月如凛光



2.幸村を受け入れない。




「…すまぬ」
呟くように告げるとぴくりとその体が揺れた。
「私を救ってくれたそなたに心より感謝しておる」
景虎は幸村から身を離し、その眼を見つめて言う。
「だが、そなたと添うことは出来ぬ」
「何故ですか!某は…!」
「弁丸」
「!」
「愛しい弁丸。頼むから私を困らせないでおくれ」
すると幸村は唇を噛み、無言で景虎から身を引いた。
「もう遅い。休みなさい」
「…失礼致す」
一礼して出て行く幸村を見送って、景虎は背後に声をかけた。
「主を追わなくて良いのか?」
そこにはいつの間にか佐助が立っていた。
「まあ今は一人になりたいだろうし」
意外だったよ。そう言って彼は肩を竦める。
「女の事になるとやれ破廉恥だのって大騒ぎする旦那がまさか求婚するなんてね」
「私は最初こそ男と思われていたからな。抵抗が薄いのだろうて」
「でも何で断っちゃったの」
佐助の問いに景虎は苦笑する。
「弁丸のあれは嫁ぐ姉に縋る子供と同じだ。いつか姉離れする日が来ようて」
「ほんとにそう思ってんの?」
「……」
視線を落として曖昧に微笑む景虎に、佐助はあーあと溜息をついた。




多少の蟠りを残したまま、それでも日々は過ぎていった。
生温い湯に浸かるような日々は突然終わりを告げる。
「伊達殿が?」
縁側で揃って茶を啜っていると、その思いがけない訪問者の名に幸村だけで無く、景虎の同席を求めていると言われ景虎もまた眉を顰めた。
「よお。久しぶりだな」
広間に向かうと、そこには伊達政宗ともう一人、厳しい顔つきの男が背後に控えていた。
「今日も女服なんだな、愛」
良い事だ、と笑う政宗に困ったような笑みを浮かべ、幸村の傍らに腰を下ろした。
「して、何用か」
先日の城下での件があって以来、伊達の名が出ると何処か不機嫌になる幸村である。
当然、本人を目の前にすれば憮然としてしまっていて景虎は内心で苦笑した。
しかしそんな幸村の内心を知ってか知らずか、政宗は口を開いた。
「我が伊達軍は上杉・武田と同盟を結ぶ事になった」
一瞬の間があって後、幸村と景虎は顔を見合わせた。
政宗の話はこうだった。
昨今織田が勢いづいている。先日は今川が討ち取られたと聞く。
そんな時に小競り合いをしていたら背後から織田に掻かれるのが落ちだと。
今はまず目の前の大敵、織田信長を討つ事が先だ。
既に謙信と信玄からは了承を得て書状を持っているとのこと。
「You see?」
「確かにそれはそうだが…」
それを何故政宗自らわざわざ言いに来たのだろうか。
同盟を結ぶに当たって幸村や勿論景虎が異論を唱えられる立場ではない。伝令兵に書状一つ持たせれば良いだけの話だ。
そうすれば幸村が早馬を駆って躑躅ヶ崎館へと走るだけである。
「伊達殿御自ら伝令兵役を買って出るという事は、幸村自身に用があるという事か?」
すると政宗は舌を鳴らして人差し指を横に振った。
「勿論幸村と手合わせが出来りゃっつー思いもある。が、用があるのはアンタだ、愛」
「私に?」
きょとんとして小首を傾げると、彼はにっと笑った。
「そう。愛を俺の室としたい」
「なっ!そのような事許されるはずも無かろう!!」
「そも、私は居候の身。ここの人間ではありませぬ」
逃れようとする景虎に、しかし政宗にそれは通用しなかった。
「知ってるぜ。アンタが上杉三郎景虎だってのは」
にやりと笑ったその顔に、一瞬にして景虎は理解した。
「よもや此度の同盟…」
「安心しろ。断ったからと言って同盟を白紙に戻したりなんざしねえ」
「…父上は何と」
「アンタの判断に任せるとさ。どっちにしたってアンタもいつまでもここに居るわけにもいかねえだろ?」
「……」
「三郎兄…」
黙り込んだ景虎の顔を幸村が覗き込むようにして見上げてくる。
その眼は子犬のように潤んでおり、景虎の弱いところをついてくる。
「三郎兄、幸村は三郎兄がいつまでもここに居ても構いませぬ」
「幸村、ありがとう…」
しかし、と景虎は瞑目する。
いつまでも幸村の好意に甘え続けるわけにも行かない。
これを機に離れるべきなのだろう。
「……」
景虎は心を決めるとすっとその切れ長の眼を開いて顔を上げた。
「決まったようだな」
「ああ。伊達殿、幸村、私は…」




1.伊達に嫁ぐ。
2.越後に帰る。





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