黒き土、真皓き光に黎明を知る







その王墓には、三千年の時の中でただ一つの魂を待ち続ける石版があった。
その石版は墓守の一族からは「記憶の石版」とも「冥界の石版」とも呼ばれ、七つの闇の秘宝をその身に受け入れんがために永き時を沈黙を以ってして存在し続けた。
石版の奥に聳える石扉もまた、永き時を石版と共にしていた。その全身には古の文字を纏い、中央にはホルスの眼が真実を見極めんとその眼を見開いている。
そして今、それらの待ち人たる魂の少年は七つの千年宝物と共に辿り着き、闘いの儀を治めた。唸るような地響きと共に魂の真実を見極めたウジャトの眼に縦一線の光が走り、オシリス神が統べし冥界への扉が開かれてゆく。
溢れる光の中に人影を見出した王と王の器の少年は、やがて見極めたその姿に揃って目を見開いた。
「あれは…!」
「どうしたんだ?!遊戯!」
器たる少年、遊戯の驚愕の声に城之内達が祭壇を駆け上がってくる。
石扉の向こうから光と共に現れたのは、一人の長身の男だった。
光に透けた現し身ならぬ身でありながらもその鋭い眼光は褪せる事無く、その眼と揃えた様な青き衣を身に纏った男の胸元には、闇と金色の逆ピラミッド。ファラオのみ提げる事を許された千年錐。
そしてその男の顔に誰もが見覚えがあった。
記憶の世界を廻った者は勿論だったが、そうでない者達ですらその面立ちを知っていた。
「に、兄サマとそっくりだ…」
モクバが呆然と呟く。
その言葉通り、現れた男はこの場に居る海馬と酷似していた。
「セト…」
もう一人の<遊戯>、否、剣を収めた王、アテムの唇からその名が零れ落ちる。
何故、その扉の向こうから彼が。
自分がこの扉を潜り、全ては終わるのだと思っていただけにアテムの驚愕は大きい。
「どうして…」
遊戯が呟いた。驚きに身を強張らせているのはアテムだけではない。この場にいる誰しもが思わぬ展開に眼を見開くばかりだ。
『…アテム王よ』
男の唇が動くと同時に聞き覚えのある低音が辺りに響く。彼がアテムの事をファラオと呼ばなかったのは彼の胸元に提げられた千年錐の存在で得心がいく。彼はアテムが千年錐に封印された後の存在なのだ。
『貴方の剣は置かれ、その手には御名のみとなった。オシリス神は貴方を受け入れるでしょう。しかし、貴方にはもう一つ思い出していただかねばならぬことがある』
「思い出す…?」
セトは訝しげな顔のアテムからついと視線を外し、遊戯に向ける。
『ムトウユウギ…王の<器>…』
思わず背筋を伸ばした遊戯にゆったりとセトが歩み寄る。
その視線は遊戯を見ているようで、遊戯を通して別の誰かを見ているように遠い眼をしていた。
ひたり、と遊戯の目の前でセトの歩みが止まる。
今度こそ、視線が交わった。
『…私のイシス…』
懐かしいものを見るような、慈しむような柔らかな色を滲ませたそれに遊戯の中の何かが反応する。
(え…)
脳の奥でかちりとパズルのピースが合わさるような音が聞こえた。
途端、溢れ出す…そう、これは『想い』だ。
「あ、あ……」
カタカタと遊戯の小さな体が震えだす。
彼の名を呼び友たちが駆け寄ろうとするが、しかしそれは彼の目の前に立つ男の一瞥によって阻まれてしまう。
「…ボ、クは……」
遊戯は震える己の体を抑えようとするかのようにきつく自分自身を抱きしめ、それでも視線は魅入られたようにセトを見上げていた。
『そのクセは、未だ直らんのか』
ふとセトはその眼光を和らげ、囁くように告げながらもう一歩、歩みを進めた。
『己で抱かずとも、お前を抱く腕はここに在る』
「セ、ト、さ…」
その身は現し身ではない筈であるのに、けれど力強い暖かさを知覚したと同時に遊戯の意識は途絶えた。
「相棒!」
「遊戯!!」
音も無くセトの腕の中で気を失った遊戯にアテムたちが声を上げる。
現し身でもないセトが何故遊戯の体を支えられるのかなどこの際どうでもいい。今は遊戯の身が心配だった。
「てめえ!遊戯に何しやがった!!」
声を上げる城之内を無視して彼は腕の中の小さな体を横抱きにするとアテムと真正面から向き合う。
『王の<器>は<器>でしかない』
「何?」
『王の魂を送り出した<器>は、ひとたびの眠りにつく』
「何だと!?どういうことだ!」
セトはふと視線を伏せると腕の中の少年に視線を落とし、再びアテムを見た。
『アテム王よ、貴方が向かうはイアル野ではない。この扉の先に待つはアヌビス神。しかし正義の広間にゆく事も無く、貴方はオシリス神の浄化を受け再びこの現し世に転生する』
「ってコトはアテムとまた会えるって事か?!」
漸く城之内へと視線を僅かに転じたセトは短くそれを肯定する。
城之内たちの喜びの声は、しかし続いた言葉に切って落とされた。



『アテム王の魂はムトウユウギの肉体に転生する』


時間が止まったような気がした。
誰もがその言葉を理解するのに時間を要した。
否、その場の殆どの者がすぐにその言葉の意味を理解していた。しかしそれを受け入れることが出来ないでいた。
アテムが去ってしまうのが悲しかった。
だからまた会えるかもしれないと知って嬉しかった。
でもアテムは遊戯の体に生まれ変わってくる?
じゃあ、遊戯は?
「…遊戯は、どうなるんだよ…?」
凍りついた空気の中、搾り出すように城之内が問いかけた。
『……』
「なあ、オイ!!」
答えないセトに焦れた城之内が駆け寄ってその襟首に手を伸ばす。しかしその手はセトの体を貫いて空を掴んでしまい、城之内はぎょっとして手を引いた。
『その魂はイアル野へ行くことも新たな生を受けることも無く、全ての終焉を迎える』
「じゃあ、アテムがこの扉の向こう行っちまったら遊戯は死ぬって事かよ?!」
セトは何も言わない。だったら、と杏子が声を上げた。
「だったら、アテムが残ればいいじゃない!だってほら、もうアテムと遊戯、一人一人体がちゃんと…!」
『仮初のものに過ぎぬ。アテム王が魂であるように、今の<器>は魄である。故に私が触れることが適うのだ』
魂と魄、欠けてしまえばオシリス神はその加護を授けてはくれない。
しかしアテムは魂のみの存在。『正義の広間』へ行くことは出来ない。
だからこその『闘いの儀』であり、初めからアテムの剣を奪うのは王の<器>たる遊戯にしか果たせぬ役目だったのである。
『闘いの儀』の真の目的は『転生の儀』であり、この場自体が『正義の広間』だったのだ。
「じゃあ、前みたいにまた二人で一緒に…!」
『王の魂が<器>から開放され、その剣を置いた時点で既に<器>の役割は終っている。この者が目を覚ますことは無い』
「何か方法は無いのか、セト…!俺は転生なんてしなくていい!だから相棒を…!」
『…一つだけ』
「それはなんだ!セト、教えてくれ!どうすれば相棒を救えるんだ!!」
『先ほど申したはずです。思い出して頂かねばならない事がある、と』
「何だ、何を思い出せばいいんだ!」



『<約束>を』


「やく、そく…?」
『そう、その<約束>こそがこの者の魂の終焉を回避する唯一の方法。唯一つの<言霊>』
「相棒との約束、だと…?」
長いようで短い、二人で一人だった時間。
たくさん話した。たくさん笑って、たくさん悩んで、怒ったり悲しんだり、そして少しだけ喧嘩をして。
その中で約束事なんて幾つあっただろう。
ほんの些細な事や大切な事、そのどれか一つが特別な約束とは言えない。
どれもが特別すぎて、アテムには判別がつかない。
しかしセトはそんなアテムの思いを読んだのか、そうではない、と首を横に振った。
「セ…」
突如として石版が目も眩むほどの眩い光を放ち、それに呼応するように開け放たれたままだった扉からも光が溢れてアテムたちは思わず目をきつく閉じた。
「何だ?!」

『思い出していただきたいのはムトウユウギとの約束ではない。貴方の……』

セトの声が光の中へと消えていく。
しかしアテムにはそれを止めることは出来なかった。
その光は瞼の裏だけではなく脳裏をも白く焼き、急速に意識を遠ざける。
(あ、いぼう…)
無意識に伸ばした手は何をも掴むことは無く。
アテムは意識を手放した。





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