花咲く丘に涙してU
 〜如何なる星の下に〜





彼の者、我が匣に閉じ込め


 ダンダンと乱暴に扉が叩かれた。最早ノックの域を越えているそれに、亜人の男は予想通りの人物の訪れを知る。
「入れ」
 机に片肘をつき、椅子の上から動く事無くそう言うと、ノックと同じく手荒に扉が開けられる。
「失礼します」
 扉が開き、夜の冷たさを含んだ空気と共に一人の青年が入室してきた。
「お呼びとお伺いしましたが」
 藤色の長い髪を紐で一括りにしたその青年は抑揚の無い声でそう言い、亜人の男は嘲りの色を浮かべた笑みを微かに浮かべる。
「いい加減、分かっているのだろう?カーシュ」
 その言葉にカーシュは表情を険しくする。
「…何が言いてえんだ」
 口調の変化と同時に抑えていた敵意がどっと溢れ、男は楽しそうに喉を鳴らした。
「先刻、私の使いが例の男の遺体を発見してな」
「ダリオを?!」
 その言葉に、カーシュの周りの空気が一転した。あれほどまでに亜人の男へ向けられていた敵意は消え、射る様に細められた紅の瞳も大きく見開かれている。
 その反応に男は途端不快になり、その笑みを消して詰まらなそうに椅子に凭れる。
 だが、カーシュがそれに気付く事はなかった。彼はただ言われた事に驚いていたのだ。当然であろう。ダリオが落ちたその後、遺体の捜索が行われたのだが結局見つからず捜索は打ち切りとなったのだ。
 それなのに、何故この男があっさりと見つけれたのだろう。
「埋葬をしたいのならここまで運ばせてやっても良いが…それには条件がある」
「条件?」
 カーシュが胡散臭げに片眉を跳ね上げる。
 男は立ち上がるとゆっくりと近寄り、カーシュのその整った顔を見下ろす。カーシュは一瞬脅えの色を浮かべたが、それはすぐに反抗的な眼差しにかき消される。男はその顔に満足げに眼を細め、その首を片手で掴んだ。
「私の物になれ。カーシュ」
「な、にっ?!」
 何の冗談だと言おうとして言葉を詰らす。
「!…やめっ…!!」
 男が自分の首筋に舌を這わせてきたのだ。猫科の亜人特有の、ザラリとしたその舌の感触にカーシュは身を捩る。
「ア、タマ…沸いてんのかっ…!!」
 首にかかった手を退けようとして男の腕を掴むと、耳元で低く囁かれた。
 選ぶが良い、と。
「っ…!」
 その低音が電気の様にゾクゾクと体中を駆け巡り、カーシュは膝が震えそうになるのを何とか耐える。
「あの男と引き換えに私の物になるか、我が身可愛さであの男を魔物の餌にするか…」
 その言葉に男の腕を掴むカーシュの手の力が強まる。ギリギリと男の腕を締め付けるその手は、やりきれなさが現れているようでもあった。
「さァ、どうする?カーシュよ」
 男が小さく笑っているのが分かる。この亜人の男は、カーシュが追い詰められているそれを楽しんでいるのだ。
「クソッ……!」
 カーシュが憎々しげに亜人の男を睨む。だが、不意に視線を逸らすと腕を掴む手の力を抜き、小さく舌打ちした。
「好きに、しやがれ」
 屈辱や嫌悪を押し殺し、言葉を絞り出すカーシュに男はくつくつと喉を鳴らして笑った。
「良い子だ。…バエル、クローセル」
 ヤマネコの呼び掛けに、彼の影から二体猫を象った闇が伸び上がってカーシュは目を見開いた。
「ダリオの遺体を運んで来い」
 指令を聞き終えるや否やその影は細く伸びて消えてしまう。
「明日には逢わせてやろう」
「そりゃどーもありがとよ」
 カーシュが吐き捨てるように言うと、首にかかった手に力が込められる。
「ぐっ……!」
「口の利き方に注意しろ。お前の主は誰だ?蛇骨か?」
 苦しげに顔を歪め、カーシュは首を横に振る。すると首を締め付けていた力は消え、カーシュは荒く呼吸を繰り返した。
「お前の主は誰だ?」
「ヤ、マネコ……様、です…」
 ヤマネコは唇の端を微かに歪めると、カーシュの首から手を放し、彼の服に手をかけた。




 悪夢のような夜が明けたその翌日、彼は確かに約束を守った。
 すぐに告別式が行われ、騎士達は再度悲しみに沈んだ。
 だが、その悲しみの中、一筋の疑惑が流れ始めていた。
「それ、本当かよ」
 その夜、部屋に戻って来た騎士たちはこそこそと部屋の隅に集まって話し込んでいた。
「ああ。花を棺に入れた後、部屋に戻ろうとしてルチアナ様の研究室の前を通り掛かったんだ。そしたらルチアナ様の声が聞えて来てさ。普段なら「あ、大佐と相談中か〜」ってなもんで気にしないんだけどよ、それが「ダリオ様」って単語が聞えたもんだからこっそり聞き耳立ててたんだ」
 そこで彼は改めて辺りを見回す。
 大丈夫だ、ここにはこの部屋の住人しかいない。
「…ダリオ様の死因となったのは肩から腰にかけての大きな傷が原因らしい」
「それってあれだろ?亡鬼に襲われた…」
 バカ、最後まで聞けって、と彼は同僚を窘めた。
「それがどうやら、鎧の損傷具合からして切り裂かれた、というよりは叩き斬られたような感じだったらしい」
 一瞬、部屋に沈黙が落ちた。
「……叩き斬られたって…」
 それを主流とした戦い方をする人物を、自分達は知っている。
 そしてその人物とは、この騎士団の中で唯一ダリオの死の場に居た者だ。
 確かに、自分達はダリオが亡鬼に教われて死んだとは聞いた。
 けれど、それならば何故ダリオのみが死に、カーシュはほぼ無傷で帰って来れたのか。
「まさか、カーシュ様が…?」
 しかし、そうなれば全てに納得が行く。
 二人はその仲こそ良かったが、一つ年下であるダリオに今一歩届かなかったカーシュ。
 知らぬ間に、憎しみを育てていたという事は無いのだろうか。
 シュガールとソルトンをその場で待機させておいたのも、最初から仕組まれていたのではないだろうか。
「……あっはっは、まさかな!」
 一人が空笑いを上げ、周りはそれにつられて空笑いを上げる。
「そうだよ!まさか!そんなわけないだろ!」
「さ、もう寝ようぜ!」
 一同はその疑念を打ち消すように笑い声を上げながらそれぞれのベッドへと潜っていった。
 だが、疑惑の芽は不安を糧に、確実に育っていっていた。



 訓練が終り、カーシュが解散を告げる。
「カーシュ様」
 すると、数人の騎士たちがカーシュの元へ集まって来た。
 その表情はどれも硬い。
「どうした」
「……その…」
 騎士たちはお互い顔を見合わせ、その中の一人が意を決して口を開いた。
「どうか、後生です。亡者の島での真相を…お聞かせ下さいませ」
「!」
 途端、カーシュの表情は強張り、その視線は僅かに険を帯びる。
「……どういう、ことだ」
 震えるのを堪えるような声音。
「じ、自分達は、ダリオ様は、亡鬼に襲われ亡くなられた事に、疑問を…抱いております」
 その言葉の意を察したカーシュは微かに眼を見張り、誰の目から見ても明らかなほどその顔は色を無くした。
「それは……」
「ダリオは間違いなく亡鬼に襲われて死んだよ」
 突然割って入った声に一同はばっと視線を向ける。
「や、ヤマネコ様…」
 蛇骨と共にこちらへ近寄ってくるその亜人の姿に、騎士たちは本能的な恐怖を揺さぶられる。
 数ヶ月前から滞在している、大陸からの客人。
 彼もまた、あの悲劇の場に居た一人だ。
「私とカーシュの目の前でダリオは亡鬼に襲われ、崖下へと転落した。それが全てだ」
 すると彼は傍らの蛇骨に視線を移した。
「大佐、カーシュの顔色が優れぬ様だ。今日はもう休ませては如何かな」
「うむ…。カーシュ、あれから碌に休んでおらぬのだろう。今日はゆっくりすると良い」
「はっ、有り難う御座います。…それでは」
 カーシュは一礼し、その場から離れていった。
「…お前たちならどうだ」
「は?」
 きょとんとした騎士たちにヤマネコは相変わらずの無表情で告げる。
「目の前で成す術もなく親友が殺され、己の不甲斐なさを責めている時に部下からお前が殺したのではないかと疑われる。どんな気持ちだ?…大佐、私もこれで失礼させて貰おう」
 打たれたように立ち竦む騎士たちを余所に、ヤマネコはその場を立ち去っていった。


 くつり、と微かな嗤いが漏れた。
 これだから人間は単純なのだ。
 ちょっと同情を引く事を言ってやればすぐ転ぶ。
 これでカーシュを疑う者は殆ど居なくなるだろう。
 まだ、真相を明るみに出すわけには行かないのでね。
 カーシュ…
 忘れるな。
 お前がこの現実を選んだのだ。








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