月如凛光
ある日、景虎は幸村に連れられて城下町を歩いていた。 活気ある人々の姿に自然と景虎の表情も和らぐ。 この日、景虎は初めて女の格好で外に出た。 落ち着いた色合いの小袖を重ね、高く結い上げていた髪はおろして元結で結んでいた。 化粧こそしなかったが、落ち着かない気持ちで幸村の前に出ると、彼は数秒の沈黙の後、真っ赤になって何処かへ駆け去ってしまった。 やはり可笑しいのだろうかと思っていると、佐助と才蔵があれは照れているだけだと笑っていた。 それから暫くして戻ってきた幸村と城下へ出たのがつい先ほど。 久々の外の空気は景虎にとって新鮮で、春日山の城下町とはまた違った趣に心躍らせた。 「……」 ふと目に付いたものに景虎の足は止まった。 様々な色合いの簪や飾り櫛に目を奪われる。 今までそういったものに眼を奪われたことなど無かったというのに、この心境の変化は何だろう。やはり女の格好をしているからなのだろうか。 「是非お手にとって見てやってくださいまし」 手に取るわけでも無くぼんやりと眺めている景虎をどう思ったのか、店主らしき男が声をかけてきた。 「あ、いや、私は…」 「これなんてどうだ?」 慌てて断ろうとした景虎の後ろから被さるようにして男が手を伸ばしてきた。 その手には大輪の白牡丹に花びらの下がりが付いた簪があった。 「おやお眼が高い。それは職人が特に出来に満足していた品でして」 「だと思ったぜ」 すっと髪にそれを寄せられ、漸く男の顔が見える。 醒めるような青の着流しを纏った男は随分美丈夫に見えた。 特徴的なのは、その左目に刀の鍔で作った眼帯をつけていることだった。 「ああ、よく似合う」 男は片方だけの眼を和らげて簪を景虎に握らせた。 「あんたはこれをつけるべきだ」 「しかし、その、私には持ち合わせが…」 この身一つでやってきた居候という身である以上、当然金銭など持ち合わせていた無い。 すると男は気にするな、と笑う。 「これは俺からのpresentだ。気にするな」 「ぷれ…?」 「贈り物ってやつさ」 そう言って何でもない事のように少なくは無い金を店主に渡す男に景虎は焦る。 「だが、見ず知らずのそなたに…」 「Stop!」 男の指先が景虎の口元を塞ぐ。 「俺がアンタを気に入ったんだ。理由なんざそれだけで十分さ。understand?」 「??」 「わかったかって言ってんだ」 「あ、ああ…」 推されるがままに頷いてから、景虎は彼が時折口にする理解できない言葉が異国語である事に気付いた。 青を好み、異国語を嗜む隻眼の男。 「そなた、もしや伊…」 「三郎兄!!」 「幸村」 「何だァ?真田幸村じゃねえか」 そういえば幸村と一緒だったことを思い出した。 恐らくは足を止めた景虎に気付かず進んでいってしまったのだろう。 そして気付いて慌てて探しに来てくれたと、そんなところか。 「すまない、幸村。つい足を止めてしまった」 「心配しましたぞ!しかも何ゆえ伊達殿と共におられるのか」 やはりこの男が伊達政宗か。 「偶然お会いしたのだ」 「おいおいちょっと待て、今三郎兄つったか。どう見ても女だろ」 「故あって男として育ったのでな。…これを買うたこと、後悔しておるか」 今からでも返せるだろうかと思案していると、政宗はまさか、と肩を竦めた。 「それはいいんだがよ。もちっと色気のある名前つけたらどうだ」 そう言われても。景虎は苦笑する。 「嫁ぐわけでもなし、必要はなかろう」 「そうでござる!三郎兄は何処にも嫁がぬ!」 「だが今こうして女の格好をしてるっつーことは可能性もZeroじゃねえってことだろ?」 「これは…!」 「I see,I see.まだ葛藤はある段階ってところか。だったら…そうだな、愛ってのはどうだ」 「めご?」 「アンタの女としての名前だよ。女として生きて行くならいつまでも三郎なんて男名を名乗ってるわけにも行かないだろう?」 まずはそこから始めたらどうだ? そんな風に考えたことなど無かった景虎は、政宗の言葉に眼を丸くした。 だが、そうしてしまえばもう後戻りは出来なくなってしまいそうで景虎は視線を落とす。 「今はまだ、そこまでは考えられぬよ」 「いいさ。少しずつ馴れていけば」 そしていつかその簪をつけた姿を見せてくれ。 そう屈託無く笑う政宗に、景虎もまた微笑みを見せた。 「……」 しかし、幸村だけはそれを面白くなさそうに眺めていた。 その夜、部屋で書き物をしていると見知った気配がして景虎は手を止めた。 『三郎兄、今宜しいか』 「入れ」 彼にしては珍しく静かに入ってきたかと思えば、その表情は暗い。 「如何した、この様な夜更けに」 「…三郎兄は、その、もし女子として生きていくとしたら…誰かに嫁ぐのですか?」 思いつめたような表情に、景虎は得心する。 政宗と別れてから珍しく黙りっぱなしの幸村に、何か機嫌を損ねるようなことをしてしまっただろうかと思っていたが、どうやらずっとそれを考えていたらしい。 「今までは考えたことも無かったが…上杉では私が女であることは最早周知の事実だろう。そうなってしまえばその可能性も考えられる」 または婿を貰うのかも知れんな。 そう笑うと、ならば、と幸村が詰め寄ってきた。 「ならば某が!某が三郎兄を貰い受けとうございまする!」 「幸村?」 「某はまだまだ未熟者。しかし必ずや精進し、立派な武士となって三郎兄をお守りし申す!」 「しかし私には既に道満丸という子がおる」 「構いませぬ!吾子ともども某が必ず幸せにし申す!」 三郎兄! 抱き寄せられて驚きに目を見開いた景虎は、その逞しい体に包まれてそっと瞼を落とした。 「…幸村、私は…」 1.幸村を受け入れる。 2.幸村を受け入れない。 |