花咲く丘に涙して・番外編
     ―されど我らが日々―





さらば愛しき思ひ出よ。されど、我らが日々は真に在り


「……ん……」
 寝苦しくて寝返りを打つ。
 どうやら熱が悪化したらしい。苦しさで意識が浮上する。
 結構な時間を寝ていた様だ。室内は真っ暗だったが、明かりを点けるのすら億劫だった。
「……っ……」
 余りの頭痛に吐き気が沸き上がる。だがそれは込み上げてくるだけで、実際に胃の中身を吐き出す事は無く、吐く事で楽になる事すら許されない。
 体は焼けるほど熱いというのに、背筋はぞくぞくとして寒気がする。
「……水……」
 口の中が酷く乾いていて、無意識にカーシュは小さく呟く。
「…んっ…?!」
 ひやりとした感触が唇に触れた。
 それはカーシュの唇を割り、水が流れ込んでくる。
「…っん……」
 体の欲するままそれを飲み下すと、唇の感触が失せる。
 まだ足りないとせがむと、望むだけそれは繰り返された。
 渇きが失せると、心成しか吐き気も治まってきたような気がする。
 不意に額に何かがあてられた。
(……気持ち良い……)
 どうやら掌を当てている様だった。その冷たい掌はカーシュの額にそっと置かれている。
(…ヤマネコ……?)
 誰、なんて考えなくとも分かる。この感触は彼しかいない。
 だが、カーシュの知る彼はこんな優しいことはしない。

 でも、これはヤマネコの手だ。

 自分がこの感触を忘れる筈がない。
 寝入る前にも触れた、この感触を。

 否、考えるな。

 人を玩具としか思っていないだろう彼がこんな事をする筈はない。
 する筈がないんだ。
 優しくしないでくれ。
 俺は、あんたを憎んでいるんだ。
 俺は、あんたを嫌っているんだ。
 この湧き上がる感情を、認めるわけにはいかない。
 認めてしまえば、きっと全てが壊れてしまう。
 壊れてしまうとしか思えないんだ。
 だから、この手はアンタじゃない。
 これは、他の誰かなんだ……。




「前にもね、カーシュ、熱出して倒れたことがあったのよ」
 カーシュの額に濡れたタオルを置きながらマルチェラはそう呟いた。
「へえ。その時もマルチェラが看病したの?」
 セルジュがそう言うと、マルチェラはふるふると首を左右に振った。
「ううん、違うわ。私じゃない。でも、カーシュは覚えてないみたい」
「へ?」
「熱でボケたのよ、きっと」
 そう呆れたように溜息を落してから、「氷、貰いに行ってくる」と部屋を出ていってしまった。
「……んっ……」
「あ、カーシュ?」
 カーシュがもぞっと身じろき、セルジュが枕元に駆け寄った。
「………」
「え?」
 眠ったままのカーシュの唇が微かに動き、何かを呟いた。だが、セルジュがそれを聞き取ることは適わず、首を傾げる。

 不意に、カーシュの目尻から涙が零れ落ちた。

「………」
 そして、聞えない呟き。

 それはまるで、祈るようだった。

「……カーシュ…?」

 呼びかけてもカーシュの意識は閉ざされたままで、ただ、幾筋もの涙が彼の目尻からこめかみ、そしてシーツへと流れ落ち、染みを作っていく。
「カーシュ…大丈夫、傍に居るよ…」
 セルジュが彼の熱い手を包み込むようにして握ると彼の涙は止まり、その表情は安心したような物となった。




 額に当てたその手の温度が彼の熱と同化した頃、ヤマネコはそっとその手を離した。
 彼は眠るカーシュを起こさぬよう静かにベッドサイドに腰掛け、その身を屈める。
「…カーシュ…」
 一旦客室へ戻り、再度この部屋へ来る際、騎士たちの立ち話を聞いた。

――カーシュ様が倒れるなんて始めてじゃないのか?
――診察したルチアナ様の話だと、心因的なものらしいぜ
――やっぱ、ダリオ様の事が原因、なんだろうなあ…
――そうだろうなぁ…俺らの前ではいっつも明るく振る舞って…
 そこでヤマネコに気付いた彼らは慌てて口を噤んだ。

「……」
 ヤマネコはカーシュのその熱い唇に触れるだけの口付けを落し、彼は声にならぬ程の微かな声でその名を囁く。
 どうしてこうなってしまったのだろう。
 私が一人の人間に固執するなど。
 私は全てを見詰め、見渡す存在。
 動けない本体の代わりに目的を果たす為の存在。
 なのに、今はそんな事よりもこの男を見ていたいと思ってしまう。
 何よりも優先すべき目的を、「そんな事」と思えてしまう。
「カーシュ…」
 いつか遠くない未来、セルジュがこちらの世界に現れて全てが動き始める。
 だが。
 せめて、それまでは。
「…お前を離しはしない…」
 憎しみで良い。
 その赫の眼を、私に。








(終)
+-+◇+-+
後編はヤマネコ様視点をちょっと付け加えてみました。お陰でセルジュたちの話が主線なのに過去の話の方がメインのような感じがしてなりません。私的には過去の話が書きたくて書いた話なので別に良いんですけどね。(爆)
ていうかね、バレバレなので今更言うのもアレだけど、ヤマネコ様、カーシュにベタ惚れです、ハイ。
IFの方ではそれを惜しみなく表に出していこうかと。(笑)
何と言うか、本編が死に別れてるんでその反動でラヴラヴロードまっしぐらの方向で。(何)
(2002/11/21/高槻桂)

 

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