「お前のプランツは随分横着なんだな。俺のプランツはそんな事絶対にしないぜ。躾がなってないんじゃないか」
苛立ち紛れにそう言い放つ。すると激昂すると思ったユリウスは何故か目を丸くしてリドウを見た。
「何だよ」
「……お前、プランツを買ったのか」
「俺が買っちゃ悪いかよ」
するとユリウスはフォークを置いてじっとリドウを見た。
「リドウ」
その今までにない紳士な眼差しに、何だよ気持ち悪いなと返す。
「プランツって何であんなに可愛いんだろうな」
「……は?」
リドウの地を這うような低い声に、しかしユリウスは気にした様子もなく言葉を続ける。
「毎日どれだけ疲れて帰ってもあの笑顔を見るともうそれだけで癒されるというか、ミルクを飲む仕草なんて可愛い過ぎだろうっ」
だん、とテーブルを叩く男に、リドウはうわあと思う。
なんか俺、ユリウスの変なスイッチ押しちゃった。リドウは視線を逸らしながら思う。
「だが俺の周りにプランツを所有しているやつなんて一人もいないからなかなか話せなくて……聞いているのかリドウ」
「あー、うん」
それからもユリウスはルドガーの愛らしさを熱く語り、GHSに収めた何枚もの画像を見せてきた。
まあ確かに可愛いが、ジュードの方が可愛いな。ふとそう思い、いやいやいやと思う。俺は違う。俺はユリウスとは違う。
「それで、お前のプランツはどんな子なんだ?」
見せろ、と言わんばかりのユリウスに、画像なんて撮ってないけど、と返す。
「そもそもお前みたいにべたべた構ってないし」
するとユリウスが信じられないものを見るような目でリドウを見た。
「お前、人生の殆どを損してるぞ」
そこまで言うか。リドウはひくりと頬を引き攣らせた。
「可愛がってないのなら何で買ったんだ」
心底理解できないというユリウスの視線から逃れる様にリドウは顔を逸らす。
「別に、懐かれて無理矢理買わされただけだし」
「懐かれて嬉しくないのか?」
ユリウスの言葉にジュードの笑顔が脳裏に浮かぶ。
「……別に」
短くそう答えると、ユリウスはまあお前はそういうやつだよな、と言った。
「その子も可哀想に。まあ、もし要らなくなったら俺が引き取ってやっても良いぞ。ルドガーの良い遊び相手になってくれるだろう」
誰がお前にやるか、と思いながらもリドウはそれ以上何も言えなかった。
一瞬、その方がジュードにとっても良いのではないか、と思ってしまったから。
リドウは何かを誤魔化す様にちっと舌打ちした。

 


その夜、リドウが帰宅するといつもの様にジュードが駆け寄ってきてきらきらとした瞳で見上げてきた。
「……ただいま」
ぽんぽんといつもの様にその頭を叩いてリビングへ向かうと、着替えもせずソファに座って体を預ける。
何だか疲れた。天井を仰いでぼんやりとしていると、にゅっと小さな手が伸びてリドウの頭を撫でた。ジュードだ。
「……何してんの」
ジュードを見ると、ソファの上で立ち上がったジュードがリドウの頭を撫でている。その眼差しに宿る色に気付いたリドウは苦笑した。
「何だよお前、俺を慰めてるのか?」
リドウの頭を撫でながらジュードは心配そうな目で見つめてくる。人形に心配されるってどうなんだ。そう思いながらふと昼間の事を思い出す。
懐かれて嬉しくないのか、とユリウスは言った。嬉しい。きっとこの気持ちは嬉しいという気持ちなのだろう。
けれどそれを素直に受け入れられない自分がいる。安らぎを求める気持ちと、それすら拒絶する気持ちがせめぎ合っている。
自分なんかが安らぎを得ていいのだろうか。生きる為とはいえあれだけ汚い事をしてきて、今さら。
リドウはジュードの手を掴んでその蜂蜜色の瞳を見詰めた。
きょとんと見返してくる瞳はリドウに何の警戒も抱いていない。危害を加えられるかもしれないなんて欠片も思ってない顔だ。
リドウを信用しきったその視線に、リドウはくそっ、と呻く様に吐き出してその小さな体を抱き寄せた。
初めて抱き締めたその体は華奢で、力を入れたら折れてしまいそうに思えた。
その細い首筋に顔を埋めるとふわりと甘い香りがする。ジュードに食べさせている砂糖菓子の香りだ。
ジュードの腕がリドウを抱き返し、すりすりと頬を寄せられる。
リドウが認めたくなかろうが、もうとっくにこの存在に癒されていたのだ。
その日、初めてリドウはジュードと一つのベッドで眠りに就いた。
基本的に眠りの浅いリドウは、久々に深い眠りに就く事が出来た。
しかし結局リドウがジュードを抱きしめたのも、一緒に眠ったのもその日だけの事だった。
翌日からはまたいつもと同じ一日を繰り返し、ジュードも特に変わった様子はなかった。
だがある日、ジュードの髪を梳いていたリドウは、ふとジュードの髪がパサついている事に気付いた。
ミルクは欠かさず与えている。肥料の砂糖菓子もやりすぎない程度に与えている。日光浴もしているはずだ。
一時的なものだろうかと思い、様子を見たが何日経ってもあの艶が戻る事は無かった。
表情もここ最近冴えない気がする。おかしい。プランツ・ドールは病気に強い品種だったし、外に出ないジュードが病気にかかったとも考えにくい。
リドウはジュードを連れてあのプランツ・ドールの店へと足を運んだ。
「いらっしゃいませ、ルギエヴィート様」
店員の男は余程記憶力が良いのか、半年ぶりにやって来たリドウの事を覚えていた。
男はジュードを見下ろし、そしてリドウを見て言った。
「ジュードの調子が良くないようですね」
「原因がわからない」
苛々としながら問えば、男はジュードの前に片膝をついてジュードの髪に触れた。
そのまま頬を撫で、首筋にも触れる。それにも何故か苛立ちを感じながら見ていると、男は立ち上がってこれ見よがしに溜息を吐いた。
「愛情不足ですね」
「!」
リドウが目を見開くと、プランツは愛情とミルクさえ足りていれば本来は肥料も必要ないのです、と男は言う。
「ですがジュードは明らかにそれが不足している。今までは恐らく肥料で足りない分を賄っていたのでしょう」
だがそれも間に合わなくなってきて体に変調を来しはじめたのだ。
愛情が足りていない事は自分自身が一番よくわかっていたではないか。リドウはぎりっと奥歯を噛み締めた。
「専用の肥料もございますが、一番は持ち主の愛情です」
「……」
視線を逸らして何も答えないリドウに、男は下取りも承りますが、と告げた。
「……このままだと、枯れるのか?」
「愛情を受けられないプランツはそうなります」
如何なさいますか、と男は言う。
「……ジュード、行くぞ」
リドウは男の問いに答えないままジュードを伴って店を出た。
その夜、リドウはベッドに横たわってじっと天井を見上げていた。ちらりとジュードを横目で見る。
ジュードは既に子供用のベッドで丸くなっていた。リドウは囁くような小さな声でその名を呼ぶ。
その途端にぱちりとジュードの瞳が開かれて身を起こす。
じっとリドウを見詰めてくる瞳を見つめ返して、リドウはシーツの端を持ち上げた。
「一緒に寝るかい」
ジュードは吃驚したように目を真ん丸にして、しかし素早くベッドを降りるとリドウの腕の中に潜り込んできた。
相変わらずジュードからは甘い香りがして、リドウはその体を抱き寄せる。すると腕の中でジュードが嬉しそうに笑った。
「おやすみ」
その前髪をかき分けて額に唇を落とすと、ジュードも真似してリドウの唇に自分の唇を合わせてくる。
それにリドウは目を見開き、やがてくっくと喉を鳴らして笑った。
「大胆だねえ、ジュードちゃんは」
温かい体温を腕に抱き、リドウは目を閉じた。

 


翌朝、ジュードの髪を梳いて気付いた。昨晩までと全然櫛の通りが違う。愛情が何よりの栄養とは言葉通りだったのだ。
「ジュードちゃんさあ、素直っていうか単純っていうか、そんなんじゃ悪い人にすぐ騙されちゃうぜ?」
鏡越しにきょとんとした目を向けてくるジュードの、さらさらと指通りの良い髪を楽しみながらリドウはくつりと笑う。
「ま、俺も良い人じゃないけどね」
愛情を受けた記憶なんてもう遠い昔のおぼろげなものだ。両親の顔も殆ど覚えていない。
そんな自分が愛情を与えるなんて事、出来るはずがないとずっと思ってきた。
だが、この子供はリドウの愛情が無いと枯れてしまうのだ。愛情というものは勝手に奪えるものではない。
リドウが心から与えようと思わなければ、そして行動に移さなければ与えることは出来ないのだ。
今までリドウはそれを理解していなかった。理解しようとしなかった。
ユリウスのあの優しげな眼差しに苛立ったのも、きっとそれを突きつけられたような気がしたからだろう。
「立ち止まってても仕方ないか」
リドウは瓶から砂糖菓子を取り出すと、目を輝かせて見上げてくるジュードにほら、と差し出した。
「あーん」
ジュードがぱかっと小さな口を開け、そこに砂糖菓子を放り込む。
ころころと口の中でそれを転がすジュードの頭を撫でながら、リドウは大人しくしてろよ、と笑いかけて部屋を出た。
そしてクランスピア社のエントランスを歩いていると、視線の先にユリウスを見つけた。
「よう、ユリウス」
ユリウスは何だお前か、と興味なさげにリドウを見る。
「ルドガー君ってさあ、枯れそうになったりとかあったりする?」
「!」
ぎくりとユリウスが目を見張り、リドウはあるのか、と意外なものを見る目で見た。
「……出会って間もない頃に少し、な」
視線を逸らしてそう言うユリウスに、ふうんとリドウは小首を傾げる。
「それってさあ、すぐ治ったか?」
「いや、ルドガー自身はすぐに元気になったが、髪と肌は一週間くらいは状態が余り……まさかお前」
訝しげに見てくるユリウスに、枯らしてはいないぜ?とリドウは笑った。
「ま、情報ありがとよ」
ひらりと手を振ってその場を立ち去りながら、回復のスピードはやはり個体差なのだろうかと思う。
それとも、乾いたスポンジに水を垂らすように余程愛情が足りていなかったのか。
自分から手を伸ばさなければ、何も伝わらないのだ。それをジュードは思い出させてくれた。
俺もいつか、心から安らげる日が来るのだろうか。あの子が、その場所になってくれるだろうか。
今まで否定してきたそれを、受け入れられるようになるだろうか。
リドウは白衣を纏い、研究室へと向かう。
おはようございます、室長。いくつもの声を受けながら、リドウは思考を切り替えた。

 

 


ある日、ふと思い立ってリドウはジュードをGHSで撮ってみた。
一枚目は向けられるレンズに目を丸くしているジュード。二枚目、三枚目と枚数を重ねて行き、納得がいくものが撮れるまで撮ってみる。
結構な枚数を画像フォルダに収めた結果、リドウのGHSの待ち受けはジュードの笑顔となった。
可愛い、愛しい。そういった感情を、最近のリドウは比較的素直に受け入れられるようになっていた。
毎晩一緒に眠ったし、ハグも頻繁にした。出来るだけ話しかけるようにもした。
パサついていたジュードの髪は艶やかさを完全に取り戻し、リドウはそんなジュードのさらさらとした髪を梳くのが何気に好きだった。
今までジュードの櫛やシャンプーなどは自分と同じ人間用の物を使っていた。だがそれもプランツ・ドール専用の物へと変えた。
ぬいぐるみを買い与え、絵本も与えた。嵩んでいく出費に、しかしリドウは止めようとは思わなかった。
ジュードがいてくれるから今まで味気なかった世界が色付いて行くのだと、もう認めていたからだ。
それにリドウは大企業クランスピア社の医療開発部室長だ。給料は他の企業の社員と比べて遥かに良い。これくらいの出費、然して痛いとも思わなかった。
そんなある日、リドウはジュードを連れてプランツ・ドールの店にやってきていた。
手を繋いで現れた二人に、店員の男はおや、と言う様に微かに目を見張った後に一礼した。
「いらっしゃいませ、ルギエヴィート様。本日はどのようなご用件で?」
「砂糖菓子が切れそうなんでね」
リドウの言葉に男は畏まりました、と優雅に一礼して店の奥から砂糖菓子の詰まった瓶を運んできた。それともう一つ、淡い桃色の珠の詰まった瓶も持っている。
「まずはこちらがご所望の肥料になります。それと是非ご紹介したい商品がございます」
男はテーブルの上に砂糖菓子の瓶とその淡い桃色の珠の詰まった瓶を置く。
「こちらは香り玉と言って、毎食一粒与えていただく飴玉のようなものです」
「ジュードは普通のプランツじゃなかったか?」
香り玉は通常、ポプリ・ドールと呼ばれる体から芳香を放つタイプのプランツ・ドールに与えるものだ。
普通のプランツ・ドールにそれを与えても、人間が飴を食べるのと同じで然して効果はないと書物に書いてあった覚えがある。
だが男はこれは新たに開発された香り玉で、通常のプランツをポプリ・ドールの様に芳香を纏う事が出来るようにするものだと言う。
「芳香はプランツによって変わってきます」
男の説明を聞きながら、ふとリドウは思い出してそれを口にした。
「砂糖菓子には香り玉のような効果はないわけ?」
「ええ。あくまでただの肥料ですので。香料は使用しておりますが香り玉のような効果は御座いません」
「でもジュードからは砂糖菓子の匂いがするんだけど?」
おや、と男は考え込むように顎に手を当て、やがて言った。
「でしたらジュードがお客様にそう望まれているのだと思っているのでしょう」
「ジュードが?」
傍らで大人しく座っているジュードを見下ろすと、なあに?と言う様にジュードもリドウを見上げてきた。
「プランツは主により愛されるために体質などを変化させていく事が出来ます。ジュードは芳香を纏っている方が愛されると思っているのでしょう」
そういえば最初拾ったばかりの時は何の匂いもしなかったな、と思う。抱き締めたりしなかったから気付かなかっただけだと思っていたが、そうではなかったのだ。
素っ気ない態度を取るリドウに少しでも気に入られようと、ジュードなりに考えたのだろう、それが芳香を纏うという事だったのだ。
リドウは呆れたようにジュードを見おろし、お前頭いいのか悪いのかわかんないね、とその額を指先で押した。
「それだけお客様に愛されたかったのでしょう」
男の言葉にリドウが決まり悪げな色をその顔に浮かべると、ドアベルが軽やかに鳴って来客を告げた。
何気なくそちらを振り返って、リドウはげっと顔を引き攣らせた。
「リドウ?」
入ってきたのは、ルドガーを連れたユリウスだった。まさかこんな所で会うとは。
向こうも同じ思いなのだろう、驚きに目を見張っていた。
「いらっしゃいませ、クルスニク様。本日はどのようなご用件で?」
優雅に腰を折る男に、ユリウスははっとした様にリドウから視線を外した。
「ああ、ルドガーの保湿剤が無くなりそうなんだ」
「畏まりました」
男が店の奥へと向かうのを見送って、リドウはユリウスを見た。
「保湿剤なんて使ってるのかよ。軟弱だねえルドガー君は」
「ルドガーは外で遊ぶのが好きだからな。仕方ないさ」
てっきり怒りを表に出すと思ったのに、さらりと流されてリドウはちっと舌打ちした。
そんなリドウからユリウスの視線が逸れ、ジュードを捉える。
「それより、その子がお前のプランツか」
「そうだけど?」
「名前は?」
「何でお前に教えなきゃならないのかな」
リドウの拒絶に、いや、とユリウスがルドガーを見下ろす。
「ルドガーが知りたがっているみたいだからな」
ユリウスと手を繋いだままのルドガーがきらきらとした瞳でジュードを見ている。
一方ジュードの方もルドガーが気になってはいるようだが、リドウの反応が良くない事でどうしていいのかわからないのだろう、困惑気味の瞳でリドウを見上げていた。
「……ジュードだ。ジュード、ゴアイサツしておいで」
渋々と言った様子のリドウの言葉に、ジュードはぱあっと表情を明るくするとぴょんと椅子から飛び降りてルドガーの前に立った。
ルドガーとジュードはじいっと見詰め合っていたかと思うと、同時にお互いに抱き付いた。
むにむにと頬を合わせ、きゃっきゃと声が聞こえそうなそれにそれぞれの所有者は無言でGHSを取り出した。
店員の男が保湿剤を手に戻ってくると、そこではGHSを構えて画像を撮りまくる男二人がいた。
その光景におやおやと思う。どちらも最初はプランツ・ドールに対して好意的ではなかったというのに。
さて、いつになったら撮影会は終わるんでしょうねえ。男はそう思いながらカメラポジション争いをする男二人を眺めた。

 


結局香り玉は買わなかった。今のジュードの香りで十分だと思ったからだ。
リドウはジュードを抱きしめるとその首筋に鼻を寄せる。仄かに香る甘い匂いが心地よかった。
香り玉は買わなかったが、入浴剤を買ってみた。バラの香りのする乳白色のそれはリドウも気に入った。
今度の休みにはジュードの新しい服を買いに行こうか。そんな事を思いながら、リドウはジュードを抱いて眠りに就いた。
そんなある日、ビズリーに直接報告する事があったリドウは社長室を訪れていた。
報告を終え、一礼して踵を返そうとすると引き留められた。
「プランツを買ったそうだな」
「……ええ」
ユリウスから洩れたのだろうか、と思ったがユリウスはビズリーを嫌っている。そんな気軽に私事を話すような仲でもない。
だが相手はビズリーだ。広い情報網を持つ彼ならば、それくらい何もしなくても耳に飛び込んでくるのだろう。
「お前ならばプランツに寄生する植物を知っているだろう」
「……ティアラですか」
そうだ、とビズリーは頷く。
ティアラとは花冠とも呼ばれるプランツ・ドールにのみ寄生する植物の名だ。開花本能が強く、一度プランツ・ドールに寄生すると必ずその花を咲かせると言われている。
珊瑚色の大きな花は咲く為にプランツ・ドールから栄養を搾取する。故に咲いた後は宿主となったプランツ・ドールは枯れる。
「ティアラは基本的には珊瑚色の花を咲かせる。だが、まれにだが青い花が咲く事もある事は知っているか」
「アンチノミー・ティアラですか」
ティアラが珊瑚色なのは宿主のプランツ・ドールが十分な愛情を受けた証だとされている。だが、青いティアラは単純に愛されていれば咲くわけではない。
愛されながらも拒絶されるような、二律背反の愛情を受けた末に咲く花だと言われている。
「私は今まで珊瑚色のティアラは何度か見た事があるのだが、青いティアラは見た事が無いのだよ」
リドウはビズリーが言わんとする事を察し、資料を持つ手に力を込めた。
「……私のプランツに、ティアラを寄生させたいのですね」
「最初はユリウスのプランツをと思ったのだが、あれは駄目だ。寄生させたところで珊瑚色の花しか咲かんのは明らかだ」
確かにデレデレに甘やかして愛情を注いでいるユリウスと、その愛情を目一杯に受けているルドガーを見ればそれは誰の目にも明らかだった。
「……私も彼と同じかもしれませんよ?」
「珊瑚色の花が咲いた時は私の見る目が無かったという事だろう。だが私が知るプランツオーナーの中では君たちが最も適していると私は感じた」
勿論、結果の可否に関わらず報酬を支払おう、とビズリーは言う。何なら代わりのプランツを買っても良い、とも。
「……」
黙っているリドウに、ビズリーは旬末までに考えておきなさい、と告げた。
一礼して出て行こうとするリドウの背にビズリーの声がかかる。
「プランツを養うという事がどういう事か、もう一度考えてみるがいい」
リドウはそれにも答えないまま、社長室を出た。

 


ふざけるな、と思う。誰がジュードを一日しか咲かない花の為に差し出すか、と。
幾ら金を積まれても御免だとも思う。しかしそれと同時にビズリーが最後に言った言葉が甦る。
プランツを養うには金が要る。人間の子供を育てるより遥かにその費用は掛かる。
今までリドウがジュードにあれこれ買い与えられたのも、そもそもジュード自身を買う事が出来たのも全てはクランスピア社に勤めているからだ。
一般企業の平社員の給料ではどうやったってプランツを養うなんて事は無理だ。プランツがその環境に適合してくれれば話は別だが、適合するか枯れるかは賭けだった。
それに何より、リドウは今の生活を捨てる気はさらさらなかった。
だがビズリーのあの言葉は、リドウが拒否すれば今の地位を奪い取ると、そういう意味だった。
つまり、初めからリドウに拒否権はないのだ。
くそっと洩らして髪をかき混ぜると、傍らのジュードが心配そうに見つめていた。
リドウはそんなジュードを抱き締め、その甘い香りで肺を満たす様に吸い込む。
「畜生、畜生、ちくしょう……!」
叫ぶように吐き捨てるリドウの頭を、ジュードの小さな手が慰める様に撫でた。
いつもなら癒されるそれも、今はただ虚しかった。
そして旬末、リドウはビズリーの元にジュードを連れて行った。
ビズリーの方もリドウが断る事は無いと思っていたらしく、既にティアラの苗が用意されていた。
ビズリーの傍らにはあのプランツ・ドール専門店の店員が立っており、何の感情も映さない目でリドウを見ていた。
安定性を考えると、頭部に寄生させるのがベストだ。店員の手によってジュードの頭の上に苗が乗せられる。
途端に苗の細い根が蠢き、ジュードの頭皮にその根が潜り込んでいく。
痛みは無いようだったが違和感はあるらしく、頭に手をやろうとするのを店員の男に止められていた。
呆気ないほど簡単にティアラの苗はジュードの頭に寄生した。小さな草冠を乗せているようなジュードを見下ろす。
きっと自分は酷く情けない顔をしているのだろう、ジュードが心配そうに見上げてきた。
「順調に育てば一節ほどで蕾をつけ、花を咲かせるでしょう」
男の言葉にビズリーが満足げに頷く。そしてリドウに毎日映像記録を撮るよう告げた。
男から一通りの説明を受けたリドウがジュードの手を引いてエントランスを歩いていると、ユリウスと会った。今一番会いたくない男だとリドウは思う。
だがユリウスはリドウとジュードに気付くと、近付いてきて何故ここにジュードがとリドウを見た後、そのジュードを見下ろして目を見張った。
「お前……これはティアラじゃないのか」
お前が植えたのか、と非難の眼で見てくるユリウスにかっとなってリドウはその胸倉を掴み上げた。
「お前の御父君がご所望なんだよ。ルドガー君が選ばれなくて良かったなあ御曹司」
歪んだ笑みを浮かべて言うリドウを、ユリウスは打たれたように目を大きく見開いて見詰めた。
「……ビズリーがお前に命じたのか」
リドウはユリウスを突き飛ばす様にしてその胸倉から手を離すと、まあいいさ、と鼻を鳴らして笑う。
「何色の花が咲こうが報酬は弾んでくれるらしいからな」
「ジュードを売ったのか。お前にとってジュードはその程度のものだったのか」
一瞬、ちかちかと目の前に火花が散ったような気がした。それ程に強い怒りを感じた。
「お前に何がわかる!」
その怒声にジュードがびくりとしておろおろとリドウを見上げてくる。
そんなジュードの手を引き、リドウは足早にクランスピア社を後にした。
小走りについてくるジュードの頭の上で、ティアラがそよそよと揺れていた。

 



それからリドウは毎日ジュードのティアラの成長をヴィデオディスクに収めた。
小さな草冠のようだったそれは日を追うごとに茂って行き、ジュードの動きに合わせてほわほわと揺れていた。
蕾が生えてきたのは、寄生させてから三旬目を迎えた日の事だった。
小さな蕾に、リドウはジュードとの別れが近づいている事を強く実感した。
いっそ引き抜いてしまおうかとも思ったが、店員の男が無理に引き抜いても枯れると言っていた。
だがまだティアラが小さい時ならば、根元から切ってしまえば根は吸収されてしまうとも男は言っていた。
しかしリドウはそれをしなかった。もう咲かせるしか道は無いのだ。
あと何度、こうしてミルクを温められるのだろう。リドウは最近ミルクを温めるたびにそう思った。
恐らくあと一旬もすれば花開くだろう。そうなればジュードはもう映像に残るだけだ。
誰かこの花冠の成長を止めてくれ。そう思いながらも日に日に大きくなっていく蕾に、ジュードはどんな花を咲かせるのだろうと思う。
ジュードを失いたくないという気持ちと、ジュードの咲かせる花を見てみたいと思う二律背反。
そんなリドウの複雑な愛情を受け、ジュードは大きくなった蕾を頭に乗せてリドウを見上げていた。
今や蕾はジュードの頭の半分ほどの大きさまで育っていた。重みはあるようだったが、ジュードは気にしていないようだった。
寄生させて一節が過ぎた頃、目覚めたリドウはつられて起き上がったジュードの頭の上の蕾が微かに綻んでいるのを見た。
開花が目の前に迫っていた。開花時期はある程度宿主の意思が反映されるという。だがもう時間の問題だろう。
とうとうこの日が来たか。リドウはそう思いながらもいつも通りに出社準備をし、ビズリーに連絡を入れてジュードと共にクランスピア社に向かった。
社長室へ向かう途中、ユリウスと会った。彼は大きな蕾を乗せているジュードを痛ましげに見た後、リドウに本当にそれでいいのか、と聞いてきた。
今更どうしろというのだ。ジュードはもうあと数刻で枯れる。そう決められてしまった。
リドウはまだ何か言いたげなユリウスを無視して社長室の扉を潜った。
中にはビズリーと店員の男が待っており、何台ものヴィデオカメラが設置されていた。
綻び始めた蕾の花びらの色を見たビズリーが満足げに頷く。花びらの色は、青だった。
「私が見込んだとおりだったな」
ビズリーの言葉には何も応えず、部屋の中央にジュードを連れて行ってその手を離した。
そしてジュードの前で片膝をつくと、さあ、と促した。
「もう我慢しなくていい。咲いて良いんだ」
本当に?と問う様に瞳をきゅるんとさせるジュードに、リドウはああ、と微笑む。
ちゃんと笑えているだろうか。ジュードが安心できるような笑みを浮かべられているだろうか。
リドウの視線の先で、ジュードも嬉しそうに笑った。さわりと頭上のティアラが震えたように見えたのは気のせいだったのだろうか。
いや、気のせいではない。ゆっくりと蕾が綻んでいく。
ジュードの視線が揺らぎ、目を閉じると開花速度は一気に速まり、ふわりと大輪の青い花を咲かせた。
幾重にも重なった青い花びら。幻とさえ言われたアンチノミー・ティアラ。
閉ざされていたジュードの目が再びゆっくりと開かれる。ああ、これでもうジュードは。
きっと自分は情けない顔をしていたのだろう、ジュードが安心させるように優しく微笑んでリドウの額に口付けた。
毎夜リドウがジュードにしてきたそれと同じだった。
はらり、と花びらが散っていく。無数の青の花びらが床に舞い落ちて行き、ジュードもまたふっと気を失う様に倒れ込んできた。
その体を抱きとめて見下ろすと、まるで眠っているようだった。もうその蜂蜜色の瞳が開かれる事は無いのだ。
僅かに残っていた僅かな花びらも散り、草の部分も役目を終えたとばかりにはらはらと落ちて行った。
ぎりりと奥歯を噛み締めて湧き上がる何かを堪えて俯くリドウと、動かなくなった少年を見下ろしていたビズリーはカメラを止めさせようとした。
だがぴくりとジュードの手が動き、ビズリーはそれを見た。リドウもまた、それを信じられないものを見る目で見ていた。
ふるりと瞼が震え、もう見れないと思っていた蜂蜜色の瞳が現れる。ジュード、とリドウが震える声で呼べばジュードは柔らかく笑った。
「青いティアラを咲かせたプランツは枯れないのか?」
ビズリーが店員の男に問う。男は枯れる場合が殆どです、と答えた。
「ですが確実に枯れる珊瑚色の花とは違い、青い花の場合はまれに枯れず成長期を迎える事があります」
プランツ・ドールは基本的にずっと同じ姿のままだ。髪や爪は伸びるが身長などの身体的なものは変わらない。
だがミルクや専用のもの以外を食べさせたりすると成長する事があるとは聞いていた。
「ではこのプランツは大人になるのか」
プランツ・ドールが成長し、成熟する事を一般的に大人になる、と例えて言う。男は恐らくは、と頷いた。
「何しろアンチノミー・ティアラは前例が数えるほどしかありませんので詳しい事は何とも」
ビズリーと男の会話を呆然と聞いていたリドウはジュードを見下ろす。ぼんやりとした目で、けれど優しい色を称えてジュードはリドウの腕の中にいた。
「今は花を咲かせて一時的に栄養が不足しているので動くのも億劫なのでしょう。帰ったらミルクを飲ませて寝かせてやってください」
男の言葉にリドウはビズリーを見る。ビズリーは詰まらなそうに今日はもう休め、とリドウに告げた。
歩けないジュードを抱いてリドウはクランスピア社を後にした。マンションに戻り、ミルクを温める。
もう二度とこうしてミルクを温める事は無いと思っていた。
じわじわと胸の奥から湧き出る何かに耐えながら人肌に温まったミルクをカップに注ぎ、ジュードに手渡す。
ジュードはゆっくりと時間をかけて飲み干すと、リドウがカップを洗っている間にソファで眠ってしまっていた。
その体を抱き上げて寝室へ向かい、ベッドに横たえる。すうすうと寝息を立てるジュードの前髪をさらりと掻き上げてその額に唇を落とした。
つ、と頬を何かが伝い、リドウは頬に手を当てる。指先は濡れていた。
ぱたた、と音を立てていくつもの雫がシーツの上に落ちて染みを作っていく。
「……っ……」
リドウはジュードの小さな掌を包み込むようにして握り、それを己の額に押し当てた。
失ったと思った。その温もりが今もここに在る。僥倖ともいえるそれにリドウは誰ともなく感謝した。

 


ビズリーは約束通り多額の報酬をリドウに支払った。リドウとしては断ってやりたい気持ちもあったが、貰っておいて損はない。
ジュードはというと、店員の男が言った通り日に日に成長していった。
身長があっという間に伸びていき、子供子供していた手足もすらりと伸びていった。
そうなるとミルクと砂糖菓子だけでは栄養が足らなくなり、人と同じものを食べるようになった。
店員の男によれば、成長してしまえばもう人と同じものを食べても問題はないそうだ。
そしてジュードは言葉を話す様になった。初めのうちはたどたどしかったそれも、今では普通の人間と変わらない。
ジュードの成長は十五、六歳程度で止まった。もう少し身長が欲しかった、とジュードは文句を言っていたが、リドウはそれくらいが丁度良いと思っていた。
余り大きくなられて抱き心地が悪くなるのは避けたかった。
ジュードが育ってからも二人は一緒のベッドで眠った。成長してもプランツ・ドールとしての本能である甘えたがりなところは変わらないらしかった。
成長したジュードは様々な本を読んで知識を吸収していった。ついこの前まで絵本を読んでいたのに、今ではリドウの医学書を当たり前の様に読んでいた。
ジュードがティアラを咲かせて一節が過ぎた頃、リドウはユリウスのマンションを訪れていた。
ジュードがしきりにルドガーに会いたいと言うので、仕方なくユリウスと連絡を取ったのだ。
ユリウスとはあの日社長室の前で会って以来言葉を交わしていなかったので、ユリウスはてっきりジュードは枯れたものだと思っていたらしかった。
成長したジュードを驚いた様に見ていたユリウスはうまい事成長したな、とリドウを見た。
二人の視線の先ではジュードがしゃがんでルドガーと視線を合わせたままにこにこと笑い合っている。
プランツ・ドール同士は言葉を交わさなくても意思の交換ができるらしく、あれで何か会話しているのだろう、見守っていると徐に二人がまた抱き合った。
わきゃわきゃしだしたジュードとルドガーに、やはり男たちは無言でGHSを取り出すと撮影大会が始まったのだった。
そしてその翌朝、珍しくユリウスからリドウのGHSに着信が入った。ルドガーが育ってきている、と動揺した声がしてリドウはジュードを見た。
「どうしたの?」
小首を傾げるジュードに説明すると、ああやっぱりね、とジュードは事もなげに言った。
「昨日聞かれたんだ。大人になって良かった?って。だから良かったよって答えたら自分も大きくなりたいって言ってた」
ジュードの説明をそのままユリウスに伝えると、ぶつっと通話が途切れた。あの野郎、と思いながらリドウはGHSをテーブルの上に置く。
「ルドガーはね、ユリウスさんにトマト料理を作ってあげたいんだって」
カンパーニュをちぎって口の中に放り込みながらジュードは言う。
「ふうん……ジュードちゃんは俺に作ってくれないのかな?」
何気なくそう言えば、作っていいの?とジュードが目を丸くした。
「キッチンには近づくなって言ってたじゃない」
確かにジュードが来たばかりの頃、そんな注意をした覚えがある。
「今のジュードちゃんなら大丈夫だろうし許可してやるよ」
ただし、とリドウは続ける。
「慣れるまでは俺と一緒にキッチンに立つこと」
良いね、と言えばジュードは嬉しそうに笑って頷いた。
「僕、リドウより上手くなって美味しいもの食べさせてあげるね」
「期待してるよ、お姫様」
リドウは穏やかな気分でくつくつと喉を鳴らして笑い、席を立つ。
「いってらっしゃい」
「大人しくしてろよ」
ちゅっと軽く唇を合わせ、リドウはマンションを出る。
幸せだった。満ち足りていた。こんな毎日がずっと続く事を願いながらリドウはクランスピア社へと向かった。

 


それから更に一節後、リドウは再びユリウスのマンションにいた。
一節ぶりに見たルドガーはすっかり成長しており、ジュードより成長して二十歳くらいの若者という感じに育っていた。
そんなルドガーとジュードは並んでキッチンに立ち、仲良く料理をしている。
「あーうちの子マジ天使」
リドウが笑いあう二人の姿をGHSで写すと、隣で同じようにGHSを構えているユリウスがその意見には同感だと返してきた。
「俺のルドガーは何であんなに可愛いんだろうな」
「だけどさあ、ちょっと育ちすぎじゃないのか?」
ルドガーはジュードと違って自分の意思で成長を始めたのだから、あの姿はルドガーが望んだとおりなのだろう。
「ルドガーは俺の弟として不自然のないくらいまで育ちたかったらしくてな」
「弟ねえ。だったらもう少し育ったほうが良かったんじゃないのか?お前自分の歳考えろよ」
「お前に言われたくはない」
思う存分画像を保存したGHSをテーブルに置いてそういえば、とユリウスはリドウを見る。
「お前、ジュードの戸籍はどうしたんだ」
大人になったプランツ・ドールは役所に申請をすれば仮の戸籍が貰える。
所有者がいる限りそれは有効で、その戸籍を利用して自分の養子にしている所有者もいると聞いていた。
「とっくに申請通ったぜ?今は養子縁組の審査中」
リドウの言葉に変わったな、とユリウスが微かに笑った。
「以前のお前だったら、誰かと一緒に暮らすなんて事何があってもしなさそうだったのに」
「そういうお前だって似たようなもんだろ」
ユリウスはそうだな、とルドガーを見る。
「変われたのは、あの子のお陰だ」
リドウもまたジュードを見詰め、俺だってそうさ、と頬杖をついた。
そんな二人をジュードとルドガーが振り返り、もうすぐ出来上がるからね、と笑った。
泥沼から這いだそうともがき、足掻いた日々。それらは決して遠い記憶ではないけれど。
血の滲む傷口に優しく口付ける様にして癒してくれた。傍に在ってくれた。
運命でも神にでもなく、何より君自身に感謝したい。
ありがとう。俺を選んでくれて、ありがとう。
胸の内から溢れてくる温かい気持ちに満たされながら、穏やかに微笑んだ。

 


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