花咲く丘に涙して・番外編
―されど我らが日々―
其は優しき思ひ出なれど、今は一時の別離なり
今日も航海には持って来いの良い天気。
セルジュたちは水龍と土龍、緑龍から祈りをぶん取り、さて次は炎龍だ!と天下無敵号を走らせていた。
肉体が変わったり「セルジュ」の時の仲間が自分を見た目で判断して拒絶したりと、ショッキングな事はあれこれとあったものの、そのわりには案外順調に進んでいた。
そんな中、船首でこれからの事を話し合っていたセルジュ、カーシュ、マルチェラの三人に、予期せぬ突然の出来事が振りかかった。
「は?!」
今まで二人の話を聞いていたカーシュが突然倒れたのだ。
「ちょ、ちょっとカーシュ?!」
自分の方へ倒れて来たカーシュをひらりと避け、派手な音を立てて倒れたカーシュの肩を慌てて揺するマルチェラ。
「か、カーシュ?!」
セルジュも慌ててカーシュを抱き起こし、そこで始めてカーシュの体が異様に熱を持っているのに気付いた。
「うわ、凄い熱……」
マルチェラがカーシュの額に手を当て、その熱さに顔を顰める。先程からカーシュにしては珍しく何も言わないと思っていたが、どうやら立っているのがやっとだったらしい。
「カーシュ、自分で気付いてなかったのかな?」
「カーシュは滅多に体調崩さないから。バカは風邪ひかないって言うしね」
それにしても気付くだろう、普通。そう思いながらもマルチェラは溜息を吐いた。
「と、とにかく部屋へ運ばないと!」
慌てて誰かを呼びに行こうとするセルジュをマルチェラがそれを阻む。
「何処行くの、セル兄ちゃん。今のセル兄ちゃんなら十分運べるでしょ?」
指摘され、セルジュは「あ、そっか」と納得する。今の自分の肉体は「セルジュ」ではなく「ヤマネコ」なのだ。
「よいしょっと…うわ、僕、カーシュ抱き上げちゃったよ」
「セルジュ」のままだったら絶対に無理な事を軽々とやって退け、セルジュは妙な所で感動していた。
ふっと意識が戻り、カーシュは薄らと瞼をほんの僅かに開く。
(………頭イテエ……寒ぃ…胸クソ悪ぃ……)
病気は勿論、風邪など滅多にひかないカーシュの中では風邪と言う文字は無に等しく、まさか自分が風邪をひいたなどとは思いも寄らなかったらしい。
(……?……)
そこで漸く自分が何者かに抱きかかえられている事に気付く。だが、視線を上げるのですら億劫で、ちらりと視線を横滑りさせ、その服を見る。
(……ヤマネコ……?)
間近だろうが遠かろうが、自分が彼の服を見間違える筈が無い。
何で、コイツに抱きかかえられてんだ。
鈍くなった思考でぼんやりとそんな事を考えた。
朦朧とした意識の所為で、セルジュだということをすっかり忘れている。
(前、同じような事があった気がする…)
――…お前は自覚症状を持つべきだな。何に関してもだ。
少し呆れたような声。
全身に染み渡るような、その低い声が蘇る。
自分はいつ、その言葉を聞いたのだろう。
――寝ろ。
だが、思い出しかけた記憶は彼の声に遮られてしまい、カーシュは眠りの底へと落ちていった。
それは、突然の事だった。
「カーシュ様!!」
わっと騎士たちの声が上がる。
いつもの様に剣術指南を行っていたカーシュが、突然糸の切れた人形のように倒れたのだ。
「担架を…!!」
その時、ざわめいていた空気が一瞬にして静まり返った。
「ヤ、ヤマネコ様……」
いつから見ていたのか、蛇骨の客人は騒ぎの中心へ足音も無く歩み寄ると、意識の無いカーシュを軽々と抱き上げた。
「お前たちはこのまま続けるが良い」
そう言い残し、カーシュを抱いたヤマネコは館内へと戻っていった。
「……ん……」
微かに瞼を揺らし、カーシュははっとして目を覚ました。
重い体を起こし、頭痛の酷い頭を抱えながら辺りを見回すと、そこは自分の部屋だった。
「気が付いたか」
ノックも無しに入って来たヤマネコにカーシュはあからさまに嫌そうな顔をする。
「倒れた事は覚えているか」
その言葉に、カーシュは片眉をぴくりと跳ね上げる。そう言えば自分は剣術指南を行っていた筈だ。
「…あー…?」
昨日からどうも体が重く、真っ直ぐ歩いているつもりでも右へ左へと傾いてしまったり、頭痛が酷かった。だが、これくらいで引きこもっているわけにも行かないと半ば気合で保って来たのだが、とうとう限界が来てしまったらしい。
「薬は飲まなかったのか」
ヤマネコの言葉にカーシュはきょとんとする。
「は?薬?なんで」
「………」
その反応に、もしや自覚症状が無いのではと思ってしまう。
「……お前、風邪の症状は知ってるか?」
「は?知ってるに決まってんだろ」
テメエ今日どうかしてんのか?という視線でカーシュはヤマネコを見上げる。普段ならば上っ面だけとはいえ従順な態度をとるのだが、何故だか今日は思考がどろどろとしていて考えが纏まらず、その考えは全く思い付かなかった。
「ならば、今のお前の状態は何だ?」
「……………」
カーシュは暫し視線を泳がすと、ぽむっと手を叩いた。
「俺、風邪ひいてたのか」
ここまで来て漸く気付いたカーシュにヤマネコは嘆息した。
「…お前は自覚症状を持つべきだな。何に関してもだ」
部下や他人が少しでも顔色が悪いものならすぐさま気付いて声をかけるくせに、自分の事となると、とんと気付かない様だ。
すっとカーシュへ手を伸ばしてその火照った頬に触れると、びくりとその身体が強張るのが分かった。だが、ヤマネコはそれに気付かぬ振りをし、その手を更に首元まで滑らせた。
「っ……」
性行を強要されるのかと身を固くしたが、すぐにその手は離れていく。
ひんやりとしたそれが離れてしまい、カーシュは内心、それを惜しんだ。
「今日はもう薬を飲んで寝ている事だな」
そう告げるとヤマネコは部屋を出ていった。カーシュは詰めていた息を大きく吐くと、ばふっとベットに沈む。
「……だりぃ……」
小さく呟きながら目を閉ざす。
とろとろとした睡魔は彼を捕らえ、深い眠りへと誘っていった。
+-+◇+-+
今回も特にお手入れ無し。やっぱ番外編はそれ自体がもう付け足し話なので特にこれと言った付け足しはなかったです。なのでかなり短い。なので今書いてるもう一つの番外編もこれに組み込もうかと思ったんですが、余りにもスケールが違い過ぎるのでやめました。こっちはある日の一コマ的ノリだけど、あっちはカーシュとダリオの出会いから別れまでぶっ通しですからね。組み込めませんて。
(2002/11/21/高槻桂)